平成18年9月
外務省インターンシップ実習生が、実習を通して気になった点や日頃から聞いてみたかった事などについて外務省員にインタビューしました。
今回のインタビュー相手は谷口外務副報道官。
谷口氏は外国プレス向け会見などを行うとともに、日本のPRを担当する広報文化交流部の参事官も務めています。「前職はジャーナリストであったという経歴から、同氏に内外双方の視点から外務省を語っていただきたい」と、外国プレスに対する情報提供等を行っている国際報道官室で約1ヶ月実習を行った竹鼻千尋さん(京都大学総合人間学部3年)が、外務省に入ったいきさつや、日本の情報発信、ブランディングについて聞きました。
昨年春のことですが、ワシントンのブルッキングズ研究所というところにいて、10ヶ月契約の研究員をしていました。そこへ電話があって、取ってみたら「東京の外務省です」と。すぐにさる幹部の方に代わって、外務省へ来ないかというお誘いでした。聞けばなんでも元NHKキャスターの高島外務報道官が、任期を7月で終えられ退任される、と。町村大臣(当時)は「後任」も民間からという意向なのだが、興味はないか、というものでした。
青天の霹靂とはこのことでした。公務員になろうなどと、自分の人生ただの一度も考えてみたことがなかったですから。普通そういう場合、「一晩考えさせて下さい」などと答えるのでしょうが、気がついたら「やらせて下さい」と勢い込んで答えていました。で、それまで働いていた日経BP社を円満退社し、昨年8月外務省に来たわけです。
なぜ来ることにしたのだろう。考えてみますと、20年に及んだ経済記者活動の中で、関心が知らず知らず、国際通貨体制ですとか、政治と経済の境界領域に集中していました。円ドル関係は一見経済現象ですが、背後には国家関係の力学があります。ドル体制を勉強することは、すなわち戦後米国を、いろんな面から研究すること抜きにできないわけですし。
通貨や通商の取材が増えるにつれ、外務省の取材もそこそこ増えていたという事情がありました。もっとも、雑誌(「日経ビジネス」)記者ですからクラブ制度のアウトサイダーで、わたしの場合取材はいつも特定幹部の方に直に、というものでしたが。
34歳の時にアメリカのプリンストン大学へフルブライト奨学金をもらって留学しました。実はわたしの場合英語「開眼」はその時でして。それまでは自信がなくて、海外取材に出かけても通訳を雇ったりしていたんですよ。でもその1年、会話やプレゼンもそうですが、英語の本を読む喜びを覚えましてね。そのうち、海外取材が自分にとっての比較優位と意識するようになり、特派員として3年間過ごしたロンドンでは、日本人というよりアジア人として初めて、外国特派員協会の会長に選ばれたりしました。
それまでもサミットの取材に行ったり、ダボスのような国際会議に招かれたりしていたのですが、どこへ行っても、数ばかり多い日本人の中で手を挙げて発言する人、質問する人は滅多にいません。なんだか意地のようになって、私は「日本人ここにあり」ではないが、せっせと手を挙げていました。「日本の発信力」とかナントカ言うけれど、ジャーナリストだって世界へ出るとろくすっぽプレゼンスが見えやしないじゃないか、なんて、盛んに内心憤っていたものです。企業の人もそうですね。
これは同胞として、見るに忍びなかったし、情けなかった。そのうちどこか自分の中で、「日本として言うべきことはきちんと言わなければならないし、そのためには自分で発信することを躊躇していては何も始まらない」という思いは、やがて確信になりました。こういう素地があったところに、外務省からのオファーが来たのです。それが「飛びついた」理由かな、と思います。
入ってひとつ驚いたことは、「日本の外交はバリュー・ドリブン、つまり、価値によってより多く動かされるようになってきた」という点です。
10年、20年前の日本外交はというと、世界の出来事に対する反応が、まず著しく遅かったのです。しかもその反応を出す前には必ず周囲をきょろきょろ見回してから発言するので、日本の意見があるのかないのかも分からない。日本はどこへ出しても恥ずかしくない民主主義国、市場経済の資本主義国であるにもかかわらず、大元の価値である民主主義だとか、人権、法の支配、市場の尊重などに関しては、とかく口を閉ざす風潮がありました。世界第2位の経済大国で見かけは立派だけれども、日本外交の振る舞いたるや、国民として見て歯がゆかったというのが偽りのないところです。
