
「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集)
中南米(南米)
アルゼンチン
- フェルナンデス大統領を始めとするアルゼンチン政府関係者,多数のアルゼンチン国民が,弔意と連帯の表明及び支援の申し出を日本大使館に寄せました。
- 3月14日,在亜日系団体連合会が募金活動を開始。
- 3月16日,アルゼンチン連邦議会上院が,弔意と連帯を表明する宣言を採択。
- 3月18日,ブエノスアイレス市中心部のオベリスコ下の広場にて被災者支援集会が行われ,市民約800名が参加。「ガンバレ日本! FUERZA JAPON! 私たちの心は皆さんとともにある。南米アルゼンチンより ARGENTINA」と記された横断幕や日章旗,「頑張れ日本」と記された手作りの旗が掲げられました。
- 3月22日,ブエノスアイレス州サラテ市のアリシア・モレアウ・デ・フスト市営医院(草の根・人間の安全保障無償資金協力被供与団体)関係者が,資金協力の署名式で,1分間の黙祷を行った他,式典中,「日本の皆様,頑張ってください。アルゼンチンから応援しています」との日本語メッセージをスクリーンに掲示。
- 3月22日,リンカーン・インターナショナル・スクール(小中学校)生徒が,被災者を激励するためにメッセージカードを手作りし,日本大使館に届けました。
- 4月2日,日本庭園で,亜日文化財団が,「日本と連帯する日 がんばれ日本 FUERZA JAPON!」を開催(約6,200名参加)。
- 4月2日,日系団体連合会及び在アルゼンチン沖縄県人連合会が,弔意と連帯を表明するための式典を開催。
- 4月5日,市内の5月広場で,ブエノスアイレス大司教区が,ミサと集会を開催。約7,000人の小中学生・保護者・教師とともに,連帯と支援の意を表明。
- 4月6日,プロサッカーチーム「ボカ・ジュニアーズ」が,チャリティ試合を企画。
- 4月6日,チャリティCD「De Argentina a Japon(アルゼンチンから日本へ):Ganbare !」の販売開始。
- 4月7日,メンドサ州のマエストラ・グラシエラ・マトゥス・デ・カラ(小中学校)生徒が,寄せ書きや折り鶴を手作りし,日本大使館に届けました。
- 4月9日,ミシオネス州ポサダス市で,チャリティ・イベント開催。
- 4月10日,サンタフェ州ロサリオ市で,チャリティ・イベント開催。
- 4月14日,エスクエラ・プエルタ・アビエルタ(小中学校)生徒が,メッセージカードを手作りし,日本大使館に届けました。
- 4月17日,ブエノスアイレス市の目抜き通り「7月9日通り」を通行止めにし,在亜日系団体連合会,在アルゼンチン沖縄県人連合会,ブエノスアイレス市が,チャリティ・イベント(舞踊,コンサート等)を開催。
- ある日本人がタクシーに乗った際,降車時に料金を払おうとした時,運転手から,「自分は十分な教育は受けていないが,人の心は持っているつもりだ。日本人から料金は取れない。」と言われ,料金を受け取ってもらえませんでした。
- ブエノスアイレス市の繁華街で,多数の市民が邦人旅行者らによる募金活動に応じました。集められた義援金は日本大使館に届けられました。
ウルグアイ
- 国際空手道連盟ウルグアイ極真連盟が,日本大使館に激励のメッセージを寄せました。
- 3月12~13日,サッカープロ1部リーグ,2部リーグ他全ての試合開始前に,被災者に対して黙祷が捧げられました。
- 3月17日,ウルグアイ赤十字社が,義援金寄付のために口座を開設し,募金を呼びかける共同記者会見を行いました。また,ウルグアイ世界平和のための家族連盟,世界平和基金及び世界平和のための女性基金が,震災に対するお悔みと団結を呼びかけました。
- 3月24日,日本大使館前で,剣道協会の発案により,被災者激励のための集会が行われ,激しい風と霧雨が降る中,20名ほどが参加。ろうそくをともした後に被災者のための黙祷を行いました。
- 3月30日,約100名の現地小学校生徒が被災者のために折った千羽鶴が日本大使館に届けられました。
