アジア
タイ王国(Kingdom of Thailand)

基礎データ

平成25年10月1日

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一般事情

1.面積

51万4,000平方キロメートル(日本の約1.4倍)

2.人口

6,593万人(2010年)(タイ国勢調査)

3.首都

バンコク

4.民族

大多数がタイ族。その他,華僑,マレー族,山岳少数民族等。

5.言語

タイ語

6.宗教

仏教 94%,イスラム教 5%

7.略史

タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ,その後アユタヤ王朝(14~18世紀),トンブリー王朝(1767~1782)を経て,現在のチャックリー王朝(1782~)に至る。1932年立憲革命。

政治体制・内政

1.政体

立憲君主制

2.元首

プミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世王)
(1946年6月即位)

3.議会

下院 500名(小選挙区 375名,比例区 125名)

上院 150名(公選 77名,任命 73名)

4.政府

(1)首相名 インラック・シナワット

(2)外相名 スラポン・トーウィチャックチャイグン

5.内政

タイにおいては,2006年2月以降,親タクシン首相(当時)派と反タクシン派双方の大規模な集会が開催され社会的対立が激化し,同年4月の選挙は,野党がボイコットする等の異例の事態となった。その後,司法当局により選挙は違憲無効と判断され,選挙のやり直しが検討される中,2006年9月,ソンティ陸軍司令官(当時)を中心とする軍部による政変が発生し,タクシン政権は終焉を迎えた。

その後,2007年12月,スラユット政権下で下院議員選挙が行われ,タイ愛国党の流れを汲む国民の力党は,下院480議席中,233議席を獲得し,第一党となった。2008年1月,サマック国民の力党党首が下院で首相に選出され,翌2月に同首相の下,新政権が発足した。しかし,サマック首相退陣を求める反政府デモ(黄色シャツ)が拡大し,首相府がデモ隊によって長期にわたり占拠される中,同首相に対して憲法違反判決が出され,同じく国民の力党のソムチャイ副首相が2008年9月首相に就任した。その後も国民の力党政権に対するデモ集会が継続され,08年11月末にデモ隊がバンコクの国際空港を占拠し,12月のASEAN関連首脳会議が延期されるに至り,社会・経済的に多大な影響を与えた。同年12月,国民の力党幹部の選挙違反に対して憲法裁判所が憲法違反を認め,国民の力党の解党・幹部の政治活動禁止の判断を下したため,ソムチャイ首相は失職し,アピシット民主党党首が首相に選出された。

その後は,タクシン支持派(赤シャツ)によるデモ集会が頻発し,2009年4月にパタヤで開催されていたASEAN関連首脳会議の会場にデモ隊が乱入した。2010年2月に最高裁判所が,タクシン元首相の国内資産を没収する判決を出し,UDDが民主党政権への不満を高める中,3月中旬より国会の即時解散を求めてバンコク都内において大規模な反政府抗議集会を実施。4月10日,デモ隊と治安部隊との間で衝突が発生し,邦人1名を含む25名が死亡した。その後もデモ隊はバンコク中心部でのデモ集会を続行したが,5月19日に治安部隊がデモ隊への行動を開始し,赤シャツ幹部はデモ集会の終結を宣言した。3月からのデモ隊と治安部隊との一連の衝突により日本人を含む約90名の死者が発生した。

2011年5月,アピシット首相は,同年12月の任期満了を待たず,下院を解散,同年7月3日に総選挙が行われた。選挙の結果,タクシン元首相支持派のタイ貢献党が500議席中,265議席を獲得し議会内第1党となった。アピシット首相は敗北宣言を行い,民主党は野に下った。8月10日,国会においてインラック・シナワット女史が,首班指名を受け,インラック政権が成立した。

同政権は,7月からの降雨によりもたらされた北部及び中央部を中心に発生した大規模洪水被害により,政権発足直後から非常事態に直面することとなった。他方,2012年の雨期は大規模な洪水被害に見舞われることなく終了。現在,同政権は比較的安定的に運営されている。

外交・国防

1.外交基本方針

タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ,ASEAN諸国との連携と日本,米国,中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。

2.軍事力

(1)予算 1685億バーツ(2011年度)

(2)兵役 徴兵2年,予備役20万人

(3)兵力 正規30万5860人(陸軍190,000人,海軍69,860人,空軍46,000人)

経済

1.主要産業

農業は就業者の約40%弱を占めるが,GDPでは12%にとどまる。一方,製造業は就業者は約15%だが,GDPの約34%,輸出額の90%弱を占める。

2.GDP

3,650億ドル(名目,2012年)

