今年は戦後60周年目に当たります。戦後日本は世界唯一の被爆国として、軍縮・核の不拡散、平和維持活動をはじめ積極的に平和貢献をし、世界から高い評価を得てきました。また、日本が今までに関わってきた国連平和維持活動(PKO活動)が成功を収め、そのほとんどが任務を完了している点も評価されています。しかし、「平和維持活動」と一言で言っても、あまりに大きく抽象的な概念であり実際のところ日本の何がどう評価されているのかは必ずしも明確ではありません。そこで、第9次ゴラン高原派遣隊司令部要員として国連平和維持活動に実際に参加された足立吉樹3等陸佐、イスラエル側、シリア側それぞれで日本大使館と自衛隊PKO要員の連携を円滑に進めることに貢献した元イスラエル側連絡調整要員の阿部俊宏内閣府PKO事務局事務官、元シリア側連絡調整要員の數野倫明3等海佐に現場でのお話を伺いました。(近内)
インタビュアー:近内みゆき
近内:本日はお忙しい中ありがとうございます。まず、国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)について、わたしのように何も知らない者にとっては全くイメージできないのですが、「兵力引き離し」とはどのようなことをやるのでしょうか。
足立:UNDOFのPKOとはまさに伝統的なPKOと言えます。国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)や国連レバノン暫定隊(UNIFIL)などと同様、紛争当事者の間に割って入って、バッファーを作るというPKOです。引き離すといっても、無理矢理引き離すのではなく、紛争当事者の間にそういう地帯を設定して、協定が遵守されているかどうかを監視するというのが主要な任務です。監視していて、協定違反行為があれば国連に報告します。近年設定された7章型のPKOとは別で、監視が主です。監視の際には、代表的なものでは小さな8名規模の「ポジション」と呼ばれる監視のための陣地があちこちにありまして、そこからそれぞれ双眼鏡でのぞきながら監視しています。ある人は警備、ある人は監視、ある人は食事を作る、整理業務をするなど、分担しながら監視業務を続けています。
足立吉樹3等陸佐
近内:では次に、連絡調整要員として數野さんと阿部さんは具体的にどのような仕事をしていたのでしょうか。
數野:柔らかい言葉でいうと、いわゆる「つなぎ」をやっていました。自衛隊員は実際にゴラン高原に入り活動しています。そこに宿営地があって、そこで生活をしているのです。宿営地にいる隊員はそこを出る機会は休み以外ほとんどありません。一方、日本大使館があるのは大都市です。そこで、連絡調整員が大使館と自衛隊との間で連絡を取り、双方が円滑に活動できるようにしているのです。任務地にいる自衛官の方々が余計なことに惑わされず、任務に邁進できるような環境整備を作るのが我々の仕事です。
近内:現地での宗教はシリア側ではイスラム教、イスラエル側ではユダヤ教が主だったと思いますが、文化的・宗教的観点から特に注意した点はありましたか。
數野:わたしの場合、シリアに最初に行ったときに挨拶ぐらいは現地の言葉でと思い、お会いした女性に習いたてのアラビア語を使ってみると、彼女がとても驚いた顔をしたのです。後から調べてみると、男性にかける言葉を女性にかけてしまっていたんです。女性用にはまた別の言葉があったのに。挨拶一つとっても注意しなければならないんだなと思いました。
數野倫明3等海佐
阿部:イスラエルの生活習慣にシャバットという、金曜日日没から土曜日日没までは労働してはいけないという日があります。その間はたとえば、複数あるエレベーターのうちの一つは自動的に各階止まりになってしまったりしました。エレベーターの階のボタンを押すのも労働に当たるのでしょうか。だからその日にはそれに乗らないように気を付けました。また、イスラエルの祝日で、乗り物の運転をしてはいけない日がありました。全く車が通らないので、歩行者天国が一日続いているような感じでした。子供達は全面歩行者天国で楽しそうでしたよ。当然空港もクローズされ、タクシーもやっていないという状況でした。そんな日は、一人、静かに自分を見つめる日としていました(笑)。私も現地での宗教や文化に敬意を払うように気を付けました。
左:阿部俊宏事務官、右:足立吉樹3等陸佐
