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有識者評価報告書

評価者 東京新聞(中日新聞)論説委員 今里義和

調査国 アフリカ3カ国(南ア、ザンビア、ケニア)

現地調査期間 2001年2月12日~22日

視察プロジェクト
(a) 人づくり・教育支援
<1>ムプマランガ州理数科教員再訓練(南ア)
<2>ルサカ市小中学校建設(ザンビア)
<3>ケニア理数科教員養成大学
<4>青年海外協力隊員の理数科授業(ケニア)
(b) エイズ・感染症対策支援
<1>プライマリ・ヘルス・ケア・センター(ザンビア、ルサカ)
<2>ザンビア大学教育病院(UTH)
<3>HIVハイリスクグループ啓蒙活動(ザンビア、リビングストン)
<4>ケニア中央医学研究所(KEMRI)
(c) NGO活動支援
<1>オレンジファーム地域開発センター施設拡充(南ア)
<2>プリンセス.ダイアナ.モハウ児童ケア.センター施設整備(南ア)
<3>ガイゼ小学校施設整備(ケニア)
<4>エンブ子供診療所拡張(ケニア)
<5>セーブ・ザ・チルドレン・センター職業訓練校建設(ケニア)


【総論】

なぜアフリカに援助するのか

 日本の政府開発援助(ODA)に消極的な層は、国際貢献について「日本国内にも貧困や不幸に打ちひしがれている人がいるのに、なぜ、外国に援助しなければならないのか」という根強くかつ素朴な疑問を抱いている。

 しかも、日本経済が長期不況からなかなか脱出できず、国民の生活や雇用をめぐる心理に暗い影が広がりかけつつある今日、ODAに対する国民の視線は従来にまして厳しい。一部の「中国などのODA受け入れ国は、日本に十分感謝していない」といった報道や、外務省の元要人外国訪問支援室長による官房機密費(報償費)詐取容疑事件で外務省の信用が失墜した出来事なども、ODAや外交関連予算に対する支持をますます弱める要因になっている。

 そもそも、「なぜ日本は途上国に経済協力する必要があるのか」という問いかけに対しては--

「途上国と同じ地球上に存在する先進国の道義的な責務」
「資源小国の日本にとって、国際社会の平和と安定は自国の利益」
「憲法により軍事貢献を厳しく制限されている以上、経済中心に貢献せざるを得ない」
「経済協力すれば日本の政治的地位が向上し、国連などの舞台で日本の国益を図る外交を展開しやすくなる」
「途上国が市場に成長すれば日本の経済利益になる」

 ---などの答えがあるだろうが、この報告では、こうした基本問題への深入りは避ける。

 対アフリカODAに焦点を絞って考えると、この大陸は国際社会で最も貧しい地域であり、欧米の先進各国にとっては援助の主要な対象国になっている。しかし、日本にとっては地理的に遠く、経済的な関係や直接的な利益が希薄であるため、援助の分野でもなじみが薄いのが現実だ。対アフリカODAに関しては、国民に対し、援助を供与する必要性や、援助の中身の妥当性について、あらためてよく説明する必要がある。

 対アフリカ支援の必要性をめぐっては、まず、貧困やエイズ、社会基盤不足などに関して人道上の支援を必要としているアフリカ各国の窮状や、貧困をもたらした先進国の植民地主義の歴史、アフリカ各国の経済成長の潜在的可能性といった援助理由を、なるべく具体的に日本の国民に理解してもらうことが大切だ。

 もちろん、アフリカが望む支援のすべてを日本が背負うことは不可能だ。欧州各国の人道支援の背景には植民地支配の歴史や責任があり、日本が欧州各国を上回る規模の支援を供与するのも、不合理だろう。

 半面、限られた規模の支援をさらに刻んで「広く薄く」拡散するのでは、支援の効果が非効率的になり、印象も弱くなる。いきおい、日本の支援は選択的にならざるを得まい。ODAの予算配分にあたっては、対象国ごとに、最も効果的な支援の内容、日本の戦略的な利益といった要素を考慮しつつ、めりはりを付けて、モデル事業への傾斜的な配分などの工夫を検討すべきである。

 他の先進国、国際機関との協調も課題だが、多国間の資金プール制度に組み込まれ、埋没してしまうようだと、日本の「顔」が見えなくなる。それでは、支援に対する国民の理解も失いかねない。今回の調査でも、受け入れ側のザンビア大蔵省主席エコノミストからは「資金プール制度は、1国だけではインパクトを期待できない小規模支援国の拠出を大きくまとめる場合などに、機能を効果的に発揮する。その点、日本は、既に単独で大規模な支援をしてくれている」、「たとえ条件付きなど、いかなる形であっても、すべての支援を歓迎する」といった意向が表明された。二国間直接支援重視の原則を維持しても、受け入れ側に大きな問題はないのではないか。

 むしろ、資金プールへの拠出を拡大するには国民への理解促進がさらに必要であるという政治的な条件を考え合わせれば、二国間直接支援に重点を置き続ける方がODA予算確保、ひいては被援助国の利益に結び付きやすいだろう。