そんな時代に比べると、ずいぶん変わったなと思います。第一、日本のリアクションは早くなりました。インドネシアやタイを津波が襲ったとき(2004年12月)、日本がいち早く、世界で一番巨額の援助を約束したのなど、そのよい例です。実は意欲もさることながら、予算制度が多少フレキシブルになったのが大きかったのですが、対アジア外交にしても対欧州外交にしても、このごろでは二言目に「民主主義」や「人権」といった価値にまつわる言葉が出てきます。ある種、隔世の感がありますね。
外交の「武器」のなかで、最もわかりやすいものはたぶん軍事力でしょう。ただ日本の場合、言うまでもなく軍事的なハードパワーには憲法上の縛りがあります。自衛隊の国際協力活動は「周辺任務」だったのが、「本来任務」になりました。しかし、「砲艦外交」をやろうというのではないわけで、日本の場合は、国力といわゆる軍事力との間にチャイニーズウォールが截然とある。
2番目に使える日本外交の武器は何かというと、ODAです。しかし、ODAはその定義上、先進国には使えない。では、ODAが使えない相手国に対し、われわれの手元にある「武器」って何なのだろうか。
それは結局、言葉です。「外交とは言葉」なのじゃないか。自分の考えていることを、わかりやすく、かつ強く、言い続けなくてはならないし、土壇場の外交交渉の現場で使われるのは、つまるところ言葉の力です。
では外務省は「言葉を磨く」努力を意識的にやってきたのかというと、これは今やろうとしているという答えになると思います。今まで、日本は「頑張っていれば分かってくれる」という、「オレの背中を見てくれ主義」だったのではないでしょうか。実はこれで通用した時代もありました。アジアと言えば日本、というくらい、世界の関心を自ずと占有できた時代はね。今、グローバルな世界の中で、日本はどのような国なのか、自分で意識的に説明していかなければならない時代になってきています。経済におけるメガ・コンペティション(巨大競争)と同じように、外交におけるメガ・コンペティションの時代になってきているんだと思います。いつごろから、はっきりそうなったのだろう。わかりませんが、ともかくそういう時期に、私は外務省へ入りました。
私はささやかでも、外務省が発信するメッセージを「アーティキュレート(分かり易く)」で「トゥー・ザ・ポイント(的を射た)」にする、いろんなお手伝いができればよいと思っています。幸い、外務大臣などのスピーチ作成過程に関わったりすることで、メッセージを研ぎ澄ましていくお手伝いが少しはできたかな、と。その意味で、記者時代には想像できなかった、深い達成感があります。
ちょっと、「外務省にとってのカスタマー(顧客)は誰なのか」について考えてみます。あえてビジネス界の用語を使いたいと思いますが、日本の外交は必ず支持を必要としていて、支持してくれる人が「カスタマー」です。カスタマーに働きかけるにはどういう経路があるかと言うと、それは「チャンネル」の話になり、大きなチャンネルはメディアです。会社に喩えると、モノを売りたいとき、方法は2つあるわけでね。1つはプレスリリースを出し、メディアに訴えることで、もう1つは広告宣伝をして、一般大衆に訴えかけることです。
これは外務省でもそっくり2つあって、メディアに訴えかけるのが外務報道官組織です。もう1つは、中長期的な顧客の発掘と、既存顧客のロイヤルティー(忠誠心)を維持するための「マーケティング」でして、これをやっているのが広報文化交流部です。広報文化交流部の仕事は、例えばマンガやアニメのファンを発掘して、ひいては日本に対する関心を強くしてもらう、というようなことをするのです。まァ民間企業がやっていることと基本的に同じです。製品をよいものにして、なるべくよい記事を書いてもらい、お客さんをつけるということです。そういう頭の整理を、私は報道官組織と広報文化交流部の両方で、触媒になってやれればいいなと思ってやってきました。
メディアには、日本のこと、政府のことは悪く書くんだということをミッション(使命)にしているところもありますが、あながち非難しにくいのは、政府は常にチェックを受けなければならないので、チェック&バランスの重要な機関としてメディアは大事ですから、メディアが批判することをアプリオリ(先験的)に良くないとは言えないわけです。
日本の外務省として、日本というものに悪いイメージがついたから、もっといいイメージをどうやって作っていくかというのは、まさにマーケティングの世界です。これも「外交は言葉である」という点と関わるのです。「日本」というコトバを聞いて、明るい、よいイメージをもってくれる国とですと、外交はやりやすい訳です。「いやな国だ」と反応する国との間では、なかなかうまく行きません。
