Special Interview
“ODA評価を考える”
近年、外務省ODA評価では「外交の視点からの評価」の拡充に努めてきた。2015年度からはすべての評価案件に導入している。ODA評価における「外交の視点からの評価」の意義について、また、ODAにおける「国益」をODA評価及び開発協力双方の視点から見た場合、どのような違いがあるのか、評価が目指すべき透明性と説明責任の向上に向けてどのような相乗効果が期待しうるのか等について、4人の専門家に聞いた。
聞き手

外務省ODA評価室
村岡室長

外務省ODA評価室
宮森上席専門官
世界の平和、繁栄、安定(地球益)に寄与し、自国とパートナーの「人間の安全保障」強化に資するODAを!
村岡 「外交の視点からの評価」については、開発協力大綱に言及されています。この大綱をつくる際に、過去の10年間の外務省ODA 評価案件のレビューを行いましたが、廣野先生にはそのときの評価主任を務めていただきました。国民の税金を使って行うODAが外交政策にどのように貢献しているか等、「外交の視点からの評価」に対するお考えをお聞かせください。
廣野
1. 我が国ODAのあり方:「地球益」と「狭義の国益」の増進

廣野 良吉先生
どの国の外交政策も広義の国益を守り推進する政策であると言ってよいでしょう。
まず、「広義の国益」には、世界のすべての国々、人々に共通普遍的な便益、即ち「地球益」と「狭義の国益」が含まれます。我が国は現在、この「地球益」を外交政策に主流化しています。「地球益」を無視しては、いずれの国も国際社会の責任ある一国として世界の人々から信頼され、敬愛されることはありません。「地球益」とは、「恐怖、飢餓、無知からの自由」という国連憲章で採択された理念、即ち国内外の紛争解決、平和構築、貧困撲滅、教育普及や保健振興を通じた「全人類の安全保障」の確保です。その後「地球益」には「自然・地球環境悪化やあらゆる社会的差別からの自由」、即ち環境保全、公正な社会の構築が国際社会の変遷に応じて新たに加わりました。我が国はこれらすべてを「地球益」ととらえて、特に経済・社会・環境・安全面で恵まれていない開発途上諸国の発展・自立へ向けて積極的に取り組んでいます。よって、我が国ODA評価でも、地球益増進の視点からの評価が必須です。
更に、自国の安全・安定、繁栄、自国民の安全保障、国際社会における名誉ある地位の確保、善隣友好関係の維持などに代表される「狭義の国益」の増進と、それを可能にする国際環境の整備も、我が国の外交・ODA政策に課せられたもう一つの重要な責務です。このような狭義の国益の追求は、ODA供与国すべてに共通しています。しかし、狭義の国益に含まれる具体的な内容、範囲、度合いなどは各国多様です。各国の歴史的背景、経済社会構造、支配的な価値観、宗教的な背景などによって異なるだけではなく、各個人や安全保障の優先順位などによっても異なるが故、ODA政策の形成・実施では多様性の尊重が不可欠です。特に、国内外で社会の分断が顕著化している今日の世界では、狭義の国益増進が国際的に合意された透明かつ包摂的なルールに基づいて展開されて、地球益増進に資することが喫緊に求められていると言って過言ではないでしょう。評価もまたしかりです。
2. 日本の強みをもっと生かそう:先進国と途上国との橋渡し役
国際協力政策の形成・運営においては、現在米国の自国ファースト政策、EUの難民政策や中国の一帯一路の推進、ロシアのCIS諸国や周辺諸国を巡る諸問題、中近東地域における紛争の激化を反映して、単に先進国対途上国だけでなく、先進諸国間、新興国・先発途上国と後発途上国、政治体制が異なる国の間でも不協和音が激しくなっています。現在我が国は先進国の一員ですが、明治の近代化過程での不平等通商条約のみならず、戦後の復興過程では被援助国として途上国の痛みを経験しています。更に、近年の経済グローバル化にも拘らず、他の先進諸国に比べると所得格差の度合いも低く、国民の間の社会的分裂・分断・対立傾向も少ないと言って良いでしょう。対立する国際社会では、円滑な国際協力の推進に不可欠な高度な利害調整能力という我が国が持つ稀有な強みを十分生かすことが重要です。一方で欧米諸国に対しては性急かつ杓子定規な原則運用を回避するよう助言し、他方では途上国に対して中長期的視点に立って国際的ルールの合意・遵守を助言するという、欧米先進国と途上国との橋渡しをする重要な役割を担っている自覚が肝要です。
3. 国際協力枠組み構築で日本モデルを:社会の各層能力を動員した「身の丈にあったODA」