 援助のあり方として、「顔の見える援助」は相手国に感謝されるだけでなく、日本国民自身の満足感につながる意義がある。日本の資金協力が途上国に流れる際、他国のNGOより日本のNGOを通した方が「顔の見える援助」になるし、経済的な国益にもつながりやすい。

 NGOの世界では「ODA資金の獲得競争」が実態となっていて、いわば市場原理によって優勝劣敗の結果が導かれている。実力のあるNGOはマスコミの目につきやすい拠点での事業を国際援助機関から請け負い、集金力や事業実施能力をますます高めている。日本のNGOは欧米のNGOと比べて規模、経験など各面で未成熟であり、遅れを取り戻すうえで「援助のプロ」の育成を急がなければならない。

 一方、アフリカのように治安上危険な地域での人的貢献の機会が増えると、事件や事故に巻き込まれる件数も増加するに違いない。今後、<1>危険な任務に就く場合の心構えを周知徹底すること<2>危険を予防するための通信機材、情報伝達などを充実させること<3>不幸にも実際に危険に巻き込まれた場合、速やかに善後策を講じられるよう、支援態勢を整備すること---などが求められる。

【各論】

(a) 人づくり・教育支援
<1>ムプマランガ州理数科教員再訓練(南ア)
<2>ルサカ市小中学校建設(ザンビア)
<3>ケニア理数科教員養成大学
<4>青年海外協力隊員の理数科授業(ケニア)


教育支援の戦略性

 援助の「戦略性」や「国益」の判断は難しい。南アを例に取ると、サブ・サハラの地域では経済規模からみて大国で、金、ダイヤモンドなどの地下資源は豊富であり、さまざまな技術にも相当の蓄積がある。問題の核心は、白人支配が続いた弊害で社会構造が歪んでいて、国内における富や技術の階層間移転が進んでいないことにある。南アに対する有償資金協力の必要性をめぐっては、「南アは無償協力なら受け入れるが、有償協力は歓迎しない姿勢」とさえ受け止める向きもある。事実、南アが日本の有償資金協力を受け入れた実績は乏しい。

 こうした国に対する援助には、本当に必要な支援の需要があるのかどうか、慎重に見極める必要がある。さらに、国内における富の再配分を促すような協力に重点を置くことも求められる。

 例えば、深刻に支援を必要としている分野の一つに教育がある。長く植民地支配されていた南アなどの国では、黒人に対する理数科教育が差別的に厳しく制限されていたため、質の高い理数科教員が極度に不足しているためだ。南アの「理数科教員再訓練」やケニアの「理数科教員養成大学」は、社会基盤の形成に必要な人材育成に力を貸す事業であり、人道支援に近い意味合いがあるといえる。

 すなわち、黒人に対する理数科教育が充実すれば、南ア国内における黒人の地位が向上して生活水準が改善されることが期待される。国際社会ではコンピューター、インターネットを利用するITが経済や商業の基礎になりつつあり、その流れに追いつくためにも基礎的な理数科教育の充実は不可欠だ。日本自身、明治の開国以後、資源小国ながら欧米各国に肩を並べるまでに急成長した背景には、教育による人的資源の充実があった。

 さらに、日本に好意を抱いた教員が、授業で次世代に認識を伝達する意味は、日本と被援助国の二国間関係の視点から考えても、極めて大きい。日本に関心を抱いた優秀な教員を交流事業で日本に招けば、援助の戦略的価値は一段と高まると思える。

 南アのムプマランガ州での具体的な取り組み方をみると、一人の教員が他の教員たちに授業を実演してみせ、批評や意見を交換する「ワークショップ」研修の普及に力点を置いていた。この形式は、教員全体の水準の向上に有効であり、現地の教員たちも好意的に受け入れていた。

 人づくり・教育事業に対する協力は、ケニアの理数科教員養成大学での現職理数科教員を対象とした再訓練・研修に対する支援においても、南アでの事業と同様に、高い意義がある。

 ただ、被援助国の実情をみると、優秀な教員が待遇のよい外国へ出稼ぎにいく例も多い。せっかく援助で再訓練・養成した教員の定着を促すためにも、日本への招待は少なくとも何年間かの国内定着を条件にするなど、細部の工夫が求められる。

学校建設-質か量か

 小中学校の建設に対する協力や、青年海外協力隊員らを理数科教員として派遣する事業なども、「国の土台となる人材を教育する」、「次の世代に、日本に好印象を持ってもらう」という両目的に資する支援だ。

 ザンビアの首都ルサカ市内で訪ねた「プリンス・タカマド・ベーシック・スクール」(9年制、生徒数865人)は、日本が当地の貧困地区を対象に新規に建設している8つの基礎教育学校の1つであり、校名は1999年12月の引き渡し式に高円宮殿下、妃殿下がチルバ大統領とともに出席したことに由来する。

 校舎の外見を見てまず気づくのは、壁にペンキで描かれたザンビアと日本の2つの地図だ。本物の地図を手描きで模写したただけなので、精度という点では劣るものの、日本に対する生徒の関心や理解を促す意義は間違いなくある。