- 3月30日, 日本大使館にて,フアン・ソリージャ・デ・サン・マルティン小学校の生徒約150名と保護者約20名が支援行事を実施。折り鶴及び「日本,応援しています(Japon te abrazamos)」と書かれた応援の幕を大使館館駐車場の壁に貼り,生徒,保護者に大使館職員も加わり,日本をハグする(抱きしめる)とのコンセプトで,手をつないで大使館の外周を囲みました(ウルグアイでは,ハグ(抱きしめる)の動作は,親しみを込めて人を励ますための動作です。)。
- 4月7日,ホセ・アルティガス青少年楽団(草の根文化無償資金協力の被供与団体)が,チャリティ・コンサートを実施。
- 4月8日,ショッピングセンターが,小学生の折り鶴展示会を開催。同センター職員は,近隣の小学校を訪れ,折り鶴の作り方を教えました。展示会場には,鶴を折るスペースと折り方を記した紙も配置され,参加者に,「私は日本のために鶴を折りました」と書かれたステッカーが贈呈されました。鶴を折った小学生は,「千羽鶴の持つ意味を知り,日本が早く元気になるようにとの気持ちを込めて折った」と述べました。
- 4月14日,アルティガス青少年楽団が,「日本に捧げるコンサート」を開催。黙祷と日本国歌の演奏も行われました。
- 4月27日,ウルグアイ日本庭園で,日本人会が主催した追悼式に,モンテビデオ県副知事を始めとする多くの市民が参加。副知事は「日本には,これまでの多くの困難を乗り越えて現在のような発展した社会を築いてきた経験がある。私は,日本が必ずや再度復活すると信じている」と挨拶しました。
- 5月26日,ウルグアイ外務省職員協会より,5月5日に開催されたウルグアイ外務省及び外務省職員協会主催のチャリティ・コンサートの収益と,同コンサートで展示された日本の写真20点が日本大使館に手渡されました。
エクアドル
- 被災地にボランティアに行きたいという申し出の他,被災者が当国に避難する場合は自分の家を提供するという申し出や,震災で両親を失った孤児を養子にしたいという申し出が日本大使館に寄せられています。
- UNE学校(貧困地区に位置する)が,彼らにとっては決して少額ではない小銭を集め日本大使館口座に寄付を行いました。
- 私立コトパクシ小中学校生徒から,千羽鶴を作成したので,被災地に届けてほしいと日本大使館に申し出がありました。
- チャリティ・コンサート等の募金活動の企画が,メールで日本大使館に送られました。
- 3月17日,国会が,東北地方太平洋沖地震に対するお見舞い及び連帯を表明する決議を行いました。
- キト日本人会が,義援金の寄付に加えて,国民に赤十字への募金を呼びかける運動を開始し,主要新聞に対し募金広告の無料掲載を働きかけたことを受け,3月26日,オイ紙は無料広告「がんばれ日本」を掲載しました。
- 3月28日,全日本剣道連盟からの剣道具の贈呈式にて,エクアドル剣道協会会長が「今回の震災を他の国の出来事ではなく,自分たちに起きた災害のように受け止めている。これまで日本からして頂いた恩返しを少しでもすべく全国の協会会員から寄付を募った。貧しい会員もおり小銭の寄付もあったが,全員の気持ちがこもった寄付である。」と述べ,義援金を日本大使に渡しました。
- 3月29日,アニメ愛好家がキト市内公園で募金活動を行い,小銭で満杯になった缶2個を日本大使館に届けました。
- 3月29-30日,カルチ県で開催された7件の草の根無償供与式で,県知事,小学校校長等がお見舞いと連帯が表明したほか,児童代表が日本の子供達へのお見舞いを表明。その際に,フリオ・アンドラデ小学校生徒から義援金が日本大使館に託されました。
- 3月31日,日本で電気通信に関する研修を受けた元JICA研修生が,福島原発における作業に志願したいと日本大使館に申し出ました。大使館より現状などを説明したところ,本人は「危険なことは十分承知している,また保障等を求める意志もなく,ただ役に立ちたい一心で志願している。不可能なことは承知したが,仮に派遣が可能になった時には連絡して欲しい」と述べました。
- 4月10日,キト市内で,市民有志が,チャリティ・イベント「Ganbare Japon」を開催。イベント会場では,ミュージシャンによる演奏や,剣道,習字,茶道のデモンストレーション,バザー,日本食の販売等が行われました(約2,000人来場)。
