世界一周「何でもレポート」
エキスパートたちの世界~外務省の専門官インタビュー~
南東アジア専門官 田子内さん
日・ASEAN友好協力40周年を迎え,今また注目を浴びる東南アジア。今回登場するのは,この地域で専門性を武器に活躍するエキスパート,南東アジア専門官の田子内さんです。
インドネシア語を駆使し,これまで一貫して東南アジア外交に携わってきた田子内さん。活動の舞台であるマレー世界と呼ばれる地域の特色や,情報収集の秘訣,思い出に残るエピソード等を聞きました。
南東アジア専門官 田子内さん

田子内さんは,インドネシア語の専門として平成元(1989)年に外務省に入省。これまで,ほぼ一貫して東南アジア地域に関する業務に携わってきました。国外ではインドネシアに2回,シンガポールに1回駐在。南東アジア専門官に認定されたのは4年前です。
「私の専門は東南アジア地域の政治治安一般。中でも政治とイスラムの関わりが中心です。
東南アジアは一般的に,大陸部と島嶼部に分けることができます。いずれもとても多様な世界で,ひとくくりに説明するのはなかなか難しいのですが,その中で私が専門性を有しているのは,イスラム教が有力な国と地域,つまり,インドネシア,マレーシア,ブルネイ,タイ南部,フィリピン南部で,これは島嶼部とほぼ重なる地域です。この地域はマレー語という共通言語を持っており,広い意味で『マレー世界』と呼ばれています。シンガポールではイスラム教は少数派なのですが,歴史的経緯から『マレー世界』に含まれています。」

東西に長く広がるマレー世界。インドネシアだけでも西端から東端まで約5,000km,アメリカの西海岸から東海岸までがすっぽりおさまる距離があるそうです。この地域で話されているマレー語は,マレーシア,ブルネイ,シンガポールの公用語。インドネシア語もマレー語が発展してできた言語です。
インドネシア人は“ロールケーキ”?
マレー世界に住む人々はオーストロネシア語族に属し,日本人のルーツとも一部重なります。沖縄とマレー世界は古くから交易があり,今も沖縄の言葉にはマレー語由来の単語が残っているそうです。また,沖縄の音楽は独特の琉球音階で知られていますが,インドネシアのスンダ地方の音楽とその音階が似ているのだとか。稲作文化の伝統も日本と共通の土台。水田を維持するために貴重な水資源を共同体で分かち合う必要が生まれ,協調性を大事にする風土が育つといわれます。
日本人にとって,どこか懐かしさを感じるマレー世界ですが,一方その広域にわたってイスラム教が普及しているのは意外な印象もあります。
「この部分だけを見るとなぜ,と思われるかもしれませんが,世界地図で見れば,マレー世界は意外にアラブにも近いことがわかります。インド,アラビア半島,さらにいえばアフリカ大陸や,マダガスカルなど,海を隔てていますがそれほど遠くないんです。ちなみにフィリピンはASEANで唯一キリスト教が有力な国ですが,南部にはムスリムがいます。」
古来,マレー世界を含む東南アジアではヒンドゥー教などのインド文明の影響が強く,仏教も大陸部を中心に広く受容されています。マレー世界でもかつて仏教文化が栄え,ボロブドゥール遺跡等多くの足跡を残しました。その後,ヒンドゥー教が優勢となり,続く13世紀末以降には,アラブやインドのムスリム商人を通じて,イスラム教が平和的・自発的にゆっくりと浸透していきました。このような歴史が,マレー世界の人々の考え方やイスラム教の解釈などに独特の影響を与えているそうです。

「特にインドネシア人はロールケーキみたいだと,よく言われます。切ってみると,イスラム一色ではなくて,その下に土着信仰や,ヒンドゥー教,仏教の思想,あるいは考え方が残っている。それは宗教が何重にも積み重なってこの世界に定着してきた結果です。イスラムのベールをかぶっていても,すごく日本的な考え方をする人もいるんですよ。」
東南アジアの人々には熱帯らしいおおらかさを感じるという田子内さん。時間感覚には独特なものがあるそうです。「人は時間通りに来ないし,物事もなかなか進まない,でも最後には不思議と帳尻が合う。日本から来ると,最初はイライラするかもしれませんが,だんだんなじんで心地よくなります(笑)。」
ASEAN流のゆるやかなつながり
このマレー地域を含む東南アジア全10カ国で構成されるのがASEAN(東南アジア諸国連合)。地域の統合はどの程度進んでいるのでしょうか。