 この学校には日本から女性の体育教師が青年海外協力隊員として派遣されていて、日本音楽のクラブ活動の顧問もしている。生徒の対日理解をさらに促す効果が期待できるわけで、建設事業の支援と人的な技術協力の組み合わせにより効果を増幅する一例といえる。

 校名に皇族名を冠する得失に関しては、一考を要する。プラスの面としては、日本にちなむ校名により、日本に対する親近感を醸成する効果が挙げられる。半面、校名に皇族名を冠する以上は、その名に傷がつかないよう、維持、補修、改善などのフォローアップが必要になると想定される。

 日本に対する親近感を育むには「フジ」「サクラ」など日本にちなむ一般の用語や地名、皇族以外の人名でも足りる場合が多いはずだ。皇族名を“人質”のようにとられる事態は、できるだけ避けるべきだ。

 現に、校長は「今後の要望」として教員用の住み込み宿舎の建設、周辺道路の整備といった追加事業を挙げていた。この学校には図書館、保健室、プール、体育館などの施設もまだ整備されていないので、今後、さらに追加の要望が寄せられることも予想される。

 一方、当地では全体として教室がまだ不足していて、二部制で授業をしているほどだ。教科書が足りず、多くの場合は1冊を2-3人で共有しているため、自宅での学習も満足にできない状況だ。「タカマド・スクール」1校の改善と、教育環境全体の底上げとどちらを優先すべきか、よく考える必要がある。

 建設する施設の質についても、考えるべき点がある。確かに、国際援助機関はODAで建設する施設の標準的な目安を示しているから、最貧国には標準より品質の劣る施設しか供与しないとすれば、差別にもなりかねない。基礎工事などの質の高い施設の方が耐用年数は長いから、長期的には、良質な施設を提供した方が結局は得策であるという分析もよく聞く。

 ただ、最貧国で一般途上国並みの水準の教室を建設すると、その国内の他校と比べ著しく良質な施設になる例が多い。そもそも教室の数が満足でないザンビアのような最貧国では、まず教室の「量」の確保が優先されるのではないか。同じ額の援助でも、教室の質を落とせば数は多くできるわけだから、耐用年数と無関係な部分は安上がりで済ませるなど、水準の確保は柔軟に考えるべきだ。

 最貧国の教育をめぐる実情をみると、親が教育費の負担に耐えられないため、子供に義務教育を卒業させてやれない例も多い。それなのに、費用がかかる制服の着用を奨励している学校も多い。もちろん、教育は国家または自治体の主権にかかわるもので、他国が教育内容に不用意に口出しすべきではないが、建設に協力した学校に対しては、とりわけ経済面で、その後の学校運営に助言できるような制度を工夫してもよいはずだ。

協力隊員の安全対策を

 ケニアでは、理数科教師として過疎地の初等教育校に赴任した青年海外協力隊員らを訪ねた。電気も水道もなく、もちろん日本語など通じない山の中で、隊員らは生徒やその親たち、同僚教師らと心を通わせながら、よく頑張っていた。隊員らは、本来の理数科教育で役割を果たすのはもちろん、まさしく「日本の顔」として、ケニアの草の根と日本を結ぶ懸け橋の役割を果たしている。

 面会した校長は、隊員らの仕事ぶりについて「黒板とチョークだけのケニア式教育と違い、彼らの教え方はいろいろ工夫があって生徒に分かりやすい。できれば(隊員派遣の)契約年数を延長してほしい」などと、高く評価していた。校長が、今後の要望事項として特に言及したのは、理数科実験器材の提供だった。確かに、理数科教師の派遣と実験器材の提供は、組み合わせれば相乗効果が期待できると予想される。検討の価値はある。

 若い独身の女性教師が、地元の人に頼んで山裾から運んでもらった貴重な水を洗面器にとり分け、たったそれだけの水で顔、髪、体の全身を洗い終える生活など、日本では考えられない厳しい環境だろう。過疎地の環境に耐えている隊員らを支えるため、とりわけ健康や安全に関してはできるだけの対策、態勢を整えなければならない。

 ケニアでは、経済の不振や失業の蔓延、周辺国の紛争などを背景として治安が悪化していて、1999年を例にとると、国際協力事業団(JICA)関係者だけでも、強盗など19件の被害が報告されている。

 昨2000年2月には、キシイ地区に居住していたシニア隊員宅に未明、武装強盗9人の集団が押し入り、隊員の頭に銃をつきつけて、日本円に換算して30万円に上る現金などを奪って逃げた事件があった。隊員は「強盗は帰り際に自分を射殺するのではないか」という恐怖から精神的に打撃を受け、事件後も食欲不振や睡眠不足に陥り、十二指腸潰瘍を患うに至った。

 その後、容疑者の1人は、日本円を銀行で両替しようとして逮捕された。しかし、昨年秋、裁判で無罪となって釈放されてしまった。隊員は、容疑者の報復を避けるため、身辺整理して別の地に移動した。