- 4月11日,グアヤキル市の日本公園で,市民有志が,広島の灯籠流しにヒントをえて,「希望の灯り」と名付けられた灯りに火をつけ,亡くなった方々への冥福を祈るイベントを実施。
- 4月17日,民間テレビ局RTUが,義援金を募るチャリティ番組を5時間半にわたり生放送。番組では,震災に関する映像やインタビュー,音楽家による生演奏,各種デモンストレーション等が行われました。
- エクアドル赤十字が,義援金用口座開設と同時に,経済的支援だけではなく,被災者,特に高齢化の進んでいる日本のお年寄りに一人ではないことを感じてもらうため,被災者の方々を元気づけるメッセージを投稿できる「日本を応援しよう」ブログを開設。
- 私立コンダミネ小中学校が,毎年恒例の文化祭で,日本へのオマージュとして生徒が書いた震災に関する絵や応援のメッセージを玄関に飾りました。また図書室には,生徒が作った折り鶴が飾られました。
- 5月11日,フランツ・リスト音楽院が,市内のカサ・デ・ラ・ムシカで,チャリティ・コンサートを開催。同音楽院で指導しているロシア人,チリ人,カナダ人,ウクライナ人,エクアドル人の音楽家がリストの曲を無償で演奏,歌唱しました(約200名来場)。
- キト市内私立学校ビクトリア・アカデミアの9年生の1学級(28名)が,同校の行事で,日本ブースを出し,被災者への祈祷,また生徒が作った折り紙を販売する募金行事を行いました。
- 6月3日~5日,国内最大のマラソン大会「15K」の関連会場等で,日本人会が,「Animo Japon(がんばれ日本)Animo Todos (がんばれみんな)」のロゴと富士山とコトパクシ山(エクアドルの富士山と言われる),日本の国旗を想起させるマークが入ったTシャツとキャップ,及びエクアドルと日本の国旗が交差するピンバッジを販売しました。購入したキャップをかぶって走るランナーがいた他,アトランタオリンピック競歩金メダリストであるジェファーソン・ペレス氏が,応援として,購入したTシャツにサインをしました。
- ロータリークラブ・キト市西部が,「Animo Japon(がんばれ日本)」という刺繍が入った布製腕輪を作り,募金活動を行い,その活動はロータリークラブ支所や会員の子供が通う学校を通じて全国に広まっています。
- エクアドル・スズキ協会(スズキ・メソードによる音楽教育を実施)が,6月17日に生徒によるチャリティ・コンサートを企画。
- 6月後半から,JICA元研修生の警察官の主導で,警察官組合員内での募金活動が実施されています。
- 6月25日,グアヤキル市アニメ・コスプレ愛好家団体が,毎年行っているイベントでの入場料を寄付することを企画。
- クラブ・ラ・ウニオンが,7月5日に前田整スクレ国立劇場音楽ディレクター・ヴァイオリニストとグアヤキル青年フィルハーモニーオーケストラによるチャリティ・コンサートの実施を企画。
コロンビア
- 3月16日,北部のコルドバ県トゥチン市モリナ地区バルバコア小学校の1年生から3年生の生徒が,被災した同年代の子供たちのために描いた絵を日本大使館に寄贈。同校はトイレや食堂もなく,恵まれた環境ではないが,生徒代表からは,「地震と津波で家を失った日本の子供たちが,コロンビアに避難してくれば,屋根のある家に泊めて温かい食事を出してあげることができる。自分たちで描いた絵が被災した日本の友達に勇気を与えられたら嬉しい。」との言葉がありました。
- バジェ・デル・カウカ県カリ市の日系人協会が,市民(日系人,コロンビア人を問わず)に募金活動。
- NGO「コロンビア市民航空パトロール」(国内の医療が十分に行き届いていない農村部を対象に,医療機材を乗せた小型航空機で,医師団が毎週末出張医療サービスを行っている)が,登録している医師から寄付を募りました。
チリ
- 3月11日, JICA協力案件の津波防災教育に関する教材をコンセプシオン市(昨年2月のチリ大地震の最大の被災地)に引き渡すイベントが行われました(当初より予定されていたもの)。日本で東北地方太平洋沖地震が発生した日に,日本がチリで防災意識を高める事業に貢献していたことが,国際協力における日本の姿勢を示すものとして評価されています。