3.一人当たりGDP

5,382ドル(2012年)

4.経済成長率

6.4%(2012年)

5.消費者物価指数

103.0(2011年を基準年とする)

6.失業率

0.7%(2012年)

7.総貿易額

(1)輸出 2,261億ドル(2012年)

(2)輸入 2,178億ドル(2012年)

8.主要貿易品目(2012年)

(1)輸出 コンピューター・同部品,自動車・同部品,機械器具,電子集積回路,天然ゴム

(2)輸入 原油,機械器具、電子部品

9.主要貿易相手国・地域(2012年)

(1)輸出 1.中国 2.日本 3.米国

(2)輸入 1.日本 2.中国 3.アラブ首長国連邦

10.通貨

バーツ

11.為替レート

1ドル=約31.08バーツ(2012年平均)

12.経済概況

タイ政府は,日本をはじめとする海外からの直接投資を梃子としつつ,工業化による輸出促進政策を推進した。かかる政策は奏功し,タイは1980年代後半から急速な経済発展を遂げた。その一方で,資本財,中間財等の輸入増大により,経常収支は恒常的に赤字であった。

バーツが米ドルにほぼ固定され,海外で調達された資金が不動産に流れ込むこと等によりタイ経済がバブル的な様相を呈する中,国際的投機筋の動きもあり,バーツ切り下げの圧力が高まった結果,1997年7月タイ政府は,変動相場制を導入,バーツは大きく売り込まれた。このような動きは他のアジア諸国に波及し,いわゆるアジア経済危機が発生した。タイ政府は,IMF及び日本をはじめとする国際社会の支援を受け,不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力し,タイ政府の財政政策を含む景気対策,好調な輸出などにより低迷を続けていた経済は,その後回復に転じた。

2001年2月に発足したタクシン政権は,従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え,農村や中小企業の振興策を打ち出した(「ドュアル・トラック・ポリシー」)。これらの内需拡大政策の効果と見られる個人消費の活性化等もあり,経済は2007年頃まで比較的高い成長を続けた(タクシン政権は,2006年9月にクーデターにより崩壊)。

2008年,内政の混乱に加え,リーマン・ショックに端を発した世界経済危機の外需減退を受けて,輸出が減速を始め,景気は低迷した。2008年,2009年の成長率は,それぞれ2.5%,-2.3%と近年にない低いものとなった。これに対しタイ政府は,大規模な財政支出による景気刺激策をとりつつ,経済の下支えを図った。その後,海外の輸出市場の景気回復にともない,タイ経済も回復。2010年は7.8%の成長率を記録した。2011年は当初3.5~4.5%の成長率を見込んでいたが,大規模洪水被害の発生により,実際には0.1%と低迷した。しかし,2012年は、洪水からの復旧・復興に加え、自動車販売の好調もあり,6.4%の高成長率を達成した。

経済協力

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力 なし

(2)無償資金協力 4.25億円(2011年度,E/Nベース)
 (一般無償資金協力については,1993年度を以て卒業)

(3)技術協力実績  35.29億円(2011年度,JICA事業分実績ベース)

二国間関係

1.政治関係

日・タイ両国は伝統的に友好関係を維持。皇室・王室間の交流も親密。近年,両国は二国間関係にとどまらず,東南アジア地域及び国際社会の諸問題についても緊密な対話と協力を実施している。1998年以降外交・防衛当局者協議を開催してきている。

2011年3月に発生した東日本大震災においては,タイから支援物資,義援金の供与,医師の派遣等国を挙げて大規模な支援が行われた。

2011年7月から発生したタイの大規模洪水被害に際しては,我が国から,排水ポンプ車隊を含む様々な調査団,専門家チームの派遣,レーダー観測機による被災地情報の収集,緊急物資,緊急無償資金の供与,ASEAN+3緊急米備蓄制度の下での支援等が実施された。また,市民,企業,NGO等により義援金の供与等の支援が実施された。工業団地が冠水し,日系企業も多くの被害を受けたことから,我が国政府は,資金面での支援や,タイ人労働者の日本での就業を一時的に一定の条件の下認めるなど,タイの経済復旧・復興とサプライチェーンの維持・早期回復にも資する日系企業支援を実施した。また,2010年11月,12月に行われた首脳会談,外相会談においても,我が国として,新たなチャオプラヤー川流域洪水対策マスタープランの策定を行うことなど,タイの復旧,復興,今後の治水対策を全面的に支援する旨タイ側に表明した。