 ケニアでは日本人は目立つ存在であり、賊の標的になりやすい。しかも、賊は自動小銃など、警察以上に強力な武器で武装していることが多い。警察には、巡回や捜査に必要な車両さえ満足にないといわれる。もちろん、施錠や警報設備、無線など、住居の守りを強化することは必要だが、無線用の発電機がかえって賊の標的になりやすい面もある。いったん賊の集団に狙われれば、完全な防御は難しいというのが先の事件の教訓だ。

 JICAや外務省は、そもそも治安に問題の大きい地域には青年海外協力隊員らを派遣すべきではない。派遣する場合にも、青年海外協力隊員らに治安状況に関する正確な情報を提供し、自らの心構えと準備を促さなければならない。現地では、隊員の住居の防犯対策を強化するのはもちろん、万一、隊員が不幸にも被害に遭った場合に備え、医療や心理カウンセリングまで含めた支援態勢の整備が求められる。

 ことに2002年のケニア大統領選が接近するにつれ、現地の治安情勢はさらに悪化すると予想され、対策は万全を期す必要が大きい。

 こうした安全対策には、当然、大きなコストがかかる。安全対策だけでなく、隊員らの人件費も、現地や周辺国の人材を活用する方式と比べれば、物価水準の違いが反映されるから、かなり大きなコストになっているかもしれない。しかし、こうした青年海外協力隊員の活動の強化、育成は、市民参加型の国際貢献の強化につながる戦略的な意義がある。援助は経済効率がすべてではなく、国益を織り込んで検討、実施すべきであり、隊員のための安全対策や人件費のコストは将来の国際貢献強化のための投資として是認すべきだ。

(b) エイズ・感染症対策支援
<1>プライマリ・ヘルス・ケア・センター(ザンビア、ルサカ)
<2>ザンビア大学教育病院(UTH)
<3>HIVハイリスクグループ啓蒙活動(ザンビア、リビングストン)
<4>ケニア中央医学研究所(KEMRI)


最優先の人道援助

 多数の人命や健康が危機に直面しているとき、国際社会には救いの手を差し伸べる人道上の義務がある。感染症対策は、その分野で、最も基本的な途上国支援であり、優先順位は高い。

 ザンビアの首都ルサカでは、低所得層地域のジョージ地区を訪ね、JICAが住民の保健衛生状態を改善するため実施しているプライマリ・ヘルス・ケア事業と、JICAが支援している地域センター施設を見学した。

 最貧国の中のそのまた低所得層地域となると、道路は満足に舗装されず、大きな穴だらけ。多くの住民が失業中であるため、地域は犯罪の温床になっているとも想定されるが、協力隊員らは厳しい環境の中で住民の福祉向上に取り組んでいて、センターの責任者らは隊員らの奉仕活動に深く感謝していた。

 センターでは、HIV/AIDS、コレラ、マラリアといった感染症を予防するため、コンドームの利用や飲料水の浄化など、それぞれの感染症に応じた具体的な対策を指導していた。高額の医療費を工面できない低所得者らにとって、感染症の予防は文字通り死活的な意味があるし、しかも活動に要する経費はそれほど高額ではなく、効果的な活動だという印象を受けた。

 センターは、一般患者への診察のほか、出産分娩、乳幼児の体重・栄養状態検査といった医療・保健活動に奉仕していて、いくつかの医療機器には、日本のODAで整備されたことを示すシールが貼られていた。毎日、多数の住民らが診療や指導を受けようとセンターに集まっていて、順番待ちの群衆で身動きがとれないほどの状況をみれば、住民たちがいかにこのセンターや医療機器を必要としているか、一目瞭然だった。

 下水道が整備されていない地域では、さまざまな汚水が地中に浸透するため、浅い井戸の水は衛生的とはいえない。住民の健康を守るには、汚水が浸透していない地下数十メートルまで深層井戸を掘る必要がある。同時に、トイレの汚水が地中に浸透しないよう、くみとり式の構造のトイレをまず地域の拠点ごとに普及させる活動も有効だ。ジョージ地区には日本の無償援助で建設された給水施設があり、JICAの衛生指導活動との組み合わせにより「日本の存在感」を高める結果にもなっている。

 もっとも、国や自治体の財政が窮乏しているため、センターには医療の機器や器具、薬、ベッドなど、あらゆるものが不足している。しかも、環境が整っていない施設は、このセンター1カ所だけではない。

 センターの責任者に、「当面、一番支援してほしいことは何か」と質問したところ、「急患や重病患者を大病院に搬送するための自動車(4輪駆動車)がほしい」との回答があった。自治体の救急車は数が限られていて、出動を要請してもなかなか来ない場合が多いのだという。

 車を供与するには、ドライバーの雇用、燃料の確保、故障修理、窃盗対策などを継続して措置していかなければ意味はなく、しかも多数の同種施設の要望にこたえようとすれば相当の費用がかかると見込まれる。人道援助は尊いが、1国でできることには限界もある。

