(参加者) 東アジア共同体のことなのですが、中国と韓国と、特に最近仲が悪くて、とても心苦しく思っております。それで、国連安保理改革で拒否権のあり方とか、そういうことも考えたりしているのですが、何より隣圏というか近圏というか、仲良くならなければいけないのではないかと思うのです。それで外務大臣は、そこをどうお考えでしょうか。お聞かせいただきたいと思います。
(参加者) 先ほどの質問にも関連しますが、特に近隣で中国、韓国が非常に仲がよくない状況になっていると思います。そこで、ちょっとお聞きしたいのは、それぞれ駐在大使がいるはずなのですが、日常から駐在大使と現地の人との交渉はどうなっているのか。この辺があまり報道されていないので、そういうところを地道にやって初めて、いろいろな問題が、特に日本的な考えが通じるのではないかと思いますので、その辺をどういうふうに日常、駐在大使が活躍されているのか。それはどういうふうに返ってきているか。
もう一つは、北朝鮮の問題です。人質がまだ入っているのと同じなので、これは日本で人質になれば、すぐ解決するものが出ると思うのですが、まだこれが非常に長引いています。これについても、その後どういうふうになっているのか。2点を。
(参加者) 先ほど中国、韓国などの問題が出ておりましたが、大変親日的な国ということで私も考えているインドが、先ほど国連安保理改革の中でも出てきましたが、インドとの外交政策について、外務大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
(町村外務大臣) 中国、韓国、大変皆さん方、ご心配をしておられることだろうと思います。先ほど谷川副大臣からもお話のとおり、特に両国と関西の結びつきが日本全国を見渡して、福岡のほうも大変結びつきは深いわけですが、特に関西圏の結びつきも大変強い。お仕事の関係、あるいはお友達の関係、いろいろな関係がきっとおありになるのだろうと思っております。
例えば韓国です。圧倒的韓流、韓国ブーム。食べ物からファッションから、テレビドラマから全部、韓国と。今でもそういう状態は続いているのだろうと思います。それが、急にこの2月下旬あたりから、何となく流れが変わってきてしまった。
島根県、これは県が条例を作ることは、これは県の独自の権限だから、我々政府はどうしようもないのですが、島根県が「竹島の日」という条例を制定するというあたりから、急に韓国政府、それもトップリーダーの反応が厳しいものになってきました。我々は率直に言って、これはどうなっているのだろうかと。それは竹島問題について、日韓で意見の違いがもともとあるわけですし、かつ、この問題をお互いに他の政治問題に波及させないようにしようと言っていたにもかかわらず、急にこうなってしまう。率直に言って、とまどいを覚え、それがいまだに続いているという感じがあります。
これには、それぞれの国の言い分があるわけでしょう。これは中国もそうですし、韓国もそうですが、小泉総理の靖国参拝をはじめとして、歴史認識問題、あるいは教科書問題等々の主張があります。それぞれ耳を傾けなければならないところもあるし、他方、日本側がちゃんと主張しなければならないところもあるのですが。
私は、例えば韓国というのは、特にここ40年前に日韓国交正常化して以降、非常に日韓関係はよい状態が続いてきたということで、基調は、日韓関係は、今一時期ちょっとがたついておりますが、いずれ正常化しうる余地が十二分にあると思っておりますし、そのための努力もしております。先般、小泉総理が訪韓されました。確かに意見の違いはありました。私も陪席しておりまして、日韓それぞれの首脳が、決して同じ意見ではないこともありましたが、しかし、意見が違うからこそ、率直な話し合いをトップリーダーどうしがやって、そして、少しでも共通点がある。意見の違いがあっても、相手の主張が何か分かるということが大切なのだろうと思っております。年末、今年の後半には、盧武鉉大統領が訪日されるということになりました。そういう意味で、私は日韓、いろいろな問題がありますけれども、これを克服していかなければいけないと思います。
同じように、日中間にも、確かに靖国神社参拝、歴史認識の問題などあるわけですが、今や、皆さん、日本と中国の貿易量は、日本とアメリカの貿易量を超えるほど日中の結びつきのほうが大きくなっているという実態もあるわけです。あるいは、人の往来も非常に増えてきております。中国から日本に来ている留学生の数だけをとっても、もう5万人以上と大変な数です。そういう人の往来、経済の往来がこれだけ活発化しておりますから、日中関係も、基本的には私はこれからよい関係になっていくだろうと思います。
ただ、今色々意見が異なるテーマが出ているのも事実です。ちょうど東シナ海における石油・天然ガスの開発、鉱区の設定といった問題など、当面意見が違うような懸案があります。しかし、例えば4月、毎週末のようにデモがあった。その最中、4月17日に私は北京にまいりました。いわば北京市内戒厳令ではあるまいかというほど、私の行く先々全部10mおきにおまわりさんが立って、一切不穏な動きがないようにということで、私は北京市内を全部ノンストップで移動することができましたが、そこで中国の外交部長と4時間以上、これも極めて率直な話し合いをいたしました。
その後、また中国の外交部長が京都に5月に来られまして、そこでまた中国の外交部長とも話し合いをしました。そういうことを通じて、あるいは小泉総理が4月下旬、インドネシアで胡錦濤国家主席とも話し合いをするということで、一時的に緊張するようなことはありますが、これはやはり我々の努力で日中関係も改善していかなければいけないと思います。
大使がどんなことを今やっているのか。もちろん、外交、先方の外務省といろいろな話し合いをする。あるいは、先方の政府高官、あるいは国会議員と話し合いをするということ。それと同時に、最近は日本の大使が、これは韓国、中国のみならず、世界中でそうですが、いろいろなところへ行って、例えばライオンズクラブや学校であるとか、そういうところへ行ってスピーチをする。あるいは、こういう形でディスカッションをすることを、大いに大使諸君にやってもらっております。そんな形で一般の人々との交流も、大使自ら率先してやるという努力を積み重ねているところであり、決して大使の部屋でふんぞり返って寝ているわけではありませんので、ひとつご安心をしていただきたいと思います。
