東名高速道路を名古屋に向かって走り、豊田市のインターチェンジから北へ1時間ほど入ったところに愛知県東加茂郡旭町がある。
人口約4,000人の小さな町。今回はこの旭町が主役である。
明治39年、いくつかの村が合併し旭村が誕生した。昭和30年には生活のつながりが深かったこともあり、全国的にも極めて珍しい「越県編入合併」によって、岐阜県の一部が越県して旭村に加わり、そして昭和42年に町制を施行、旭町が誕生した。
いま、全国には三千数百の市町村があり、多くの自治体が過疎化対策に頭を痛めている。
そして前述のように、国際的行事の誘致を考えたり企業の誘致を考えたりする。
しかし地理的に、立地条件として企業誘致などに向かない所も多い。各自治体はそれぞれの地域の特徴を生かして努力する。
旭町は過疎化対策を頭に入れつつ、ある理念をもって“まち造り”に励んでいる。
“人の数”を増やすより
“人の質”を高めよう
旭町は人口は減少傾向にあった。しかし、企業誘致を積極的に進めるには立地条件がそろっていない。
そこで旭町が考えたことは、人口を増やすことを考えるよりも、若い人々が夢を持ち、楽しい町であると感じるような魅力ある町造りを目指すことであった。
その一つが旭町を国際色豊かな、世界とつながりを持つ町にすることであった。旭町が意識的に国際交流事業に取り組んだのは1985年のことである。
名古屋にある国際連合地域開発センターの地域開発総合研修に参加していた28カ国32人の研修生の地方視察を旭町に受け入れたときから、この町の国際化が始まったのである。
国際交流の原点は人間交流である。真の人間交流は相互に差別なく理解し合うことから始まる。
気張らず、背伸びせず、普段着の気持ちで相手方と接し、心と心の触れ合いを求める。
それにより一人一人の世界観を理想的なものとし、さらに町民の知的レベルの向上と町造りと地域進行の一助とする。
これが旭町のモットーである。非常によくその心意気が伝わってくる。その自然体がいい。
1993年、国連地域開発センター(UNCRD)による研修生としてインドネシアから20人の地方公務員が訪日した。そしてその研修の一部が旭町で行われた。町民あげて大歓迎であった。その研修をきっかけに、有志によりAIS(Asahi Indonesia Society)が設立された。遙か彼方の遠い国であったインドネシアが、極めて近い存在になった。
旭町にはこれまで蓄積されてきた地方行政や農林業などの地場産業振興の実績がある。
インドネシア政府は、現在地方自治体の強化とそれに必要な職員の養成を目的とした政策をとっている。旭町は自分の町に蓄積されたノウハウを生かしてインドネシアに協力できると確信し、協力を開始した。今、両者の間で人の交流が盛んになってきている。
やればできる!
小さな町のワールドカップ
1994年9月、旭町の矢作川において、ワールドカップ'94ファイナル・カヌースローラム大会が開催された。16カ国から選手役員合わせて162人が参加した。この大会がアジアで開催されたことは未だかつてなかった。大会の成功を願って、町民は大会の運営のために大きな働きをボランティアとして行ったのである。
その結果、予想以上に参加各国の選手や役員に好評であった。町民も世界各国からの遠来の客との交流を楽しんだようだ。
このように立地条件を考えてその地理的な面での特徴を生かしつつ世界規模のスポーツ大会を誘致し、成功させたのはすばらしい事である。
幅広いNGO活動を進める町民、世界的催し物を成功させ自信を持つようになった人々。
今、地方が元気なのである。