我が国は国際協力を推進する上で、自国ファーストを過度に強調するODA供与国、被支援国には、合意された国際協力ルールに従うよう促すことが重要です。自国ファースト自体が問題ではなく、合意された国際協力枠組みを無視することが、国際社会の不安定化と相互不信を招くことを、国際社会に一層喚起すべきです。また、気候変動も手伝って世界各地で深刻で多様な自然災害が頻繁に発生しており、広範かつ迅速で効果的な国際協力体制の構築が要求されています。現在世界の主要なODA供与国では、いずれも膨大な財政赤字を抱えており、経済成長も鈍化していることを考慮して、我が国は、各国民間企業が有する膨大な資金調達力、技術力、管理能力をはじめ、市民社会、大学、研究機関、財団などもODAの重要なパートナーとして、それぞれの比較優位に基づいた役割分担と協力体制を構築し、「身の丈に合った協力」を推進できるよう国内外の条件を整備するという、国際協力における新しい日本モデルを提供し、各国に働きかけることが一層求められています。更に、各国が固有の芸術文化と共に、国民各層がそれぞれ共有しており、国際社会が評価する知識、技能や経験、価値観を国際社会に一層発信していくことで、文化の多様性に富んだ国際協力の枠組みの構築に主導力を発揮することも、文化立国を目指す我が国の重要な外交目標の一つとして位置づけることが重要です。
一番重要なのは、開発の現場でやりがいを持ちながら活躍する人が増えていくこと。
村岡 昨年度外交の視点からの評価の拡充を図り、ガイドラインに落とし込みました。実際アンゴラ調査の評価主任をしていただいた稲田先生のご経験からお気づきの点など、お話をお聞かせください。

稲田 十一先生
稲田 外交の視点からの評価というのは、そもそも国益をどのように定義しているのかがはっきりしないとなかなか評価は難しいです。何が国益かという場合、かなりハイレベルな考慮による国益のとらえ方、中レベルや事業レベルの考慮による国益のとらえ方など様々あります。ODAを行う際の決定プロセスにおける国益のとらえ方というのは多種多様であり、一つ一つ検証して外交の視点から評価するのは、この第三者評価では難しいですね。
村岡 限られた時間とリソースの中で一つ一つ追加的にやっていただくのは難しい…。
稲田 時間的制約だけでなく、何が国益かという根源的な問題もあります。「外交の視点からの評価」といった場合、ODA供与によって日本と相手国との外交的関係が強化されるということも、狭い意味での国益。日本が持てる比較優位のあるリソースで開発途上国の経済社会の改善に貢献していくことを通じて、日本人が国際社会で活躍しやすくすることが長期的な国益なのではないかと思います。
その観点からすれば、日本の強みを生かせて比較優位のあるリソースとは何か。それは広い意味での人材育成なのではと思います。途上国の人たちの人材育成をして、そこに関わる日本人を増やしていく、専門家でも協力隊員でも構わない。途上国で自分自身の生きがいを見い出しながら相手国の人材育成に関わっていくことで、親日的な人たちを増やすことになるし、専門家や若い人の活躍の場にもなる。このような場を増やしていくことが結局長い目で見て日本人がよりよく生きていけることに繋がる国益ではないかと思います。人材育成は時間がかかるが、お金はあまりかからないので実のある活動だと思います。
村岡 途上国からの信頼にも繋がっていく…。
稲田 その通りですね。現場でやりがいを持ちながら活躍する人が増えていくことが一番重要なのではないでしょうか。昨年アンゴラに評価調査で行ったとき、現地中国大使館の担当者と面談の機会がありました。担当者曰く、「日本のODAで評価しているのは人材育成。」「中国人は一つの仕事を数年やるとすぐ別の仕事に行ってしまって長続きしないが、日本の人材育成は非常に息が長くて効果的であり日本の強みだ。」と。日本のODA資金量が限られていく中で、相手側にも評価され、日本人にも生きがいの一つになり、日本の利益にも相手国への貢献にもなる、そこが日本型支援のポイントであり、国益にも繋がっていくのではと思います。
村岡 外交の視点からの評価をする場合、ODAの現場で多くの人たちが活躍し、信頼を得ているということが日本の外交の目的とどうリンクしているかうまく説明できれば、税金としてのODAの使い道として説得力があります。