北朝鮮の問題、拉致の問題もありますし、なかなか容易ではございません。昨年の年末、先方から送られてきた横田めぐみさんの遺骨といわれるものを鑑定した結果、これはDNA鑑定で別人のDNAが混入していると。我々も、正直言って衝撃を受けました。何で偽の骨を送ってくるのだろうか。そのことに対して、私どもは偽だということを先方に伝え、誠実な対応を求めているわけですが、正直言って、そのあたりから、少なくとも表面上の外交的なやりとりが全くできない状態が今日続いております。横田さんご夫妻はじめ、ご家族の皆さんがたが先般、議員会館の前で炎天下座り込んでおられる姿を拝見し、また、それらのかたがたと一昨日、私はお目にかかりまして、本当に胸がかきむしられるような、本当に胸がつまるような思いがいたしました。
こういう年老いたお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちの気持ちに対して、一刻も早く拉致の問題を解決したい。しかし、なかなか先方は応じてくる気配がありません。7月の下旬に六者会合が再開されると、1年1か月ぶりに開催されます。そこで、私どもは拉致の問題をテーマに取り上げることにしておりますし、また、その場で日本と北朝鮮の2国間の話し合いも可能だと思っております。まだ先方が応じるということは言ってきておりませんが、私は、六者会合が再開されると、そういうチャンスができてくると思います。そんな場面を通じて最大限の努力をして、一刻も早くこの問題を解決したいと思っております。
インドの話がありました。インドは急速に発展を遂げつつある。しかも、世界最大の民主主義国家。要するに、投票する人の数が、国単位で見たときに、いちばん多いのがインドなのです。しかも、あの国は、やはり英語を使えるという特異な点があるものですから、例えばコンピュータのソフトウェアとか、そういう先端科学技術関係に、非常に長けております。そのようなことで、今インドも新たな発展を遂げております。日本とインドの関係は、終戦直後に象を贈ってくれたのです。インディラさんといったか、あのゾウのおかげで、いかばかりか日本人がインドが好きになったか。その後はパンダもありますが、動物の役割というのは大きいなと思います。今、インドに対しては世界中の国が注目しております。そういう意味で、日本も、小泉総理も先日行かれましたし、森総理も行かれましたし、インドとの関係をより密接にしていく努力を、これから一生懸命やっていきたいと思っているところです。
(谷川外務副大臣) そうですね。やはりいちばん近いのは、皆さんがたからもご質問がありましたが、中国と韓国だと思います。隣組は、やはり基本的には仲良くせざるをえないのです。また、しなければいけない。今までわりによかったのです。ところが、ここ半年ほど急におかしくなっているという状況だと思うのです。しかし、今までずっとわりに仲良くやってきましたから、これはこの一時期を過ごすと、また仲良くやれるのかなと思っていますし、こればかりは、日本がどこかへ行くというわけにはいかないでしょう。中国ちょっと横へ行ってくれというわけにはいかないし、隣組は永久に隣組ですから、その辺のところは、やはり真剣にお互いに話し合いをしなければいけないと思っております。
(参加者) 2点お尋ねしたいと思います。先ほどの中国の問題に少し関連して、戻って申し訳ございませんが、中国と日本は1000年を超える長い交流の歴史があるわけですが、そういった今日までの信頼が、残念ながら相互不信の状態に現在なってしまっているわけです。日本には、中国からたくさんのかたが昔は留学に来ていた時代がありました。それから、日本もまた中国の文化をたくさん、『論語』、『大学』、『中庸』といったものを取り入れて、21世紀の今日の日本の文化ができたと思うわけです。ですから、それによって周恩来さんや蒋介石さんなどが、日本へ留学に来ていた時代がありました。今、外務大臣が、中国が今2万人日本と交流しているとおっしゃいましたが、当時1万人の人が日本に留学に来ていたと私は聞いております。どうしてこういう残念なことに。それにかかわらず、まだ日本は物心両面にわたって、中国に対して非常な恩返しをしている状態の中で、こういう現在があるということは、非常に残念なことだと私は考えるわけです。
この辺のところを、先ほど外務大臣が、中国の外務大臣とお話しされた中で、喧々諤々ではなく、いろいろな歴史がありますよと、日本と中国はもともとお友達ですよと。今副大臣がおっしゃられるように、近隣どうしですよと。もっと胸襟を開いて話をしましょうと、こう言っていただきたいなと思います。
(参加者) まず第1に、日本が国連常任理事国に入ることによって、国益が実現されることを挙げられておりましたが、その具体的な例として2~3あればお話しいただきたいです。
例えば国際社会での日本の地位の向上であるとか発言力があると思うのですが、もっと具体的にあれば教えていただきたいです。
それから2点めは、あるメディアでは、国連改革について外務省は非常にやる気があるけれども、でも、小泉さんを見ているように、郵政のほうがずっと優先していて、国連改革は二の次、三の次という態度があることを指摘されていますけれども、外務省とほかの政府機関の連携はどういうふうになっているのでしょうか。お願いいたします。
(参加者) 今年度当初は、だいぶん国連の安保理に日本が入るということについて、楽観的な見方が多かったと思うのですが、96年、97年のラザリ提案のときのように、具体的な国名が入ってきたとともに、急に雲行きが怪しくなってきたと思うのです。もし今回、日本が常任理事国に入れなかった場合、今後日本は国連とどのように付き合っていくのかということを、まずお伺いしたいと思います。
そして、アジア外交についてなのですが、日本のアジア外交は、だいぶん中国と韓国、あと少し東南アジアということで、アジア全体から見るとごくわずかな地域なのに、中国と韓国の外交に占めるウエイトが多すぎるように思います。
そして、日本は中国、韓国によって、靖国神社参拝問題によって、だいぶん外交の材料として攻撃されておりますが、日本が第二次大戦のときに侵略した東南アジアなど、その他の国々については、靖国神社参拝についてはどのように考えているのか、伺いたいと思います。
(参加者) 東アジア共同体についてお伺いしたいのですが、まず、東アジアといったときに、ニュージーランド、オーストラリアを含める意義をお伺いしたいと思います。
2点めは、FTAなのですが、現在はやりのように、FTA交渉が進んでいる国も十数か国ぐらいあるとは思うのですが、自由貿易といった場合に、貿易を自由にしようと思ったら、情報とか人の流れとか、そういったもの、いろいろなものを含めて自由になると思うのです。それはある程度のリスクも伴うと思うのですが、現在交渉中の国すべてと締結してしまった場合、何十年後かに関して、どのようにお考えなのか、お伺いしたいです。
