広報・資料 報告書・資料

資料2 事例案件

 

案件名:公衆衛生プロジェクト(プロジェクト方式技術協力)

案件概要:本案件は、1991年9月より5年間の協力期間で実施された。タイ東北部のコンケン県をモデル県とし、農村部及び都市部のスラム地域における保健医療サービスの実態、問題点、疾病構造等を調査し、望ましい保健医療サービスシステムのモデル作りを行うことを目的とした。また、その成果を国家保健計画等の国レベルの政策に反映させることを目的に、プロポーザル作成に対しての支援も併せて実施された。本案件は複数のサブ・プロジェクトで構成され、農村保健、歯科保健、外傷予防、都市保健、医療保険の5つのサブ・プロジェクトが実施された。日本から長期専門家8名、短期専門家27名が派遣され、タイからは16名の研修生が受け入れられ、約1億4000万円相当の機材が供与された。タイ側実施機関は、保健省及びコンケン大学公衆衛生学部。

コンケン大学公衆衛生学部
コンケン大学公衆衛生学部
コンケン県保健局でのヒアリング
コンケン県保健局でのヒアリング


考察:本案件が開始された1991年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「科学技術、観光、基礎的生活分野」があり、この重点分野に基づいて採択されたと思われる。但し、公衆衛生については援助方針の中で特に明記されておらず、当時のプロ技の中では本案件は数少ない社会セクター分野の案件であった。
 案件の直接の効果としては、保健医療サービスシステム構築の一環として行われた保健情報記録方式の導入により、それまで十分に管理されていなかった保健情報システムの整備が進んだ。具体的には、約40村600世帯を対象とした世帯調査が行われ、住民の保健記録票を診療の度に修正して内容を充実させることを可能にした。これによって対象域の世帯全員の病歴が明確になり、病気の背景にある経済社会的な原因も知ることができるようになった。例えば、栄養不良の子供がいた場合、所得が低いことが理由であるにしても、両親が働けないからなのか、あるいは病気になったからなのか等の分析が可能になり、きめ細かい対応を行えるようになった。
 更に案件の波及効果として、上記コンケンの保健情報記録方式を基にしたカルテが周辺地域においても作成されるようになった。モデル地区のコンケンにおいてシステムがとりあえず確立されたことが、地区外における同方式の採用を容易にしたと言える。また、同方式が県及び村の模範的な保健情報システムの例として、全国にも紹介されることになった。
 このような保健インフラの充実に加え、人材育成においてもかなりの成果があった。本案件による人材育成の特色として実践を通した教育が強調され、保健医療従事者を対象として実践的なトレーニングが行われた。そしてそのトレーニングの中から新しいアイデアも生み出され、案件当初の枠を越えるという成果を生んだ。このように、本案件での指導によって実施された保健情報システムの構築及び人材育成等が集積された結果、案件開始当初の予想を超えた成果に繋がったと言える。




案件名:子供の保護のための機材購入計画(草の根無償資金協力)

案件概要:本案件は、1998年度にタイのNGO「児童保護財団」により申請、採択された。同財団は、バンコク市内において虐待された子供達を財団所有の施設で保護するための活動を行っている。本案件によって供与された機材は、施設における子供の移送や緊急時用に必要な車輌、モーターバイク、ロッカー、オフィス機器、洗濯機等で、供与額は約700万円。同財団は虐待児童の保護を行っている団体として全国でも知られており、財団の代表者は現在、上院議員となっている。尚、施設での保護児童の増加に伴い、2002年度に新施設建設を目的として草の根無償への申請が再び同財団よりなされ、採択された。新採択案件については同年10月より資金提供が開始され、現在新施設を建設中。

施設概観
施設概観
施設内教室
施設内教室


付属運動場(新施設建設予定地)
付属運動場(新施設建設予定地)
運動場併設建物
運動場併設建物


考察:本案件は、草の根無償の選定基準(第4章参照)に基づいて採択された。基準の一つである「団体の信頼性」については、団体の知名度が高く代表者が上院議員でもあることから、同基準を十分に満たしていると判断された。本案件については大使館でモニタリングが行われているため、2002年度の再採択の際にはモニタリング結果も参考にされた。
 タイでは虐待児童の被害が増えてきているが、そのような児童への保護対策が遅れており、代表者が議会においてこの問題について言及しても関心を示されないと言う。そのため施設での保護児童数も増えてきており、人数は流動的であるため一定していないが、常時50~60人が生活している。児童の年齢は3~17才で、最近の傾向として年齢は下がってきている。施設での常勤スタッフは10人で、他にボランティアが数人働いている。
 団体の代表者によると、同施設では子供達の出入りが頻繁にあるため運送用の車輌が欠かせないが、本案件により車輌を購入することができ、非常に役立っていると言う。施設の運営はほぼ一般からの寄付で賄っているが、日々の運営状態は厳しく、活動に必須な車輌や機材購入の負担が減り助かっている。しかし、施設では保護された子供達の後遺症・トラウマ等が深刻な問題となっているが、それらを解消することに対しては、施設においても特別な措置が取られていない。よって、機材購入や施設の拡大ばかりでなく、トラウマの克服に焦点を当てた支援も必要であると考えられる。