 やはり、住民らが貧しさゆえの窮状から脱却するためには、住民らの雇用や収入の確保につながる開発型の経済支援、さらには適切な経済政策と自助努力がどうしても必要だ。その効率的な組み合わせを、個別の状況に応じて吟味していかなければならない。

マラリアや結核も課題

 ウイルス性、細菌性の感染症対策を研究しているザンビア大学教育病院(UTH)では、日本から派遣されている医師の案内を受けて日本が整備に協力した施設を見学するとともに、支援のあり方をめぐって医師の経験談を聞いた。

 アフリカの多くの国では、HIV/AIDSなどの感染症を研究する以前に、そのウイルスに関する基礎知識の入手、域内人口の20%以上がHIV/AIDSに感染しているといわれる罹患状況の把握、診断技術の普及といった課題があり、UTHはこうした問題でも、周辺国を含めた地域で先進的な役割を果たしている。

 UTHに対する協力の一つの特徴は、HIV/AIDSだけでなく結核などの対策にも重点をおいていることだ。医師らによると、この地域では結核の人口比発病率が日本の10倍を超えるなど、結核やマラリアはAIDSを上回る死因になっている。しかし、HIV/AIDSと比べれば治療方法は確立していて、適切な診断と治療が施されれば多くの人命が助かるはずであり、しかも治療薬はHIV/AIDSと比べ非常に安価だという。すなわち、結核やマラリアの対策を強化する方が、現時点ではHIV/AIDS対策より効率的だというわけで、興味深い説だった。

 結核やマラリアの対策を進めるうえで克服すべき課題としては、<1>発病すると短期間で死に至るという社会的固定観念の排除<2>呪術的医療に頼ろうとする一部の風習の矯正<3>診療施設、診断技術の普及<4>細菌の種類や薬品に対する耐性などの調査<5>治療薬の安定的な確保<6>学校や職場での集団検診の普及--など難問が山積しているが、今後、引き続き協力する意味のある分野だと思われる。

 一方、UTHに対する日本のこれまでの協力には、機材や消耗品などハード中心である点に問題もある。援助方式の枠組みを改善、多様化し、たとえば医師が現地で助手を雇えるようにするなど、ソフト面で柔軟な手当があってよい。

 日本では、医師は一般的に収入に恵まれた職業であるとともに、公的な医療機関のポストは出身大学の人脈を通じて配分されているのが実態だといわれる。医師が最貧国での医療協力への応募を検討する場合、収入や帰国後のポストに不安を感じることは十分に想定され得る。日本人医師を継続的、安定的に派遣するには、任期終了後のポストを日本国内で確保する仕組みなど、不安解消策を工夫する必要がある。

エイズ対策は教育中心で

 ジンバブエとの国境近く、ザンビア南西部に位置するリビングストンでは、HIVハイリスクグループ啓蒙活動の様子を見聞した。今回、一連の現地訪問の中で、人道支援の限界について最も考えさせられた事例だった。

 ザンビアは海のない内陸国であるため、国際輸送でも陸上の交通手段の比重が大きい。トラックが国境を越える際の税関の検査にはかなりの時間がかかりがちであり、その時間をコマーシャル・セックス・ワーカーの女性と過ごす運転手は、AIDSウイルスに接触、感染する危険が非常に高い。当地で、性を売る女性や運転手たちにAIDSの恐ろしさを啓蒙している米国のNGOには日本人も参加していて、JICAがこのNGOの活動を支援している。

 このNGOが、性を売る女性たちと会合し、AIDSの恐ろしさについて話し合った場面に立ち会ってみた。女性たちは自称16歳から28歳。中には5人も子供がいたり、兄弟姉妹を養っている女性もいる。

NGO 「なぜ、この仕事をしているのか」
女性たち 「他に能力がないし、これだけ稼げる仕事もない」「父親が死んで、家の全財産を親戚に取られた。母親は別の男と暮らすようになり、自分や兄弟たちは捨てられた」「夫に暴力をふるわれ、家出した。その後で知り合った男に、ここに置き去りにされた」
NGO 「いくら稼げるのか」
女性たち 「ショートタイムなら、12米ドルから20米ドル。ロングタイムなら、30から40米ドル」「男に金がなければ、10米ドルくらいで我慢するときもある」「一晩に客が5人来ることもあるし、まったく客をとれない夜もある」「週に計140ドルくらい稼ぐこともある」「でも、男の目を引くために化粧や服装に金がかかる」(金額は現地通貨を換算した概算)
NGO 「AIDSが怖くないのか」
女性全員 「人が死ぬ病気であることは分かっている」
NGO 「客にコンドームをつけてもらっているのか」
女性たち 「コンドームは用意しているが、つけてくれるよう頼むと、殴る客がいる」「つけてもらうと、料金が安くなる」「客を奪い合う競争は激しい。コンドームを頼むと客に逃げられる」
NGO 「何か困っていることは」
女性たち 「夜に働いて帰宅した直後、通学に出る子供の面倒をみなければならないから、眠い」「妊娠して伝統的方法で中絶すると、失敗して死ぬことがある」「できれば年を取る前に足を洗い、自立したい」