「よくEU(欧州共同体)と比較されますが,統合はゆるやかです。域内での経済格差も大きく,また,政治体制についても,民主主義国が多勢ではあるものの,ベトナムやラオスは一党独裁,ブルネイは王政と,EUに民主主義という共通項があるのに比べて多様です。外交の世界でも,まだ連携して共通ポジションを出すといった段階にはありません。
ただ,ASEANには不思議な一体感があります。ASEANという枠での交流が非常に活発で,外交のみならず,貿易,農業,教育,文化,情報通信関連など,様々な分野の会議を年間100回以上も持ち回りで開催し,頻繁に顔を合わせていることが理由の一つ。また,ASEANとしての結束がないと,インド,中国という大国に対抗できないという意識もあります。さらに,過去にはベトナム戦争,カンボジア紛争等で,大国の思惑に各国が振り回された歴史があります。その苦い反省から,ASEANには,団結する,大国の介入は許さない,という発想が強いですね。
今後,2015年までにASEAN経済共同体を目指していますが,ゆっくりと進んでいくんだと思います。これもASEAN流ですね。」

今年は日・ASEAN友好協力40周年。ASEANにとって一番古い,最初の対話国は,実は日本です。
「ASEANに対する日本からの投資には長い歴史があり,日本は既にASEAN各国の経済に組み込まれているといっても過言ではありません。インドネシアでいえば,自動車の8-9割は日本車。バイクも日本メーカーだけでほぼ全市場を占めている。それも全て現地生産,メイド・イン・インドネシアです。部品メーカーも育っていて,タイとインドネシアは既に東南アジアの自動車産業の中心地です。日本企業は投資によって得た利益をさらに域内に再投資し,資金を循環させる段階に入っています。
これまで日・ASEANは政治経済関係が先行していました。東南アジアを訪問する日本人が年間約420万人(2011年)であるのに対し,東南アジアからの訪日客数は年間約50万人(2011年)。でも,最近では,高い経済成長を背景に東南アジアからの訪日客が増加しています。人的交流が進めば,互いの文化や考え方,習慣等に対する理解が深まっていくでしょう。日本でハラル・フード(イスラム教の律法にのっとった食べ物)を提供するレストランが増えてきているのはその好例です。」
双方向の交流が進み,東南アジアの人達が私たちにとって身近な存在になる,そんな時代に入っていると,田子内さんは考えています。
親日の理由 ― 私たちが認識すべきこと
ASEAN諸国は親日的と聞きますが,実情はどうですか?
「対日観は,きわめて良いです。対日世論調査でも明らかですが,東南アジアでは8割以上が日本に対して肯定的なイメージを持っています。私が勤務したインドネシアとシンガポールも大変な親日国です。
もちろん,歴史を振り返れば,日本は多くの国々,とりわけ東南アジアを含むアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた過去があります。」
そのような負の歴史があるにもかかわらず,親日的なのはなぜでしょうか。
「東南アジアの国々は,既に独立国家であったタイを除き,第二次世界大戦後に独立を果たしました。その後の1970年代以降,インドネシア,シンガポール,マレーシアをはじめとする東南アジアの国々が経済発展していく中で,日本は民間企業による投資と政府ODAを両輪とした支援を行い,経済成長を下支えしてきました。その過程で多くの日本人が東南アジアの友人達と一緒に汗を流し,個人的な信頼関係を築いていきました。シンガポールもそうですが,当時をよく知る今の指導的地位にある年齢層の方々は,一番困難な時に協力してくれたのは日本だ,と言ってくれます。このような長年に亘る地道な努力,特に,個々の日本人の努力が世代を越えて東南アジアの国々に浸透し,それが今,『親日』という形になって出てきたのではないでしょうか。
東日本大震災はつらい出来事でしたが,あの時に東南アジアの人達がどれほど私たちを励ましてくれたことか。それは,私たちの諸先輩方がこれまで東南アジアで築き上げてきた個人的な信頼関係の蓄積の反映でもあると思っています。」
日本と東南アジア諸国の間には,これまで多くの先人達が積み上げてきた歴史があり,現在の友好関係はその財産の上に立っている。日本人はそれを認識しなければいけないと,田子内さんは言います。
東南アジアの政治情勢をフォローしながら,地域のイスラム運動を含む政治治安情勢を把握するのも専門官としての重要な任務。あまり表に出てこない情報をつかむために,何か秘訣のようなものはあるのでしょうか。