案件名:東北タイ造林普及計画(プロジェクト方式技術協力と青年海外協力隊員の投入及び無償資金協力の複合スキームによる総合プロジェクト)

案件概要:1992年4月より5年間の協力期間及びその後2年間のフォローアップにて実施された同案件は、環境回復と共に地域住民の生活水準向上に資するため、社会林業施行を通じた地域住民による造林活動を促進することを目的に東北タイを中心に進められた。5年の協力活動の間、13名の長期専門家、33名の短期専門家、8名の青年海外協力隊員が派遣されている。また無償資金協力を通じ4つの苗畑センターを建設しており、合計資金供与額は約30億円である。同プロジェクトを通し2500近い村に7000万本の苗木が配布され、150近い研修プログラムが実施され、6000ha以上のモデル林が造成された。なお、今回の視察では第4苗畑センター(Nakhon Ratchasima)を拠点に1999年12月より開始された第2フェーズ事業を訪問、意見聴取を行っている。

住民に配布する苗木を育成するポット
住民に配布する苗木を育成するポット
本案件フェーズ2での実習模様
本案件フェーズ2での実習模様


考察:当該案件の要請がタイ政府よりなされた1990年の翌年より国家長期造林計画(2020年までの計画期間)が開始されている。森林率向上を企図するタイの方針が閣議決定を通して明確になったこともあり、当該案件はタイの政策と高い整合性を有することが確認される。本案件が採択された1992年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「環境・天然資源の保全及び持続可能な利用」があり、本案件はこの重点分野に則って採択されたと思われる。
 苗木の生産が当初目標の1億本を大幅に超える1億6千万円に至った点から案件実施プロセスは比較的順調であったものと推察される。またカウンターパートが100年前創設という歴史を有する王室林野局であった事は、堅調なプロジェクト運営に大きく貢献したものと考えられる。効果については、「森林」だけを見ていてはいけない、という指摘を関係者から受けた。多くの木は成育するのに数十年はかかるため、一つのフェーズが5年間である我が国案件の終了直後だけを見ていては、効果の評価は難しいのだと言う。




案件名:環境保全基金支援事業(有償資金協力)

案件概要:1993年9月に借款契約が結ばれたこの案件は、タイの環境保全を一元的に推進することを目的として全国の下水処理施設等の環境保全施設設置に必要な資金の供給を主たる目的として設立された環境保全基金に対して資金援助をしている。借款契約の総額は11億2千万円であり、視察を行った2003年1月の時点で総額の8割相当の資金拠出要請がタイ政府よりなされている。借款契約期間は2003年1月で終了予定であったが2件が工事進行中であるため借款期間が1年延長されている。進行中の2件を含め、当該基金を通し実現された案件は最終的には23件になる予定である。尚、今回の視察はSaensuk Municipalityのゴミ処理施設を対象とした。

処理したゴミの廃棄場候補
処理したゴミの廃棄場候補
廃棄場周辺の光景
廃棄場周辺の光景


考察:本案件が採択された1993年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「環境・天然資源の保全及び持続可能な利用」があり、本案件はこの重点分野に則って採択されたと思われる。
 Saensuk Municipality及び周囲の7つのMunicipalityのゴミ処理施設として稼動している点から、地方自治体職員におけるゴミ処理に関わる能力向上及び環境保全に対する意識の向上という点でも寄与しており、重点的に取り上げる事項との整合性が見られる。案件の所在するチョンブリ州は観光業による地域開発に力を入れており、観光業の活発化に伴うゴミ処理問題増大への対応という点からは重点目標である「環境保全」との整合性が見られる。1997年の通貨危機が案件期間中に発生したにも関わらず、借款契約総額の8割相当の資金拠出要請がタイ政府よりなされた点から案件実施プロセスも順調であると言えよう。Saensukのゴミ処理施設はタイ国内において他地方行政組織の注目の的と言われており、見学者も1万人近くに昇るという事実から、長期的には高い援助効果が認められるものと推察される。