つまり「日本」というコトバにどうよいイメージを盛り込み、悪い印象を減らしていくかというのは、結局ブランディングの話になります。けれどもブランドとは一朝一夕にできるものではないので、不断の営々たる努力が必要で、日本のあらゆる資源を動員しないといけません。能や歌舞伎から、マンガ、日本製品、JICAのように汗をかいて頑張っている人たち、更に言うと、日本は自らの醜い恥部と向き合っていくということ、隠さないで、日本にはあまり誇れないところもあるが、そこを自ら正視しているという姿を見せることも必要なんだろうと思います。
ともあれ、日本の外務省は、国益を担って日本のマーケティングをしている組織でもある、そう言ってかまわないと思いますね。
これは、仮にそうだとしても政府だけが悪いという訳ではないでしょう。閉ざされた時期が、かなり長かったのは事実です。「記者クラブ」というものに外国人記者が入れない時期がありました。もっともこれはクラブ自治の問題でしたが。いずれにしろ、15年ほど前に比べると格段な差があります。外務省にも外国のプレスは出入り自由。大臣会見だって、いつ来てくださっても構いません。外務省の幹部に取材したいと言う人には、どうぞご自由に、です。ですから外国メディアに対し閉ざされているということは、事実としてありません。ところがはっきり言って、外国プレスの側に、役所にいちいち細かい取材をしようというマインドがないのもまた事実です。
なぜなら特派員というのは、通常1人とか2人とかしかいません。少ない手勢で、何とか面白い記事を本国のデスクに売ろうと思って働いています。彼らは彼らなりに、「売れる」記事を書こうと懸命なわけで、その彼らにとって、外務省の一挙手一投足が売れるネタになるとは限りません。外務省のやっていることに、外国プレスが普段関心をもたないとしても、やむを得ない面があります。
では、それで放っておいていいのか、となる訳です。積極的に関心をもってもらわないといけません。そのために報道官組織があり、試みの一環が、記者にリラックスして話をしてもらえるための「オープンハウス」であり、また日ごろからの接触なのです。これだけやれば十分ということはなく、やってもやっても終わりのない毎日ですが、考えて見れば企業はどこもみなそれをやっている訳でね。どんなに効果があるか分からなくとも、朝晩コマーシャルをやっているように、外務省や内閣としても、営々とやらなくてはならないのだと思います。
付け加えるなら、これは単独の役所でできる話ではありません。国土交通省が観光客を呼ぼうということで「ビジット・ジャパン」というキャンペーンをしています。日本がアピールできるものはそれ以外にもあって、例えば科学技術もそうですが、そこは外務省には分からない。留学生を沢山呼びたいと言っても、文部科学省の担当で、日本のもっているテクノロジーとなると経済産業省。
今までの日本の弊害は、こういうものが全て、別々にボトムアップで行われていたことです。今やトップダウンで、まずトップに「こうしよう」というイメージがあって、それをそれぞれの役所で作り上げていくというシステムが必要です。これは今までの日本の政府組織には充分にあったとは言えないので、次の課題は首相官邸がトップになって、それぞれの役所がきちんと統一的な日本のブランディングに取り組み、「ニッポン印」というものを世界でブランドにしていくことでしょう。
外務省として更に追求しなければならないのは「チャンネルの多様化」です。どうしても伝統的に、役所は活字メディア偏重でした。ところが、いまやニュースの一次ソースはテレビになり、更にニュースは見ないでブログという人もいて多様化しているため、伝統的なチャンネルだけでは充分な広報ができなくなっています。新しいメディアに、どうやって取り組んでいくかという点が重要です。一番進んでいるのはアメリカで、ブログやポッドキャスティングを取り入れていて、ホワイトハウスの会見室には、確か有名なブロガーが1人入っています。
CBSのダン・ラザーというアンカーマンが、2004年大統領選挙の報道で誤報をして、それがカリフォルニアのブロガーによって暴かれ、ラザー氏は当初「正しい」と主張したのですが結局誤報だったと分かり、謝罪し、最後には降板させられるという一件があったでしょう。ブログの力は、これから誰も無視できない。
その一方、いきなりシステムが「分散開放系」になって、ダン・ラザーより先にブロガーが台頭しそうな国もある。ひとつの候補は中国です。中国では今インターネットが爆発的に普及していて、掲示板が、それを世論と呼ぶならばですが、世論形成の大きな場になっています。このように、チャンネルの多様化という課題は、まるで移動標的を狙って撃ち続けるようなものですね。
