
外務省政策評価アドバイザリー・グループ第二回会合議事概要
1.日時
平成16年2月25日(水曜日)15時02分から17時13分
2.出席者
- (メンバー)
- 添谷芳秀、田所昌幸、廣瀬克哉、福田耕治、武藤博己(敬称略、五十音順)
- (外務省)
- 草賀官房総務課長、山谷考査・政策評価官他
3.次第
(1)第一回会合におけるメンバーよりのご助言とそれに対する外務省の考え方の説明
(2)植澤アフリカ第二課長による対アフリカ外交(TICAD III)の説明
(3)平成15年度評価シートについて
(4)平成16年度政策評価実施計画案について
(5)次期基本計画の改定と政策評価法の見直しについて
4.会合経過
(1)冒頭、草賀課長による挨拶が行われ、次いで、第一回会合におけるメンバーよりのご助言とそれに対する外務省の考え方につき草賀課長より適宜説明した。
(2)植澤アフリカ第二課長より、TICADのプロセスを中心に対アフリカ外交に関する説明がなされた。
(3)対アフリカ外交に関するメンバーよりの発言概要は次の通り。
- アフリカ外交政策を評価する際、何を物差しとするのか非常に難しいというのはよくわかるが、もう少し具体的に把握できる要素に分解していくことが必要である。管理レベルのところに持っていくことをしないと今のアフリカ外交政策はどうかと言われても実に難しいと思う。
- 評価書をまとめていく際に、幾つか大きく括った枠組みの中で更に中期の施策に分けて分類されているが、このレベルを全て同じ体系図の中に揃えていくということではなく、例えば対アフリカ外交の場合には、より上位レベルのところで評価ができる、或いは、評価しやすいということがあり得るだろう。また、別の分野では、もう少し事業レベルに下りたところで資源の配分の適正さといったレベルの評価を重点にするというようなメリハリのつけ方も必要ではないか。
- 評価をもうひとつ操作的にしないと、例えばTICADの話だがアフリカのどの地域のどのようなイシューのどのようなことなのかに関してまで議論しないと、「立派なことだからやったらいい、反対はできないけれども」というようなところに落ち着いてしまい、むしろ言葉のほうが上滑りしてしまうという危険がある。
- 仮に、日本の政策として「知性と良心」をアフリカで言おうとすれば、やはり不正防止、腐敗防止の問題を語らざるを得ないだろうと考える。これはODAの効率性、効果の問題も含めてである。日本が幾ら金を出しても必要な人の所に届きにくいという状況に対し、政治腐敗を改めていくにはどうしたら良いのか、アカウンタビリティーを高めるにはどうしたら良いのか、お金がちゃんと届くためにどうしたら良いのかというシステムの構築というか腐敗を防止するための仕組みを制度設計の中に入れていかなければならない問題である。
一旦、国際機関にお金が移れば、auditの対象からはずれ、例えば日本の会計検査院の手から離れるというふうな形で、つまり国内政策から国際政策或いは国際機関に移った時点でコントロールが非常に難しくなる。トレーサビリティーが維持できないというふうな問題に対し、例えば最近EUではオラフという不正防止局を作り、国内レベルとEUレベルの資金の流れのところを全部チェックしようというふうな流れが出てきている。アフリカに対して援助をやろうと思えば、そういった不正防止に対して如何に不正率を低めていくかということも制度設計に入れていく必要があるのではないか。
(4)次いで、山谷考査・政策評価官より、平成15年度評価シート、平成16年度政策評価実施計画案並びに次期基本計画の改定及び政策評価法の見直しにつき概要を説明した。
(5)対アフリカ外交以外に関するメンバーの発言概要は次の通り。
- 最初の段階で大体大きな枠が作られ、それから各論に入り、グローバル・イシューを更に細かな事業レベルまで下ろしていけば、非常に細かい問題に入り込まざるを得ないかと思う。しかし、それらがリンクしていることを認識しながらも、それぞれのグローバル・イシューの評価ということは可能であり、また、必要であると考える。
- 貧困問題、開発の推進、あるいは紛争解決に取り組む際の枠組みとしてどういう枠組みでやるべきかという点での国際的な共通理解なり認識のシフトみたいなものを実現したかどうかというところで評価できるようなレベルがあると考える。
- 文化はどうやって評価するかという非常に難しい問題がある。文化をやったらどういう効果があったかということをタンジブルな形で出せと言われても、それは大変である。文化は大事なのだからお金をだして当たり前だろうというような言い方をしてしまえば、これはもうぶち壊しであり、これくらいのお金でこれくらいのことをやっていくのだというようなことを丹念に積み上げていくしかない。効果ということを分析的には出せない場合は、やったこと、正にアウトカムというよりもアウプットのほうを丹念に積み重ねていくことで、アウトカムのほうは、ある程度推定してもらうというのも、現実的なやり方であろう。
- アウトカムの評価だが、問題設定の仕方が変わるというのが非常に重要である。これまで世界が注目していなかったものを注目するようになったということは、それだけで物凄い重要な成果である。例えば、その結果エイズの罹患率がどうのこうのというよりは、人々がそれを語るようになったこと、或いはこの問題をパッと出せば皆が振り向くというような、そういう状況が生まれているということを証明できれば、効果の具体的な評価ということに十分なり得る。
- 今年度の評価書を見ると、いずれにしても継続しないということはあり得ない政策が殆どであり、条件の変化、環境の変化、或いは課題が新しくなってくるということにより舵を切っているということは内容としては書いてあるが、その舵の切り方についての評価は必ずしも明確になっていないような印象を持った。
- 見直しが必要と判断するのは担当課であろう。例えば外部から問題が指摘された施策とした場合、あらゆる問題指摘が含まれることとなり、「問題を指摘したじゃないか、どうしてやらないんだ」と言われると困る状況になるので、誰が見直しを必要と考えるかというのは、まずは内部評価なので、こちらに留保しておかないといけないと考える。しかし、それだけだと何か自分の都合だけで判断をし、敢えて評価をしない、フタをしてしまうような、そういう批判を受けた場合に何と答えるかというようなことがちょっと気になる。
- 外交政策は、総務省のほうで想定していたような評価になじむのかという論点が指摘されたが、いろいろ話を聞くと、相当難しいというのがよくわかった。少し重点的に評価を進め、外務省としての評価のノウハウを蓄積して行き、ただ評価をするということに労力を使うのではなく、役立つノウハウを蓄積するために少し重点化をし、外務省での評価のスキルを高めるようなことをやってみても宜しいのではないか。
- 「理念」の上に「基本」が付いている必要が果たしてあるのか、つまりもうちょっと上位の理念があり、各担当課レベルで処理すべき理念というのとはレベルの差があるような気がする。そこの間を相互に調整すべきではないか。
例えば「外交記録公開諮問委員会の設置」は、これは施策というよりも事業である。政策、施策、事業という並びで言うと、手段という言葉は、施策と事業の何か中間的なもの、或いは事業をまとめた括り方のようなところがあるので、このまま施策でこういう書き方をするとちょっと違和感があるという感じを持った。
- 国・地域については、昨年度まで「事業」としていたものを「施策」と捉えると、分野については、昨年度まで手段としていたものを「施策」と捉えるということだが、レベルとしてはそういう政策を少し具体化したという意味ではないか。15年度の書き方で書いた場合に、うまくこのまま落ち着きの良い表現になる場合と、そうでない場合とが出てくる。最初にそれぞれの担当が書く際に、もう一度確認してもらわなければいけない。