アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ

2012年3月現在
16万3,610平方キロメートル(日本の約5分の2)
1,055万人(2010年、世銀)
チュニス
アラブ人(98%)、その他(2%)
アラビア語(公用語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)
イスラム教スンニ派(ごく少数だがキリスト教およびユダヤ教も信仰されている)
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 紀元前9世紀より都市国家カルタゴとして栄えた。ベルベルとフェニキアの文化が融合する。 | |
| 紀元前146年 | ローマ帝国がカルタゴを征服。 |
| 439年 | ゲルマン系ヴァンダル族がカルタゴを占領し、ヴァンダル帝国を建設。 |
| 533年 | 東ローマ帝国のビザンチンがヴァンダル帝国を滅ぼし、ビザンチン文化が開花。 |
| 7世紀 | アラブ侵入、イスラム化の始まり。 |
| 1574年 | オスマン帝国の属州となる。 |
| 1881年 | フランスの保護領となる。 |
| 1956年3月 | フランスより独立。翌年7月、共和制に移行し、ブルギバ大統領就任。 |
| 1959年6月 | 共和国憲法発布 |
| 1987年11月 | ベン・アリ大統領就任 |
| 1989年4月 | ベン・アリ大統領当選 |
| 1994年3月 | ベン・アリ大統領再選 |
| 1999年10月 | ベン・アリ大統領三選 |
| 2004年10月 | ベン・アリ大統領四選 |
| 2009年10月 | ベン・アリ大統領五選 |
| 2011年1月 | ベン・アリ政権崩壊。ムバッザア暫定大統領就任。 |
| 2011年3月 | 1959年憲法の停止 |
| 2011年10月 | 制憲国民議会選挙の実施 |
| 2011年11月 | 制憲国民議会の開会 |
| 2011年12月 | マルズーキ大統領就任、ジェバリ首相内閣の発足 |
共和制
モンセフ・マルズーキ(His Excellency Dr. Moncef MARZOUKI)(2011年12月就任)
制憲国民議会
議席数:217(国内選挙区:199、海外選挙区:18)
任期:開会日(2011年11月22日開会)から最大1年(但し,法的根拠はないため延長可能)
2011年12月、マルズーキ大統領の下で新内閣が発足。
(1)首相 ハマディ・ジェバリ(His Excellency Mr. Hamadi JEBALI)
(2)外相 ラフィーク・アブデッサレーム(His Excellency Dr. Rafik ABDESSALEM)
(1)独立以来のブルギバ大統領に引き続き1987年以降、ベン・アリ大統領は強力なリーダーシップを発揮し、近代化・西欧化を推進する一方で、社会主義運動及びイスラム過激主義運動を弾圧し、政治的安定を維持してきた。一方で、複数政党制を中心とした民主化の一層の推進が課題となっていた。
(2)2010年12月にチュニジア中南部で発生した貧困・雇用対策を求める大規模抗議デモを機に、チュニジア各地でデモが発生。住民と治安部隊の間で衝突が起きた。2011年1月、反政府デモ・暴動が急速に拡大・深刻化する中、ベン・アリ大統領は国外に脱出、憲法規定に従い、ムバッザア代議院議長が暫定大統領に就任。野党指導者を含む新内閣が発足したが、同新内閣の閣僚の多くがベン・アリ前政権時からの留任だったため、国民から強い反発を受け、1月27日、ガンヌーシ首相を含め前政権時の3名の閣僚のみを留任させた改造内閣が誕生。しかし、その後も、ベン・アリ政権下で11年以上首相を務めたガンヌーシ首相の退陣を要求するデモが断続的に発生し、2月27日に同首相は辞任。同日、ムバッザア暫定大統領は、ガンヌーシ首相の後任として、カイド・エセブシ氏(ブルギバ大統領時代に内相、国防相、外相、ベン・アリ大統領時代に代議院議長を務めた)を首相に任命。
(3)2011年10月23日、新憲法制定のための議会(制憲国民議会)を選出するための選挙が実施された。同選挙の監視活動を行ったわが国の選挙監視団を含む多数の国際選挙監視団が、同選挙が大きな混乱なく実施されたことを評価した。
(4)11月、議会に多数議席を持つイスラム主義政党「エンナハダ」(第1党、89議席)、中道政党「共和国のための会議(CPR)」(第2党、29議席)、左派政党「エタカトル(FDTL)」(第4党、20議席)の間で、大統領・首相・議長ポストに関する3党合意が結ばれた。これを受け、制憲国民議会が開会された同月22日、エタカトルのムスタファ・ベン・ジャアファル党首が議長に選出された。12月12日にはCPRのマルズーキ党首が大統領に選出された。同月14日、マルズーキ大統領はエンナハダのジェバリ幹事長を首相に任命するとともに組閣を指示し、同月23日、ジェバリ氏を首相とする新内閣が議会で承認された。
