大洋州

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平成18年度 日本・PIF未来創造高校生交流
派遣事業報告

1)外務省表敬・ブリーフィング

日時:平成18年8月14日(月曜日)14時00分~14時30分

 外務省を表敬訪問し、省内会議室に於いて、アジア大洋州局大洋州課、佐藤正晴調整官より、国際交流研修の心構え、日本のODAについての基本的説明を中心としたブリーフィングを受けた。

2)現地関係者による出迎え

日時:平成18年8月15日(火曜日)1時15分

 フィジー経由、深夜、アピア空港に到着した一行は、空港でIFA手配のスタッフの出迎えに加え、同じ田口高校の卒業生で現在、Yazaki EDS Samoa Ltd.に勤務されている夏目氏の出迎えを受けた。深夜にもかかわらず、空港まで来てくださった先輩に一行は皆感激しながら、ホテルに向かった。

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3)サモア教育省表敬訪問

日時:平成18年8月16日(水曜日)13時00分~13時45分

 午後、サモア側の窓口でもあるSchool Operations, Ministry of Education and Sports, Assistant CEO, Mrs. Lufi TAULEALOを表敬訪問した。TAULEALO女史からは、この交流計画によって両国の理解が益々深まる意義についてお話いただいた。

8月18日(木曜日)10時

Ministry of Education, Sports & Culture のToユomata Alapati To'omata大臣

 ご自分が、高校生の頃には、このような、素晴らしい企画がなかったので、今の高校生が羨ましいと語られながら、(1)サモアの教育システム (2)現在、教育ではどのような面に力を入れているか (3)日本のODAによって、サモアの学校、教育施設が、どのように整備されているか (4)今後、日本からの留学生を大いに歓迎する といったお話をしていただき、高校生たちの質問にも、気軽に応じていただいた。14時Ministry of Foreign Affairs and TradeのAssociate Minister, Vaeo Leonofoafia TAPASU副大臣を表敬訪問した。席上、副大臣からは、日本からのODAが、サモアでは、大学、高校、小学校等の建設整備、漁業関係施設の整備等に多いに役立っており、サモア国民は、日本の貢献に関して十分な理解をしている旨のお話しを頂戴した。その上で、副大臣は、この日本からの恩恵に対して、サモアは、あらゆる、国際会議等の場面で、その一票を日本のために役立てることでお返しをしたいと語られた。

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サモア独立国の元首Malietoa Tanumafili二世のご自宅訪問(8月16日)

 一行はサモア元首を表敬訪問し、全員で95歳の元首にご挨拶をしてお言葉を賜った。この表敬は、Avele Collegeが、同校の創設以来援助を続けてくださっているTanumafili二世のお宅を毎週水曜日に訪問し、お見舞いをしているところ、一行の来訪が折りしも水曜日であったため、校長の特別な配慮で実現したものである。
 元首邸から、各ホストファミリーへ、日本、サモア両国の高校生を一人ひとり見つめながら、ホストファミリーのご家族にもご挨拶をされたが、その暖かく迎えてくださる気持ちが、強く伝わり、皆、安心するとともに大変有り難く感じた。

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4)JICA事務所表敬訪問

日時:平成18年8月17日(木曜日)9時00分~13時50分

 滞在中の2日間でアピア市内でも日本のODAによる学校等の事例を見てきた一行は、JICA事務所を訪問し、具体的にその活動についての話を伺う機会を得た。
 まず、JICAサモア事務所の三村一郎所長からJICAスタッフの方々のご紹介があり、最初に、奥田久春氏からは次の通り、具体的な事例を挙げてご説明いただいた。

  1. サモアの重要課題
  2. 日本のODA事業
  3. サモアに於ける日本の協力(サモア国立大学拡張計画、アピア港拡張、フェリー建造、及び技術協力プロジェクト(太平洋廃棄物管理プロジェクト)草の根無償資金協力、研修事業、ボランティア事業
  4. 日本からのサモアへの援助

 ボランティア事業のコーディネーターをされている松井信晃氏からは、サモア国のボランティア配置図とそれぞれの活動について説明いただき、本年8月1日現在で44名のボランティアが活躍されているのを知り、一同、大きな驚きの表情であった。