(町村大臣) 中国との関係。よく中国の人と話すと、「歴史を鏡とし」ということを必ず言うのです。彼らの言う「歴史を鏡とし」というのは、第二次大戦中の歴史のことだけを言うのです。それは私は、違うでしょうといつも申し上げます。今まさにお話しがあった、長い長い1000年を超える平和と友好の歴史があった。それはたまには元寇ですか、そのようなときもあったかもしれない。しかし、基本的には友好の歴史がずっと続いていた。人の往来もあった。その友好の歴史に学ぶことが大切なのだということを、私はいつも申し上げております。
特に青少年の交流ということで、今、日中共同作業計画というのを作っており、その中で例えば年末ぐらいまでには、特に青少年の交流をはじめとする日中間の交流を活発化するための日中交流基金といったものを作って、それでお互いの青年が行き来をして、よりお互いにお互いを理解できるような仕組みを作ろうではないかという工夫を、今それぞれ話し合って実現に向けて努力しているところです。
常任理事国になった場合の国益は何か。まことに、よいご質問だと思います。例えば今年から2年間、日本は非常任理事国に選ばれており、今年と来年は、そういう意味では安保理が、外務省にとっても大変身近な国際的な会議の場になっています。
例えば、とりあえずどういうよいことがあるかというと、入ってくる情報量が格段に違うのです。日本という国は、諸外国のように、CIAなどの機関を持っておりません。しかも、日本は専守防衛の国ですから、よその国から、あるいは世界の動きの情報があることが決定的に必要なのです。やはり常任理事国、あるいは非常任理事国でもいいのですが、そこから入ってくる情報量が飛躍的に増える。したがって、その増えた情報量に基づいて、的確な判断がしやすくなる。
例えばアフリカのスーダンで起きていることとか、大使館はあるけれども、分からないこともあります。しかし、そういう場におりますと、非常任理事国にいると、否が応でもいろいろな国々が情報を持ち寄ってきますから、そこで日本が例えばスーダンの情勢にいかに的確に対処したらいいのかということが判断できるということになります。
それから、日本は核を持っていない国です。今の常任理事国は5か国全部核保有国です。私は、核を持っていない国としての日本、先ほど申し上げた、日本は平和を愛好し、また平和を作り上げるために、これまでも努力してきた。そうした平和創造努力が安保理の常任理事国になると、より一層そういう活動を積極的にしやすくなる。これは、私は間違いなく日本の国益にかなっていることだと思っておりまして、そういう意味で、私は常任理事国入りすることのメリットは、大変大きいと思っております。
そういうことですから、小泉さんもやる気十分でありまして、もちろん、郵政にも熱心ですが、そもそも昨年の9月、小泉さんが国連総会で常任理事国としての役割と責任を果たす意思があることを表明してから、一連の日本としての活動が公に始まったわけです。今日に至るも、その小泉さんの意欲は全く変わっていないということは、総理の身近にいる私から自信を持って、お話をすることができると思います。
少し楽観的に見すぎていたのではないかという話がありました。谷川さんも参議院、私も衆議院、選挙に楽観は禁物ですし、楽観的な気持ちを持った瞬間に選挙は落ちます。したがって、一度として簡単になれるというふうに思ったことはありません。まして、常任理事国になることについて、よその国が、そんなにすばらしい、すばらしいとは、もともと言ってくれないのです。どっちかというと、大部分の国にとっては、本当は影響があるけれども、どの国が常任理事国かというのは、あまり直接関係がないと思いがちなのです。それよりは、非常任理事国の枠が増えて、その結果、自分が非常任理事国に当選する可能性が、20年に1回だったものが、10年に1回になるほうが、それらの国にとっては、ある意味では働くチャンスがあります。ですから、常任理事国入りというのは、もともとそんなにポピュラーなテーマではないのだというところから始まっていますから、もとより、そんな楽観的なことを考えられる状況は一度としてなかったかなと思っております。ですから、そんなに楽観的に思っておりません。
もし失敗したらどうかといわれるのですが、今、私ども100メートル競走の80メートルぐらいのところに来て一生懸命走っているものですから、「お前、1等になれなかったらどうするんだ」と言われても、今80メートル一生懸命走っているんだから、1等になれるか、2等になるか、6着になるかは、結果を見てからよく考えることにします。でも、さっき言ったように、国連の重要な役割は、これは日本が常任理事国に仮になれなくても、変わるものではありませんので、私どもがこれからもしっかりと国連を支え、国連と共に歩んでいく必要があると考えております。
あと、東南アジアの国々が靖国問題をどう考えているか。それはいろいろな見方はあります。もうそれは過去の話だと、そんなこといつまでもかかわりを持っていても、しょうがないという国もあります。また、ある国の閣僚は、やはり靖国参拝反対だと、東南アジアの国の閣僚でも、そういう方もいらっしゃいました。そういう意味で、国により、人によりさまざまですが、中国、韓国ほど強烈に靖国参拝反対と、国を挙げて声高に言っている東南アジアの国々は、私はないと思っております。ただ、一人一人をとると、「実は、町村さん、私のおばさん、あるいはおじさんは、日本軍に殺されたのですよ。したがって、戦争の記憶、経験というのは、自分たちも持っています。しかし、いつまでもそれを私どもは言うつもりはありません。もう60年たちました。日本とはいいお付き合いをしておりますから」と。
ですから、やはり我々は常に、そういう気持ちでいる方々が、アジアの国々にはいるのだということを、常に頭のどこかに置いて、謙虚な姿勢で話し合いをし、お付き合いをしないと、「もう60年たったのだから、全部過去のことだよ」と言って、過ぎ去ったことだというような態度は、やはりとるべきではないと。被害を受けた方々のお気持ち、足を踏んだ国は忘れるけれども、足を踏まれた国の痛みというものは、より大きく残っているのだ。そういう思いは、やはり我々は常に持ち続けなければいけないと思っております。
(谷川副大臣) 東アジア共同体に、なぜオーストラリア、ニュージーランドを入れるのかというご質問がありましたが、これは東アジア、特にシンガポールだとかマレーシアだとか、インドネシア、あの辺の国々は、オーストラリアとニュージーランドと非常にお付き合いがあるわけです。それと太平洋に面しているということもあり、未来の共同体を作るというときには、やはりニュージーランド、オーストラリアも視野の中に入れておく必要があるというふうに考えて、呼びかけているわけです。