(5)チュニジアは独立以来一貫して初等教育の普及と高等・専門教育の充実に力を入れている。義務教育対象年齢は6歳から16歳、期間は9年。また、女性の権利保障と社会進出を重視した法整備も進められてきた。特に、一夫多妻の禁止と世俗的法に基づいた離婚の権利(1956年)、女性の参政権(1959年)が保障されている。バースコントロールの普及にも積極的である。他方、ベン・アリ政権下では、言論・報道の自由、情報アクセスの自由の制限、政府による検閲等、政府による人権の抑圧が指摘されていたことから、これらの問題解決が新内閣にとっての課題のひとつとなっている。
(1)2002年4月、南部ジェルバ島において自爆テロが発生し、ドイツ人観光客14名を含む19名が犠牲となった。その後、当局の徹底した取締りによりテロは発生していなかったが、2006年末から2007年初めにかけて、チュニス市郊外において、治安部隊と武装集団の銃撃戦が発生した。報道によれば、当該武装集団はイスラム過激派とされている。
(2)2011年1月14日、高い失業率と貧困に苦しむ若者を中心とした市民の蜂起により、23年間にわたり国家元首の座にあったベン・アリ大統領は国外逃亡し、その後ムバッザア臨時大統領を長とする暫定政府が成立した。同暫定政府は民主化を進めると共に、政変後一時危機的状況に陥った治安の回復に努め、同年10月23日には新憲法を制定するための議会選挙が実施され、無事終了している。政変時に発令された非常事態宣言は、5度の延長を経て、現在も継続されており、内陸部の比較的開発が遅れた地区では政府等に対する抗議のデモが一部暴徒化する等し、夜間外出禁止令が発令される事態も発生しているが、全体的には、警察官の増員等治安機関の体制強化もあり、チュニジアの治安は回復傾向にある。
非同盟中立。米、仏等欧米諸国と緊密な関係。穏健かつ現実的な外交政策。中東和平プロセスを支持するとともに、アフリカ問題への関与にも積極的。かつては中東和平多国間協議をホストするなど、中東和平問題への関与も積極的であったが、近年目立ったイニシアティブは取っていない。サルコジ仏大統領の提唱で2008年7月に発足した「地中海のための連合(UPM)」に参加している。また、2011年12月に発足した新内閣はマグレブ諸国、特に隣国リビアとアルジェリアとの関係強化を優先事項として掲げている。
(1)予算 5億3,200万ドル
(2)兵役 徴兵選抜制(12か月)
(3)兵力 35,800名(陸軍27,000名 海軍4,800名 空軍4,000名)
(1)近隣諸国との関係
チュニジアは北アフリカ5か国(アルジェリア、リビア、モーリタニア、モロッコ、チュニジア)が加盟するアラブ・マグレブ連合(AMU)を通じた地域内経済交流の活発化や治安協力を重視している。なお、2006年以降、ベン・ヤヒア元チュニジア外相がAMU事務局長を務めている。
また、毎年チュニスにおいてアラブ内相会議を開催する等、近隣諸国との治安協力体制の強化を図っている。2001年には、アルジェリアとの間で二国間軍事協力協定を締結した。また、アルジェリア、イタリアとの間で二国間軍事合同委員会を開催している。
(2)対欧米諸国との関係
チュニジアは輸出の76%、輸入の71%を欧州が占め(2010年、チュニジア統計局)、約2,500社のEU諸国企業(2008年)がチュニジアに進出している。今後は、EUとの間での農業、サービス分野の関税撤廃が目標(工業製品については2009年に撤廃済み)。2011年9月、EUのアシュトン上級代表、チュニジアのカイド・エセブシ首相(当時)及びアフリカ開発銀行のカベルカ総裁等の出席の下、チュニジア・EU第1回タスクフォースが開催され、政治、社会及び経済分野での関係強化が議論された。
米国との関係では、2011年3月にクリントン国務長官がチュニジアを訪問したほか、10月にはカイド・エセブシ首相(当時)が米国を訪問しオバマ大統領、クリントン長官と会談を行った。米国はまた、米国企業のチュニジア進出支援やボランティアの派遣等、対チュニジア経済協力の強化も表明している。
チュニジアは毎年春にEU及び米国と定期合同委員会を開催している。
(3)地中海諸国との関係
チュニジアは、地中海沿岸諸国計43ヶ国・地域で構成される「地中海のための連合(UPM)」に参加している。
また、地中海沿岸EU5カ国(仏、伊、スペイン、ポルトガル、マルタ)及びAMU5カ国は定期的に「5+5対話」を開催しており、2010年4月にはチュニス近郊のガマルタで第8回5+5対話外相会議が開催された。
(4)中東和平問題への取組
チュニジアは1990年代に多数の中東和平に関する多国間協議を主催するなど、同問題に積極的に関与していた。1996年のネタニヤフ政権誕生後、チュニジアはイスラエルから利益代表を召還、その後1999年のバラク政権誕生を受けて利益代表の相互交換に合意していたが、2000年9月のイスラエル・パレスチナ間の衝突以降、再開計画は中断している。
