2000年5月
南条 俊二
(1) | 目的 | : | 有識者の柔軟かつ客観的な視点を生かし、日本の対ベトナム政府開発援助案件のうち2件を選んで評価するとともに、現在、建設途上にある医療施設、発電所、橋梁などのプロジェクトについても現地を視察、関係者とも意見交換し、さらにベトナム政府の援助受け入れ担当者にもインタビューを行い、援助政策についての総合評価に務め、今後の日本の対ベトナムの効果的、効率的実施に寄与することを目指した。
|
(2) | 対象案件 | : | 日本政府が実施している対ベトナム援助案件のうち、大学施設に対する無償資金協力案件として「カントー大学農学部改善計画」、草の根無償資金協力とJICA開発福祉支援事業を連携させた案件として「フエ市『子どもの家』支援プロジェクト」について、個別評価を実施した。 |
(3) | 評価方法 | : | 現地の運用状況などを視察、関係者へのインタビュー、さらにベトナム側、日本側から入手した資料を総合して、分析、評価した。個別評価では、それぞれの案件について、目標の達成度、効率性、妥当性、自立発展性、インパクトなどを評価し、必要な提言を行った。また、両案件以外の案件の調査結果も含めて、総合的に検討し、政策レベルの評価、提言を行った。 |
(4) | 調査団構成 | : | 南条俊二(読売新聞論説委員) 原田美智雄(外務省経済協力局調査計画課評価室首席事務官) |
(1) | 案件概要
a.事業名 「カントー大学農学部改善計画」 b.事業概略
c.被援助国内体制
d.事業目的など
| |||||||||||||||||||||||||||
(2) | 評価結果
国立総合大学であるカントー大学は、1966年に、アジア有数の穀物地帯であり、ベトナムの農業生産の半分を生産するメコン・デルタの中心都市、カントーに設立された。学部は8つからなり、農学部は68年にこの地域の人々の強い要望を受けて発足し、地域に根差した農業研究・教育の拠点としての役割を果たしてきた。しかし、約30年を経て、施設の老巧化、実験室や研究・教育機材の不足などの問題を抱え、その機能を遂行、発展させるうえで支障がでていた。 本プロジェクトは、このような問題を抜本的に解決し、メコン・デルタ地域のみならず、ベトナムの農業研究・教育の拠点としての機能を将来に向けて発揮できる環境を、施設、機材面から整えることにあった。今回の調査により、本プロジェクトの目的は、概ね達成されていると判断される。 a.プロジェクトの現状 改善計画によって、農学科などの3学科の共同講義棟、実験棟など施設が新設され、美しく、近代的、機能的なキャンパスが形成されている。教員たちもゆとりをもって教育、研究活動ができるようになり、学生達も公表である。各種施設は今も清潔に維持され、外部機関とのセミナーなど広がりをもった活動にも活用されている。 機材も実験、研究用に1万点が贈与された。それまでは、南ベトナム時代の創立当初に日本から寄贈された機材が主体で、老巧化したうえ、時代遅れのものが多く、数量そのものも不足し、将来の農業発展に欠かせない基礎研究などに十分対応できなくなっていた。今回の贈与により、学生達が自分で実験などに機材を使用する機会も増え、教員も突っ込んだ研究ができるようになった。 b.プロジェクトの妥当性 同大学農学部には、8学科合わせて、教職員は約340名、学生は2100人強が在籍しており、毎年の入学者の競争率は30倍に達するという。改善計画によって、これまで講義棟などが広い大学構内にばらばらになっていた農学部の主力3学科が一カ所にまとまり、施設も充実し、研究・教育環境は飛躍的に充実した。 これがメコン・デルタ地域における同大学農学部の名声を高め、入学希望者の増加をもたらす一因となっている、と同学部関係者も評価している。希望者が増えれば、学生の質も高まり、将来のベトナムの農業を支える人材の輩出も期待されている。教員からも、機材の充実によって、肥料や農薬の機能や毒性など、これまでできなかった基礎研究が可能になるなど、高い評価を得ている。 国内の他大学との研究交流セミナーやメコン・デルタ地域の地方行政機関の関係職員の講習なども、施設の充実により、従来よりも大幅にスムースに、活発に行われるようになった。本プロジェクトによる援助は、その目的からみて効果的、効率的なものとなっている、と判断される。 c.発展性・問題点 本プロジェクトに続いて、国際協力事業団による技術協力プロジェクトとして、「農学における環境教育の研究」事業が、99年度から3年間にわたって実施されている。環境分野での専門教育のための機材の整備、人材育成と農業従事者に対する技術移転を目的としており、プロジェクトの運営主体はカントー大学、日本側は東京農工大学を中心とした支援委員会を置いて支援する体制で進んでおり、ハードに続いてのソフトの支援が、ベトナム農業研究をリードする立場にある同大学農学部の自立発展性にも大きく寄与すると期待される。 今回の評価の時点で問題があるとすれば、1万点にも及ぶ供与機材の大部分は有効活用されているものの、若干(全体の2%程度)の機材が、故障したりして活用されていないことである。これに対しては、国際協力事業団が専門家2名を派遣して、詳細に調査し、ベトナム国内で交換部品で交換を調達して修理可能なもの、日本に持ち帰って修理可能なものなどに分類して対応を進めている。 根本的には、大学自身の機材保守・管理能力を高める必要があり、評価時点で、国際協力事業団の業務調整員の指導で、機材管理台帳の整備とそれをもとにした保守・管理体制が整備されつつある。 | |||||||||||||||||||||||||||