 女性たちは、AIDSの恐怖を十分に知っている。それでも自分が生きていくため、あるいは兄弟姉妹や親族を養うため、危険を承知で性を売っている。多くの女性は、食べていけるだけの働き口が他にあれば、死の危険と隣り合わせの商売などしないだろう。

 辛い生活に耐えている女性たちに対し、単に「売春をやめなさい」と説教しても、問題解決の道を示していることにはならない。必然的に、NGOもAIDS対策として、まずコンドーム着用の普及を目指しているわけだが、その現実的な活動を支援することは、一面で、売春を黙認する結果にも結び付きかねない。NGO側からは、啓蒙活動の強化に必要な機材として4輪駆動車やコンピューターを提供してほしい旨の希望が寄せられたが、ODAを積極的に投入するには、どこかに倫理的な違和感が残る。

 完全な治療方法が確立していないHIV/AIDSに関しては、現段階では予防教育がやはり基本的な対策であり、ODAはこの本筋の事業に重点を置くべきだ。さらに、女性の人生転落を防ぐには、雇用状況を改善する経済振興こそ抜本的な対策だともいえる。開発支援の社会的波及効果の広さを再認識すべきだ。

幅広い視野で助言を

 ケニア中央医学研究所(KEMRI)が力を入れているHIV/AIDS、急性呼吸器感染症(ARI)、B型肝炎に関する基礎研究は、とりわけ人材育成を通じて、ケニアのみならず周辺国を含む地域の健康・福祉の分野で、将来、大きな進展をもたらす可能性が期待される。日本側の協力は20年近く前の建設に始まり、長期を通じて専門家派遣、研修員受け入れ、実験用施設や機材、試薬の供与など、多岐にわたっている。

 長期の年月を通じた協力は、日本と同研究所、ケニア政府との間の信頼関係の構築に貢献していて、面会した研究所幹部からも「日本の政府、国民とJICAの援助に深く感謝している」との表明があった。今後、公衆衛生教育の普及や検査キットの普及、基礎研究の強化などの重点事業に、さらに支援を求める旨の要請があった。これまでの信頼関係と実績を生かすためにも、支援はできるだけ継続すべきだ。

 一方、特定の研究所に対する協力が長年続いたことにより、支援が一種のマンネリズムに陥ってはならない。研究所の実態に詳しい関係者の間には、研究所の一部の幹部がまったく入れ替わらなかったり、実務能力に疑問符がつくような人物が幹部ポストに就任している状況について、強く懸念する声もあった。大規模の支援を提供する以上、対象事業が効果的に運営されなければ国民の理解は得られない。必要や疑問があれば、研究所の人事や所内管理について意見を提出できるような枠組みを整備すべきだ。

(c) NGO活動支援
<1>オレンジファーム地域開発センター施設拡充(南ア)
<2>プリンセス.ダイアナ.モハウ児童ケア.センター施設整備(南ア)
<3>ガイゼ小学校施設整備(ケニア)
<4>エンブ子供診療所拡張(ケニア)
<5>セーブ・ザ・チルドレン・センター職業訓練校建設(ケニア)


「日本の顔」になる意義

 途上国に「日本の顔の見える援助」を展開するうえで、財政的支援だけでなく人的な支援を強化していくことは、日本外交の大きな課題の一つだ。自衛隊の派遣に憲法上の大きな制約がある以上、日本が人的貢献の場面を増やすには、日本のNGOとの連携強化に優先的に取り組むべきだ。

 女性の自立を支援するオレンジファーム地域開発センター施設(南ア)は、子どもを預かって保育する機能、縫製などの職業を訓練する機能、さらにコンクリート・ブロックを製造する手工業の機能を合わせ持った複合施設であり、日本のNGOがその拡充に関与して当地での「日本の顔」にもなっている。このセンターで製造されるブロックは、米国のNGOが購入して住宅の建設材料に利用しているから、センターの活動は住民の生活水準の向上に何重もの意味で役立っている。

貧しい国に傾斜配分を  プリンセス・ダイアナ・モハウ児童ケア・センター(同)では、現在、地元のNGOが12人のHIV感染児童を収容、保護している。センターの施設は大病院の看護婦寮を改造したもの。収容されている子どもの中には、親をエイズで失い、自分も感染した孤児もいる。HIV陽性と診断された子どもは事実上、完治を期待できる治療法がなく、しかも子どものHIV感染を周囲に隠そうとする親が多いため、冷淡に見捨てられるケースも多い。

 発症した子どもは皮膚や内臓、脳に障害を患ったり、成長が遅れる例が多いうえ、現在の医療水準では完治は困難だ。見通し不透明な長期治療の間、高価な医薬品や高タンパクの食事が必要で、この施設は、いわば“子どもホスピス”の役割を果たしているともいえる。さらに、このセンターの機能としては、若い人たちにこの施設を見学させることでエイズの恐ろしさを学ばせ、予防面で教育効果を挙げる役割もある。

