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アジア・ジャーナリスト会議 2009
基本的価値の発展とジャーナリズム~メディアの果たした役割と今後の課題~
(概要)

平成21年4月1日

 3月18日、外務省は、「基本的価値の発展とジャーナリズム~メディアの果たした役割と今後の課題~」というテーマの下、「アジア・ジャーナリスト会議2009」を国連大学で開催し、「民主化とジャーナリズム」、「経済発展とジャーナリズム」及び「メディアのIT化とジャーナリズム」の3セッションで活発な意見交換を行いました。右概要は以下のとおりです。

1.全般

(1)開催日時:3月18日(水曜日)13時30分~17時30分

(2)開催場所:国連大学(エリザベス・ローズ国際会議場)

(3)会議形式:公開シンポジウム形式(聴衆約100名)

(4)会議テーマ:「基本的価値の発展とジャーナリズム」

(5)議長及びパネリスト(6名)

議長:佐藤俊行・NHK放送総局特別主幹

基調講演者:竹田いさみ・獨協大学外国語学部教授

日本人パネリスト:藤野彰・読売新聞編集委員

インドネシア人パネリスト:ミルナ・ラトナ・マウリディアナ「コンパス」紙編集委員

韓国人パネリスト:呉連鎬(オ・ヨンホ)オーマイニュース代表理事兼代表記者

インド人パネリスト:ウニ・ラージャン・シャンカール「インディアンエクスプレス」紙エグゼクティブエディター

2.会議概要

(写真)竹田いさみ・獨協大学教授

(1)竹田いさみ・獨協大学教授による基調講演

 竹田教授は始めに、現代はメディアが市民の手に委ねられる時代であると指摘しました。その例として、極めてローカルなオンライン・コミュニティーペーパーに載ったある月刊誌の書評が「Yahoo! Japan」のローカルニュース紹介コーナーに掲載された事により、その月刊誌がミリオンセラーになったことを挙げました。しかし、オンライン・ペーパーは、誰でも記事が書けるために責任の所在が曖昧で、品質の保証がないか、もしくは希薄であるという点も指摘しました。

 同教授は次に、過去15年間の2つの経済危機(1997年7月にタイのバンコクで発生したアジア通貨危機と2008年9月の米国のリーマン・ブラザーズ・ショック)を例に、メディアと経済の関係に言及しました。1997年のアジア通貨危機では、結果的に米国メディアが資本の論理で競争相手をアジアから駆逐したこと、2008年9月の金融危機では、メディアの広告収入が激減し販売部数も減少したため米国メディアの再編が急速に進み、「ボストン・グローブ」、「シカゴ・トリビューン」等の一流紙はオンライン化の意向であることを紹介。日本でも、活字メディア、とくに月刊誌や週刊誌の危機が続いていると述べました。同時に、アジアでは自らを守ろうというメディアのネットワーク化がここ10年くらい続いていることや、中国、インド、インドネシアではまだ活字メディアが元気であるとの明るい話題も提供しました。

 同教授は更に活字メディアの課題に触れ、政府をチェックするのがメディアの大きな役割の一つであるから、メディアの多様性が大事であると述べ、活字メディアの今後の選択肢としては、(イ)ターゲットを絞って生き残る、(ロ)フリー・ペーパーとして生き残る、(ハ)オンラインに移行する、の3つの方向性が考えられるとしました。

 最後に、同教授より、活字メディアが衰退すると、誰がメディアのバランサーとしての役割を担うのか、市民参加型ジャーナリズムは歓迎すべきだが内容の事実性の担保ができるのかどうか、等の問題提起を行いました。

(写真)佐藤俊行・NHK放送総局特別主幹

(2)第1セッション「民主化とジャーナリズム」

 冒頭、佐藤議長より、本シンポジウムでは、アジアにおけるメディアの役割及び課題について、過去を検証しつつ未来を考えていきたい旨述べ、戦後の民主化プロセスにおける主だった事件の際、メディアはどのような役割を果たしたかとの問題提起を行いました。これに対する各パネリストの発言、概要以下のとおりです。