 以下、活動現場の訪問

10時、環境省を訪問

 環境教育JOCVの赤崎好近氏から、(1)青年海外協力隊 (2)配属先での具体的な活動内容(ニュースレターの発行、新聞広告、ポスター、パンフレット、冊子の制作、発行、サモアでの環境問題(廃棄物問題、海亀の保護、野鳥の保護、放浪犬問題)について実際のニュースレターなどをいただき説明を受けた。

11時半、職業訓練校

 Don Bosoc Technical Centerで自動車整備を教授しているシニアボランティアの工藤浩文氏の話を伺うために、同校を訪問した。250名の全校男子生徒が、待ち受ける講堂の壇上に案内された一行は、250名の大合唱と、迫力のある踊りで迎えられたが、同校は、直近の南太平洋地区のダンスコンテストで優勝した実力校で、優勝賞金のお陰で、次学期の授業料が全員、無料になったという逸話が紹介された。工藤氏からは、自動車整備の現場を案内していただき職業訓練についての話を伺ったが、就業の斡旋ができないという問題も触れていた。

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15時、廃棄物処理場

 午前中JICAサモア事務所でお会いした三村所長から近年、急激に増加している、廃棄物処理にサモアはいかに取り組んでいるかのご説明があり実際に、アルミ、スチールの缶の処理現場に立ち会った。次に、大洋州廃棄物管理専門家の廣中博見氏から、ゴミ処理の現場にご案内いただき、日本が開発したゴミ処理方式(福岡方式)の実際を見学した。色々な分野で、日本の方々が、サモアのために、一生懸命働いている姿を実際に目の当たりにして、一行にとって大変貴重な体験となった。

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5)Yazaki EDS Samoa Ltd

日時:平成18年8月17日(木曜日)13時30分~14時00分

 工場入り口で、従業員の方々の踊りと歌で歓迎されてから、応接室に入り、大場副社長より会社概要の話をいただいた。1891年にサモア工場が設立され、現在、1,800名のサモア人従業員が働いている。自動車電装品の中で、動脈に相当する回路部のハーネスを組み立てているが、サモアのGDPの8%に相当する生産額であり、サモアに於ける唯一、最大の企業である。全ての製品は、オーストラリア、ニュージーランドに輸出され、そこから、各国の自動車産業に輸出されているとのこと。整然とした、流れ作業の行われる工場内を、田口高校の先輩である、夏目氏の説明を受けながら、見学したが、新入社員のトレーニング、QC等、日本の工場を見学しているのご同様の感であった。

6)スティブンソン博物館

日時:平成18年8月17日(木曜日)13時30分~14時30分

 ホームステイ先のサモア側高校生と日本側高校生、大豆本事務官、IFA野上は、「宝島」等の著者として知られる、Robert Lewis Stevensonが晩年の4年間を過ごした自邸、現在、を訪れ、Avele Collegeの卒業生である、ガイドの女性の説明を受けながら、館内を見学した。

7)House of the Agedという「老人ホーム」訪問

日時:平成18年8月17日(木曜日)14時30分~15時00分

 広大な敷地内に、大きなチャペルを中心とした大変清潔な施設を、マレーシア人のシスターのご案内で見学した。伝統的には大家族制のサモアでは、このような高齢者介護施設は珍しいが、近年、ニュージーランド、オーストラリアへの出稼ぎ、移住者が増えているため、一人暮らしの老人が増えつつあるとの説明を受けた。施設利用費は無料で、約10名の高齢者が、楽しそうに食事をしているのが印象的であった。

8)ホームステイ

訪問日時:平成18年8月15日(火曜日)夕刻~18日(金曜日)朝

 それぞれのホストファミリーは、両親、娘もしくは息子と同行で、ホテルに迎えに見え、通学、帰宅手段の確認、各家庭の所在地確認等を行った後、各ホームステイ宅へと向かった。ホームステイ先の一つに、今回、訪問するAvele College(アベレ高校)の校長のお宅があり、翌日からの学校訪問のスケジュール等も打ち合わせた。