 このセンターに対する支援は、人道、感染症予防の両面で意味が大きい。センター玄関には、日本が支援したことを示すプレートが目立つ場所に設置されていて、センター側の感謝の意図が表れていた。ただ、残念ながら、日本人や日本のNGOはこのセンターの運営には関与していない。

 一方、このセンターは、児童のガン、HIVエイズ患者を対象としたセンターとしてパイロットプロジェクトと位置づけられている。それだけに、入所している子どもは、過去にはフィンランドに養子縁組して移住した例もあり、HIV感染児童としてはごく例外的に恵まれた部類に入る。南ア社会では、もっと恵まれない感染児童らが数多く暮らしているはずであり、センターにのみ現在以上の支援を集中することには矛盾も感じる。さらに、南アの経済はアフリカの他国と比べれば“よりまし”であり、人道支援は南アより厳しい経済状況の国に傾斜配分すべきだとも思われる。

「草の根無償」は柔軟に

 ガイゼ小学校(1-4年生児童計約180人)は、ケニアの首都ナイロビの東北、車で約4時間かかる過疎地域に位置する。当地に定住した日本人の運営するNGO(アフリカ児童教育基金の会、塩尻安夫・ケニア事務所代表)が孤児院の隣に校舎を建設し、教科書の提供などにも協力していて、現地をNGO代表ともに訪問すると、児童らが声を合わせて歌って歓迎し、感謝の気持ちを表した。

 学校側は、今後の課題として<1>児童の増加に伴って不足が予想される教室、教材<2>井戸<3>講堂<4>台所<5>寄宿施設--の寄付や整備を要望している。この小学校の周辺には適当な水源がなく、児童らは自分が必要とする水をペットボトルなどに詰めて持参しているが、この地域で井戸で水を確保するには深さ40-60メートルほど掘る必要があると見込まれ、それには数百万円の費用がかかると予想される。児童の親たちの平均的な収入は、日雇いで一日200円程度であり、井戸を掘る費用を負担するのは不可能だ。

 小学校の建設に要した費用をみると、かなり安上がりに抑えていて、支援の経済効率は高いと評価できる。日本人が運営するNGOが関与している事業であることを鑑みれば、今後の要望にも耳を傾けてよい。

 問題は、日本の支援制度の内容にある。このNGOに対する支援は「草の根無償」の枠組みが利用されたが、この枠組みは、2年続けて同一事業に資金を供与しない例が大半であるうえ、雇用などソフトの部分には資金を充当しにくい仕組みになっているからだ。日本のNGOとの連携を強化するため、制度の柔軟な運用または欠点の改善に、前向きに取り組む必要がある。

娘を失った悲しい経験

 エンブ子供診療所は、ナイロビとガイゼ小学校の中間地点あたりに位置し、塩尻氏運営のNGOが直接運営している。診療所の名には「子供」という2文字が冠されているが、この名は、塩尻氏が1990年、ケニアで9歳の娘をマラリアで亡くしたのをきっかけに、受け取った保険金で診療所を建設しようと思い立った経緯に由来するのであって、診療科目は小児科だけではない。塩尻氏の悲しい経験を教訓に、この診療所では「安く、早く、薬を欠かさない」を目標として、しかも公立病院より患者に親切な対応に努めている。

 支援を受けた同NGOは診察室やレントゲン機器などを整備し、診療機能を充実させて住民の健康・福祉に寄与している。レントゲン機器は安価な中国製を採用するなど、経済効率も評価できる。

 今後の課題としては、同NGOは特に超音波断層撮影機器や医薬品の購入に対する支援を要望している。

 とりわけ日本のNGOが直接運営している人道施設は、現地で「日本の顔」として受け止められる意義が大きい。支援をできるだけ安定的、継続的に供与できるようにしたり、支援額の上限の緩和、補助の申請から決定までの審査期間の短縮などを工夫し、制度の内容や運営をさらに改善すべきだ。

教師確保にも支援を

 ナイロビから川を隔てた隣にあるセーブ・ザ・チルドレン・センターでは、日本人の代表が施設の運営にあたっていて、孤児や路上生活児童ら8歳から14歳までの計30人を保護。公立学校に通わせつつ、織物、陶器、農業などの職業訓練を行っている。中でも、有機農法による日本野菜は和食レストランや現地日本人社会に好評で、収入が運営経費の一部に充てられている。

 同センターでは、草の根無償資金協力の資金を受けて、新しい訓練棟の建設、訓練機材の購入などが実現した。今後、洋裁や紙漉き、木工などの分野でも職業訓練を試みる予定だが、教師の確保などに要する運営費の調達が課題であり、こうした使途も支援の対象にできるよう、“援助の経常化”を招かない範囲で制度の改善を検討すべきだ。

戦略支援の強化必要

【終わりに】

 人道支援の精神は尊いが、供与できる資金は無限ではなく、供与対象の候補に優先順位をつけて選別しなければならない。例えば、南アのように、途上国であっても、周辺各国と比べて豊かな富の蓄積、高い技術水準がある国に対しては、極力、支援は絞り込み、それによって生じた余裕資金を、周辺のもっと貧しい国に振り向けるべきだ。限られた資金の枠内で人道支援の精神を最大限発揮できるよう、資金の分配先を吟味し、効率性を追求する必要がある。

