在パース総領事
有吉 宏之
「オーストラリアの治安は良い」--国内で発刊されている旅行ガイドブックで目にすることの多いフレーズです。「気さくで親切な国民性」「他民族への高い理解」などオーストラリア人の気質を象徴するフレーズも多く目にします。これらは、確かにオーストラリア(人)の特徴を表している半面、非常に危険な落とし穴でもあるのです。
また、オーストラリアは、「ワーキングホリデー大国」という横顔を持っていることでも知られています。英語圏であり、他に類を見ないほどに手つかずの大自然が数多く残されていることもあり、非日常的な魅力や刺激を求め、毎日のように日本国内から数多くの若者がワーキングホリデーメーカー(WHM)として空港に降り立っており、その数は年々増加の一途をたどっています。
WHMは、与えられた期間を最大限楽しもうと積極的に行動します。その情熱とバイタリティーは見ていて気持ちが良いほどですが、同時に、若さからかと思われる甘さを持っていることも事実です。
当館には日々様々な申請や相談が寄せられます。一般行政事務に類する相談はもちろんのこと、犯罪被害を含む邦人保護に類するもの、民事トラブルに類するもの、悩み事相談に類するもの、もろもろです。特に犯罪被害は、「治安の良い国」であるはずにもかかわらず、年々増加する傾向にあり、常に我々を悩ませています。
当地で特に多い犯罪被害は、置き引きや盗難によるものです。
車内に、または鍵の掛からないホテルで現金・貴重品を目に付きやすい場所に放置していた、口の大きく開いたバッグなどに無造作に貴重品を入れていた、深夜、人通りのない場所を1人で歩いていたなど、あまりにも無防備な状態で被害に遭うケースが数多く発生しています。
担当領事から報告を受けるたびに、「またか」と思うと同時に、「なぜ?」との疑問が毎回のように脳裏に浮かびます。被害のほとんどが、わずかな注意で防げるであろうと思われるケースばかりだからです。「治安が良い」と思われることが多いようですが、まさしく冒頭に述べた「落とし穴」にはまっているのです。
「治安の良さ」とは、国際的に見た場合の相対評価をうたっているものであり、日本のそれとは全く比較にならないという事実は認識されていません。それどころか、怖いことに、全く逆に理解されていることも少なくないのです。当地における人口10万人当たりの犯罪発生率は平均で日本の12倍にも達しているため、当館では、様々な機会に注意を呼び掛けていますが、残念ながら、被害はなくなりません。
また、金銭トラブルもよく持ち込まれる相談の一つです。シェアハウスの家賃を払ったにもかかわらず請求されているというので、事情を聞いてみると、家主の知り合いと名乗る人物が親切にいろいろ教えてくれた後、家賃を届けてやると言ったため信用してお金を渡したものの、支払い相手が不明、領収書を受け取らずといったこともあります。愛想が良い・親切であるからといってたやすく他人を信用するのは危険と知っているのでしょうが、それでも見ず知らずの人を信用してしまうのも、当地に対する誤った先入観による結果ではないかと感じています。
当地では、犯罪被害やトラブルに巻き込まれるのは、WHMなどの若年層に集中しています。主たる原因は、己に都合の良い情報のみを吸収し、日本と異なる文化・常識への理解が圧倒的に不足していること、自己責任で行動する意識が低いからではないかと思われるため、これを改善し、1人でも被害に遭われる方が少なくなるよう注意を呼び掛けることが我々の主な仕事です。
このため、当館ではWHM・留学サポート業者や旅行関係業者とのネットワークを構築し、必要な情報交換の場を設け、各種広報媒体を利用して注意喚起を呼び掛けるなどの対策を講じるとともに、特に来館された方々には、当館作成の「安全の手引き」を配布し、注意を促したりしているのですが、トラブル件数をゼロにするのは、なかなか難しいのが現状です。
もちろん、トラブルに見舞われた邦人を援助するのも重要な領事業務であり、全力で対処するのは当然ですが、より大切なのは「予防」のための努力です。領事業務の中では、とかく邦人保護の件数がクローズアップされがちですが、我々が誇るべきは、邦人保護件数でなく、決して数字には現れない「予防」に貢献できた数ではないかと思っています。総領事館の仕事は地道な活動ですが、海外を訪れる方々が素晴らしい思い出だけを持ち帰れるよう、これからも安全への広報・啓発活動を継続していきたいと思います。