在広州総領事
渡辺 英雄
当館は今年3月、開館25周年を迎えた。広州を中心とする珠江デルタ地区は、近年の目覚ましい経済成長ぶりと香港・マカオ、東南アジア諸国に隣接する地理的優越性が相まって、各国から多くの投資を引き付けており、わが国との関係も飛躍的に深まっている。既に有名企業を含め千数百社の日系企業が進出し、3大自動車メーカーも広州に拠点を築き、投資を加速している。このように、一見順風満帆にも見える地域経済であり、わが国との関係であるが、中国ではかつての文化大革命や旧ソ連との対立も知らない層が社会の中堅として台頭しつつあり、当館を取り巻く「領事環境」にも変化が生まれている。
春分から数え15日目に当たる4月初旬の「清明節」は古来から中国の民衆に最もなじみの深い節気の一つで、それぞれの家庭では先祖をしのび、墓参りが行われる。雨期の始まりでもある。まもなくこの季節を迎えようとする頃、中国の若い層によるインターネット上の情報交換にただならぬ気配が感じられるようになった。わが国の歴史教科書や安保理常任理事国入り、尖閣諸島問題が取り上げられ、日本製品不買が呼び掛けられている。
この後に反日デモに発展する対日抗議行動の原因や背景については、様々に分析されるが、若者らの行動に直接強い刺激を与えたのは、島根県議会の「竹島の日」決議の採択であった。私はたまたま3月下旬、経済協力業務のため福建省の省都・福州に出張したが、地元で最も発行部数を伸ばしている大衆紙の発行元を訪れた際、編集責任者から「読者の関心が高く、今、最も売れるニュース」として示されたのは、韓国内の反日集会のもようをセンセーショナルな見出しとともに大きな写真入りで伝える、ここ数日の同紙の一面記事であった。
同じ頃、様々なルートから反日デモ・集会についての具体性を持った情報が集まり始めた。当館の管内は、上海、北京に次いで在留邦人・日系企業が多い。さらに水墨画にも似た絶景で知られる桂林など日本人観光客が多く訪れる観光スポットもある。とにかく、できるだけ正確な情報を集め、迅速に邦人コミュニティーに伝えることが重要だ。
当館では、2年前の新型肺炎(SARS)騒動の終結後、やや中だるみの状態にあった在留邦人との緊急連絡ネットワークを昨年夏に再整備してあった。管内各地には日本人会や日本商工会の組織が19カ所あるが、それぞれ当館との連絡に当たる安全問題担当役員を決めていただいている。このルートを使い、事前に反日デモが行われると予想される場所、日時、注意事項などの情報を電子メールで流し、会員への伝達をお願いすることとした。同時に同じ内容を当館ホームページに掲載した。
4月に入ると、すべての週末に広州、深U、珠海、東莞など日系企業が集中する地域で数千人から1万人規模の反日デモが行われる状況が明らかになり、在留邦人の間に不安が高まった。デモの実態把握がどうしても必要であり、リスクは伴うが、当日は職員を2人一組で予想される現場に派遣し、視認した状況をリアルタイムで邦人コミュニテイーに流すこととした。幸い被害はなかったが、4月10日には当館が入居しているホテルも1万人を超えるデモ隊に包囲され、終日、緊迫した状況に置かれた。最も情勢が懸念された週末には、きめ細かい情報を求める邦人の声に応え、12時、15時、18時、21時の4回にわたり関連情報を通報し、安全確保に注意を呼び掛けた。
当時の状況を振り返り、印象に残るのは、情報交換などの面で邦人の方々から多大な協力をいただいたこと、また、緊迫した状況の下でも邦人各位が冷静さを失わず、むしろ業務上日系企業などと接触する立場の中国側の人々の気持ちを思いやる気配りを示されたことであった。一部に投石などにより日系企業の器物に損壊が生じたことは遺憾極まりないが、当館管轄域内において人身への被害がなかったことは、不幸中の幸いであった。5月1日のメーデーや5月4日の「五・四運動」記念日にデモの再発が懸念されたが、中国側の懸命の措置もあり、事態は徐々に沈静化に向かった。
日中間には毎年、延べ400万人の往来がある。各種の目的で訪日を希望する中国国民の数は年々増加しており、当館にとってもビザ業務の比重は大きく、年間の取り扱い件数は約7万件に上る。今年は愛知万博もあり、前述の反日デモの影響の要素はあるものの、さらに多くの人々が日本を訪れると見込まれる。
両国民の交流促進には、ビザ審査の簡素化が望ましいことは言うまでもなく、通常のケースではワーキングデー4日もしくは5日で処理する体制をとっている。他方で氏名などの身分事項を変えるなど虚偽に基づく悪質な入国申請も後を絶たず、日本国内の治安確保の観点からは、慎重な審査が必要となる。
某日、元中国人留学生で日本で犯罪を犯し、退去強制処分を受けた者の「双子の兄」と名乗る者からビザの申請があった。ここでは審査の詳細は記述を控えざるを得ないが、種々の観点から、申請者は上陸拒否該当者本人である蓋然性が極めて高いと判断され、本国政府にはその旨の報告を行った。現状では、管内の某地域では、偽造・変造文書などが横行する状況が一向に改善されず、当館にとって頭の痛い問題となっている。