「大事なのは,やはり人と人のつきあいです。国や地域によっては,情報提供に対して金銭的見返りを求めるメンタリティもあると思いますが,東南アジアでは人間関係の方がはるかに重要視されます。だから,『この人物なら大丈夫』という信頼関係を築くことが何よりも重要です。一朝一夕ではなく,粘り強く信頼を得ていくプロセスが必要です。」
そのために大前提となるのは言葉の能力。ネイティブ並は難しくても,相手が安心して何でも話せる語学力は必須だそうです。相手の発言に当意即妙の受け答えを重ね,人間としての魅力を互いに認め合いながら,関係を築いていきます。
「また,当然のことですが,知りたい分野について,こちらも相当な知識量を持っていなければなりません。話の流れで出てくる固有名詞などに対し,ピント外れの反応をすれば,そこで終わりです。
情報収集をする上で,その国に対して専門的な知識がそれほど深くなくても,訓練すれば最低限のレベルはクリアできるでしょう。でも,その先に入っていくには,相手の言葉や文化,ものの考え方を熟知することが必須です。そして,相手と共通に話せる話題,つまり『引き出し』を常にたくさん持っておくこと。これがけっこう難しくて,私もいつも悩むのですが,結局,付け焼き刃では通用しない世界なんです。」
そういうときにこそ,これまでこの地域に興味をもって専門家としてやってきた蓄積が試される,と話す田子内さん。実は,入省後,東南アジアの地域研究で博士号を修得し,「ダンドゥット」というインドネシアの音楽に関する書籍も出版しています。信頼関係と,それを基に得た情報を消化できる知識があれば,他国が多くの人員を使って入手する情報に負けないくらいの情報を単独でつかむことも可能になるのだそうです。
インドネシア語の思い出最後にインドネシア語の専門家として,一番印象に残るエピソードを聞きました。
- 来日した当時のメガワティ大統領(右)に公式通訳として随行した田子内さん(中央)
2001年9月,当時のメガワティ大統領が来日された時のこと。田子内さんは全行程を通し,公式通訳として大統領に随行しました。3日間にわたり,天皇皇后両陛下との会談,首脳会談や総理大臣主催の晩餐会,その他数々の会談や行事で大統領の通訳をつとめ,いよいよ最後のイベントは早稲田大学での記念講演。大統領が名誉法学博士号を授与されたことを受けたものでした。
インドネシア側からは,大統領は英語で講演するので,インドネシア語の通訳は不要と言われていました。一抹の不安があった田子内さんは,念のため原稿を事前入手したいと再三申し入れましたが,聞き入れられず。結局,大統領と大学総長の会談で最後となる通訳をつとめ,その後,壇上に上がっていく大統領を見送りました。やれやれと控え室でコーヒーを飲みながらくつろいでいると,聞こえてきたのは英語・・・ではなく,インドネシア語!演壇に立った大統領は原稿をインドネシア語で読み始め,ふと言葉を区切って誰かを探しています。その瞬間,全てを悟った田子内さんは,とっさにその辺にあった紙とペンをつかんで壇上へ。
「普通,講演がある場合は事前に原稿をもらって目を通しておくものですが,この時は大統領が一体何を言うか分からない,しかも専門的な法学の話が主体の記念講演なので,焦りました。でも,こちらが焦るとせっかくの大統領の講演が学生達に伝わらないし,通訳の準備もなかったことがわかってしまうので,腹をくくってすまして壇上にあがり,関係のない紙を原稿に見立てて,いかにも準備していたかのように通訳をして・・・」講演は1時間余り続き,この模様はインドネシアのテレビでも放映されました。幸い,通訳が飛び込みだったことは誰にも気づかれなかったようです。
「講演を聞いていた後輩がいたのですが,後で尋ねたら,『通訳を聞いていて,田子内さんは事前に原稿をもらえたんだと思いました』と。それを聞いて,ああよかったと,ほっとしました。」
冷や汗をかいた講演が無事終わり,一行は羽田空港へ。
「帰りの特別機を少し離れたところで見送っていると,大統領がタラップを上がる前に,誰かを探しているんです。何だろうと思っていると,在京インドネシア大使が,おーい,と私の方に手を振って。大統領が探していたのは私だったんですね。同行通訳をつとめた私にお礼を言いたいといって,わざわざ感謝の言葉をくださって。握手をして,そしてタラップをあがって行かれました。振り返るとあのシーンが,今でも一番思い出深いですね。」
- Thoughts connected, Future connected(つながる想い つながる未来)
日・ASEAN友好協力40周年ロゴマーク