パレスチナ解放機構(PLO)は、1982年にベイルートからチュニスに本部を移転したが、オスロ合意後の1994年にパレスチナに再移転した。チュニジアは、アッバース・パレスチナ自治政府大統領を支持しており、最近では2010年3月、2011年4月及び同年11月に同大統領がチュニジアを公式訪問した。また、2012年1月にはハニーヤ・ハマス「首相」がジェバリ首相の招待によりチュニジアを訪問した。
チュニジア政府はパレスチナ独立国家建設及び国連正式加盟を支持する立場を取っている。ガザ紛争(2008年12月~2009年1月)及びイスラエル海軍によるパレスチナ支援船に対する攻撃(2010年7月)の際には、イスラエルの行動を非難する声明を発表した。
(5)サハラ以南アフリカ諸国との関係
アフリカ連合(AU)およびアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)を通じて、政治・経済的協力関係を築いている。また、JICAと協力してのサブ・サハラ諸国への研修の実施等についても、医療保健分野、観光開発分野等で積極的に実施している。また、現在まで、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ナミビア、ソマリア、ルワンダ、ブルンジ、コンゴの紛争に平和維持軍を派遣している。
(1)サービス業(41%): 観光業、情報通信産業 等
(2)製造業(16%): 繊維、機械部品、電機部品、食品加工 等
(3)農業(7%): 小麦・大麦・柑橘類・オリーブ・なつめやし 等
(4)その他(27%): 鉱工業 等
※分野毎(サービス業、製造業、農業)の割合は、2010年の実質GDPに占める割合)
428億米ドル(2010年、世銀)
4,060米ドル(2010年、世銀)
3.7%(2010年、世銀)
4.4%(2010年、世銀)
13.0%(2010年、チュニジア国立統計局:ILO基準)
輸出(FOB) 165億米ドル 機械部品、電機部品、衣類
輸入(CIF) 233億米ドル 機械、電化製品、原油、天然ガス
※TND換算の統計資料を2010年年間平均レート(1米ドル=1.4293TND)でドル換算
輸出 (1)フランス(29%)、(2)イタリア(20%)、(3)ドイツ(9%)、(4)英国(5%)、(5)リビア(5%)
輸入 (1)フランス(19%)、(2)イタリア(18%)、(3)ドイツ(8%)、(4)中国(6%)、(5)スペイン(5%)
チュニジア・ディナール(TND)
1米ドル=1.4293TND(2010年年間平均レート、チュニジア中央銀行)
(1)1987年からのベン・アリ政権下で、チュニジアは着実な経済発展を遂げ、ここ数年は、年率5%程度の安定した経済成長を継続した。1995年にはEUとの間で自由貿易圏を設立する趣旨のパートナーシップ協定を締結し、2008年に工業製品に関する関税撤廃が導入される等、欧州、湾岸諸国との経済自由化を推進した。一方で、30歳以下が人口の過半を占める人口構成等に起因して、雇用対策、特に若年高学歴層の雇用対策が大きな課題となっていた。また、観光リゾート開発、工場進出等で発展が続く沿岸都市部と、農業以外に主要産業がない内陸部との格差が大幅に拡大した。ベン・アリ政権は、外国企業の内陸部への誘致や観光による地域開発を進めていたが、ベン・アリ政権内部の利権構造等により外国からの投資は伸び悩み、失業問題は高学歴層を中心に高止まりしたままであった。
(2)2010年12月、内陸都市で失業青年による焼身自殺が発生した。この後、反政府デモが拡大したことを受け、2011年1月14日、ベン・アリ大統領は国外に脱出し政権は崩壊した。チュニジア経済は、政変の影響による外国人観光客、新規投資の減少、リビアの混乱の波及等により、2011年の経済成長率はほぼゼロ成長の見込みであり、喫緊の課題とする雇用の確保、地域間格差の是正には、一定の時間を要する見込み。
(1)フランス(174)、(2)スペイン(128)、(3)ドイツ(32)、(4)日本(13)、(5)英国(4)
注1:支援総額(純額)は486
注2:支援総額にはEU(111)他のマルチ・ドナー(134)を含む
(1)有償資金協力 2,239.79億円(交換公文ベース)
(2)無償資金協力 46.79億円(交換公文ベース)
(3)技術協力実績 213.34億円(JICA経費ベース)
(1)有償資金協力(円借款)
(2)無償資金協力
(3)技術協力
日本は1956年6月26日にチュニジアを承認し、1969年2月5日に在チュニジア大使館を開設。開発・国際協力担当相がほぼ毎年訪日している等、特にチュニジアからの要人来訪が盛ん。1985年以来定期的に「日・チュニジア合同委員会」が日本、チュニジアで交互に開催され、二国間関係全般、中東情勢、アジア情勢等について幅広い意見交換が行われている。
1985年12月 第1回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