(写真)ミルナ・ラトナ・マウリディアナ氏

(イ)ミルナ・ラトナ・マウリディアナ氏

 インドネシアの民主化において1998年は大きな節目の年であった。この年、スハルト政権が崩壊し、報道規制が撤廃され、国内の活字メディアの数も、1年間で200社から1,600社へと急増した。しかし、アジア通貨危機後の不況と過当競争から、メディア業界は再び縮小を迫られることとなった。さらに2008年のリーマン・ショックは、政府による強いリーダーシップをインドネシアに要求することとなり、民主化に大きな影響がありうる。そこでメディアには、政府に対する抑制と均衡を保ち、人権と法の支配を確保する等、民主化を後退させない為の努力が求められている。

(写真)呉連鎬氏

(ロ)呉連鎬氏

 1992年以前は軍部が権力を握っていた為、多くの韓国人が言論の自由を享受できず、韓国メディアにとっては、いわば「暗黒の時代」であった。しかし、1992年以降、韓国のジャーナリズムは、2つの民主化を経験した。一つは、社会の民主化、すなわち民主化運動により文民政権が誕生し、言論の自由が確保された事。この時民主化を主導したのは、若い市民やジャーナリスト達であり、主要メディアは彼らに追随しただけであった。もう一つは、オンライン・メディアの登場により、メディア市場の民主化が促進された事。具体的には、記者クラブの民主化が進み、小さなオンライン・ニュースの記者も大統領の記者会見等への参加が可能になった。

(写真)ウニ・ラージャン・シャンカール氏

(ハ)ウニ・ラージャン・シャンカール氏

 インドでは、1975年に戒厳令が発令された時を除き、基本的に報道の自由が確保されて来ており、とりわけ過去10年間において、メディアの民主化が進んだ。かつては、国営テレビしか存在しなかったが、現在では215チャンネルで24時間報道がなされており、誰でもテレビカメラさえあれば報道できる状況になっている。一夫婦間の浮気問題等社会的重要度の低い報道が流される等「報道の自由」の行き過ぎへの懸念もあるが、本来埋もれてしまうニュースが報道されるようになったことも事実である。また、2005年に情報公開法が成立し、政府が国民の求めに応じてあらゆる情報を提供する義務を負ったこともメディアの民主化を促進した。

(写真)藤野彰氏

(ニ)藤野彰氏

 「民主化」や「ジャーナリズム」は、一つの概念として捉えられるものではなく、民主主義にも様々な形がある。日本と中国におけるジャーナリズムの違いを例に取るなら、日本のジャーナリズムは、戦後、米国のジャーナリズムの影響を受けながら発展し、第一に確保すべきものは「報道の自由」であるとする。一方、中国のジャーナリズムにおいては、「報道の自由」は否定されないものの、「国益を守る」ことが最優先事項であるとされる。しかし重要な点は、異なるジャーナリズムを批判し合うことではなく、お互いを理解することであり、少なくとも「ジャーナリズムが国民の為に存在する」という点は、各国に共通するものであると思われる。

(3)第2セッション「経済発展とジャーナリズム」

 冒頭、佐藤議長より、「100年に一度の世界的な同時経済不況」、また「スーパーバブルの崩壊」と言われる今の状況を、どのように各国メディアが描いているのか、そしてどのように受け止めているかを入口に議論していきたい旨発言した上で、このような経済的不況の中で、環境問題も一緒に解決していこうという試みはあるかと各パネリストに問いかけました。右に対する各パネリストの発言は概要以下のとおりです。

