1 日本のODAの軌跡と意義
2024年、日本が1954年にコロンボ・プランに加盟し、アジア諸国に対して技術協力を開始してから、70周年を迎えました。この70年間、戦後間もない時期から高度成長期を経て現在に至るまで、日本の政府開発援助(ODA)は、日本が国際社会の責任あるメンバーとして地域や世界の様々な課題への取組に貢献し、それを通じて、日本自身の平和と繁栄を築いていく上でも大きな役割を果たしてきました。
ODAは、二国間関係の強化や日本の信頼向上、国際場裡(り)での支持といった日本にとって望ましい国際環境の能動的な創出にも資するほか、エネルギー資源および食料の安定供給確保、日本企業の海外展開といった日本経済の安定・成長にも貢献してきました。
70年間で、累計190か国・地域に対して行ってきたODAを通じて日本が培った信頼は、例えば、開発途上国における紙幣や切手のデザインに日本の協力が採用されていることや、東日本大震災や近年の災害にあたって、開発途上国を含む世界の国々より、多くのお見舞いや支援が届けられたことにも表れています。また、日本は、国連加盟国中最多の12回にわたり国連安全保障理事会非常任理事国に選出されていることを始め、国際選挙において、開発途上国を含む世界の国々から多大な支持を得ています。これらは、ODAを含む外交努力を通じて日本が培った信頼のおかげであり、国際社会の日本への期待の高さと言えます。
(1)歩み
日本は、1954年にコロンボ・プラン注1に加盟し、アジア地域の国々に対して、研修員の受入れや専門家の派遣といった技術協力を開始しました。1958年に初の円借款をインドに供与し、1965年に青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)が発足、1968年には無償資金協力(食糧援助)を開始しました。一方で、当時の日本は、同時に先進国や国際機関からの援助の受取国として、鉄鋼、自動車、造船、電力開発、道路等の分野で資金を借り入れており、こうした国際社会の支援が戦後の日本の高度成長の基盤を築きました。
1960年代後半から1970年代にかけて日本の経済力と国際的地位の向上に伴い、日本のODAに対する世界の期待も高まっていきました。1974年にはODAの実施機関である国際協力事業団(現独立行政法人国際協力機構(JICA))が設立され、ODAの実施が本格的に動き出します。70年代後半からは、支援地域もアジア中心から、中東、アフリカ、中南米、大洋州へと広がり注2、1980年代を迎えると、国際機関や国内外のNGOを含む様々なパートナーとの連携強化や、支援分野の多様化がなされ、1989年にはODAの総額で米国を抜き、世界第1位のドナー国になりました。
冷戦の終焉(えん)とグローバル化の進展に伴い、21世紀の新たな開発課題への対応も意識し、1992年にはODAの政策と実施の指針となる政府開発援助(ODA)大綱を初めて策定しました。ODA大綱は、その後の改定を経て2015年に開発協力大綱に発展しました。
2015年以降、持続可能な開発目標(SDGs)が採択され、気候変動に関するパリ協定が発効するなど、国際的な協力を通じて地球規模課題に取り組む動きが進展しました。その一方で、国際社会は分断と対立の様相を一層深めています。こうした中で、価値観の相違を乗り越えて国際社会が協力することの重要性が増していると同時に、開発協力が果たすべき役割はますます重要になっています。さらに、多様なアクターとの連携や新たな資金動員に向けた取組も求められる中、開発協力を一層効果的・戦略的に活用する方向性を示すべく、2023年には8年ぶりに同大綱を改定しました。
1977年から実施されている「今後の開発協力のあり方」についての世論調査注3を見ると、ODAに対する理解は、「積極的に進めるべきだ」および「現在程度でよい」(2023年については79.4%)とする前向きな回答が一貫して6割以上を、2014年以降はほぼ8割を占めています。一方、「なるべく少なくすべきだ」「やめるべきだ」(同16.2%)とする回答も一定数存在します。国際社会の平和と安定、繁栄に貢献し、多くの国との間で信頼関係を構築していくことが、日本自身の国益の増進にもつながることを踏まえ、日本はこれからも、ODAに対する国民の理解と支持を得る努力を続けながら、戦略的・効果的な開発協力を行っていきます。
【事例1】国際社会からの支援を受けた戦後復興の経験
日本は、戦後の荒廃から立ち直り、国を再建・発展させるために、国際社会から多くの支援を受けた。世界銀行からは、50年代には鉄鋼、自動車、造船、ダム建設を含めた電力開発、60年代には、東海道新幹線や東名・名神高速道路など道路・輸送セクター開発のために31件、総額にして約8億6,300万ドルを借り入れ、その後の高度成長の基盤を整備した。日本が最後の借入れを完済したのは1990年であったが、今では世界銀行にとって第2の出資国となっている。
トヨタ自動車株式会社は、日本初の自動車一貫生産工場であった挙母(ころも)工場(現トヨタ本社工場)のトラック・バス用工作機械購入のため、235万ドルの貸出しを受けた。(写真:世界銀行)
関西電力株式会社は戦後の経済復興における深刻な電力不足に対応するため、2,150万ドルの貸出しを受けて黒部川第四発電所を建設し、関西の主要都市への安定した電力供給を通じて、当時の鉄鋼や造船、繊維など主要産業を支えた。(写真:世界銀行)
- 注1 : 1950年に立ち上げられたアジア太平洋地域の国々の経済社会の発展を支援する協力機構。
- 注2 : 図表Ⅱ-2を参照。
- 注3 : 内閣府による「外交に関する世論調査」 https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-gaiko/
