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ペンティ・アラヤルヴィ
(Pentti Arajarvi)
1948年6月2日生
ヘルシンキ
年月 | 学歴等 |
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1967年 | 大学入学資格 |
1972年 | 法学修士 |
1996年 | リセンシアート(準博士) |
2002年 | 法学博士 |
年月 | 職歴等 |
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1972年~1984年 | 教育省勤務 |
1984年~ | 国会勤務(秘書官、参事官) |
1984年~1989年 | 経済委員会 |
1984年~ | 社会保健委員会 |
1986年~1987年 | 教育大臣政務秘書官 |
1996年~1997年 | 生活安全保障に関する1人委員会(社会保健省による任命) |
2000年~2002年 | 国民年金機関(KELA)主任研究員 |
2003年~ | ヨエンスー大学教授(任期2005年迄) |
妻(ハロネン大統領)
2003年11月 「Feel Finland」キャンペーン
バスケットボール、ハイキング、読書(回想録、小説、探偵小説等)、芸術鑑賞
フィンランド語、英語
教育省と国会での勤務を続ける中において博士号を取得した経歴から分かるように、研究者肌の人物として知られている。ハロネン大統領就任後も、社会問題と教育問題の専門家として活動しており、国民の間では「ペナ」の愛称で知られているが、大統領の配偶者として国民の前に現れることは比較的少ない。
1970年代及び80年代には社会民主党より政界入りを試みたが失敗している。しかし、アラヤルヴィの社会問題に関する深い知識は同党にとり財産であると言われている。ハロネン大統領就任により、社会問題に関するアラヤルヴィの発言は重みを増すことになったが、同時に、その立場の故に国内での議論に参加する機会が狭められることにもなった。
ハロネン大統領は、2000年の大統領選挙の際、アラヤルヴィにつき質問され、「非常に独立した人物」と評した。
ラップランドでのハイキングを楽しむ他、バスケットボール・クラブにも所属している。2003年6月、アラヤルヴィはロシアのアルハンゲリスクで開催された国際マラソン大会に出場し完走し、これにはハロネン大統領も同行した。
(著作:「学校法ハンドブック」(1985年)、「欧州とヨーロッパ」共著(1990年)、「学校法ハンドブック」共著(1993年)、「教育の権利」(1994年)、「所得保障の正当性。所得保障関連法令と憲法、基本権、人権及び社会権との関係」博士論文(2002年))