- 3月18日,チリ人の若者約40人が日本大使館前に集まり,追悼集会を実施。
- 4月4日,サンティアゴマラソンにて,在留邦人有志が,被災者支援Tシャツの販売による募金活動を実施。
- 4月5日,メリピージャ県サン・ペドロ市の小中学校教師および生徒がチャリティ・バザーを開催。
- 4月5日,国民的歌手のフランチェスカ・アンカローラが,追悼コンサートを実施。コンサートでは,黙祷の後,日本の民謡とチリのヌエバ・カンシオンが交互に歌われました。また,コンサート会場では募金活動も行われました。
- 4月27日,市内ブルネス広場で,日・チリ経済委員会のチリ側委員長デ・アンドラーカ氏の働きかけにより,チリ外務省が,日本国民を讃える集いを開催(外相等約550名参加)。会場には,1941年にチリ在留邦人から贈られた巨大なチリ国旗(注:縦20メートル,横30メートル)が掲げられました。デ・アンドラーカ委員長は,「日本国民はこれまで何度もチリが同じような状況に苦しんでいる時,支援の手をさしのべてくれた。チリは日本国民のことを身近に感じている」と述べました。また,モレノ外務大臣は,2010年2月のチリの大地震での日本の支援に謝意を述べると共に,「惨事において厳しい状況に直面し,人としての弱さを見せることも余儀なくされる中,日本国民は秩序と他人への思いやり,そして困難に直面しての尊厳という市民としての素晴らしい教訓を示したことを強調したい。3月11日の出来事とその結果は,日本国民の胸に深く残るものになろう。日本はこれまでの歴史が示してきたとおり,再び立ち上がることを強く確信する。『まさかの友は真の友』。この言葉を日本国民に贈ることとしたい。」と挨拶しました。
- 邦人ピアニスト,邦人歌手等が,それぞれ追悼コンサートを実施。
パラグアイ
- パラグアイ産大豆を使用して作った豆腐100万丁を,被災地に届けるプロジェクトが現在進行している。これは,南米に渡った日系農家が生産した大豆を輸入し,日本国内で製造した豆腐(常温で2週間の賞味期限)を送付するもの。
- 3月25日,アスンシオン市のCPJ劇場にて,被災者支援・復興支援のための追悼イベントが開催。約150名の市民が参加し,義援金が集められました。
- 3月26日及び27日,エステ市にて募金活動が行われ,義援金が集められました。この募金活動は,エステ市在住のパラグアイ人をはじめ,中国人,韓国人等から「日本の被災者たちに是非援助したい」との多数の声を受けて実施されました。
- 3月31日,フェルナンド・デ・ラ・モラ市立劇場において追悼コンサートが開催。コンサートはパラグアイ人アルパ奏者(エンリケ・カレラ氏)等の発案により企画され,パラグアイの有名アーティスト20組が演奏を披露。当日は約400名が参加し,収益金は前述の豆腐支援事業に寄付されました。
- 4月1~2日,アスンシオン市内で司法・労働省,SINAFOCAL(司法・労働省管轄機関)の主催により追悼イベントが開催。市内広場に地震・津波災害の様子を伝えるパネルやスクリーン,数多くのブースが設置され,日本食,書道作品,「心はひとつ」と書かれたTシャツ,ろうそく等が販売されました。売上金は,募金と併せて後日豆腐支援事業(前述)に寄付されました。
ブラジル
- ペルナンブコ州立コネゴ・ジョナス・タウリノ学校(貧困地域に所在)の生徒が小銭を持ち寄り,空き缶に入れて日本大使館の出張駐在官事務所に持参,記帳しました。生徒の一人は「ブラジルの友達である日本が苦しんでいるので,わずかであるが,ささやかな気持ちなので被災者のために役立てて欲しい。」と述べました。
- パラナイバ市の「障害者を支える親と友の会」(草の根・人間の安全保障無償資金協力被供与団体)関係者から,「今回の惨事を見て,私たちに何ができるのかわからないが,何らかの形で日本の役に立ちたいと思っている」というメッセージが日本総領事館に寄せられました。また同関係者は,パラナイバ市ラジオを通じ市民に募金協力を呼びかけました。
- 3月15日,パラナ日伯文化連合会が,義援金キャンペーンSOS JAPAO PARANAを開始。
