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エッセイなど
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省員エッセイ

NYで出会ったホームレス3人組
(総合外交政策局安全保障政策課課長補佐 宮本新吾)

平成18年10月

 国際連合日本政府代表部に勤務していたかれこれ4年前のことです。事務所の近くにちょっとした公園があって、いつ行っても一緒に固まっている3人組のホームレス(「S」、「K」、「R」としましょう)がいました。

 昼にはサンドイッチを買ってその公園へ出かけ、ベンチに腰掛けそそくさと腹に詰め込むのを日課としていた私は、隣のベンチに陣取る彼らとそのうち言葉を交わすようになりました。「友達」という感じになるのに、多分それほど時間はかからなかったと思います。

 仕事が終わった夜遅くに通りかかると、彼らはよく道端で酒を飲んでいたので、つい一緒に座り込んで思わず話し込んでしまったことも1度や2度ではききません。路上での飲酒は見つかるとお咎めを受ける街ですから、彼らの酒といってもミネラルウォーターのペットボトルに詰め替えたものだったり、紙袋に入れたりしています。お金は、あげたことも要求されたこともありません。

 「S」は気のいいお兄ちゃんという感じ。若い頃に空手をやっていたそうで、しきりに日本が好きだと言っていました。曰く、「日本は戦争でアメリカに負けたけど、日本人はこれまで白人に対して媚びを売らずに成功した唯一の民族だ。だから俺は日本人を尊敬しているし、日本文化についても知っている。『宮本武蔵』も読んだし、昔は空手もやっていた」。こんな感じでした。彼は、神風特攻隊にも興味を持っていたので、私は特攻隊員として散った日本の若者たちの遺書を集めた「聞け、わだつみの声」の英訳本(Listen to the Voices from the Sea)を購入してプレゼントしました。仕事をしている様子はないし、どのようにして暮らしを立てているのかは最後までよくわかりませんでした。

 「R」は物静かな初老の紳士? ですが、3人の中では一番「ホームレス度」が高そうに見えます。私は、帰宅途中に彼が路上で寝ているところにも出くわし、一言二言話をしてからわかれるのが常でした。彼はいつも他の2人や私の言うことに相槌を打つだけで、自分から話をすることはまれでした。私の日々の職場であった国連については、「小学生の頃、遠足で見学に行ったきり1度も行ったことはない」と言っていました。

 「K」はゴミ箱から雑誌や古本を集め、道ばたで安く売ることで生計を立てていました。いつも酔っ払っていて、公園に一晩中いることが多かったので、ホームレスかも知れませんが、「俺の部屋」とか、「お袋の家」の話をすることもあったので、たまに酔っぱらって公園で寝ていただけなのかも知れません。毎朝4時に起きてマンハッタンのアパートのゴミ捨て場で雑誌を拾い集めては売っていたそうです。20年以上も毎日毎日雑誌を集めて売ってきたそうで、私に「拾ったけど売れないから」といって日本語の本を30冊ぐらいくれたこともありました(きっと日本人が引越しか何かで要らなくなった本をたくさん捨てたのでしょう)。

 3人に共通していたのは白人を強く憎んでいたこと(3人は黒人でした)。「アメリカは自由の国だから誰でも住めるけど、白人以外は気持ちよくは住めないようになっている」といっていました。してみると私が彼らと友情を育むことができたのも、私が東洋人であり、「有色人種」であることが、彼らから見てひとつの重要な要素だったのかもしれません。

 また、「差別されている」という強い被害者意識にさいなまれていたことも印象的でした。帰宅途中に3人と一緒に歩道でたむろしていて、警官(白人)に見つかり注意されたことがあります。私にとっては、警官はどう見ても3人と私を平等に扱い、えこひいきなく注意していたように感じられたのですが、彼らは、警官が背広を着てきちんとした格好をしている私を無視して、ホームレスである彼らのみに警告していたと最後まで言い張っていました。

 まさかアメリカを、ホームレスの目線から見直すことになろうとは、私自身思ってもみなかったことでした。確かなことは、この3人と付き合って、私はもう「ホームレス」と十把一絡げに云々することができなくなったということです。私にとって彼らはあくまで、SでありK、そしてRという、それぞれの人生を生きている個人だからです。

 彼らは私にとって、毎日の昼休みを共に過ごす友人でした。当時私は、9・11同時多発テロの直後の国連でアフガニスタン情勢とテロ対策を担当する多忙な毎日を過ごしていました。今から思えば、私にとっても、仕事とまったく関係のない四方山話をできる相手として、彼らは貴重な存在だったのです。国連代表部での任期を終えて日本に帰る直前、公園でハグをして別れた時、「またニューヨーク(NY)に来るときがあったら、絶対この公園に来いよ!待ってるから!!」と彼らは言いました。

 今でも私は、年に1〜2回は出張でNYに赴きます。その都度、会議や会談の合間に、時間を見つけては、例の公園に行きます。でもなぜか、あんなにいつも公園でたむろしていた彼らは、今はそこにいません。警察の監視が強くなって暮らしにくくなったのか、それとも、偶然会えないでいるだけなのか。それでもきっといつか、不意に再会できそうな気がして、NYに行くたび私の足は自然と公園に向かうのです。

(注)私は、NYでの日々の生活の中で、長い時間をかけて、自然な形で彼らと友人になりました。しかしながら、一般に、海外で路上生活者に気軽に話しかけることは安全とは言えません。この稿を読まれた方が、そのような行為を行うことは危険な場合がありますので、厳に慎まれるようお願いします。


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