稲田 税金の効果的な使い道という観点からすれば、日本の専門家派遣や協力隊など金額に見合うだけの効果が本当に出ているかと問われると、そうでないものも正直あるのではと思います。ただ、国益という観点からすれば、良くも悪くも日本人が現地に入って日本人が関わり、そこで日本との接点が生まれ、日本を知る人たちが先方にできて、行ったり来たりしながら、密接な関係を作り上げることは、長い目で見て日本の国益だと思います。
宮森 かつて世界一の援助実績を誇っていた日本のODAにより、多くの専門家や協力隊員が世界中に派遣され、日本の国際化に役立った事実は否定できないと思います。
稲田 その通りです。「ODAは外交のツール」と言いますが、歴史的に見ると、潤沢なODA資金とツールがある種のてこになって外交的影響力の向上に繋がりました。現在、資金供与のインパクトは低下しましたが、質の高いものつくりのノウハウやインフラ整備の技術や調達などの公正な手続きの面で日本が蓄積してきた高い能力は引き続き重要です。ただ、客観的に見て効率的で世界で通用するノウハウでないと長続きしない。世銀の民営化やガバナンス改善ノウハウは、いろいろと批判を受けながらも開発に効果的で必要なものなので、今でも長続きしています。日本もソフト面で競争力のあるノウハウを持って、国際社会に日本人が関与していくことを目指していくべきではないかと思います。
村岡 比較優位のある分野を伸ばしていく…。
稲田 そうですね、そういう分野を強化していくことが必要だと思います。
ODAを行う4つの理由である人道目的、道義的責任、共通利益、自己利益のどれを重視するかは、日本人一人一人の問題。
村岡 ODA評価の世界では、ODAが開発協力からの視点のみならず、その元になる外交などにも視野を広げて評価すべきという現状がありますが、確立した方法論がないので試行錯誤しています。現在、国際開発学会の会長も務められているお立場から、開発協力の視点からの国益に対する考え方など、先生のご意見をお聞かせください。

山形 辰史先生
山形 日本政府が実施するODA評価なので、我々は日本国民の代弁者として評価していることを強く認識しています。2015年に開発協力大綱に「国益」が明記されて以来、ODAの現場では国益をどのように解釈していいのか、かなりの戸惑いがあると感じていました。この戸惑いに対して何らかの材料を提供できないかとの問題意識から、2018年の国際開発学会全国大会で特別セッションを開催し、それをきっかけとして紀谷昌彦・山形辰史『私たちが国際協力する理由』という本を出版しました。
その本の中で「日本のODAは日本人のためになされるべき」という言葉の中の「ために」は、2つ意味があると書きました。一つはon behalf of。日本人のためにその代理人として日本政府が援助するという意味。もう一つは、for the sake of。受益者が誰なのかを示す意味であり、途上国の人々を受益者とした援助のことです。日本人が途上国の人々を受益者としてODAを使う気持ちにどのような種類があるのか考えました。マンチェスター大学のヒューム教授の分類によれば、(1)純粋な人道目的、(2)先進国が植民地宗主国としてかつて途上国にしたことに対する道義的責任、(3)日本が援助することによって途上国が利益を得ることが、まわりまわって日本にも利益をもたらすという共通利益、(4)直接的な自己利益の4つの理由が挙げられます。2000年代は新ミレニアムの期待に胸膨らませた理想主義が充満し、援助供与国の国益を話題にすることさえ非常識とされました。その次の10年は国益に言及しないことが非常識に聞こえるように思え、前の10年の反動がきたのかなと思います。日本人はこの4つの理由のうちどれを重視するのか、それは日本人一人一人の問題であろうということを、この本の中で問いかけました。
村岡 外交の視点から評価するに際し、具体的に何を見たらいいのかが、委託を受けた第三者評価チームとしては一番困っていると思います。その点を我々から問いかけしていくことで外務省内でも対応ができるように努めていきたいと考えます。
山形 国民への広報としてのわかりやすさを追求すれば評価のポジティブな部分が出た方がいいのですが、他方、評価では当然のことながら、ネガティブな点も指摘されます。自分としては、評価において、ポジティブな面も挙げつつ、厳しいことも語るように心がけています。
