
「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集)
欧州(ロシア)
ロシア(平成23年5月2日現在)
- ロシアに在留する多くの日本人が,ロシアの市井の方から,町中で心からの哀悼の言葉,温かい励ましの言葉を頂いています。
- 3月11日から,日本大使館前に,多くのロシア人が,花やチェブラーシカのぬいぐるみ,折り鶴やメッセージや絵を手向け,祈りを捧げました。24日までに約2,300名が日本大使館に弔問に訪れました。
- 日本大使館で義援金の受け付けを開始した直後から,多くの温かい支援がさしのべられました。あるロシア人紳士は,「がんばってください」と一言だけ言い残し,信じられないくらいの多額のお金を預け,また,老齢のご婦人が「年金生活で多くは支援できないが,私ができる最大限の寄付をしたい」としわしわのお札を寄付し,祈りを捧げていきました。別のご婦人は,義援金を渡すと,涙を流し「日本は必ず復興します」と元気づけてくれたこともありました。アルメニア系の男性は,深くお祈りをするとともに,義援金を預け,「アルメニアの大地震(1998年)の際,私は親戚を5人失い,子供も1人亡くした。自分も頬に傷を負った。今回テレビで日本の地震の映像が流れているが,他人ごととは思えない。自分は地震を乗り越え,今ロシアで仕事をしている。日本人は頭がいい民族だ。すぐに地震から復興できるはずだ。出来ることがあればなんでも言って欲しい。」と我がことのように心配してくれました。
- サンクトペテルブルクでも,多くの市民が,花束,千羽鶴,連帯のメッセージ,ろうそくを日本総領事館前に供えました。総領事館前を通る歩行者が,火が消えたろうそくを見て,持っていたライターで火を点けていく姿もありました。
- ウラジオストクでも,市民から,いつでも自宅の空き部屋に被災者を受け入れる用意があるとの電話やメールが多数寄せられています。年金生活者の女性は,「自分も何かせずにはいられない。自分は所有する別家に住んでも良いので,自宅は被災者に使ってもらいたい」との電話がありました。
- 在ウラジオストク日本総領事館に,ウラジオストク市民から数多くの千羽鶴が届けられました。千羽鶴を届けた極東連邦大学の女子大生達は,「千羽鶴を通じて日本の被災者にお悔やみを申し上げたかった」と述べまた。
- サハリン州知事,同州議会議長やユジノサハリンスク市長,市民から,弔意の表明と共に,日本に対する激励や支援の意思が在ユジノサハリンスク日本総領事館に届きました。
- モスクワ第一ギムナジウム(小中学校)の生徒達が集めた毛布などの支援物資や,日本の子供達への励ましの手紙や絵が日本大使館に届けられました。
- サンクトペテルブルク市クロンシュタット地区カピツァ記念第425番学校生徒が,「日本の皆さん,私たちはあなたたちとともにあります」というテーマで絵を描き,日本総領事館に届けました。同地区は,約160年前,開国を求めて来日したプチャーチン提督の出港地であるなど,日本と歴史的なつながりがあります。
- サンクトペテルブルク第83番学校より,日本人生徒をホームステイで受け入れる用意があるとの申し出が日本総領事館にありました。同学校は,「バラが咲いた」を校歌とし,外国語として日本語を教える公立普通中等学校で,生徒が被災者のために千羽鶴を作成しています。
- ウラジオストクの子供クラブ「ユーノスチ」及び「オケアン」子供センターの子供達が,日本の被災者へのメッセージと,いつでも連絡がとれるように自分の連絡先を一羽一羽に記した多くの千羽鶴を在ウラジオストク日本総領事館に届けました。
- ヴォリノ・ナジェジデンスコエ村の子供たち10名が,悪路の中を数時間かけウラジオストクまでバスで訪れ,作成した折り鶴を日本総領事館に届けました。
- ウスリースクのギムナジウム(中学校)が,被災した子供達のために玩具の収集を行い,集まった多くの玩具を抱え,2時間かけてウラジオストク日本総領事館に届けました。
- 「統一ロシア」党「若き親衛隊」沿海地方支部長が,活動員達が被災者及び被災児童を自宅に受け入れる希望を有していると在ウラジオストク日本総領事館員に伝えました。
- ロシア赤十字社沿海地方支部は,日本への義援金についての同支部への照会の電話がとぎれることなく続いており,従来ロシア国内で災害が起きた時でもこれほどの反響はなかったと述べました。ロシア正教ウラジオストク大主教管区も義援金集めを開始した他,マガダン州でも被災者への義援金送付の動きがあります。