それと、FTAはそれぞれ今、個々の国々と交渉しておりますが、今までは大体、物品というか貿易というか、物のFTAが主流であったわけです。最近は情報とか労務、いわゆる人の交流をどうするか。特に最近は、人の交流が、東アジアの国々とのEPAを結ぶ場合に重要になってきています。特にフィリピンなどは、わりに看護師や介護士などが日本で働けないかというような、いろいろな話がありまして、これからは将来、人、モノ、情報、みな含めて経済連携協定の項目になると思っておりますので、これはやはり真剣に考えなければいけない。
その場合に、いろいろな問題が起こります。いろいろな人が自由に日本に働きに来られるようになるわけです。そういう意味ではこちらからもまた向こうへ行く人もいるでしょうから、いろいろな問題を考えながら話し合いをしていく必要があるということです。
(高島外務副報道官) 坂元先生、この安保理入りに関して、かつて、もし入らないと日本は現金自動支払機外交を続けなければいけないのではないかと、そんなことをおっしゃったことがあると記憶しているのですが、安保理入りの国益というような点でコメントをいただけますか。
(坂元大阪大学教授) その言葉は、我々学者の仲間から、外務省の大使となって国連で活躍されている北岡伸一先生の表現です。私も、そういう外交になる恐れがあると思います。
国益が何かというのは、今、町村大臣のほうからおっしゃっていただきましたので、私は、外務省、やる気があるのかというところで、ちょっと一言だけ言わせていただいてよろしいですか。
私は、外務省はやる気があると思います。やる気があるかどうかは、アメリカとの関係を見ても分かります。どういうことかといいますと、アメリカが日本の提案に賛成しないということは、早い段階から分かっていました。分かっていて提案したというのは、これは本当に珍しいことだと思うのです。
本来、アメリカは、日本はどうしても常任理事国になってほしいと願っている国なのですけれども、しかし、国連の幅広い代表性とか正統性とかいうことよりも、今ある国連の実効性を重視しており、私から見ると、見方がやや短期的だなというふうに思います。長期的な視点に立っていないと思うのですが、それはそれとして、アメリカの反対は硬いというのは最初から分かっていたのです。そうであるにもかかわらず、G4案という形で日本は動き出したのです。
これは、これまでの日本外交、外交カルチャーにもかかわる問題なのですが、戦後60年間、日本はどうしても国際社会に復帰することが大事で、復帰したあとは、そこで優等生として暮らしていくことを何よりも大切にしていたところがあったように思います。しかし、外交というものは、ただ仲良くみんなに好かれて、気前よくお金を出してほめられていればよい、というものではもちろんありません。そういうのは普通は「社交」と呼ぶもので、「外交」ではありません。外交の場合は、社交に国益というものを付け加えて、実現していかなければいけない。そうすると、ときには動いて波風を立てることも必要なのですが、今回日本は大きな波風を立てたわけです。そして、その波風は、日本の国益だけではなくて、国際社会の利益にもかないますので、私は日本の動きを高く評価しているわけです。
私は外交史の研究者ですので、一つだけ40年以上前の小さな外交エピソードをここで紹介します。それは安保改定時の日米交渉の中での話です。アメリカの大使が、安保改定に関するある問題について、日本の立場を論評する電報を本国に送っています。そこで大使は、日本は「この問題について、我々が賛成してくれるかどうか分からなければ、要求しないだろう。全く非論理的だけれど、まさに日本的だ」という趣旨のことを言っています。大使が不思議がったのはもっともで、外交というのは、相手が賛成してくれるから要求するとか、賛成しないから要求しないとか、そういうものではない。もちろん、相手の意向を知ることは大事なのですが、そこで終わるものではありません。今回、日本は相当思い切った決意で、アメリカの支持を得られなかったにもかかわらず、国際社会のための努力に取り組んでいます。アメリカの説得は、これから時間がかかると思いますけれども、全体として、よいことをしているのは間違いないと私は思います。
(参加者) 質問したい点は2点ほどあるのですが、まず、今の外務省を中心にやっておられる安保理改革というふうに、固執しすぎているのではないかと思っております。日本がしたいことというのは、やはりアナン報告でもありましたように、平和構築委員会、ここでの役割がとても大きくなってくるのではないかと思っております。安保理改革に固執するのではなく、もっと広い視点を持って取り組んでいくべきではないかと思っております。
もう一つは、国連大使の選出のしかたです。アメリカのように、ボルトン氏の指名に対して紛糾しているように、日本も、国連大使をもっと積極的に公に選出すべきではないでしょうか。例えば国会での決議を必要とするとかそういったことがないと、短期的に大使が替わっていては、外交なんていうものはできないと思います。その点について、ご意見をお聞かせください。
(参加者) 1点は、第二次世界大戦などを中心とする歴史認識問題でございます。というのは、先日も新聞報道されていましたけれども、中山文部科学大臣が従軍慰安婦という言葉はなかったということを福岡で講演されました。歴史認識問題に関しては、そればかりではなく、南京大虐殺はなかったとか、歴代の閣僚らはそういった発言を繰り返し、中国や韓国からひどいバッシングを受けております。
そういったことがずっと続いてきているということは、日本の閣僚の発言というのは、向こうの中国や韓国で、すぐにニュースになるということを十分考えておかなければならない問題だと思います。そういったことに対して、大臣は、中山大臣に対してどのような対応をとられるかということと、今後、歴史認識問題に対しては、日本も原爆を受けたというような悲しい現実もありますし、そういった問題は、アジアで十分検討すべきではないかと思います。大臣のお考えをお聞かせください。
それと、戦争による被害補償。国と国との交渉はありましたが、アジアで何百万人という人たちが殺され、今も被害を受けておられます。そういった個人補償的な問題に対して、日本も、もっと対処すべきではないかと私は考えます。
以上の点、大臣のお考えをお聞かせいただきますよう、お願いします。
(参加者) 先ほど、大臣や副大臣のお話で、日中関係は、今は悪いけれども、そんなにも悪くないと、ちょっと楽観的なお話だったのですが、メディアに影響されているのかもしれませんが、やはり政治的には、とても悪く感じられます。日中がやはり協力すべき部分は、エネルギーとか海賊対策とかいろいろあると思うのですが、具体的に経済以外の分野で、どの部分が友好的になっているのか、お聞かせ願いたいです。