これまで日本のブランディングは、「言っているうちに分かってもらえる」というようなところがありました。「ネーション(国家の)・ブランディング」というのはパブリック・ディプロマシー(対市民外交)の中でも新しい分野で、日本も統一的なブランディングはこれからです。
かと言って、そう捨てたものではないと思います。逸話的な話として、フランスの中学生だかの女の子が、「アニメの国ニッポンに行きたい」と言って、日本がどこにあるのか知らずやみくもに東を向いて歩いていると、ボスニア辺りで保護されたという話が、今年の春先でしたっけ、新聞に出てましたね。土屋アンナのショーがパリであると何千人も集まるとか、彼女が主演した「下妻物語」という映画がフランスだと100スクリーンに掛かり、立ち見が出るほどの人気だとか、それから「電車男」がアメリカで試写されたときなんか、クライマックスのシーンで場内総立ち、やんややんやだったとか、こういう話はあるわけです。
他にも例えば「プラモデル」のような世界で日本に対する支持者が沢山いたり、「釣り具」の分野でも日本が世界一であるとか、そういうディープなファンの世界になると、「ニッポン・ブランド」というのは文句なしにありますが、これを充分に生かし切れていないのは勿体ないと思います。マンガの世界も含めて、日本に対して憧れのまなざしをもっている人は、決して少なくありません。エルサルバドルでも、日本語人気が盛り上がっていて、理由を聞いたらやっぱり日本のアニメだというんですから。今、「こんなものが世界で売れるはずがない」と思って作ったものが、意外に売れています。「下妻物語」や「電車男」の監督は外国の観客を意識して作ったはずはないのに、そこに普遍性があったというのは、日本人にしてみても新鮮な驚きであった訳です。ファッションの世界もそうです。
これらは広報文化交流部の仕事で、海外交流審議会という大臣の諮問機関を設け、日本のファン層をどうやって束ねていくかなどを考えています。
一方で、例えば靖国神社参拝など日本に対するネガティブなブランディングというのも、ものすごく大きな影響力をもっています。例えば「レイプ・オブ・ナンキン」について、あれだけのイメージができた後で、写真や記述が間違っていると言っても到底追いつきません。それがブランディングの怖さです。「パーセプション(認識)」を「リアリティー(現実)」にしてしまう。それがブランドというもので、思うにこれは、外交の本質に触れる問題でしょう。
この場合ひとつの方法は「日本は自分の『あばた』も、醜いところも含めて正視できる国なんだ」ということを、出していくということではないかと思います。麻生大臣が就任してすぐに実施したアジアに関するスピーチでは、「日本は過去にいくつも過ちを犯した。そして戦後も、そのナショナリズムの興奮で過ちを犯した」と言っています。
ここで意識している聴衆は、例えば中国です。中国に対して、ナショナリズムを爆発させないで欲しいというメッセージがあるわけです。と同時に、日本国内に対しても言っています。日本人の若者で「中国や韓国が嫌い」という人が、特にアジア大会のサッカーのヤジ以来増えています。テレビでアンケートを取ると、携帯メールを使うという事情が手伝って、一般世論調査より「中国が嫌い」とか、「靖国神社に参拝すべきだ」という意見が強く出ます。おそらくメールでレスをする若者が多いと、そういう傾向が強く出てしまう。日本の中の偏狭なナショナリズムについても、日本はもう大人なんだから、落ち着いた議論をしないといけない、ということを言う必要があるわけで、そこも国内向けメッセージとして、あのスピーチには入っていたと思います。
企業経営では長期的に見ると、過ちを認めて即座にただすという会社がお客さんをつなぎ止めています。日本は「村山談話」以来、アジアでひどいことをしたということを認めてきています。靖国参拝にしても、麻生大臣は、こうすればいいという話をきちんと出しています。靖国参拝について、いろんな意見があります。そこで世界の人に見てもらいたいのは、日本はこの世界から注文がついている問題に関して、様々に自由な議論が交わされているというところ、オープンな社会なんだということです。
外務省というと、一般の方のイメージは、霞ヶ関の中でもおしゃれで色の付いたシャツを着て、美味しいワインを飲んで外国人と喋っている人がたくさんいるところというような、一種華やかなものでしょうか。そのせいで嫌われることもあるのでしょうが、やっている仕事は徹底的に体育会的なものも少なくありません。在外公館の仕事などは、関係が悪い時に会いに行って、雰囲気の悪いなか丁々発止渡り合う事もありますし、もっと極端な例では、防弾チョッキを着ないといけないところで情報を取るのも仕事です。もちろん、それ自体、私には実体験がありませんが、やりがいに満ちた仕事にちがいありません。