(3) | 提言と教訓
|
(1) | 案件概要
a.事業名 「フエ市ストリートチルドレン職業訓練センター等事業」 b.事業概略
c.被援助国内体制
d.事業目的など
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2) | 評価結果
a.目標達成度・妥当性など 「子どもの家」はフエ市の中心部に、同士人民委員会(市役所)が提供した2287平米の敷地に、2階立て600平米、33室の施設。 施設建設は徐々に拡大する形で、まず1階部分はNGO「ベトナムの『子どもの家』を支える会」が日本の支援者から集めた資金で建設、2階部分は、富士宮中央ライオンズクラブ女性の起業家ソロプチニスト京都支部に、草の根無償資金協力、さらにJICA開発福祉支援事業による資金で建設。これと並行する形で、機材の準備も進められた。 ベッド、ミシン、コンピューターなどの機材一式を「草の絵無償資金協力」に協力、さらに「開発福祉支援事業」として児童図書、音楽教育用キーボードの寄贈、さらに日本語kyほうしつ、海外教室などの施設を増築した。 2000年3月1日現在の入居児童は62人、在宅支援児童は24人。これをベトナム人の教員、医師、寮母など職員13人が支えている。施設責任者はフエ市人民委員会から派遣され、運営はフエ市の手で行われている。 「支える会」が1933年8月に自力で「子どもの家」を開設した当初の入居児童数は37人、94年3月に在宅支援を開始当初の児童数は9人であり、支援活動は着実に拡大している。 フエ市には、他にもストリートチルドレンなどのような外部からの財政支援を受けていないこともあり、16歳になるまでしか面倒をみていない。これに対して、「子どもの家」の場合は、子どもたち一人一人に「支える会」のボランティアが里親として資金援助をしており、自立できるまで支援を続けている。現在、大学へ進学している者が1名、採石場に職を得て経済的に自立し、結婚を予定する者もいるなど、大きな効果を上げている。 地元のテレビ局、新聞もたびたび、その活動を報道して、市民の間に浸透しており、市人民委員会も、その活動を高く評価している。 b.発展性・波及効果 入居児童の養育、職能教育に加えて、市内の低所得過程の14歳から17歳の子どもたちを対象として、ミシン(期間1年)、刺繍(期間9ヶ月)、コンピューター(期間5ヶ月)の教室を開設、99年末までにコンピューター教室では300人の卒業生を出しており、全員が就職に成功している。 さらに、99年5月からは、市内の低所得の過程の、能力のある児童を対象に、教員3人で会が、日本語、英語、音楽の教室も始めており、2000年5月からは、市内中学校に本格的な募集をかけるなど、質的身の活動は拡大している。 また、職能教育としては、上級の施設として、JICA支援資金をもとに、市人民委員会が提供する1000平米の用地に、2階建て延べ400平米の職業訓練センターを2000年3月に着工した。運営は「支える会」が担当し、当面は入居者12人、教官4人、寮母1人、バイク修理の技能訓練を実施、今後は木工、刺繍、ミシン、コンピューターにも分野を拡大していく計画である。 一方、「子どもの家」には、地元フエ大学の学生が土日に、子どもたちの指導に、理髪師や僧侶も散髪などに、無償で協力。識字教室では、小学校教師を定年退職した人がボランティアで教えている。昨年秋の水害時には、市民からコメ200キログラムが寄贈されるなど、このプロジェクトを機に、ボランティア活動も育つなど、地域社会の活性化にも貢献している。 c.自立の可能性・問題点 日本のNGOとODAの連携によって、大きな成果を上げている本プロジェクトだが、財政面での自立はきわめて困難と言わざるをえない。それは、ベトナムにおける公共プロジェクトすべてに共通しているが、中央、地方政府の財政力の弱さに起因している。 本プロジェクトにおいても、地方政府―市人民委員会が用地は提供したものの、施設、機材の資金はもちろん、運営費も日本側がすべて負担している。現在のところ、運営費も、ベトナム側で確保できる見通しは立っていない。地元の青年新聞社の一時的な資金援助や、市人民委員会の食料の差し入れなどにとどまっている。 市内にある他の施設は、市人民委員会の予算で運営しているが、収容児童1人当たりの予算は月額1万ドンで、約30万ドンの「子どもの家」の30分の1程度であり、日本側の財政支援がない限り、現在のような質の高い養育、職能訓練を維持できない、という。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3) | 教訓と提言
|
2000年4月
南条 俊二
(1) | ベトナム支援の重要さ
| ||||||||||||||||||||
(2) | 核プロジェクト概観
| ||||||||||||||||||||
(3) | 副次的な効果
| ||||||||||||||||||||
(4) | 支援のあり方・3つの連携
| ||||||||||||||||||||
(5) | 受け入れ国側の問題
| ||||||||||||||||||||
(6) | 日本の顔の見える援助
|