 16日は、朝、学校に集合後、市内視察を行い夕刻、視察を終えると、Avele Collegeの校長から連絡をいただき、一行は、海辺に向かった。そこで、サモアの高校生たちが、校長やその他の先生方と、放課後、準備してくれていた、サモア料理が用意されていて、皆、砂浜で車座になって、美味しい夕食を取りながら、大いに歓談した。最後に、サモア、日本のメンバーが、順番に腕を組んで輪になり、校長の「我々は、一つのファミリーであり、新しいファミリーを日本から送ってくださった神に感謝します」というお祈りで初日の予定は全て終了した。

8月18日
 ホームステイ、そしてサモア滞在も最後の日となった。午前9時、滞在先のホストファミリーの方々に、Kitano Hotelまで連れてきていただき、日本側の高校生と、長沼先生は、荷物をホテルに預け、10時の教育省大臣にお目にかかる準備をした。ホストファミリーの方々からは、サモアの風習として、「色々なお土産を持たせたいが、それを一緒に買いに行ったり、ゆっくり一緒に過ごす時間がない」という、大変有難い「クレーム」を頂戴した。

9)アベル・カレッジ訪問

日時:平成18年8月16日(水曜日)9時00分~15時00分

 全校生徒、教諭の歓迎のコーラスで、ホールに迎えられた。校長から一名ずつ、ご紹介いただき、Avele Collegeのシンボル・カラーである黄色い花の大きなレイを送られた。校長からは、この派遣事業の対象に、同校が選ばれたことへの感謝とともに、新しい家族の一員が、日本から来たと言う形で、この事業の意義が全校生徒に説明され、感謝の祈りと聖書の朗読が行われた。

 日本側の高校生から、各自の自己紹介の後、(1)日本の地理的説明 (2)郷里、設楽町の説明 (3)田口高校の説明を、日本から用意してきた絵、写真、図などを使って大変上手に行い、サモア側高校生も大変興味深く聞き入っていた。その後、文化紹介として、習字のデモンストレーションが行われ、平仮名、漢字のほかに、Avele Collgeの高校生の名前を書いてみせると、会場は大いに沸いた。
 全校集会の後、日本側高校生は、それぞれのクラスに分かれて、クラスのメンバーと歓談し、日本紹介に使用した資料は、日本からの一行の訪問の記念として、同校の図書室に展示された。

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10)お別れパーティー

日時:平成18年8月19日(金曜日)19時00分~21時30分

 ホスト・ファミリー6家庭から30名、政府関係者7名、Avele College7名、JICAならびにJOCVより6名をお招きして、18時から行われる予定であったが、ホストファミリーの方々が揃ったのが、定刻より1時間遅れの19時であった。しかし、JICAの方々も「サモア・タイムですよ、気にしてはいけません」と話され、皆、全く気に掛けていない様子には、日本側は驚きの様子だった。

 会は、外務省、大豆本事務官の挨拶、サモア教育省のTaulealo女史の挨拶に続き、日本側高校生、長沼先生が、浴衣、着物姿で、それぞれ、お礼の挨拶を行った、短い滞在中に習得した「サモア語」を交えての挨拶には、ホストファミリーや政府関係の方々も大喜びであった。Avele College校長、Mrs. Eseraから、「日本から新しいファミリーが来た」というご挨拶と乾杯の御発声を頂戴した後、食事と歓談が進む中、日本側高校生と長沼先生が日本の歌を披露した。その後、ホスト・ファミリーの方々からいただいたサモアの衣装に着替え、サモア側高校生が日本の浴衣に着替えて登場すると、出席者は皆大喜びで、サモアの方々の大好きな歌と踊りが始まり、全員が立ち上がって踊りだす、大変楽しい会となった。

 最後に、サモアの方々が「別れの歌」を合唱する中で、ホスト・ファミリーの家族の皆さんが、整列した日本人高校生、長沼先生、大豆本事務官、IFA野上に一人ずつお別れの挨拶に来られると、会場は、皆、涙を流し別れを惜しんでくださった。特に、逞しいサモアの男子高校生が号泣して別れを惜しむ姿は、非常に感動的で、JICAの方々も「こんなに感動的なお別れ会は珍しいです」と話されていた。