足立:わたしは両方を体験しましたが、世俗化の進んだイスラエル側はそれほど気を付けることはなかったという印象があります。しかし食べ物に関しては気を付けました。というのも、UNDOFのイスラエル側の宿営地に時々イスラエル側のお客が来て食事をとることがあるのですが、敬虔なユダヤ教徒は我々が食べる食事を食べませんでした。コシェルという、ユダヤ教徒が独自の調理法で、独自の食材を使って教典に書いてあるとおりに処理したものしか食べないのです。実際のところシリア側ではもっと気を付けました。女性に対する接し方は特に気を付けましたね。また、男性であっても政治的な話を避けたり、宗教的な話を避けたりしました。たとえばアラブ人に対してユダヤ人をどう思うかなど本当は最も興味深いところですが、そういうことはやはり聞けませんでしたね。あとは文化的なものです。たとえばイスラム教徒に対しては酒をむやみに勧めないとか、豚肉を食べないとか。ラマダン(断食月)の時に特に気を付けましたね。私たちはもちろんイスラム教徒ではないので断食はしませんが、ラマダン中は彼らの前では食べませんでした。
ここで一つエピソードがあるのですが、シリア側の小さな町にあるお店で、行くといつもお茶を出してくれるところがあります。ある日、ラマダン中も、そこを訪れました。そのときもお茶を出してくれたのですが、わたしたちは「ラマダンだからお茶はいらない」と断りました。すると相手はとてもびっくりしたようにしているのです。そして「そこまで気を遣ってくれるのは日本人だけだ!」と。他の国の要員ももちろん相手国の文化や宗教に気を遣いますが、このような細かい気遣いをするということはなかなかないのではないかと思います。この体験からも、相手方の文化や宗教を尊重しながら接するということは、本当に大切なことなんだなと改めて感じたものです。
近内:なるほど。現場に行かれる前に日本で、当地の宗教や文化に関する講義などは自衛隊内であるのでしょうか。
足立:はい。自衛隊内でもありますし、内閣府のPKO事務局でもありました。日本人が評価されている点は、やはりここだと思うのです。相手の文化や宗教を理解し、人間関係から入っていく、やはりこれが重要なことなのではないでしょうか。
近内:まさにその通りだと思います。では次の質問に。自衛隊が駐留しているゴラン高原には、「叫びの谷」があると聞いています。それについてぜひ聞いてみたいと思います。わたしはここには行ったことはないのですが、旅行者も行けるのでしょうか。
數野:シリア側から行けます。許可がいりますけど。UNDOFでそれはファミリーシャウティングと呼んでいます。もともとそこに住んでいた住民が、戦争により両側に引き離されてしまったのです。
足立:毎週金曜午前中、10時頃から行われます。しかし最近は数が減っていますよ。昔は確かに多かったのですが、最近はインターネットや携帯電話など通信手段の発達により、実際に叫んでいる人は以前より数が減っていますね。叫んでいるのはそこに住むイスラム教の中のドゥルーズ派の人々です。彼らの集落はこの付近のいろいろなところにあるのですが、たまたまここに長らく住んでいたドゥルーズ派の集落が引き離しに遭ってしまったのです。
近内:織り姫と彦星ではないですが、年に一度会えるなどといったことはないのですか。
足立:それに近い形ではあります。ゴラン高原を挟んで、イスラエル側のドゥルーズ教徒がダマスカスの大学に入学することがあるんです。そして、年頃の年代ですから、大学で恋愛をし、最終的に結婚するということも時々あります。その結婚式の人道支援をまさにUNDOFがやっているのです。花嫁道具などを輸送したりします。双方を隔てるゲートでお互いの親戚が会って、結婚式を挙げるのです。実際のところ、花嫁が西側の占領地に行くのがほとんどですね。一度このゲートをくぐってしまえば、原則として二度と帰って来れないのです。だから結婚式では親戚中はまさに泣き別れですよ。我々UNDOFとしては、よかれと思ってやっている人道支援ですが、このような光景をみると、実際、これをやって本当によかったのかなという気持ちにはなります。また、大学生も夏休みになるとこのゲートを通って帰ってきます。その輸送支援もしているんです。
UNDOF『ゴランジャーナル』100号より