案件名:東部タイ農地保全計画(プロジェクト方式技術協力)

案件概要:1993年6月より5年間の協力期間にて実施された同案件は、農地・水保全技術を確立して東部タイ地域における広範な土壌流亡を防止し、持続的な農業生産システム確立に貢献する事を目的に実施されている。5年の協力活動の間、11名の長期専門家、19名の短期専門家が派遣されている。カウンターパートである農業組合省土地開発局より22名を日本にて研修し、1億7千万円程度の機材供与を行っている。第2地方事務所を基点に17のパイロットプロジェクトを展開し、周辺農家への技術伝播を目指していた。パイロットプロジェクトの設置、運営、モニタリングに関わるマニュアルが作成され、全国の出先機関長に配付し、成果の全国の技術官への移転も試みている。尚、今回の視察では第3パイロットプロジェクト(通称CN-4)を視察した。

パイロットプロジェクトのキャッサバ畑
パイロットプロジェクトのキャッサバ畑
当局予算で作った貯水池
当局予算で作った貯水池


考察:本案件が採択された1993年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「環境・天然資源の保全及び持続可能な利用」、「地方開発及び地域開発」があり、本案件はこれらの重点分野に則って採択されたと思われる。
 聴き取り調査では、案件実施の上幾つかの困難が伴った事が判明した。二つ事例を紹介したい。一つは農業普及局等との連携問題である。パイロットプロジェクトに農家が来るだけでは技術伝播は十分ではない。複数の農家をつなぐ普及員の活躍が必要であるが、普及員の所管は別部局ということもあり、現在に至っても課題として残されている。もう一つは、当時の東部臨海工業地帯の開発の進行の影響であった。パイロットプロジェクトは農家の所有地で行う事が多く、工業地帯の開発に伴い、土地価格が急騰し、パイロットプロジェクト候補地が急遽土地所有者の意向により取り止めになるケースがあったという。これら2つの例示は、プロジェクトレベルでの解決が可能であった事項ではなく、政策レベルでの対応が本質的な解決に繋がる可能性のある点を指摘したい。なお、政策レベル評価という観点から効果を見るためには、地域農家の所得向上度合い等を見ることが有効であろう。ただし17のパイロットプロジェクトがプロジェクト終了後はそれら全てが維持されている訳ではないことを踏まえた事後の効果評価が有用と考える。なお、2002年10月タイ政府は土地開発局の定員削減を指示しており、そのため土地開発局はこれまでのように直接農家に必要な農地保全技術等を伝播することが難しくなるという。




案件名 :タイ中部酪農開発計画(プロジェクト方式技術協力)

案件概要 :1993年8月より5年間の協力期間にて実施された同案件は、タイ中部地域の慣行的酪農技術の改善を図り、生乳・乳製品の需要増加に対応した国内生乳生産の増大に寄与する事を目的としていた。長期専門家が11名投入され、2億5千万円相当の機材が供与されている。また30名近くの畜産振興局及び協同組合促進局職員がカウンターパート研修として来日している。プロジェクトにおける技術移転の眼目であった乳牛用人工授精技術は、現在も酪農に関わる在村技術者に一月の研修を通じて実施が継続されている。研修はほぼ毎月行われており、年200人相当が研修を修了している。なお、今回の視察ではプロジェクトが実施されたパトムタニにある畜産振興局事務所及び郊外に位置する人工授精センターを訪問している。

人工授精研修に使用される乳牛
人工授精研修に使用される乳牛
技術移転がされた草地造成の現場
技術移転がされた草地造成の現場


考察:本案件が採択された1993年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「地方開発及び地域開発」があり、本案件はこの重点分野に則って採択されたと思われる。加えて、当該案件実施期間中のタイ側政策である第7次開発計画(1992~1996年)及び第8次開発計画(1997~2001年)では、「酪農振興は国家プロジェクトとして施策の重点」とされている。また1992年より開始された「School Milk Program」とも方向性が符合する。
 カウンターパートは幾つもの技術の移転を受けているが、プロジェクト終了後、技術移転を受けた職員がそれぞれの職場に戻ったため、その後在村技術者に対する総合的な技術研修が十分には行われなかった点が確認された。当時のカウンターパートが二つの部局に跨がっていた点も影響したものと推察される。人工授精技術の移転の効果は大きい。タイ国内の人工授精に使用される精液の8割が同プロジェクトから出されている。また乳牛の頭数もプロジェクト開始以後も順調に伸びている。