- 3月17日,サンパウロの主要日系5団体(ブラジル日本文化福祉協会,県連,援協,日伯文化連盟,商工会議所)が,文協記念講堂にて合同追悼ミサを実施。追悼ミサは仏教及びキリスト教(カトリック,プロテスタント)がそれぞれの枠を超えた形で進められ,州,市政府関係者,在サンパウロ各国総領事を含む約500名が参加。ミサ出席者の中には,被災地出身の移住者や,家族や親戚が被災地及び近隣の県に居住しているという人も多数いました。
- 3月18日~4月30日,ロライマ州の日系団体Associacao Nipobrasileira de Roraimaが募金活動「Tsuru para levar esperanca(鶴に希望をのせて)」を実施。活動は市内の小学校(SESI小学校),大学(FARES大学及びCATEDRAL大学),日本語学校,広場等で行われ,特にSESI小学校では,700名の生徒が鶴を折り,1,200羽の祈り鶴を完成させました。
- 3月18日~4月30日,ロライマ州にて,ロライマ日伯協会が支援キャンペーンを実施しました。キャンペーンは,平和の象徴である鶴が被災者へ希望を運ぶようにとの願いから,千羽の折り鶴を日本に送ることと,義援金を集めることを目的に開始されました。同地のSESI小学校,ファリス大学,カテドラル大学で,生徒,学生に対する震災状況の説明,折り鶴教室,募金などの活動,また市内広場にて日本食,伝統工芸品,アクセサリーなど日本関連物品バザーが行われ,売上が義援金として寄付されました。
- 3月19日,クリチバ市日本公園にて,クリチバ日伯文化援護協会が合同礼拝を実施し,連邦議員,パラナ州,市議会関係者,各宗教関係者及びプレス関係者を含む約500人が参列しました。
- 3月20日,サンパウロ大司教が,サンパウロ市内のサン・ゴンサロ教会で,宗教・宗派(カトリック,プロテスタント,スピリチュアリズム,仏教等)の枠を超えた合同ミサを実施。
- 3月20日,クリチバ国際サーキットにて,谷口行規氏(世界ツーリングカー選手権ドライバー)及びクリチバ日伯援護協会青年が被災者への応援メッセージを発表。また,決勝レース前に黙祷が行われました。
- 3月23日,ポルトアレグレのヴィセンチーノ・サンタ・セシリア校生徒12名が,学校代表としてポルトアレグレ駐在官事務所に応援メッセージを持参し弔問記帳。
- 3月24日,クイアバ市及びヴァルゼア・グランデ市日伯文化協会が,クイアバ市中心街の聖堂で犠牲者追悼ミサを行い,マトグロッソ州知事も参列。
- 4月7日,クリチバ市にて,アルシンド選手,ジーコ氏,カスカヴェル日系団体及びルイス・ニシモリ連邦下院議員が,サッカー義援金親善試合開催を開催。この試合には,パラナ州政府,クリチバ市,ブラジルサッカー協会及び当地サッカーチーム「アトレチコ」が協力。
- 4月11日,サンパウロ州政府及びサンパウロ州交響楽団が,オペラ・ホール「サラ・サンパウロ」で,著名な指揮者やピアニストを招き,チャリティ・コンサートを開催し,約800名が参加。入場券は販売開始から3日で完売。
- 4月16日,日本ブラジル協会が,マナウスにてチャリティ・バザーを開催(市民1,000人以上が来場)。
- 4月17日,バイア州サルバドール市の和太鼓グループ「和同」の主導で,ブラジル全土13州25都市33の太鼓グループが,それぞれ各地で同時刻に同じ演目「喧嘩屋台」を一斉に演奏する復興祈念イベントを行いました。各地で,太鼓の演奏の前後に,日本とブラジルの国歌斉唱や黙祷,募金活動等が行われ,多くの市民が参加しました。
- 4月17日,テアトロ・ガゼッタ(市内劇場)とブラジル赤十字社が,地元演奏家によるチャリティ・コンサートを開催(市長や下院議員など約370名が参加)。尺八,太鼓,アコースティックギター,チェロなどの演奏が行われ,最後の「ふるさと」の斉唱で多く聴衆が涙を流しました。
- 4月17日,ブラジル日本文化福祉連盟や有名レストラン・シェフが,被災者支援のための「SOS JAPAO」キャンペーンの一環として,チャリティ夕食会を開催(元外相や連邦下院議員など500名以上参加)。芸術家の絵画作品のチャリティ・オークションも実施。