(町村大臣) 安保理改革も大切かもしれないが、もっと幅広い国連改革に取り組むべきではないかというご指摘、私もそのご意見に賛成です。さっき冒頭申し上げましたように、アナン事務総長も、四つのポイントがあるのだという話をしておられた。我々も、そういう意味で、国連の幅広い改革について、国連の中でも、今、四つのテーマごとに議論が行われておりまして、その一つ一つはあまり報道されないのですけれども、それぞれのブロックで日本は積極的に発言をし、それらがうまく進展するように努力しているところです。
大使の任命のしかたは、国により、いろいろさまざまです。アメリカという国は、極端にいうと、日本での局長さん以上は、政権が替わると全部入れ代わるわけです。ポリティカル・アポインティーと呼んでおりますが、政治任命というのでしょうか、全部替わってしまう。大使も当然替わるということで、それは、そういうやり方も一つあると思います。日本は、もう少し継続性を重んじるという意味で、大部分のポストが継続して、あまり政権の交代の影響を受けない官僚の任用システムです。これは一長一短あろうかと思いますが、私は、日本の文化の中で、全部入れ替えるということは、やはり仕事の継続性、安定性を考えたときに、いかがなものかなぁと思っております。
もっとも、民間人大使をずいぶん最近は増やしてきておりまして、今15~16人民間人大使がおりますが、今何とかこれを増やすように、私はいろいろ相談をしておりまして、この次、あるいは、次の次ぐらいで、何とか20人ぐらいには民間人大使を増やしていきたい。そんなことも外務省改革の一環で考えております。
歴史認識のお話がありました。私は、さっきも申し上げましたように、すべての日本の歴史を卑下し、否定し、悪い歴史であったというつもりは、もとよりありません。やはり、りっぱな日本人の先輩たちが築き上げた歴史があるから、我々の今日があるわけですから、日本の歴史に誇りを持つべきだと思っております。ただ、同時に、さっき申し上げたように、我々は、韓国にしろ、中国にしろ、あるいは東南アジアの国々にしろ、足を踏んだほうの国です。足を踏まれた方々の気持ちを、やはりしっかりと認識をして、その上に立っていろいろな発言をすべきであるというふうに考えますから、特に政府の要人、重要な閣僚等々の発言というのは、そういう意味の慎重さが求められるのは当然のことだろうと思っております。
戦争の被害を受けた方々、あるいは国への補償の問題。これは、日本は基本的には国と国との関係で条約を結んだり、賠償をしたりという形で、今日ずっとやってまいりました。韓国においても、中国においても。そして、それらの国々の中で、そのあとどうするかというのは、それぞれの国の政府の責任でやってくださいということで、やってきました。
よく、ドイツと比較します。ドイツは、たまたまというか、国が東西に分断されていたという中で、国対国の補償は、ドイツはやらなかったのです。すべて国対個人という形で、例えばナチスの被害を受けた、その個人に国が行く。国対国という形はやらない。それでやってきたものですから、日本とドイツでは、戦後の補償のやり方が違うわけです。それは、国により、やり方が違うということで、すべて個人に対する補償をしなければならないかというと、私は、それは違うだろうと思っております。
ただ、そうはいっても、例えば慰安婦といわれる方々への国民の気持ちを表すという意味で、女性基金というものを国も支援したけれども、主として民間の方々がファンド、基金を作って、それの活用をして、慰安婦といわれる方々への、さまざまな償いをやってきた。それはそれでよかったと私は思っておりますし、また、今でも韓国の方々が戦争中に日本に来て、そして亡くなった遺骨があります。これをお返しをするとか、あるいは、サハリンに残留してしまった韓国の方々が、本国に帰れない。この帰還事業をお手伝いする。韓国に戻って、住む家が必要でしょう。したがって、その家を日本政府が建てて差し上げるというようなことをやったり、あるいは被爆をした方々が韓国に今住んでいて、しかし、原爆の後遺症がある。その場合に、韓国にいても、そういう方々への、きちんとした医療支援などができるようにするということで、日本としても、個人に対して、全く何もしていないかというと、そういうわけではない。ただ、基本は国と国との関係で対応するということで、そういう意味の戦後処理、戦後補償問題というのは、完了していると言って間違いではないのだろうと思っております。
あと、日中問題、楽観できますかという話。私ども、別に楽観も悲観もしておりません。ただ、努力をしなければ、よくなっていかないということは間違いなく言えるだろうと思っておりまして、経済の面はもとよりですが、経済以外の分野でも、日中関係をよくするための、例えばさっき一つの例を申し上げましたが、日中交流基金を作って、人と人との往来がもっと活発にできるようにするとか、いろいろな対策を今後日中間でやっていきたい。そのための日中共同作業計画(アクションプログラム)を今、着々と作り、それをお互いに実行していこうということで、楽観も悲観もしておりませんけれども、やはり将来よくなるだろうという、そういう意味の楽観的な気持ちを持ちながら、努力をすることが大切だと。政策的に、努力をこれからも大いにやっていこうと思っているところです。
(参加者) 政治や外交は、100年後を見越したうえで行うべきだというのを聞いたことがあるのですが、100年後、世界やアジアにおいて日本をどのようにしていきたいとお考えですか。
(参加者) 核軍縮のことについてお聞きしたいのですが、現在、カーン博士による核の闇市場問題、さらには北朝鮮の核開発問題など、核を巡る動きが盛んになっておりますが、日本としては核軍縮に対して、どのような立場で、そしてどのように進めていきたいとお思いでしょうか。お答えをお聞かせください。
(参加者) 先ほどからもありましたように、わりと中国、韓国寄りの発言をしないと、話題にすぐに上ったりとかいう形があるのですが、大臣もおっしゃったように、日本の歴史は、とても悪いことばかりではないと思うのですが、そういった良い面をもう少しみんなに知ってもらうという意味で、広報活動的なものは何かなさっているのか、教えていただきたいと思います。
日本人は、欧米が言っていることは、わりと素直に聞くところがあるかと思うのですが、日本として欧米へもう少し情報発信というか、日本の主張を欧米にもっと発信すべきかと思うのですが、そのような取組み等はどうなさっているのかをお聞かせ願いたいと思います。