案件名:ハイウェイ・セクタープロジェクト(II)(有償資金協力)

案件概要:タイの経済発展による急激な交通量の増加に伴い、対策が必要と指摘された路線の中から特に緊急性が高く経済効果も高い20路線が選択され、そのうち9路線について「ハイウェイ・セクタープロジェクト(1988年度円借款案件)」が実施された。残る11路線のうち9路線はタイ側が自己資金において実施したため、最後の2路線につき、1993年1月に本案件による円借款を決定した。本案件では、タイ東北部・ラオ~タヨム間のIM-7道路及びタイ中部・ワンノイ~タンヤブリ間のIM-14道路の2路線が舗装された。本案件を実施することにより、道路交通網を改善してネットワークを効率化し、地場産業の育成等を図ることを目的とした。円借款での対象は、IM-7道路のアスファルト舗装と表面保護、IM-14道路の拡幅、橋梁新設、ラテライト道路の舗装の外貨分全額と内貨分の一部とし、供与額は9億7300万円。タイ側実施機関は運輸通信省道路局。

IM-14道路。走行する車輌は大型トラックが多い。
IM-14道路。走行する車輌は大型トラックが多い。
道路周辺は草原地帯になっている。
道路周辺は草原地帯になっている。


考察:本案件が採択された1993年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「経済社会基盤整備」があり、本案件はこれに則って採択されたと思われる。タイ第5~7次開発計画にも沿ったものであり、しかも緊急性・経済効果双方とも高い路線として選択されている。
 視察したIM-14道路は交通量が多く、走行車輌はたくさんの荷物を抱えるトラック等の大型車が多い。道路近隣にあるアユタヤ工業団地の活性化も道路の利用度を高めていると考えられる。よって、道路の利用度という面からは相当の効果があったと推察する。
 IM-14道路は視察時の4年前に完成した道路であったが、表面が所々でデコボコ、穴が散見される状態であった。これは、道路の交通量の多さ、トラックと荷物の重さ、速度による結果と考えられる。このように道路事情が良くなった分、皮肉にも過積載車両が特に道路状況劣化を加速化しているものと推測され、タイ政府、特に地方政府には違反車取締の強化等を進める事が期待されよう。また近年は地方分権化も推進されており、保守・維持管理予算を確保することも地方政府の重要な課題になりつつあると考えられる。




案件名:新クルンテープ(ラマ3世)橋建設事業(有償資金協力)

案件概要:本案件によって建設された新クルンテープ橋は、バンコク市内を分断するチャオプラヤ川に架かる橋梁の一つ。現在、チャオプラヤ川に架かる橋は建設中のものも含め18橋あるが、そのうち14橋に円借款が供与されている。これらの橋は、バンコクの交通渋滞を緩和させることを目的に順次建設された。1959年に開通したクルンテープ橋が老朽化により交通量を制限したため、交通の要所となっている同橋に新橋を建設することとなり、1993年、円借款によって新クルンテープ橋を建設することを決定した。同時に、旧クルンテープ橋を軽車輌用として改修する工事も実施された。新クルンテープ橋が起工されたのは1996年、開通は2000年。供与額は総事業費の約39%に当たる25億9300万円で、残りはタイ予算で行われた。タイ側実施機関は運輸省地方部道路局。

新クルンテープ(ラマ3世)橋(手前上)。奥下は旧クルンテープ橋。
新クルンテープ(ラマ3世)橋(手前上)。
奥下は旧クルンテープ橋。
タクシン橋(1982年度円借款)。
交通量が多い。
タクシン橋(1982年度円借款)。
交通量が多い。


考察:本案件が採択された1993年当時の対タイ援助方針には、重点分野に「経済社会基盤整備」があり、本案件はこの重点分野に則って採択されたと思われる。
 橋を建設したことの直接の効果として、交通量による利用度が挙げられる。1991年時の旧クルンテープ橋の一日平均交通量は99,734台、その後交通量は減少傾向にあったが、新クルンテープ橋完成後の2000年の交通量は両橋合計で146,708台、2002年現在は合計で163,606台と増加しており、利用度からみれば相応の効果があったと推察する。
 本案件の視察を通し、交通量だけではなく、様々な角度や指標を用いる事で案件の妥当性や効果を検証する必要のある事が実感された。例えば、交通量に影響を与える人口・雇用機会・GDP、また周囲の橋梁建設、道路整備状況等が挙げられる。