- 4月17日,ブラジリア市民公園で,和太鼓グループ,よさこいそーらんグループ及びカポエイラ(ブラジルの格闘技の一種)とパーカッションのグループが,演奏及びダンスのパフォーマンスを実施(約200名参加)。演奏前に黙祷が行われ,各グループが順次演奏等を披露。最後には全ての団体の共演となり,全員で日本に声援を送りました。
- 4月17日,ロンドリーナ市マリスタ劇場にて,「一心太鼓」,「琉球国祭太鼓」及び「グルーポ・サンセイ」の3団体が,チャリティ太鼓ショーを実施(900枚のチケットが完売,劇場は満席)。
- 4月17日,フロリアノポリス市のラゴア・ヨットクラブで,サンタカタリーナ日系連合会と日伯カタリネンセ協会が,チャリティ昼食会を開催し,市長ら1,100名以上が参加。冒頭,両国国歌斉唱,黙祷があり,続いてベルゲル・フロリアノポリス市長が,「サンタカタリーナ在住の日系人は各方面で州の発展に貢献してきた,今回の大震災から日本は必ずや復興することを確信する」と述べました。その後フロリアノポリス和太鼓,よさこいソーラン,オペラ等が披露されました。
- 4月25日,サンパウロ州政庁で,アルキミン州知事夫妻が,被災者支援のための「SOS JAPAO」キャンペーンの第3弾としてチャリティ夕食会を実施(300名以上出席)。州知事は,「今回の震災から日本は必ずや復興を遂げるものと自分は確信しているし,両国の関係は今後も益々発展していく」と述べました。
- 4月26日,国立劇場交響楽団が,毎週開催されている定期演奏会の一環として,犠牲者を悼むとともに日本を励ますため,作曲家の曽我大介氏が震災後に作曲した「希望」を演奏。開演に先立ち,ハミルトン・ペレイラ連邦区文化局長官が,お悔やみの言葉,ブラジルが日本と共にあること,そして日本を励ましていきたいと述べ,約700人の聴衆と楽団員が黙祷を捧げました。
- 5月5日,リオ市立バーデンパウエル劇場で,地元ミュージシャンらがチャリティ・コンサートを開催(約300名の聴衆)。出演者は各々が日本への思いを述べ,被災者へのエールを送りつつ演奏。
- 5月7日,サンカルロス市のサンカルロス日伯文化体育協会が,同市役所で,日本総領事館への義援金贈呈式を実施。義援金は,非日系のブラジル人からも協力を得たいとの発想から,市の祭で,ブラジルの豆料理(50人以上の会員や家族・友人が二日半かけて調理)を販売して集められました。
- 5月7日,マナウス市にて,西部アマゾン日伯協会が復興を祈念した絵画コンクールを開催(60名参加)。参加者は,「希望」をテーマに制限時間内に絵画を制作。参加者は,「大好きな日本が早く元通りになってほしいと願いながら作品を描いた」,「幾多もの困難を乗り越えてきた日本人であれば,必ず復興する日が来ると信じているという思いで作品を描いた」と発言しました。
- 南マット・グロッソ州マラカジュ日系協会が,焼きそばを販売するチャリティ・イベントを開催。
- 5月21日,マナウスのアマデウ・テイシェイラ・アリーナで,フォルサ・ジャパン実行委員会が,復興支援イベント「フォルサ・ジャパン」を実施。開会式で,アマゾナス州知事代理(スポーツ青年活動長官)が,日本はブラジルの古い友人であり,本日のイベントも含めて,我々の支援が少しでも日本の復興に役立てば嬉しい旨挨拶しました。イベントでは,日本とブラジルそれぞれの楽曲や踊りの演奏や太鼓グループによる演奏等が行われ,盆踊りやマナウスの伝統的な踊りの際には,多くの来場者が踊りの輪に加わりました。また,客席に木の幹に見立てた装飾を取り付け,被災者へのメッセージを書き込んだ木の葉型の紙を貼り付けていくイベントが行われ,来場者が書いたメッセージでいっぱいになりました(メッセージはその場でフォルサ・ジャパンのホームページに掲載)。
- 6月29日,リオデジャネイロで,日伯体育文化連盟,日伯文化協会,日系クラブ及び日本商工会議所が,地元の有力ミュージシャンと日本人ミュージシャン計17名によるボサノヴァ及びクラシックのチャリティ・コンサートを行いました(約200名出席)。