1989年 3月 第2回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
1994年10月 第3回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
1998年 6月 第4回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
2003年 6月 第5回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
2008年 3月 第6回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
2010年 5月 第7回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
2012年 2月 第8回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
(1)日本の対チュニジア貿易額(出典:財務省貿易統計、単位:億円、2011年)
(2)日本からの進出企業数 11社(現地法人化された企業を含む)
(1)チュニジアに海外拠点を設置する筑波大学を中心とした学術交流
(2)国費留学生の受入れ
(3)日本映画・アニメの上映会の実施
(4)日本人音楽家によるコンサートの実施
(5)日本語講座を設置する語学学校への支援 等
172名(2011年10月1日現在)
432名(2011年1月現在)
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1982年1月 | 渡辺蔵相 |
| 1982年6月 | 安倍通産相 |
| 1983年8月 | 竹内衆議院外務委員長、 桜内元外相 |
| 1988年6月 | 浜田外務政務次官 |
| 1991年6月 | 木部日・アラブ友好議連会長 |
| 1991年7月 | 森喜朗衆議院議員(公式訪問団) |
| 1992年10月 | 園田厚生政務次官 |
| 1994年3月 | 石橋日・チュニジア友好議連幹事長 |
| 1996年4月 | 森喜朗衆議院議員・衛藤征二郎衆議院議員 |
| 1996年6月 | 高円宮同妃両殿下(公式訪問) |
| 2000年9月 | 荒木総括政務次官 |
| 2001年1月 | 町村文部科学大臣 |
| 2001年5月 | 衛藤征二郎衆議院議員 |
| 2001年8月 | 衛藤征二郎衆議院議員、土屋品子衆議院議員 |
| 2002年5月 | 松浪外務大臣政務官 |
| 2002年9月 | 武藤元外相、松岡衆議院議員、西川衆議院議員 |
| 2003年7月 | 不破衆議院議員、緒方参議院議員 |
| 2003年9月 | 参議院公式訪問団(団長:本岡副議長) |
| 2003年10月 | 川口外務大臣 |
| 2004年3月 | 有馬政府代表 |
| 2004年5月 | 有馬政府代表 森元総理、杉浦衆議院議員、山本明彦衆議院議員(日AU友好議連) |
| 2004年8月 | 長浜衆議院議員、能勢衆議院議員、高橋千秋参議院議員(公式訪問) |
| 2004年8月 | 町村衆議院議員、渡海衆議院議員 |
| 2005年4月 | 河井外務大臣政務官、松田岩夫参議院議員 |
| 2005年11月 | 竹中総務大臣(世界情報社会サミット) |
| 2005年12月 | 衆議院予算委員会派遣議員団 |
| 2006年1月 | 河野衆議院議長(公式訪問) |
| 2006年7月 | 矢野哲朗参議院議員、椎名一保参議院議員 |
| 2006年8月 | 伊藤信太郎外務大臣政務官 |
| 2007年8月 | 西村康稔衆議院議員、山際衆議院議員 |
| 2008年3月 | 宇野外務大臣政務官 |
| 2008年7月 | 桜井環境副大臣 |
| 2008年7月 | 三原自民党国際局長一行(立憲民主連合(RCD)党大会参加) |
| 2008年7月 | 小池晃参議院議員(立憲民主連合(RCD)党大会参加) |
| 2008年11月 | 高橋千秋参議院議員 |
| 2009年6月 | 緒方JICA理事長 |
| 2009年12月 | 山東参議院副議長、家西悟参議院議員、木庭健太郎参議院議員 |
| 2010年1月 | 飯村政府代表 |
| 2010年7月 | 松下経済産業副大臣 |
| 2010年12月 | 前原外務大臣・大畠経済産業大臣(第2回日本・アラブ経済フォーラム) |
| 2010年12月 | 柳澤光美参議院議員、米長晴信参議院議員、佐藤正久参議院議員(参議院ODA調査団) |
| 2011年5月 | 飯村政府代表 |
| 2011年10月 | 浜田外務大臣政務官(制憲国民議会選挙・日本監視団) |
| 2012年3月 | 緒方JICA理事長 |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1990年6月 | ケリル外相 |
| 1990年11月 | カルイ首相(即位の礼) |