(参加者) 谷川副大臣のおっしゃられた、隣の国だから、いずれはよくなっていくのではないかという、これはいわゆる日本人の全般の考え方で、非常に甘いというか、お互いにやっていけばということがあるのではないかと思うのです。その点、中国という国は、やはり今、中国は非常に問題ですから、中国は非常にずるいというか、うそつきというのですね。そういう点が非常に高いと。私たちが会社へ入ってからでも、許すことはいいことだ、しかし、忘れることはもっといいことだというように教えられてきました。それからすぐ、周恩来さんでも、井戸を掘った人のことは忘れるなと、忘れないということを言われた。
あれからずっと、最近に来て非常におかしくなった。中国を見ていましても、この間の町村外務大臣が会談にいかれても、大使館に投石があっても、何ら全然補償しないと。個人商店に対しても補償しない。それからまた、石油の問題にしても、早い者勝ちで、手をつけたところが勝ちだと。あとは、今度やると言ったり。この間、中川大臣が言っておられましたように、出たら、今度は文句を言って、そして、攻め込むというほどでもないでしょうけれども、そういうきらいが見える。そういうことで、この辺を日本としても相当、外交的に突き放しておられると思うのですが、もっともっと中国に対しても突き放して、一つの根性というのを、ぜひ見せていただきたいなと思います。
(町村大臣) 例えば人口一つとっても、100年経つと、日本の人口は半分近く減っているかもしれないとか、いろいろこれまたどう考えるかという別の問題もありますが、私は確かに戦後、皆さん方の営々たるご努力で、日本が世界第2位の経済大国になった。そして、今日、それなりの尊敬を勝ち得るようになってきた。ただ、これから先、そんなに経済がうまくいくかいかないか、分かりません。うまくいく努力もしなければいけません。
私は、ちょっと今思い出したのですが、今から100年以上前、江戸の終わり、明治の初めころ、色々な人たちが日本に来たわけです。日本ってどんな国だろうか。探検に来たり、あるいは侵略の意図を持ってきたり、色々な人たちが来ています。大体そのころ、小泉八雲、ラフカディオ・ハーンとか、色々な人たちが日本を見て、この国は今貧しいけれども、しかし、そこに住んでいる人たちは、まことに凛として美しい生き方をしている。みんな、誰に言われなくても、家の周りは一生懸命きれいに掃除をするとか、あるいは、誰に言われるわけでもないけれども、子供たちの教育を一生懸命やるとか、そして陰日向なく働くとか、そういう世界の国々に、まことにめずらしい人がここに住んでいると。本当の人間が住んでいる国に来たような気がすると、そのような感想を、今から130~140年前に日本に来た外国の人たちが、そういう印象を持ったというのです。
私は、日本の失われつつある、そうした日本の良さというものは、もう復活することは難しいのかもしれないけれども、できれば、100年たって、日本が経済的に豊かかもしれないし、貧しいかもしれないけれども、あの日本というのは、本当に友達として付き合っていい国だと。美しい姿勢のもとで、凛とした生き方をしている国。そういう人たちが住んでいる国なんだな、うらやましい国だな、尊敬できる国だなという国民が住んでいる日本の国家で、100年後、あってほしいと思います。
100年前、少なくともそういう印象を、数は少なかったかもしれないけれども、日本に来た人たちがそういう印象を持っていてくれたのですから、どうか、100年後の日本がそういう形で、世界に尊敬される国であって欲しいなと心から期待しておりますし、その基盤を作るために、我々、今生きている政治家をはじめ、皆さんがたと一緒になって、そういう良い日本を残す努力をしなければいけない、そういう努力をしたいと思っております。
おっしゃるとおり、核の拡散というのが大変大きな問題です。この問題について、5月に、NPTに関する、要するに核の核不拡散に関するニューヨークの会議が開かれました。けれども結局、意味ある結論はほとんど出ないまま終わってしまいました。これは大変残念なことで、5年に1回の会議なのですが、私は、何とかここで核の拡散に歯止めをかけ、全体として核軍縮が進み、いっぺんに世界から核兵器はゼロにならないまでも、そういう方向に世界が動いていくような意味のある会議にしたかったのですが、いろいろな邪魔や妨害が入って、これはうまくいきませんでした。これは大変残念なことだったと思っております。
それでも日本は毎年、国連総会で核軍縮の決議を出したり、あるいは、IAEAという場で、核が拡散しないように、そのための検証がしっかりできるように、いろいろな努力をやっているところです。ただ、現実には、むしろ拡散の方向にあるという事態に大変、私は危機感を持っておりまして、何とかこれを食い止めるための努力をやっていかなければいけないと、このように考えているところでございます。
最後に、情報発信の話が出ましたけれども、これは今、改めて積極的な、あるいは戦略的な情報発信、パブリック・ディプロマシーとも呼んでおりますが、これをやろうということで、例えばさっき私が申し上げました、日本は戦後平和国家として一生懸命やってきましたよということが、今まで外務省のホームページ一つ見ても、出ていないのです。これはまずい。あるいは、日本の教科書は、戦前の日本の軍事行動、植民地支配等を正当化している、賛美している教科書だと、韓国や中国がおっしゃるから、私は近々もう全部できると思いますが、日本の主な教科書の当該部分を全部、韓国語や中国に翻訳して、いかにそんなことは事実に反するかということを、事実をもって、この教科書を見てください。どこに日本の教科書が、日本の戦前の活動を肯定したり、あるいは褒めそやしたりするようなことが載っていますかと。良いことは良いと書き、悪いことは悪いとちゃんと書いてありますということを、積極的に彼らに、新聞のタイトルだけを見るのではなくて、教科書そのものの当該部分を読んでもらえるようにして、そして検索すれば、「ああ、こういう教科書なら、全く問題ないね」と言えるように、そういう積極的な広報活動をやっていこうということで、今、改めて一生懸命、取り組み始めたところです。
(谷川副大臣) やはり最近、中国と韓国の主張が先鋭になりすぎているのではないかなということは思っています。しかし、だからといって、けしからん、けしからんと、売り言葉に買い言葉をやったからといって、関係がうまくいくとは限りません。けしからんと言うことはそれは言いやすいのですよ。具体的にどうするのかということがないとね。私も個人的には、ちょっと譲りすぎている部分があると思っています。これは正直に言うと、思っていますが、これをどう解決するかというのは、時間がかかる問題ですから、だから、それは例の東シナ海の資源開発の問題でも、やっと腰が上がったわけですね。中川経産大臣が、帝国石油に、試掘権を与える。あんなのは、もっとはっきり、私としてはやってもらいたいと思っています。そういう意味で、対中国、韓国、非常に微妙ですから、しっかり言うべきことは言うということは、基本に置いておきたいと私は思っています。