- 8月1日,日本政府奨学金で東北大学に留学した経験のある医師の主導で,リオデジャネイロ市内にてチャリティ・コンサートが開催されました。コンサートは,元留学生を含む8名のピアニスト,ハープ奏者及び叙情歌手が出演し,ハープ奏者による「さくらさくら」,「荒城の月」「島唄」の演奏に続き,各歌手がヴェルディ,プッチーニ,ワーグナー等の曲を披露し,最後に,全員が「七夕さま」を合唱しました。また七夕にちなみ,短冊に出演者や観客が被災者を応援するメッセージを記しました。
- 8月6日から14日まで,ペトロポリス市政府とペトロポリス日伯文化体育協会が,市立文化センターでペトロポリス日本文化祭を開催し,その中で震災関連パネル展が行われました(市民等約11,000人参加)。写真パネルやペトロポリス市教員が作成した地震のメカニズムに関するパネルを見た市民は,「地震と津波の恐ろしさを改めて認識するとともに,復興に向けた日本人の力に感銘を受けた」と話しました。また,「ブラジル国民は日本の国民と心が一つ。ガンバレ日本!」,「日本に頑張ってほしい」,「日本の魅力がいつまでも輝きますように」,「ペトロポリス周辺も自然災害によって苦しんだ。日本にも負けてほしくない」,「日本国民の力と太陽の美しさは如何なる苦境よりも強い」等の多くのメッセージが寄せられました。同市は,山岳地帯で自然災害も多く,今年初めにも集中豪雨に伴う崖崩れで多くの家屋が倒壊する等の被害を受けました。
- 8月16日,州立ジョアン・カエタノ劇場で,リオデジャネイロ在住のブラジル人ミュージシャン有志が,チャリティー公演「Tribute to Japan」を行いました。公演には,ボサノバ及びサンバのミュージシャン16名が参加し,一人一人が日本に対する思い出やコメントを述べつつ,演奏を行いました。また,震災直後に日本をイメージして一部の歌詞を日本語で作詞した曲も紹介されました。
- 8月29日,マナウスの西部アマゾン日伯協会で,日系各団体とアマゾナス州の協力を得て発足した復興支援団体フォルサ・ジャパンが,義援金報告会を行いました。報告会では,黙祷の後,フォルサ・ジャパンの実行委員会委員長である錦戸西部アマゾン日伯協会会長,並びにアマゾナス州知事代理らから挨拶がありました。フォルサ・ジャパンは,4月に結成され,5月21日に州立アリーナで大規模なチャリティ・イベントを行いました。
ベネズエラ
- ベネズエラは,多大な被害をもたらした昨年末からの長雨被害の復興途上にありますが,政府,地方自治体,民間団体及び市民から,義援金を含む多くの支援申し出が日本大使館に寄せられています。
- 学生が,犠牲者を追悼する詩を作って日本大使館に送付。
- 日本大使館員が,日本大使館前の広場でテレビのインタビューを受けた際,近くでインタビューを聞いていた市民が,被災者に対する哀悼の気持ちから涙を流していました。
- 被災者がベネズエラに避難して来るような場合には,喜んで自宅を提供する用意があるとのメールが,首都カラカスや地方在住のベネズエラ人から多数日本大使館に寄せられました。
- 複数のベネズエラ人から,日本大使館に対し,震災で親を失った子を引き取りたいとの申し出がありました。
- ベネズエラ政府の外務次官が弔問記帳のため日本大使館を訪問。被災地で不足している物資について外務次官と日本大使が意見交換した翌日,緊急支援物資を積んだ政府特別機が日本に向け離陸するという迅速な対応が行われました。これは,ベネズエラ政府にとって,これまでで最も遠隔地に位置する国に対する緊急支援物資の輸送です。
- 国会が,日本に対する強い連帯・団結と哀悼の意を表するとともに,世界各国,国連を始めとする国際機関に対し必要な支援を要請する「日本国民に対する連帯」決議を採択。
ペルー
- 3月17日,カヤオ州政府が,カヤオ市内の「日本大通り」(2009年の日本人ペルー移住110周年の機に記念事業の一環として整備された道路)で犠牲者追悼式典を行い,第一副大統領,州政府,市関係者,日系人協会関係者計約200名が出席。カヤオ市は,ペルー随一の港湾を擁し,今回の地震でも津波が到達し,一部被害がありました。
- 3月18日,ペルー政府は,大統領令により18日を「全国追悼の日」に定め,公的機関等にて半旗を掲げると共に,大統領の発意により,シプリアニ枢機卿(日本大使公邸占拠事件で仲介役として人質解放に向けて尽力した人物)の主催による追悼のミサを開催し,大統領他三権の長,政府,議会,裁判所,軍の関係者等約100名が参加。教会に入れなかった市民約100名も,教会の外で祈りを捧げました。