案件名:ラオス国立大学工学部ディプロマ教師学士取得プログラム(第三国専門家派遣) 案件概要:1994年8月に日・タイ間で結ばれた日・タイパートナーシッププログラム(Japan-Thai Partnership Program: JTPP)の枠組みの中で、1999年より日本~ラオス~タイの三国間協力事業という名称の南南協力支援事業を進めている。実施機関であるキングモンクット工科大学(King Mongkut's Institute of Technology, Lankrabang: KMITL)によるラオス大学への第三国専門家の派遣及び研修員受け入れを通し、ラオス国立大学電子工学部及びコンピューター工学部職員の学士号授与を実現している。1971年に設立されたKMITLは、我が国支援により1960年に設立された電信通信技術訓練センターを前身としている。第三国研修は1978年に実施された「電気通信技術コース(3ヶ月コース)」以後25年近く継続されており、様々な国から受け入れた多数の人材育成を通信技術分野において実現している。

我が国供与機材等
我が国供与機材等
KMITLの校舎外観
KMITLの校舎外観


考察:本案件は、対タイ国別援助計画の重点分野の「地域協力支援」に基づいて採択がなされたと見られる。KMITLとJICAの間にある長年の協力関係が安定的及び効率的運用に貢献している。
 KMITLとの面談を通し、我が国援助政策と本案件との関係については明確な理解や認識は示されなかった。またKMITLには本案件とタイ開発計画自体との関連に対する関心も殆ど見られなかった。事業実施の際、タイ側費用負担が多い場合にはタイ政府当局への説明のため、同国国家政策との連関性への理解や認識は深まるのであろうが、本事業ではタイ側による予算化の必要性が小さく、よって前述のような認識を先方が持ったものと推察された。
 通貨危機以後、タイ政府の費用負担割合が削減される局面もあったものの、日本側が不足分を支援する事でプロセス停滞等の問題は避けられていると見られる。効果については、ラオス大学とのKMITLの間で醸成された「タイ~ラオス間の真の友好」という点をKMITLは挙げている。当該事業がきっかけとなってKMITLがラオス大学との関係を深める事が出来た点だけを見たとしても、地域協力を支援するという我が国対タイ援助政策が有効であると推察される。




案件名:国際寄生虫対策アジアセンタープロジェクト(プロジェクト方式技術協力)

案件概要:1997年のデンバー・サミットにおける当時の橋本首相の提唱を受け、戦後日本の寄生虫対策を踏まえ、国際協力による寄生虫対策のネットワークを作ることを目的として、アジア地域の拠点としてタイのマヒドン大学熱帯医学部に国際寄生虫対策アジアセンターが設立された。その後、タイだけではなく周辺国も対象とした人材育成のための研修センター作りを目的として、2000年8月よりプロジェクト方式技術協力として本案件が開始された。タイ側実施機関は保健省及びマヒドン大学熱帯医学部である。本案件では二種類の事業を展開しており、一つはタイ国内において、マラリア対策に関する学校保健を中心としたパイロット活動を2ヶ所において展開している。もう一つは地域協力で、周辺国から研修員を受け入れ、3ヶ月のトレーニング等を実施している。

ラオスでの活動の様子
ラオスでの活動の様子
寄生虫サンプルを見る児童
寄生虫サンプルを見る児童


考察:本案件は、対タイ国別援助計画の重点分野である「社会セクター支援」及び「地域協力支援」に当てはまり、同計画に則った案件であると言える。
 アジアでのマラリア感染は学童期の子供に多く、コミュニティを対象にマラリア予防を指導してもうまく効果が得られない。よって国内のパイロット活動によって、学校の教師に予防を教え、教師を通じて子供に予防を教えるという新しいアプローチを取ることによって、子供からコミュニティへという衛生教育の体制作りが目指された。具体的には、「学童を対象にした学校保健」を実施の方針として教育省に働きかけ、研修のためのカリキュラム作り、学校保健を基盤とした等である。2ヶ所のモデル地区を作り、パイロット活動を行った。これによりタイ教育省が保健教育の教科書の見直しを行うようになり、これは本案件の一つの成果であると考える。
 周辺国との地域協力案件としての成果については、量的な効果としては、現在までに複数回ワークショップが行われ、100人以上の周辺国からの医療従事者等が研修を受けた。質的な効果では、「プロジェクトのコンセプトが理解されたかどうか」という観点において、本案件の「学校保健」というコンセプトが、パイロット地域だけに留まらずそれ以外の国にも広まっている、という効果があったものと考えられる。

このページのトップへ戻る
前のページへ戻る次のページへ進む目次へ戻る