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アラン・ガルシアペルー共和国大統領 略歴
(His Excellency Mr. Alan GARCIA, President of the Republic of Peru)

平成20年11月現在

1. 氏名

 アラン・ガルシア
 (Alan GARCIA)

2. 生年月日

 1949年5月23日

3. 出生地

 リマ市

4. 学歴

期間 学歴
1970年 ペルー・カトリック大学法学部在学
1970-1971年 国立サン・マルコス大学法学部卒(弁護士)
1972-1974年 マドリード大学法学部博士課程
1974-1977年 ソルボンヌ大学社会学部博士課程

5. 経歴

期間 経歴
1977-1982年 アプラ党組織委員
1978-1979年 憲法制定議会議員
1980-1985年 下院議員
1982-1985年 アプラ党書記長
1985-1990年 大統領
1985年- アプラ党党首
1990-1992年 終身上院議員
2006年6月 大統領選挙決選投票にて当選
2006年7月 大統領就任

6. 家族構成

 ピラール・ノレス夫人との間に一男三女。前妻との間に一女。婚外子あり(男、公表済)。

7.訪日歴

 2008年3月、公式実務訪問賓客として訪日。

8.趣味

 歌(オペラ音楽やクリオーリョ音楽など)。自宅にカラオケセットを持っている。

9.使用言語

 スペイン語

10.横顔

(1)アプラ党創始者のアヤ・デ・ラ・トーレに若くして抜擢され、1978年の制憲議会で政界デビューを果たした。アヤ・デ・ラ・トーレの死後、分裂状態にあったアプラ党を再組織し、1985年には36歳という若さでアプラ党初の大統領となった。

(2)1990年の選挙では、フジモリ氏を支持したが、その後、フジモリ派と物別れした後は、フジモリ政権に対する批判を強め、政府と議会との対立をあおり、1992年のフジモリ大統領(当時)の自主クーデターの一つの要因となったといわれる。自主クーデター後は、コロンビアに政治亡命した(その後フランスに滞在)。

(3)フジモリ政権崩壊後の2001年、帰国し、大統領選に立候補、決選投票に進んだが、僅差でトレド大統領に敗れた。

(4)2006年大統領選挙では、決選投票にて52%強を得票し、当選した。

(5)公立学校時代に、日系人子弟と机を並べた経験から、親日派である。

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