- 4月3日,ペルー日系人協会が「紅白歌合戦」を開催し,その収益金を義援金として寄付。
- 4月4日,「日ペルー友好の日」(本来は3日)関連の行事として,震災の犠牲者の冥福を祈る法要が各地で実施されました。
- 4月4日,ペルー日系人協会が,同協会主催の「日ペルー友好の日」記念式典で,「日本と共にある(Contigo Japon)」キャンペーンのこれまでの成果として,同協会及び日系団体がこれまでに集めた義援金について発表。同協会は,折り鶴を集める活動の象徴の鶴のオブジェと,お見舞いを綴ったメッセージ・ブック(日系人協会に設置されていた)を日本大使に渡しました。
- 4月4日,帰国留学生協会が,43名の会員から集まった義援金を日本大使館に寄付。
- 4月4日,ペルー・ボランティア消防団(日本の消防庁にあたる政府機関)が,犠牲者の追悼ミサを行い,消防団長他関係者等約200人が参加。消防団は,犠牲者に哀悼の意を表し,被災者を励ますと共に,これまで通算300台以上の消防車の寄贈などの支援を日本から受けたことに謝意を表明しました。
- 4月11日,ペルー汎宗教理事会が,日本の復旧を祈る集会を開催(カトリック,プロテスタント,正教,ユダヤ教,仏教関係者,宮城県人会及び福島県人会関係者等計約100名出席)。
- 4月20日,ペルー日本小学校の生徒2名が,校長,教師と共に日本大使館を訪問し,被災者にお見舞いと連帯を伝えるよう依頼する書簡,及び同校生徒(5年生及び6年生)から被災地の小学生に宛てた約100通の励ましの手紙を渡しました。
- 4月30日,日本のポップ・グループ「嵐」のファンクラブである「アラシ・ペルー」(全国で会員4,250人)がリマ市内でファンの集いを行い,参加費の一部が寄付されました。今後も同様の集まりを続ける予定です。
- 5月4日,ルイス・フェリペ・デ・ラ・プエンテ・ウセダ中学校(2005年に「日本・ペルー見返り資金」で整備)から,お見舞いのメッセージが日本大使館に届けられました。書簡には,お見舞いの意と日本国民の強さに対する敬意が表明され,「困難な状況にもかかわらず,我々のような世界の貧しい者に関心と支援を向けてくれる日本に祈りを捧げます」と書かれています。
- 5月21日,リマ市内ラ・ウニオン総合運動場で,日系人協会が,「日本がんばれ」と題したチャリティ・コンサートを開催。日系の若手音楽グループが8組出演し,ロック,現代沖縄音楽,エイサー,日本の伝統音楽などを披露。日系人に限らず幅広い層の観客約2,100人が参加。ペルー人有名コメディアンで,訪日中に地震に遭ったカルロス・アルカンタラ氏がゲストとして出演。
- 5月23日,リマ市内の日系レストランでチャリティ・ディナーが開催(約100名参加)。日系人有名アーティストによる版画や彫刻作品などの抽選会も実施。
- リマ市のサン・アントニオ・デ・パドゥア教会が,犠牲者追悼ミサを実施し,大統領夫人以下,日系人協会,日系社会・在留邦人関係者,市民の合計約1,000名が参加。
- 日ペルー文化会館等が,「あなたと一緒に,日本(Contigo Japon)」のスローガンの下,連帯と祈りのシンボルとして千羽鶴を集めています。日ペルー文化会館をはじめ,各日系機関にて折り鶴を集める箱を設置し,各日系校でも,このキャンペーンのために鶴を折る活動が行われています。
- 日系関連機関にて,義援金募集活動が行われています。
- フェレイロス通商観光大臣から,日本経済の安定性を強調する発言があり,大きく報道されました。
- コレヒオ・ルーズベルト(アメリカン・スクール)高校の生徒有志が千羽鶴を折る活動を実施。
- ホセ・ガルベス校,ラ・ウニオン校,ヒデヨ・ノグチ校,ビクトリア校等の日系学校が,保護者も含めて,折り鶴活動を実施。完成した千羽鶴は日系人協会に贈呈。一部学校では,半旗を掲げたほか,毎朝追悼ミサが実施されました。ヒデヨ・ノグチ校生徒は,名前の由来となっている野口英世博士が福島県出身であることもあり,今回の震災には特別の思いを寄せています。