(坂元教授) 100年後の世界を考えるという大きな話ですが、これは非常に教科書的といいますか、スタンダードな答えは、要するに世界が豊かで、そして政治は基本的に民主主義で、皆が自由を享受して、人権が大切にされる。そういう世界を作るのに、日本に何のお手伝いができるのだろうか、そういうことになるのかなと思います。特に日本は、欧米の豊かさとか欧米生まれの民主主義とか人権とか、そういうものを自分なりに消化してきたわけです。その自分なりに消化してきた歴史を学んでいただけるところが、ほかにもあれば、いろいろとアドバイスもできるし、もちろん、経済力を使ったいろいろな協力もできるというふうに思っております。
問題は、先ほども出ましたが、外務省は甘いのではないかという話です。未来の共同体に向けてというところで、三つ挙げられました。開かれた地域主義、機能的協力中心主義、そして民主主義・自由人権等の尊重となっています。この1番目と3番目はよく分かるのですが、2番目の機能的協力中心主義というのは、国際政治学でいう機能主義という理論が背景にあるわけですが、これは簡単に言うと、経済協力がうまくいけば、その経済協力が、他の協力、政治の協力にまで発展するだろうということなのです。
果たして、そうだろうかというのが実は大きな問題で、機能主義の例として、よくヨーロッパの例、EUの例が挙げられるのです。確かにEUは、石炭、鉄鉱、原子力という経済協力から進んでいったように見えるのですが、実はその基礎に、NATO、あるいは西側同盟という安全保障の枠組みがあったからそうなったのです。それがなかったら、果たしてあんなふうにEUが発展したかどうか、分からないのです。これは私が言っているのではなくて、EUの前身を作ったモネさんという方が、EUみたいな考え方は、戦前にもあった、戦前にもあったけれど、安全保障の問題で、みんなが共通の認識を持てないから無理だった、戦後は西側だけとはいえ、共通の認識を持てるようになって、初めて経済協力がうまくいった、というようなことを言っているのです。
今、EUは冷戦が終わり、安全保障の協力枠組みがありますので、ますます発展していくことができると思います。日本の場合は、今は現実的には2番目のものしかできないわけですが、それだけではやはり足らないのです。そこで私は、3番目の民主主義とか自由とか人権という問題について、もう少し日本も、それが大事だということを、声をちょっと強めて言ったほうがいいかなと最近思い出しています。経済協力をしていれば、みんなが分かってくれるだろう、だけではなくて、やはり少し3番目の議論をやっていったほうがいいのではないか。特に中国政府というよりも、中国の人々に、人民に対して、これは大切ですよということを言っていく努力を、少しずつ始めたほうがよいのではないかと思っているわけです。
(参加者) 安保理改革のことについて、お話を聞きたいと思っております。先ほど、町村大臣は、100メートル競走の80メートルまで走ってきて、常任理事国に入れなかったときのことを聞かないでくれとおっしゃっていましたが、高校球児ならともかく、そんな一国の外交が、なれなかったときのことも考えていないということは、ないかと思います。ですので、常任理事国入りを提案したときに、なれても、なれなくても、その出口戦略があるかと思います。
ですので、常任理事国になれなかったときに、例えば発言力に見合った国連の負担金にしてくれだとか、700兆も負債を抱えている国が、外へがんがんお金を出してと、そういう外交を続けるのはどうかと思うところもあります。その辺の安保理改革を言い出したときの出口戦略について、お聞かせ願いたいと思います。
(参加者) アジア外交について、ご質問させていただきたいと思います。
東アジア共同体の形成という点に関して、まず、経済統合から進めるべきだと思うのですが、その点に関して、現在、東アジアで日中の間で石油を巡る問題があるという点は、共同体を形成する点で、非常に大きな壁となると思うのですが、今後、日本として中国との関係を、東アジアの共同体を念頭に置いたうえでどのように行っていくべきだとお考えですか。
(参加者) 国連でこの前、日本が提唱して始まった、国連持続可能な開発のための教育の10年というのが今年始まったと思うのですが、それに対する外務省の行われる役割と、やっていらっしゃること。あと、民間外交というか草の根外交というNPO、NGOなどがいっぱい、いろいろなところで草の根外交をやっていらっしゃると思うのですが、それに対する、それとの外務省のつながりを教えていただければと思います。よろしくお願いします。
(町村大臣) 常任理事国入り、失敗したらどうするのだ、出口戦略と、負担を減らせと。おっしゃる意味は、それは気持ちとしては分かりますが、今から私が、失敗したら負担は半減ですよと言ったら、それはやっぱりまずいでしょうね。それは日本の国民の皆さんは、それで納得するかもしれませんけれども、ほかの国々が、何だと、そういう思いでお金を出していたのかということになります。ですから、実際すべて結果が出たあとどうするかという頭の体操は、それは当然いろいろやります。こう言ったら、こう言ったら、それはいろいろなケーススタディをやるのは、これは当然ですが、それをすべて口に出して言っていいかどうかというのは、また別の話なのだろうなと。そこは、ご理解をいただければと思います。
確かに、日中韓の経済、全体としてはうまくいっているとしても、資源開発といったような問題については、ぶつかりあうことが確かにあります。これも、小泉総理のいつも言っておられる台詞ですが、「対立の海」ではなくて、「協調の海」にしたいという台詞、すなわち何らかの形での共同開発を、工夫してやっていけるのではないだろうかということでありまして、先方は中身は言わないのですけれども、共同開発ということを言います。もうちょっと具体的に言ってごらんなさいということを言うのですが、それは言わないで、とにかく共同開発。これでは議論になりませんねというやりとりの中で、日本は日本として、やれることをやろうということで、日本の鉱業法に基づいた試掘権の設定等々が行われているという状態です。ですから、私はこの問題についても、ちゃんと出口はありうると思っております。
したがって、いろいろな面で経済的な権益がぶつかるということは、それは特に資源を巡って現実にありうると思いますけれども、しかし、一つのことがぶつかったからといって、すべて東アジアの経済的な統合が阻害されるかというと、決してそんなことはないだろうと思っております。