(イ)藤野彰氏

 報道と経営の2つの側面への影響がある。新聞については、政府の財政金融政策等を報道する事は基本だが、一方で一般国民に役立つ経済情報を更に提供すべきという編集サイドの発想が強まってきている。経営面から見ると、広告収入の減収が表面化し編集の仕方に影響がでている。金融危機は報道対象ではあるが、危機の中に組織として巻き込まれていて新たな展望、明るい希望が持ちにくい状況である。

 中国経済は、以前は国民全体の社会の調和、環境保全などが叫ばれていたが、今は8%(今年)という成長目標を達成しなければならない。政策転換とは言い切れないが、経済発展抜きには何事も語ることはできないというのが中国の基本的立場であろう。

(ロ)ウニ・ラージャン・シャンカール氏

 現在の経済危機の影響により、英字日刊紙による給与カットの発表、失業者の自殺増加等があり、そのため経済危機に関するストーリーは今までは紙面の後ろの方だったが、第1面でカバーするようになった。

 環境問題に関し、最近ではより目立つ所に掲載しようという動きはあるが、あくまでもインドは途上国のため、気候変動の中では違う立場で議論している。気候変動に関する記事は目立ち始めており、紙面を割く必要があると思うがまだまだ途上の段階である。

(ハ)呉連鎬氏

 韓国内では、当初は学会や一部の進歩的なインテリ層のみだったが、今は一般国民さえも、米国の経済発展モデルに対し多くの疑問を持つようになった。経済の後退により、「持てる者」「持たざる者」の格差拡大、治安や社会の安全に影響を及ぼす可能性がある。メディアマーケット界においては広告主の影響が大きい。財政的苦境の場合、広告主と広告収入への依存度が高く、妥協的な内容になる可能性がある。現在の状況の中で、広告以外の収入源を見つける事が望ましいが容易ではない。従来型のメディアと同様に、オンライン・メディアのほとんど全てが広告収入である(「オーマイニュース」は75%)。従って従来型のメディアだけでなく、新しいメディアも経済危機で影響を受けている。

 環境問題に関しては、5、10年前と比較すると、優先順位は下がるものの気候変動は日常的に取り上げられ、国民の身近な話題になっており一般市民の関心は高い。

(二)ミルナ・ラトナ・マウリディアナ氏

 金融危機については、「第1の危機」ではジャカルタで中国人をターゲットにした暴動が起きた(1998年)。このような事を避けるために「第2の危機」では、事実と原因を経済のエキスパートにインタビューする等、慎重且つ「包括的」に報道している。我々はどうしたら国民は安心できるかというアプローチをしている。

 環境問題に関し、インドネシアは津波、定期的な水害などの災害の影響を受けているため、気候変動は新聞にとっても重要な記事。環境のためのページもあるが、インド同様、途上国であるため、一般人、特に貧しい地域の人々のメンタリティーを変えるのは難しい。

(4)第3セッション「メディアのIT化とジャーナリズム」

 冒頭、佐藤議長は、「既存メディアは、その多くが経営状況の明るくない中、様々なメディアの登場により、挑戦を受けている一方、米国では、LA、シカゴ等の大都市において、新聞発行が困難になっているため、これで社会の「番犬」としての役割を果たせるのだろうか」との悲観的な意見もある旨紹介し、発言を促しました。本セッションでは、既存のメディアと様々な新メディアに関する議論が以下のとおり活発に行われました。

(イ)呉連鎬氏

 IT社会の到来とともに新しい空間が出来て、新しいプレーヤーも登場している。ネットの世界は、時間とスペースの限界を超え、誰がジャーナリストなのか、何がニュースなのか等ジャーナリズムの基本的概念を変えた。米大統領選でオバマ氏が選ばれる以前に、韓国では既に2002年にネット上での若者の支持が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の勝利の一因となるという現象が起こっていた。このようなネットの影響は、突然起こったのではなく、メディアマーケットの変化と継続を背景に展開していた。他方で、ジャーナリズムの信頼性、アカウンタビリティー(説明責任)という価値観は継続されている。その点で「オーマイニュース」では全ての市民記者の記事をチェックし、事実確認を行っており、ブログとは異なる。

