なかなか信じてもらえないのだが、私は若い頃は酒が好きではなく、飲むとアルコール性蕁麻疹が出て、困ることが多かった。特に日本酒はいけなかった。しばしば気分が悪くなって苦しみ、挙げ句の果てにようやくの思いで家にたどり着き、玄関の上がりかまちに倒れ込んで、二度と酒は飲まないと誓ったりしたものだ。しかし、就職して5年後に変化が生じた。東京の外信部に配属されてデスクのお供で毎晩のように飲み屋を回るようになると、蕁麻疹が出る暇もなく飲み続けたためか、次第にアルコールとの相性が良くなり、34歳ではじめて海外勤務に出た頃には、いっぱしの「飲み助」に成長していた。しかし依然として日本酒は駄目で、飲むのはもっぱらビールかワイン。ワシントン勤務の時にはドライ・マティーニに凝ったりした。
その私が日本酒に目覚めたのは今から12年前、村田淳一という人物に出会ってからのことだ。私の大学の先輩である村田さんは、1981年に「日本の酒と食の文化を守る会」というグループを自ら組織し、日本酒本来の味を守り続ける全国各地の蔵元を訪ね歩いてその秘伝を学ぶ傍ら、酒好きの知人を引き入れて、春の桜、夏の花火、そして師走の忘年会と折々に宴席を設けて蔵元さんとの親交を深める機会をしつらえてきた。難しい話はさて置いて、美味しい日本酒と日本料理を堪能しようというこの会に加わって以来、私の好みは一気に日本酒へと傾斜し、自宅の食器棚にはいつの間にか、お猪口、徳利、片口が所狭しと並ぶようになった。
一年ほど前になるが、このグループが蔵元8社の協力を得て、ハワイで日本酒の試飲会を開催した。日本からの参加は20人。ホノルルの名門ハレクラニ・ホテルに地元の方々70人を招き、日本から持ち込んだ吟醸酒や純米酒を盛大に振る舞って大好評を得た。私も段ボール箱につめた日本酒を手荷物としてハワイまで運び、多少のお手伝いをした。もちろんハワイでは、町のスーパーやコンビニで色々な銘柄の日本酒を買うことが出来るが、蔵元の社長さんたちがこの日のために用意した特選の酒の味は格別で、地元ハワイ産のマグロや鯛の刺身と見事に調和して瞬く間に皆の胃袋におさまった。
日本酒は、終戦直後の米不足の時代に粗悪なアルコールや砂糖工場の廃液から作る添加物で量を増やす「三増酒」なるものが作られるようになり、日本酒を飲むと頭が痛くなったりトイレが臭くなったりする原因になっていた。幸いなことに、そうした悪しき慣行はすでに過去のものとなり、今ではアルコールが添加されても、それは主に風味の調整のためで、「酒は米と米麹と水で作るもの」という日本酒本来の製法がよみがえっている。また輸送手段の向上もあって、今では海外で売られる日本酒も防腐剤なしのものが増えている。そうした努力が功を奏したのだろうか。このところ日本酒の輸出量が急速に伸び、アメリカやヨーロッパで日本酒ブームといった嬉しいニュースが聞かれるようになった。また、最近、ロンドンとヘルシンキの日本大使館で日本酒の利き酒会や日本料理と日本酒をフィーチャーした晩餐会が開かれ、現地でちょっとした話題になっているそうだ。こうした動きをとらえて、外務省と農林水産省は去年から、世界各地の日本大使館や総領事館を舞台に「Try Japan's Good Food」という事業を立ち上げ、日本食と日本酒を世界に根付かせようという作戦に出ている。
そもそも日本酒は世界のどの酒とも違う日本の文化そのものであり、その味は近年ますます洗練されてきている。日本酒が諸外国からの賓客を迎える外務省の飯倉公館に置かれるようになって久しいが、日本外交の現場でもっともっと日本酒が活用されても良いと思う。ワインの本場から来られたフランスのシラク大統領が、飯倉公館で大吟醸を美味しそうに飲まれた様子が忘れられない。
さて最後に、日本酒の飲み方だが、ギンギンに冷えた大吟醸も悪くはないが、私は純米酒をヌル燗にして、少し大きめのお猪口でゆったりと味わうのが大好きだ。もし、まだの方は是非お試し下さい。気に入っていただけること、請け合いです。
【略歴】
高島肇久(たかしまはつひさ)
1963年NHK入局。ワシントン特派員、ロンドン支局長、「ニュース21」編集長およびアンカーマン、報道局局長、海外企画局長、開設委員長などを歴任。2000年9月国際連合広報センター、外務報道官を経て2005年7月退職。同年8月より外務省参与。