NPO、NGOの話が出ました。外務省にも、ちょっと正式な名前は忘れたけれども、NPO、NGOの皆さんがたとの窓口の担当部署もありまして、そこといろいろな相談をしながらやっております。いちばん最近の例でいいますと、例の津波の被害が出たときに、例えば子供の人身売買が行われるかもしれない。子供たちの健康問題があるかもしれない。教育の問題があるのではないか。それぞれ対応する日本のNGO、あるいはユニセフ等の、国際的なそういう団体と日本の代表者に集まってもらって、私自身、直接お話をして、一緒に協力して、これをやっていこうではないかという話もしました。NPO、NGOの役割がだんだん重要になってきているという実態もよく分かりますので、外務省も、そういう皆さん方と一緒になって外交を進めていこうと思っております。
持続可能な開発のための教育の10年に関連して、特に私どもは、今、Millennium Development Goalsというのが2000年に決められて、2015年に向けて、教育や保健衛生の分野であるとか、いろいろな分野についての目標があります。それを日本なりに、この分野で大いに協力しようということで努力をしております。そういったものを踏まえながら、先般、小泉総理がサミットの場で、日本はこれから援助の額を相当増やしていきますよということを、具体的な数字も、例えばアフリカの援助は向こう3年間で倍にしよう、あるいは援助全体を向こう5年間で100億ドル増加させようということを、言ったりしております。それらはいずれも、いわゆるMDGs(Millennium Development Goals)の達成ということを一つの大きな目標に掲げながら、より具体的な協力を進めていこうと考えているところです。
(谷川副大臣) 未来に向けてのご質問がありました。東アジア共同体の形成については、これはやはり中国を抜きにしては考えられないと思いますから、これをどうこれからやっていくかということは、対中関係が大変重要だと私は認識しております。そういう意味では、アジア外交、これからもしっかり着実に進めていきたいと思っているところです。
(坂元教授) 今日は、大臣、副大臣が的確に球を返されまして、私は拾う球がほとんどありませんでしたが、最後に、「ありがとうございました」と言いたく思います。
一つだけ、先ほど政治はスポーツではない、失敗したらどうするんだ、出口戦略はどこにあるんだという話がありましたが、これはたしかに終わったあと、成功しても、うまくいかなくても、いろいろなことを検証しなければなりません。
ただ、この外交政策、今、日本が取り組んでいる安保理改革は、日本が安保理入りするというだけの話ではないというとことを、もう一度確認しておくべきだと思います。この話は、国際社会の中心的な組織になるべき国連を、どういう形にしたらいいかということ、そのことについて我々が発言する、そのことが大事なのです。国連の中核である安保理は今のままでは正統性が足りない、というとことを訴えて、多くの国が「そうだ、そうだ」というふうになっていけば、これは政策としては一つの成功なのではないでしょうか。
今回、いろいろな改革案が出まして、まとまるか、まとまらないかわかりません。これから大臣がご苦労になると思いますけれども、しかし、国際社会の中で、やはり安保理は今までの形ではだめなのではないかということに、大体のコンセンサスみたいなものがもしできれば、これは日本にとっても大きなプラスと考えることができると思うのです。
外務省は、今年逃したら、あとはないと言っています。これはいろいろな事情で、そういうふうに言わなければいけないと思うのですけれども、私から見たら、そんなことはないので、これから何年かかかるかもしれませんが、私は、方向としてはよい方向に向いていると思います。大臣は先ほど、100メートル競走とおっしゃいましたが、マラソンまではいきませんが、400メートルぐらい走るという感じでいくのではないかと思っております。
(町村大臣) 今日は、大変熱心なご議論をいただきまして、ありがとうございました。もっと大勢のかたが手を挙げておられたので、時間が2倍も3倍もあればよかったのかなと思いますが、恐縮ですが、以上で終えさせていただきます。
しかし、冒頭ご発言があったように、やはり国民の理解があって、外交というものができるということは、私しみじみそう思います。例えば、さっき中国の大使館、総領事館に破壊活動が行われたと。私は、先ほど北京に行ったお話をちょっといたしましたが、そのときに、やはり圧倒的大部分の、ほとんどすべての日本の皆さんがたが、デモはいいけれども、あの破壊活動は、それはいかなる理由があってもおかしいと。国民の皆さんがそう思っているということを、私なりに実感できましたので、私は日本の国民、等しくそう思っているのですよと。だから、どうして一言「悪かったね」と言えないのだろうかという話を、先方の外交部長にいたしました。
例えばそういうときに、やはり国民の皆さん方が、この問題についてどうお考えなのかということを、常に私は考えながら発言するようにしております。ですから、外務省に対して、いつもかなりたくさんメールをいただいたり、お手紙をいただいたり、ファックス、電話をいただいたりしております。やはりそういうことに、私は全部目を通すわけにはいきませんけれども、ある程度、集約した形で、高島報道官のほうからいつももらうわけです。そういう皆さん方のお声がどの辺にあるのだろうかということを、いつも意識しながら外交を進めているというのは、まことに事実ですので、どうぞまたこれを機会に、皆さん方、いろいろなことをお考えでいらっしゃいましょうから、遠慮なく皆さんのお声をお寄せいただければ、本当に幸いですので、このことはむしろこちらからお願いをしたいと存じます。
実は、この会場に来る前に、大田知事、それから関市長、それから野村商工会議所会頭さん、お三方お見えになって、2008年、日本でサミットが開かれるのですが、大阪、あるいは京都、あるいは兵庫と、この関西圏でぜひサミットを開いてもらいたいという大変強いご要請をいただきました。どこでやるのですかと聞いたら、ここですか、この部屋でないかと私は思うのですが、この部屋で、2008年の大阪サミットを例えばやったらどうかと。場所がどうもよく分からなかったのですが、お写真その他から判断すると、壁にこういう絵がありますので、どうも知事さんが持っておられるのは、この写真だったなと。したがって、2008年ですから、3年後のサミットは、まさにここで開かれている可能性がある。そういう意味で、国際的ないろいろな出来事が、大阪、あるいは関西の皆さん方に直接、結びつけられる。そういうこともあるのだということをご理解をいただき、また、変わらざるご支援と叱咤激励をいただければありがたいと思います。
今日は、どうもありがとうございました。心から感謝いたします。