 もっとも、南アはサブサハラアフリカにおける地域大国であり、南アの安定は地域の安定、ひいてはこの地域からさまざまな資源を輸入している日本の国益にもつながる。南アや地域の安定を支えるための難民支援のような例は、「戦略的支援」として進んで取り組むべきだ。

 私見では、地域内に「PKO教育訓練センター」あるいは紛争予防に資する機関・施設を創設するのも一案だ。アフリカで多発している紛争や内戦は、国連安保理でしばしば主要議題になっている。停戦監視、平和維持、難民支援、地雷除去、選挙監視といった活動に人材を供給できる組織を整備できれば、国際社会全体の利益になるはずであり、その整備に日本が協力すれば高度の戦略的意義が見込める。場合によってはカナダなど、他の“PKO先進国”と連携して支援してもよい。

 これまで、日本は援助にあたって「要請主義」を原則の一つとしてきたが、こうした高度に戦略的な支援は、相手国の要請を待つだけではなく、日本が積極的に域内各国に構想を提案したり、場面によっては主導する姿勢も必要だ。もちろん、最終的には受け入れ国の同意が必要なのは当然だが、「要請主義」の再定義または修正を検討すべきだ。

 「草の根無償資金協力」は、NGOとの連携を強化して「顔の見える外交」に資する意味が大きいが、現行制度は改善の余地も大きい。施設や物品中心の制度を見直し、サービス提供なども幅広く支援できるようにすべきだ。支援供与の大半は1事業1回だけという現行の方式を修正し、長期雇用の支援なども可能にできないか、検討すべきだ。また、計画が確実であれば、実績のない新しい事業にも全面支援の道を開いてはどうか。

 ODAに対する国民の理解を得るには、援助の透明性の向上も重要であり、供与実施後の会計報告、検査などの充実が求められる。

 その際、草の根無償資金協力制度を拡充していくと、小規模支援を求めるおびただしい件数の申請が大使館に寄せられるわけで、それに対応する大使館の態勢整備が大きな課題となる。会計の点検だけでなく、受付、審査、供与、事後検査といった事務を大規模、濃密にこなしていくには、大使館の担当者の増員または外部委託などによる態勢強化が不可欠だ。

 現在、アフリカ各国にある大使館の経済協力班は限られた陣容で構成されていて、在南ア大使館を例にとると、2人の経済協力班で、「草の根」だけでも年間1,500件の申請を処理している(このほかレソト、スワジランド、ナミビア、ボツワナも兼轄している)。草の根無償資金協力の案件は国内に広く点在しているから、申請案件が大きく増えると、支援の必要性や効率性、資金消化の透明性などの調査をこなしていけるかどうか、現行の陣容のままでは不安が残る。

 かといって、小規模の支援をするのに多額の事務経費がかかるようでは支援の経済効率の低下を招く。事務負担の軽減を図りつつ、効率と透明性の両立、調和を図る必要もある。

 「草の根無償資金協力」の資金は、できるだけ日本のNGOに重点を置いて分配したい。今後、この制度を強化していくならば、資金の受け手となる日本のNGOも育成しないと「顔の見える援助」の意義を達成できない。日本のNGOの能力や規模を育成するため、国内で人材を教育・訓練する機関を整備していく必要がある。

 「顔の見える援助」は、現地で「援助国・日本」が認識されるだけでなく、貢献の状況が日本国内に伝えられないと国民の満足感は達成されない。

 現地での広報は、マンネリ化している例が多い。口上書交換式、起工式、完成式などのセレモニーを行って地元の報道機関に連絡する方法が大半だ。これでは報道の扱いが大きくなりにくいし、読者や視聴者の関心も盛り上がらない。外務省の報道官部局でも広報のあり方を研究し、各大使館に具体的な改善策を指示する必要がある。

 ある国で、日本のメディアの現地特派員に聞き取り調査したところ、ODA広報の意識を疑わせる実例を紹介された。この特派員は、その国がバレーボールでオリンピック出場を果たしたのに貢献していた日本の体育指導協力を取材しようと、日本人指導者の電話番号をJICA事務所に問い合わせたのだが、「東京のJICA本部に聞いてほしい」といった消極的な対応に直面し、すっかり取材する意欲をなくしたという。確かに、プライバシー保護の問題はあり得るので「本人の了解をとってから連絡する」、あるいは「本人に取材希望を仲介する」といった対応であれば、この特派員も納得できただろう。しかし、「本部の指示がないので教えられない」という姿勢は、日本のメディアを利用して広報しようという意識が希薄であることを意味するのであって、たいへん残念だったという。

 各大使館、JICA事務所は、現地で日本の援助がどれだけ役に立ち、感謝されているのか、できるだけ日本に向かって情報を発信してほしい。それが国民の満足感につながればODA予算への理解、外交力強化に結び付くのだから。

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