2018年版開発協力白書 日本の国際協力

国際協力の現場から 08

国際機関で活躍する日本人職員の声
~モルディブから国際協力に関心を持つみなさんへのメッセージ~

モルディブにて、コミュニティの女性たちと談笑する野田章子代表(写真:Munshid Mohamed/UNDP Maldives)

モルディブにて、コミュニティの女性たちと談笑する野田章子代表(写真:Munshid Mohamed/UNDP Maldives)

JPOの面接で将来のキャリアについての質問に、「一国の国連常駐調整官になりたいです」と答えてから早22年。現在、モルディブで国連常駐調整官兼国連開発計画(UNDP)代表として任期5年目を迎えています。国連常駐調整官とは、その国で活動する国内外の国連機関の総まとめ役です。仕事の範囲は国連全体の開発5か年計画の指揮、人権に関するアドボカシー(権利擁護)活動、並びに政情分析に基づく予防外交と多岐に及びます。現在まで9か国に勤務しましたが、ここモルディブにおける国連常駐調整官の仕事の醍醐味(だいごみ)は格別です。

私が開発の仕事に関心を持ち始めたのは、大学4年生の時に行ったフィリピンへのダイビング旅行でした。楽しいはずの休暇とは裏腹に、その時に目にしたストリートチルドレンの窮状が痛ましく、そのような不平等な国際社会の改善のために自分は何ができるだろうと問題意識を持ったのがきっかけでした。JPOの面接では大きな夢を言ってみたものの、まさか本当に国連の代表になるとは実は思ってもみませんでした。努力と気力、体力に加え、自分の人生の目標は何なのかをはっきりと思い描くことで、道が開けてきたと思います。

その後、大学院を卒業し、東京にてシンクタンクでの2年弱の勤務を経て、1998年に紛争後のタジキスタンにJPOとして派遣されました。その後、コソボ、旧ユーゴスラビア、ニューヨーク本部の総裁室を経て、混乱が続くコンゴ、地震後のパキスタン、鉱山開発に注目が集まるモンゴル、内戦後のネパールに赴任しました。それぞれの国を発展させていく上での重要な転換期の現場に居合わすことができ、貴重な経験をしてきました。

これらどこの国にも独自の開発課題があり、とるべき戦略や解決策もそれぞれ変わってきます。政府やコミュニティと問題意識を共有し、相手側にオーナーシップをもって課題に取り組んでもらい、持続性をもたせ、柔軟に対応していくことが重要です。

2013年ネパールの制憲議会選挙にて長蛇の列に並び投票を待つ女性たち(写真:野田章子代表)

2013年ネパールの制憲議会選挙にて長蛇の列に並び投票を待つ女性たち(写真:野田章子代表)

今まで数々のプロジェクトに関わってきましたが、最も思い出に残っている仕事は、UNDPの事務所長としてネパールで関わった選挙支援です。2006年11月の和平協定締結以来、UNDPはネパール選挙管理委員会の事務局の能力開発を行ってきましたが、特に2013年の制憲議会選挙に向けて重点的な支援を行いました。毎日のように選挙管理委員長と連絡を取り合い、政治的にセンシティブな支援の要請にも応え、時間的に綱渡りのような際どい状況の中、何とか選挙の当日を迎えました。

選挙の当日は、カトマンズ市内や近郊の投票所を数か所訪れ、投票状況を自らの目で確認しました。きれいに着飾った女性を含む多くの投票者が山道を数時間かけて歩き、投票所で更に2~3時間待ちを経て投票していました。そのような環境なら日本では投票率が一桁になりそうですが、2013年の制憲議会選挙の投票率は約80%と、ネパールの歴史上最も高い結果となりました。まだまだ日の浅い民主主義の権利を遂行しているネパールの人々を見て、大忙しだった選挙前の苦労が実った充実感に浸った一日でした。

開発協力の仕事は大変やりがいがあります。実際には国連をはじめとする国際機関、外務省、NGO、大学などの活躍の場が考えられますし、私のような管理職から専門家、ボランティアなど職種も様々です。やりたいことを明確にし、自分の強みを知ることで、どの機関、どの分野の仕事が自分に合っているのかを見極めると、より楽しく仕事に取り組めると思います。

モルディブ国連常駐調整官兼UNDP常駐代表

野田 章子


※ 将来的に国際機関で正規職員として勤務することを志望する若手日本人を対象に、日本政府が派遣にかかる経費を負担して一定期間(原則2年間)各国際機関に職員として勤務する制度(JPO派遣制度)により派遣される職員。(詳細はJPOに関する外務省ウェブサイトを参照:https://www.mofa-irc.go.jp/jpo/seido.html

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