アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ
タルヤ・ハロネン
(Tarja Halonen)
1943年12月24日生
ヘルシンキ
ヘルシンキ大学法学修士
年月 | 職歴等 |
---|---|
1967年~1968年 | 「法律保護」社勤務 |
1969年~1970年 | フィンランド大学学生連合秘書 |
1970年~1974年 | フィンランド労働組合中央連盟所属弁護士 |
1974年~1975年 | 首相国会担当秘書官 |
1977年~1979年 | ヘルシンキ市議会議員 |
1979年~2000年 | 国会議員(社会民主党) |
1987年~1990年 | 社会保健相(ホルケリ内閣) |
1990年~1991年 | 法相(同上) |
1995年~2000年 | 外相(リッポネン第1次・第2次内閣) |
2000年3月年~ | フィンランド大統領(2006年3月再任、任期6年) |
夫(アラヤルヴィ博士)、1女
1993年 家族旅行
絵画、音楽(タンゴ等)、水泳
フィンランド語、スウェーデン語、英語、独語
(1)労働者の町が生活の拠点
ハロネン大統領は、ヘルシンキの労働者地区として知られるカッリオに、建設業に従事する父と母との間に生まれ、大統領に就任するまではこの地区のアパートに居住していた。これは、一貫して労働者の利益を擁護したとして知られる左派系弁護士としての経歴と政治信条・政治活動に大きく影響したと言われている。
(2)未婚の母としての国会初登院
1979年、国会に初当選する数ヶ月前に未婚の母として女児であるアンナを出産。その後も長く結婚することはなく、現在のパートナーであるアラヤルヴィ博士と正式な結婚をしたのは、2000年8月になってから(大統領就任後)である(アンナの父は社民党の国会議員団書記を務めていた男性)。
(3)弱者の擁護者
国会議員当選後の翌年、同性愛者の権利を守る団体の会長に就任したことは、ハロネン大統領の知名度を上げた。国内でも中傷に屈することなく同性愛者を差別から守るため国会内でも尽力し、「少数派・弱者の擁護者」として国民に知られている。