 数年前、同種の会議に出た時、新聞はなくならないが、紙はなくなるかもしれないと発言した。ネットは新しいメディアだが、日本やインドだけでなく、韓国でも、様々な国民的議題をリードするのは、まだまだ活字メディアであり、右の強みはそこにある。しかし読者とのインターアクションは、ネット新聞のほうが可能性は大きい。ネット・メディアに欠如しているのは、問題提起の側面であろう。

 もう1点、伝統メディアの方々に申し上げたいのは、競争相手は「オーマイニュース」やネット・メディア、ネット組織でもない、ネット空間自体、そこに参加している市民達だという事。もしそのような立場をとるならば、既存メディアは、ネット空間に対して力を失っていると言えるだろう。一つのオンライン・ニュースとだけ比較する、あるいは主要なプレーヤー同士だけを比較するのではなく、ニュース・スペース全体を見てほしい。

(ロ)ミルナ・ラトナ・マウリディアナ氏

 インドネシアでは1,100万人が非識字者、昨年までは2,500万(人口の12%)しかネットにアクセスできなかったので、オンライン・メディアはまだそれほど脅威ではないが、トレンドは明らかに見られる。わが社のサイトのアクセスは6,100万、ページ・ビューは月に1億9,900万もあるので、将来は欧米と同様な傾向が顕著になるだろう。

 活字メディアは衰退はするかもしれないが、ジャーナリズムの精神は失われてはならない。活字メディアは量という点ではオンライン・メディアにかなわないが、信頼性、問題提起に関しては、伝統メディアが勝る。

(ハ)ウニ・ラージャン・シャンカール氏

 インドでは、10億以上の人口のうち、ネット普及率が7%とあまりブロードバンド化が進んでいないため、伝統メディアはそれほど危機的状況にはない。しかし国民はデジタルメディアの重要性に気付きつつあり、ほとんど全てのメディアにおいて、印刷版とデジタル版が統合しつつある。インドには単独のデジタルだけのメディアはない。いずれにせよ、大切なのは信頼性であり、民主主義の下では訓練を受けたジャーナリストが必要である。

(ニ)藤野彰氏

 日本の新聞は世界トップクラスの普及率を示している。また、販売店を通じての宅配率が94%程度と、世界でも飛び抜けている。100年以上かけて構築してきた新聞経営のノウハウが近い将来に大きく崩れるとは予想しがたい。

 また、ジャーナリズムの精神は将来も変わらないという意見に基本的に賛成する。従来の新聞ジャーナリズムには、専門性、報道の継続性、報道上の倫理面において長年培ってきた財産があるので、20年そこそこの歴史しかないオンライン・ジャーナリズムがこれらの側面において越えられるとは思わない。伝統メディアは質で勝負。分析、背景、視点を読者に提供できるため、努力すれば、活字・新聞メディアの優位性は維持できるだろう。新聞・放送記者は、長いキャリアを積み、プロとしての技量とプロ意識を持って仕事をしているが、市民ジャーナリストにプロ意識は求めることはできないのではないか。

(5)議長総括

 佐藤議長より、「本日は民主化の進む中でメディアの果たした役割、新しいメディアの挑戦を受けて、既存のメディアがどう変わっていくかを論じた。誰もがブログなどで情報を発信できるようになったのは良い事だが、プロフェッショナルなジャーナリストには何ができるのか。様々な批判に応えながらも、伝えるべきものを探して伝えるのがプロフェッショナルなジャーナリストであろう。議論の中で、変わっていくもの、変わらないもの、変えてはいけないものが議論された。本日は様々な議論をする事ができた。パネリストの皆様に感謝する。このような出会いを大切にしていきたい」と発言し、会議を了しました。

(写真)会場の模様
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