- 3月14日, ゲルギエフ同劇場芸術総監督の発意で,マリインスキー劇場で上演された「レクイエム」について震災の犠牲者に捧げられました。演目は当初からヴェルディ作曲の「レクイエム」でしたが,コンサートの冒頭,指揮者である芸術総監督が,犠牲者に対する哀悼の意を表明,「レクイエム」を犠牲者に捧げたいと話し,観客全員が黙祷を捧げました。
- 3月14日,在ユジノサハリノスク日本総領事館の入っている建物で,市民の発案で献花行事が行われました。
- 3月17日,サンクトペテルブルク市クロンシュタット地区(兵庫県洲本市の姉妹都市)の日露修好150周年記念碑の前で,同地区の青少年をはじめとする人々により追悼式典が実施されました。
- 3月18日,有名ロックバンド「マシーナ・ヴレーメニ」が,チャリティ・コンサートで義援金を集め,日本大使に託しました。
- 3月20日,在ハバロフスク日本総領事館前で,数百名の市民が,花や折り鶴を捧げました。
- 3月25日,模擬国連ロシア極東支部メンバーを中心とするウラジオストクの大学生達が中心となり,犠牲者追悼集会Vladivostok Prays for Japanが開催され,500人を超える市民に加えて,極東連邦大学学長や沿海地方議会議員等の要人も数多く参加しました。同集会で,極東連邦大学学長から被災した若者を家族と一緒に大学で受け入れるとの表明があった他,仙台で自ら被災した同大学卒業生のジジコフ氏が「自分は仙台で,自らも被災し血を流しつつも,お互いに助け合う日本の人々の姿を見てきた。また,彼らはあの困難な状況下で我々ロシア人に対しても出来る限りの援助をしてくれた。彼らから受けた恩は一生忘れることが無い」とスピーチしました。
- 3月27日,サハリン州正教会教師会のイニシアティヴにより,同州の子供達が,被災した日本の同年齢の子供達に励ましの手紙を書く運動を実施。
- 3月27日,サンクトペテルブルク国立大学で,実業家ユルコフ氏(日本在住経験あり)と親日映画監督ソクーロフ氏が中心となり,被災者を追悼・支援するための無料コンサートが開催されました。コンサートには,モスクワから来訪した有名オペラ歌手エレーナ・オブラスツォーワ(モーツアルトの「レクイエム」歌唱)や俳優オレグ・バシラシヴィリ(追悼スピーチ)の他,ペテルブルク在住の若手詩人,俳優や声楽家が舞台に立ちました。また,マリインスキー劇場のプリマドンナ,ディアナ・ヴィシニョーワがイーゴリ・コルプとデュエットで「白鳥の湖」の一幕を披露。コンサートの締めくくりに,日本をテーマにしたソクーロフ監督の作品「オリエンタル・エレジー」が上映されました。
- 3月29日,ユジノサハリンスクにて,音楽家有志がチャリティ・コンサートを実施。
- 4月6日~15日,サンクトペテルブルク市内の日本食レストランで,アルメニア人画家ザハル・ハチャトリャン氏らが,売り上げの一部を義援金とする,絵画や彫刻の展覧会を開催。同氏は,「大震災を経験しているアルメニア人として,日本の被災者を支援したいと思い,この展覧会を開催した。これまで多くの困難を乗り越え発展してきた日本人なら,この震災も必ず克服できる」とのメッセージを読み上げました。
- 4月11日,模擬国連ロシア極東支部代表が,義援金と,メッセージカードでつくられた「日の丸」を模したメッセージボードを在ウラジオストク日本総領事館に持参しました。同代表は「ロシアが物質的にも精神的にも苦しんでいた時,日本は献身的支援を行ってくれた。今回は我々が恩返しする番である」と述べました。募金箱,募金を呼びかけるフライヤー,募金を行った者に配布したデザイン缶バッジは,地元業者が無償で作成しました。
- 5月2日,サンクトペテルブルク・フィギュアスケート連盟は,日本スケート連盟等の協力を得て,国際フィギュアスケート選手権大会入賞者及び参加者によるエキシビションを企画。エキシビションには,安藤美姫,川口悠子,アレクサンドル・スミルノフ他各国選手が出演,チケット売上の一部が被災者へ送られる。
- ロストフ・ナ・ドヌー市で開催された第6回南ロシア剣道選手権開会式で, 1分間の黙祷が捧げられました。
- ウラジオストクで,四川大地震で被災した中国人児童を多数招待し,励ました経験を有する「オケアン」全ロシア子供センターが,被災した日本の児童の受け入れを提案。
- パラトゥンカ村(カムチャツカ地方の温泉保養地)の住民が,同地方知事に対し,震災で両親を失った子供達を自宅で受け入れたいとの申し入れを行いました。