外交青書・白書

わが国をめぐる世界移住情勢の変化(外的条件の好転)

前にも触れたように、世界における移住の潮流は、殆んどヨーロッパ人によって形成されており、主要受入国の殆んどは日本人に対してその門戸を鎖していた。そういう国際環境の下において、わが国からの移住の流れは、わずかに門戸を開いている中南米の数カ国に向って、いわば細々と形成されていたに過ぎない。移住といえば中南米とされたわが国の常識は、移住の視点から眺めた、上記のようなわが国の国際的地位を反映したものに外ならなかったのである。

ところが、昨年は、このような常識を根底から揺さぶるような大きい変化が現われたのである。その第一は、移住者受入基盤において豪州と世界の首位を争うカナダが、日本人受入国として登場したことであり、その二は、移住者受入れの絶対数において世界第一位を占める米国が、現行の国別割当制度撤廃を内容とする移民法改正の動きを見せているという事実である。

このような傾向をもって、単に人種差別の撤廃とだけ解することは誤りであって、カナダにしろ、米国にしろ、人種に代って能力という選別基準を考えていることに注目しなければならない。カナダヘの道が開けたということも、米国への道が開ける可能性が見え始めてきたということも、能力のある人々に対してであって、不熟練労働力が流出する余地はないのである。換言するならば、高度マンパワーの国際的流動性が高まる反面、不熟練労働力の流入については却ってその規制が厳しくなるというのが、最近の世界的傾向と見られるのであって、「選択主義」と呼ばれるこの傾向は昨年度中におけるブラジルの政策動向の中にも極めて顕著に看取することができるのである。

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1 ブラジルにおける移住者受入政策の変化

昭和三十九年一月、ブラジル外務省が在外ブラジル公館に向って発した回章は、不熟練無資力の移住者流入を全面的に阻止する意図に出たものと解せられ、わが国からブラジルヘの伝統的移住形態にも根本的変革をもたらさずにはおかない形勢となった(昭和三十九年度における渡航費貸付移住者の減少は、本回章の影響に因るところが少くない)。

しかしながら、ブラジル政府は最近(昭和四十年一月)に至って更に回章を発し、熟練ないし半熟練の技術を有する者については、逆に受入範囲を拡大し、その職種を四三職種から一挙に一九二職種に増加したのであって、その間にグラール政権の崩壊とカストロ・ブランコ政権の登場という事情はあったにせよ、ブラジルが一貫して選択主義への方向をとっていることは明瞭である。

具体的にいって、かつてブラジル移住の主流を形成したコロノ(農業雇用労働者)は、急速にその数を減じ、小数グループに属していた工業技術移住者、いままで殆んど統計に現れていなかった紡績工、テーラー、大工、製靴工、印刷工などが逐次これに代り、一般の趨勢として職種、業種の多様化が予想されるのである。

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2 カナダの登場

カナダが、その移民規則を改正して、一般移住者の受入について人種を全廃したのは一九六二年(昭和三十七年)二月のことであった。しかるに、それから二年余りしか経たない昨年(昭和三十九年)四月には、訪日した移民大臣から正式に日本移住者受入促進の要請を受けるに至ったのである。

その後判明したところでは、カナダの受入基準には教育、技能など、能力上の選考があるのみであって、殆んどあらゆる職域において移住の可能性が存在し、しかもカナダ国内における就職先の事前決定を受入条件としていない。

既にカナダ移住申請の受付は開始され、移住相談と選考事務を担当する移住担当アタッシェの東京赴任も本年五月には実現する運びとなっており、カナダ移住についての障害を除去する措置は日加両国政府によって着々と進められつつある。

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3 米国移民国籍法改正の動き

ケネディ大統領が非常な情熱を傾け、ジョンソン大統領がこれを継承したことから、ケネディ・ジョンソン法案と呼ばれる移民国籍法改正法案が本年一月国会に提出されたが、その骨子は、国別割当を逐年減少して五年後に全廃し、年間一六万の移住者受入枠の半数を世界中からの技能者のために充当するというものである。法案通過については必ずしも楽観を許さないようであるが、もしこの法案が通過すれば、最も著しい影響を受けるのは、高度マンパワーに富みながら従来は僅か年間一八五名の受入枠しか有しなかったわが国であらう。国の立場からみて頭脳流出を警戒しなければならない一面が、カナダの場合と同様またはそれ以上に生ずるであらうけれども、個人の立場からみれば、技能さへあれば広く海外に夢を伸ばし得る可能性が増大することに外ならないのであって、人間尊重の見地から好ましい影響と受けとめるのが当然である。

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