村岡 我々としては、評価主任の客観的な評価を尊重し、開発協力の実務担当者には評価結果を役立ててもらいたいと考えています。外交の視点からの評価はとても難しい話で外務省の人たちは当事者であり外交のプロでありそんなこと他人に言われる話ではないと思われるかもしれません。ただ、第三者評価をする場合、外交そのものを評価するわけではなく、外交目的にODAがどのように貢献しているかという観点から評価するということを理解してもらうよう、公開されているファクトを検証しながら説得性のあるストーリーが作れないか試行錯誤しています。
山形 一つ一つの援助と、それが受入国の社会経済全体に及ぼす効果はなかなか結びつけにくいものです。
また、一般の方々は、ODAの効果のわかりやすさを求めていると感じます。例えば私は講演会の場などで「そもそも日本がODAをすることによって相手国は感謝してくれているのでしょうか。感謝されているのであれば、続ける意味があるし、感謝されていないのであれば、やっても意味がないのではないでしょうか」といった質問を受けることがあります。この質問に対して「感謝されている」と答えることは簡単です。しかし、他の国も同じ途上国に対して支援をしているわけですから、感謝されているということと、国連の投票等で、日本の立場を支持してくれることは別だということも伝える必要があります。
また強調しておきたいのですが、日本は長い間、プロフェッショナリズムや支援の高い質を日本の特徴として付与しているという矜持をもって、頑張ってきました。しかし、そのような点に関する相手国の認識は、それが続けられなければ簡単に損なわれるものだと思います。「日本は日本企業のためにODAを使っているな」と相手国が思い、その認識が強まっていけば、今まで積み上げた信用がなくなるわけなので、それは避けるべきだと強く感じます。
「外交の視点からの評価」を含む報告書は、 蓄積すると人と組織を育てる力になる。

山谷 清志先生
村岡 外務省では、具体的な検証項目を提示するなど「外交の視点からの評価」の充実に努めています。山谷先生には、平成29年度「外交の視点からの評価」拡充に向けた試行結果調査において有識者検討会の座長を務めていただきました。ODA評価室では、この結果を受けて「ODA評価ガイドライン」(第11版)を改訂しましたが、外交との因果関係を証明するのは難しいなど課題もあり依然試行錯誤を続けています。
宮森 「外交の視点からの評価」を第三者に依頼している国が日本以外にあるのでしょうか?
山谷 他の国はやっていないですね。そもそも、外交政策全般を主管する部局ではなく大臣官房のODA評価室が外交の視点ということをやらざるを得ないところは、組織的な課題として一つあると思います。しかし、今までやってきたという事実がある。「外交の視点からの評価」を含む報告書、これがどんどん増えていくということは、素晴らしい、なにしろ素晴らしい。これらが外務省という組織の中で蓄積していくと相当強い力になるはずです。人が替わっても次の人が容易に理解できる、それがまた外交の継続に貢献できるのでは。
宮森 日本の国内官庁の中で、政策評価を第三者に依頼しているところはあるのでしょうか?
山谷 ないですね。その意味でODA評価はかなり特殊で、そこがまたODA評価の強みでもあります。各省の場合、法律で決まっているのでやるしかなく、なかなか評価のノウハウが蓄積しづらい。他方、ODA評価はかなり外部の専門的な力を借り、また専門家がODA評価室の室長として着任するのでかなりレベルが高く、質のいい報告書ができてくる。その意味でも、並べていくと確かに毎年の報告書は「宝の山」になります。
村岡 並べるにあたり、ある程度筋を通していくことが大切です。「外交の視点からの評価」をするにあたり、情報源を試行錯誤しながら取捨選択していく。初めの頃のとりあえず形だけという時代から、ここ2〜3年はもう少し本腰を入れていて、次の段階に入ったのではないかと思っています。
山谷 おっしゃる通り、次の段階に入っていますね。報告書は、研究者や学者の教育になるし、コンサルタントも育てられる。そういうコンサルタントがたくさんいれば、調査研究評価のレベルも上がる。その意味で、外務省は人を育てています。
村岡 ODA評価にあたり、レーティングの難しさもあります。
山谷 評価という言葉自身が、日本の社会では非常に神経質に受け取られ、皆さん誤解したり反発したり。ただ、英語で書けば単なるevaluationなので何の問題もないのですけれどね。そこのところを皆さんご苦労されるのだと思います。
村岡 我々としては、あくまで価値判断を行う評価者の独立性は犯さないという原則は守りつつ、複眼的な視点でレーティングを含め納得感のある評価となるよう努めたいと思っています。