| 1991年6月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
| 1992年2月 | ナブリ計画相 |
| 1993年4月 | ハナシ国際関係・外国投資相付長官 |
| 1994年10月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
| 1994年11月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
| 1996年2月 | ベン・レジェブ農相 |
| 1996年5月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
| 1996年6月 | ムリカ環境・国土整備大臣 |
| 1996年7月 | ベン・アリ大統領(国賓)、ベン・ヤヒア外相、アブダッラー大統領府報道官 |
| 1998年4月 | ムバッザア代議院(下院)議長(衆議院招待) |
| 1998年5月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
| 1998年6月 | ファヤラ外務国務長官(第4回日・チュニジア合同委) |
| 1999年5月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
| 1999年11月 | マウイ観光・余暇・伝統工業相 |
| 2000年3月 | フリーア通信相 |
| 2000年5月 | メルダッシ国際協力・外国投資相 |
| 2000年6月 | ムバッザア代議院(下院)議長(小渕総理葬儀) |
| 2000年10月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
| 2001年5月 | メルダッシ国際協力・外国投資相(投資セミナー出席) |
| 2001年11月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
| 2002年2月 | メルダッシ国際協力・外国投資相(投資セミナー出席) |
| 2002年12月 | ベン・ヤヒア外相 |
| 2003年5月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
| 2003年9月 | ガンヌーシ首相、ジュイニ開発・国際協力相(TICAD III) |
| 2004年5月 | ベン・ヤヒア外相 |
| 2004年6月 | ベン・ヤヒア外相 |
| 2004年7月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
| 2005年4月 | ハッダード観光相 |
| 2005年5月 | ワーリイ通信技術相 |
| 2005年6月 | ガンヌーシ首相(愛・地球博)、ジュイニ開発・国際協力相 |
| 2005年10月 | テッカリ司法・人権相(大統領特使) |
| 2006年1月 | ケシュリッド保健相 |
| 2006年5月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
| 2006年7月 | アブダッラー外相 |
| 2007年4月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
| 2008年3月 | シティウイ外務大臣付国務長官(第6回日・チュニジア合同委員会) |
| 2008年4月 | カッラール評議院(上院)議長(参議院議長招へい) |
| 2008年5月 | ガンヌーシ首相、ジュイニ開発・国際協力相(TICAD IV) |
| 2008年10月 | ブウニ高等教育・学術研究・テクノロジー相(STSフォーラム、日本・アフリカ科学技術大臣会合) |
| 2009年7月 | アブダッラー外相(外賓) |
| 2009年10月 | エル・バスティ文化・遺産保存相(「古代カルタゴとローマ展」開会式出席) |
| 2009年12月 | ジュイニ開発・国際協力相(第1回日本・アラブ経済フォーラム) |
| 2010年10月 | テッカリ高等教育・科学研究相(STSフォーラム、日本・アフリカ科学技術大臣会合) |
| 2010年10月 | ムリカ首相顧問大臣(生物多様性条約COP10ハイレベル会合) |
| 2011年5月 | ケフィ外務大臣 |
| 2012年2月 | ベン・アベス外務大臣付国務長官(第8回日・チュニジア合同委員会) |
1956年 査証免除取極(日仏査証免除取極を独立後も継続)
1960年3月 貿易取極
1974年7月 青年海外協力隊派遣取極
(1)
日・AU(アフリカ連合)議員連盟チュニジア委員会(会長 森喜朗衆議院議員)
チュニジア・日本友好議員連盟(政変による代・評両議院解散に伴い活動休止中)
(2)
日本チュニジア協会(会長 小野安昭前駐チュニジア日本大使)
チュニジア日本友好協会(会長 サラ・ハンナシ元駐日チュニジア大使)