近内:監視ばかりでなく人道支援もしているのですね。では、次に、現地でしばらく過ごし現地人を見ることで、ここは日本人と違うな、見習うといいな、などと感じられたことがあれば教えてください。
數野:シリア人に関していうと、底抜けに明るい、何に対しても前向きということが言えると思います。たまに約束の時間に遅れることなどもあるのですが(笑)、そのようなことを差し引いても一緒にいてとても明るい気分になりました。
阿部:イスラエル人に関して言えば、前向きで自分が思ったことはしっかり主張する気質が特徴の一つかなと感じました。日本ではどちらかというと相手を慮る点が美徳の一つとされていますが、国内で生活している分には確かにそれでよいかと思います。しかし国際的な場では、同時にイスラエル人がもつような側面も見習うと、よりよいのではと思いました。
足立:わたしはUNDOFで一緒に活動した他国の要員と比較してお話しします。彼らを見ていて思ったのは、彼らの中にも英語が母国語ではなく、英語を話せない人が実はたくさんいるんです。しかし、完璧な英語でなくても彼らは言いたいことがあれば物怖じせずにどんどん主張します。日本人要員の中の英語が得意でない人はどちらかといえば、英語が苦手だから、と黙ってしまうことが多いという印象があります。仕事ができるとかいう能力ではなく、このような点を改善すれば、今でもUNDOFの中でも評価はされていますが、もっと評価されるようになるのではと思っています。
近内:では、最後に、現地で「これがあるからがんばれた!」というのは何かありますか?
數野:食べ物ですね。やはり日本人だから米を食べないと落ち着きません(笑)。お米を食べると元気になります。精神的な面では・・・・そうですね、これがなかったら駄目だというのは特にはありませんでしたが、家族そして娘・息子の声を電話で聞いたら精神的に元気になり、またがんばろうという気にさせてくれました。
足立:物質的な面では日本食があったというのはとてもよかったですね。そして精神的な面に関して言うと、やはり日本人としての誇りでしょうか。我々は日の丸を背負って仕事をしていますから、日本の名を汚すようなことはできません。他国と肩を並べて一緒に活動する中で、いい意味で「他国には負けないぞ」という気概も生まれてきます。
IDF(Israel Defense Force)スポーツ・デーに参加したUNDOF要員
阿部:日本を代表する自衛隊のために宿営地を往復する中で、日本のために働いているという充実感がありました。また、精神的な面では、イスラエルはインフラがよくできていますので、メールや電話などで家族と連絡を取る環境があったという点も、現地でしっかり任務をこなせた要因ではないかと思っています。イスラエルでは日本料理屋が結構ありますので、ストレスがたまったときなどに食べに行って鋭気を養うということもしましたね。
近内:なるほど、そうでしたか。私からの質問は以上です。不躾な質問が多々あったと思いますが、一つ一つに対して丁寧にわかりやすく答えて下さりどうもありがとうございました。
● インタビューを終えて
ゴラン高原における日本のPKO活動の話から、「叫びの谷」や、現地の宗教・文化の違いまで、ざっくばらんに様々な話をお聞きすることができました。このインタビューをする前に抱いていた疑問、「なぜ日本のPKOは評価されているのか」は三人の方と話すうちにだんだんとクリアーになってきました。インタビューの中で足立さんがおっしゃった「相手のことを考えたきめ細やかさ」これはやはり日本人が誇れることではないかと思います。確かに何をもって「日本人らしさ」と言うか、定義は難しいところですが、私がバックパック旅行で出会った日本人を見ていても、買い物の際に値切って「サンキュー」で行ってしまうバックパッカーが多い中、日本人のバックパッカーの多くは、値切るばかりでなく、多少相手の言っていることがわからなくても耳を傾け、お店の人と会話を楽しんでいるという印象を受けることが多々ありました。相手の宗教、文化を尊重し、人間関係から入って行く、そして相手が何を訴えているのかに耳を傾ける、これこそが日の丸を背負って活動している日本のPKO部隊が世界的に評価されてきた理由の一つだったのではないかと思います。私自身、今後も海外に行くことが多々あると思いますが、そのときには相手の文化・宗教を尊重する謙虚な態度をもって接していきたいと改めて思いました。(近内)