国内で言えば、国会開会中は答弁作成で2時、3時まで仕事をしたり、何度も説明に行ったりとか。「サブ」(サブスタンス=実質的な内容)と「ロジ」(ロジスティックス=兵站、つまり支援業務)というのは外務省でよく使う用語ですが、ロジがサブと同じぐらい重要で、「何時何分にどこに着いて」というような、神経を研ぎ澄まさないとやれない仕事も多いんです。その中で情熱を失わずにいられる、あるいは国益とは何かという大局的判断を失わずにいられるというのは、実は並大抵の事ではありません。ややもすると、途中で面倒くさい事は考えるのをやめようとか、ルーチンに追われて本来何をすべきかという原点に立ち返って考えなくなるという事がないとはいえない。そんな時、初心を忘れないというのはとても大事なことだろうと思います。農水省や財務省でなくて、何故外務省なのか、或いは銀行や広告代理店でなくて、何故外務省なのか、というのがあるはずでしょう。
外務省がもし生き生きと日本の国益を追求することができるとすれば、その初心を忘れない集団であってこそだろう、と。これにはマネージメントも大事です。大臣、次官以下、みんなが初心を忘れずに働けるかどうか、風通しよく意思疎通がうまくできて、生き生きと働けるかどうかは、マネージメントの責任が大きいですね、企業と同じことです。
これから入ろうとする人に言いたいのは、初心、つまり「何のために何故」外務省なのか、そこに答えがあるということです。それは「日本のため」なんでしょう。日本の今後を考えたいと思うからこそ、他ではなくて外務省に入りたいということなんでしょう。
私が学生諸君に言うのは、まず必要な資質として「3日間の徹夜に耐えられること」「人のせいにしない(言い訳しない)こと」そして「貧乏暮らしに耐えられること」です。
実は入ってみると分かることですが、外務省って他の省庁と変わりなく、大してリッチではないんですね。キャリアの幹部でも与えられる居住スペースは外から来た私から見て可哀想なぐらい小さいものです、例えばの話。だから、経済的な利得を追求する人には、絶対に入ってきてもらっては困る訳です。つまり、皆さんのように外国暮らしにも抵抗がなく、能力をもっているという人が、たとえばMBAをとって外資系のコンサルティングファーム、インベストメントバンク辺りに行けば、20代後半で年収3000万円くらいになるでしょう。そういう暮らしを求めるのであれば、外務省に入ってはだめです。一生かかっても実現しませんから。「武士は食わねど高楊枝」の世界で、そういうスピリットに共感できる人でないと入ってきてもらっては困ります。
あと必要なのは「セルフ・モチベーション」の強さです。「雑巾がけ」みたいな仕事だって少なくないわけですし、文句を言おうと思ったらきりがありません。そんな中でも、松井やイチローや野茂、それから福原愛ちゃんのように、「環境がどうであろうが、自分は自分で技を磨いて強くなるんだ」という人です。
同時に、愚痴をたれる人がなるべく少ない組織にしないといけない、という意味では、マネージメントが重要です。言い訳を始めたら人生つまらなくなるだけですから、「自分の人生なんだ」「明日は今日よりも面白いことを」と思えるかということです。今の仕事がつまらなくても次がある訳で、日頃から怠らないことが大事です。ということで、まァこのくらいなら誰でも言えますが、実行となると結構難しいです。頭より体力、だったりしますし、良い意味での野心がないといけないものの、野心ばっかりあっても困ります。これから入ってくる人には、一人でも多く、そういう人に入ってきて欲しいと思います。特に女性。
女性は、雇用機会均等法の頃から少しずつ増えてきて、女性の幹部はいまシニア課長級になりました。残念ながら局長はもちろん、審議官・参事官のクラスにも、まだ女性はほとんどいません。あと一息で、このレベルにも女性が出てきます。ということで、女性にとってのロールモデルはまだまだ少ないですが、これから、あらゆる分野で増えていくでしょう。幸い外務省でも、夫婦で勤めている人もいますし、産休制度は手厚いようです。これまで女性は専門職が多かったですが、所謂 I 種にも是非多く入って欲しいです。そして大使とか、次官とかを目指して欲しいです。それが目的という訳ではないのですが、やはり大使は「日本の顔」でね。私としては、早く省員出身の女性大使がいろんな国へ行って、日本の広告塔になるという時代が来て欲しいと強く願っているわけです。