2012年3月には,公式実務訪問賓客としてインラック首相が訪日し,野田総理との間で二国間,地域の課題につき意見交換を行うとともに共同声明(「恒久的な友情の絆に基づく戦略的パートナーシップに関する日タイ共同声明~災害を越えて育む友情~」)を発出した。また同年4月,インラック首相は日メコン首脳会議出席のため訪日した。2013年1月には、安倍総理が就任後最初の外遊先の一つとしてタイを公式訪問した。

 

2.経済関係

1980年代後半以降,日本企業は円高を背景に積極的にタイに進出し,タイの経済成長に貢献。現在,在バンコク日本人商工会議所への加盟企業は2013年9月現在1,506社を数える。1997年7月に顕在化した通貨経済危機に関し,日本は大規模な資金的・人的協力を実施。2007年,日タイ経済連携協定の発効により,両国の経済関係の更なる緊密化が期待される。またメコン地域開発を進める上での日本の重要なパートナーである。

(1)日本からタイへの輸出入

  2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年
輸出(タイへ) 24,777 26,647 30,093 30,515 20,697 29,937 29,885 34,889
輸入(タイから) 17,175 19,639 21,536 21,522 14,952 18,400 19,532 18,857
(イ)貿易額 (財務省貿易統計,単位:億円)
 
(ロ)主要品目(2011年商務省)
タイから日本への輸出:天然ゴム、自動車・同部品、コンピュータ・同部品
タイの日本からの輸入:機械・同部品,鉄・鉄鋼,自動車部品

(2)日本からタイへの直接投資(タイ投資委員会,認可ベース)

3,484.3憶バーツ(2012年)

3.文化関係

日,タイ間では,従来より文化人・青少年等の往来をはじめ伝統的音楽,舞踊の公演など各般にわたる文化面での交流が活発に行われている。

2007年は日タイ修好120周年に,また2009年は日メコン交流年に当たり,一年を通じて様々な事業が行なわれた。

4.在留邦人数

55,634人(2012年10月)

5.在日当該国人数

42,750人(2012年11月5日発表:外国人登録者)

6.要人往来(2005年以降)

(1)往訪
年月 要人名
2005年1月 町村外務大臣
2005年8月 秋篠宮殿下
2006年6月 天皇皇后両陛下(タイ国王即位60周年記念式典)
2007年3月 秋篠宮殿下
2009年1月 中曽根外務大臣
2009年4月 麻生総理大臣,中曽根外務大臣(ASEAN関連首脳会議:中止)
2009年7月 中曽根外務大臣
2009年10月 鳩山総理大臣(ASEAN関連首脳会議)
2010年8月 岡田外務大臣
2011年3月 秋篠宮殿下
2012年6月 皇太子殿下
2012年11月 秋篠宮殿下
2013年1月 安倍総理大臣
(2)来訪
年月 要人名
2005年5月 カンタティー外相(ASEM外相会合)
2005年8月 タクシン首相
2006年4月 タクシン首相(非公式訪問)
2006年5月 カンタティー外相(タイ・フェスティバル)
2006年8月 シリントーン王女殿下
2006年10月 チュラポーン王女殿下
2007年2月 ニット外相(日タイ修好120周年開幕式典)
2007年4月 スラユット首相
2007年10月 チュラポーン王女殿下
2007年11月 ニット外相(日タイ経済連携協定(第1回合同委員会))
2008年1月 ニット外相(日メコン外相会議)
2008年5月 ノパドン外相(タイ・フェスティバル)
2008年9月 チュラポーン王女殿下
2009年1月 ソムサワリー王女殿下
2009年2月 アピシット首相
2009年11月 アピシット首相,カシット外相(日メコン首脳会議)
2010年1月 カシット外相(アジア中南米協力フォーラム)
2010年10月 シリントン王女殿下
2010年11月 チュラポーン王女殿下
2012年3月 インラック首相,スラポン外相
2012年4月 インラック首相,スラポン外相(日メコン首脳会議)
2013年5月 インラック首相,スラポン副首相兼外相

7.二国間条約・取極

  • 修好宣言(1887年)
  • 航空協定(1953年),文化協定(1955年),貿易取極(1958年),技術協力協定(1981年),青年海外協力派遣取極(1981年),租税条約(1990年),経済連携協定(2007年),受刑者移送条約(2010年)
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