 当初、21時終了予定であった「お別れ会」は22時過ぎに終了し、一行は、明朝、早くに空港へ出発のため、早々に就寝した。

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8月19日
 午前2時30分、ホテルをチェックアウトし、3時にアピア空港に向かった。空港ではAvele CollegeのEsera校長と男子高校生が深夜にもかかわらず見送りに来てくださり、一行は別れの最後まで話が尽きなかった。05時35分発のFJ252便に搭乗し、アピアを出発、フィジーに向かった。

11)経由地、フィジーでの滞在

日時:平成18年8月15日(月曜日)7時00分~22時25分

ナンディ空港到着

 フィジーのミュージシャンの歓迎演奏を聴きながら、入国手続きを済ませ、現地手配を担当してくれたPehic Tours社の多田信慶氏の出迎えを受けて、午後10時過ぎのサモア行きの便までの約15時間、「フィジー体験・視察ツアー」に出発した。

 観光産業と並んで、フィジーのもう一つの大きな産業、砂糖生産のためのサトウキビ畑、運搬用列車(トロッコ)を見ながらフィジー市内へと向かったが、途中、砂糖精製工場、パインチップ集積所、ナンディ港の説明を受けた。ナンディ港では、獲れたての大きな鯵を地元の漁師の方々に見せてもらい、高校生たちは大喜びであった。

ナンディ野菜市場

 現地の人々のための野菜、果物の販売を見学した後、フィジーの民族衣装とも言うべき、「スル」という巻きスカート(男女共着用)風な、大きな布を各自、多田氏から渡され、それを身につけて現地の人々の生活を見学、体験するために、ラゥトカ地区のフィジアンビレッジに向かった。

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フィジアンビレッジ

 歓迎のコーラスで出迎えられ、伝統的なカバの儀式にも臨んだ。最初は、不安げ表情でカバを飲んでいたが、何杯か進められると慣れてきたのか、堂に入った姿だった。タロ芋、ココナッツ、魚等を焼いた石の上で、蒸し焼きにする「ロボ料理作り」を見学した後、料理が出来上がるまで、村の中を案内され、幼稚園、酋長のお宅等を見学しながら、フィジーの伝統的な社会の仕組み等の説明を受け、村人、子どもたちから歓迎の声を掛けられた。村内散策後、出来上がった、ロボ料理をお腹一杯食べ、次に、椰子の葉の編み物(ヘッドバンド)を習う。皆、自分で編んだヘッドバンドをつけて、フィジーの人々の伝統的な生活、歌、踊りを見学した。

JICAのシニアボランティとしてFiji Meteorological Services(フィジー気象台)

 コンピューター関係の仕事をする、奥村氏から気象台の中を案内いただき、日本のODAが、フィジーの人々のためにどのように役立っているかを実際に見せていただいた。その際、気象予報官から、今週一杯のサモアの天気は「大丈夫」との予報をお聞きし、一同大いに安心した。

8月20日

帰路、午前6時35分、ナンディ空港に無事到着。

 全員元気に入国審査を受け、多田氏にまた、出迎えていただき、宿泊先のCapricorn Hotelへ向い、荷物を預けた。

午前9時から「コーラルコースト歴史ツアー」

 最初に、第二次大戦中、日本海軍の艦船を攻撃するために、ニュージーランド軍が構築した、「モミベイ砲台」を見学したが、この砲台は、実際には、日本海軍はソロモン沖に展開したため、一度も使用されなかったという。

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「シンガトカ砂丘」の見学

 この砂丘の手前には、マホガニーの林があり、National Trustとして保護されているが、その先から海までが砂丘が広がり、起伏が大きな、熱い砂の丘を登り降りするのには、高校生たちも悲鳴を上げていた。

 昼食は、フィジーの人口の約43%を占めるインド系住民の自宅兼レストランで、カレー料理を食べた。料理の手伝いも少しさせてもらい、美味しいカレーを食べた後、一行は近くのビーチに散策に行き、元気の良い高校生たちは、海に入った。海水の温度は、暖かかったが、風は冷たく感じられた。

 16時、ビーチを出発して宿泊先のCapricorn Hotelへ向い、チェックイン後、ホテル内で夕食とり、荷物を整理した後、就寝。

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