
アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ
国名:スロバキア共和国
(Slovak Republic)
2012年4月現在
一般事情
1.面積
49,037平方キロメートル(日本の約7分の1)
2.人口
544.5万人(2011年9月スロバキア統計局)
3.首都
ブラチスラバ
4.民族
スロバキア人85.2%、ハンガリー人9.5%等(2009年末)
5.言語
スロバキア語
6.宗教
ローマ・カトリック69%、プロテスタント(ルター派)7%等(2001年:国勢調査)
7.国祭日
1月1日(独立記念日)、7月5日(キュリロスとメトディオスの日)、8月29日(スロバキア国民蜂起の日)、9月1日(憲法記念日)、11月17日(自由と民主主義のための闘争の日)
8.略史
| 年月 |
略史 |
| 9世紀 |
大モラビア国時代 |
| 10世紀 |
大モラビア国滅亡、ハンガリー王国の支配下に入る |
| 1526年 |
スロバキア地域を含むハンガリー王国がハプスブルク家の統治下に入る |
| 1867年 |
オーストリア=ハンガリー二重帝国への改組 |
| 1918年 |
第一次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊後、チェコスロバキア共和国建国 |
| 1939年 |
ナチス・ドイツの影響の下、スロバキア国独立 |
| 1945年 |
第二次世界大戦後、チェコスロバキア独立回復 |
| 1948年 |
共産主義体制確立 |
| 1968年 |
「プラハの春」事件 |
| 1969年 |
チェコスロバキアの連邦化 |
| 1989年 |
民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終焉 |
| 1993年 |
チェコと平和裡に連邦を解消し、独立 |
| 2004年 |
NATO、EU加盟 |
- 国の中部、北部にはカルパチア山脈に続くタトラ山脈が、ドナウ川沿いの南部には平原が広がる。
- 10世紀にスラヴ人の国家であった大モラビア国が滅亡した後は、ハンガリーの統治下に置かれたが、第一次世界大戦後の1918年秋にチェコスロバキア共和国として独立。
- 20世紀、特に第二次世界大戦後の共産主義時代には重点的に工業化され、軍需工業、重工業が発展。
- 1989年にビロード革命を達成の後、1993年1月にチェコとの連邦を解消し、スロバキア共和国として独立。
- 「欧州への回帰」を目標に、2004年3月にNATO加盟。同年5月にEU加盟を果たした。2009年1月よりユーロを導入した。
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
イヴァン・ガシュパロヴィチ(Ivan Gašparovič)大統領(2004年6月就任(2009年6月より二期目))(任期5年、三選不可)
3.議会
一院制(定員150名、任期4年)
4.政府
(1)首相 ロベルト・フィツォ(Robert FICO) (2012年4月就任)
(2)外相 ミロスラフ・ライチャーク(Miroslav LAJČÁK) (2012年4月就任)
5.内政
- 1993年1月、連邦を形成していたチェコと分離し独立。独立を主導したメチアル・「民主スロバキア擁護運動」(HZDS)党首が首相に就任。しかし、メチアル首相の強引な政治手法が政権内の反発を招き、1994年3月にメチアル政権は崩壊し、モラウチーク大連立内閣が成立。
- 任期満了に伴い1994年10月に行われた総選挙の結果、HZDSが勝利し、メチアル党首が首相に返り咲いた。しかし、その非民主的政治手法への欧米諸国の強い批判や経済政策の失敗等によりメチアル政権は支持を失っていった。
- 1998年9月の総選挙後、メチアル政権時の野党が中心となりズリンダ大連立内閣が成立。ズリンダ政権は国内の民主化政策推進と財政の健全化に取り組み、国外からも高い評価を得た。また、憲法改正により大統領直接選挙制度を導入し、1999年6月には1年以上空席となっていた大統領に与党「市民理解党」(SOP)のシュステル党首が就任した。
- 2002年9月には、同月に実施された総選挙の結果を受けて、中道右派4党の連立による第二次ズリンダ政権が発足。与党間の対立により2003年以降は少数内閣となったが、無所属議員の取り込みにより政権を維持した。2004年4月には任期満了に伴う大統領選挙が行われ、院外野党「民主擁護運動」(HZD)のガシュパロヴィチ党首が勝利し、6月に就任した (2009年4月に再選)。
- 2006年6月、任期を3ヶ月前倒しして総選挙が行われ、ズリンダ政権による構造改革がもたらした格差に対する国民の不満などを背景に、野党の「方向党-社会民主主義」(スメル:Smer-SD)が第一党となった。Smerは7月に「人民党-民主スロバキア擁護運動」(LS-HZDS)と「スロバキア国民党」(SNS)との連立に合意し、フィツォ・Smer党首が首相に就任した。メチアル元首相が率いるLS-HZDSと民族主義政党であるSNSの政権入りに対し、当初国外から懸念が表明されたものの、フィツォ政権は、中道左派政党であるSmerが主導する形で「低所得者に優しい社会福祉国家の創設」を目標に掲げ、比較的安定した政権運営を行った。
- 2010年6月12日に実施された国会総選挙において第一与党「方向党-社会民主主義」(Smer-SD)は最大議席を得たものの、連立パートナーのLS-HZDSの議席喪失、SNSの議席減少もあり、選挙後の連立交渉に失敗。7月9日、ラディチョヴァー「スロバキア民主キリスト教同盟」(SDKU)選挙リーダーを首班とするSDKU、「自由と連帯」(SaS)、「キリスト教民主運動」(KDH)、「架け橋」(Most-Hid)の4党による中道右派政権が発足。
- 2011年10月、EFSF(欧州金融安定化ファシリティー)機能拡充条約の批准問題が引き金となり、国会はラディチョヴァー政権への不信任を示した。その直後に、野党Smer-SDの支持を受け、EFSF機能拡充条約は批准されたが、その対価として、与野党は、2012年3月に繰上げ総選挙を実施しすることで合意した。
- 3月10日,2011年10月の与野党合意に基づく繰上げ総選挙が実施され,中道左派の最大野党Smer-SD(方向党-社会民主主義)が圧勝、過半数議席を獲得。
- 4月4日,ロベルト・フィツォ新政権が正式に発足。フィツォ政権はSmer-SDによるスロバキア史上初の単独政権。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)EU及びNATOとの協調が外交の基本方針
(2)ヴィシェグラード・グループ(チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア。V4と呼称される。)協力を重視。また現政権は、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ等の旧ソ連邦諸国に対するEU東方パートナーシップを通じた民主化・経済改革支援を重視すると共に、セルビア、クロアチア等の西バルカン諸国のEU、NATO加盟を支援している。
(3)国際平和協力にも積極的。アフガニスタン(ISAF)、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ(EUFOR ALTHEA)、キプロス(UNFICYP)等に約560名の兵士を派遣。
2.軍事力
(1)国防予算:16.104億ドル(2010年度)
(2)兵役:徴兵制(6ヶ月)
(3)兵力:陸軍7,300人、空軍4,200人(志願制)
経済
1.主要産業
機械工業、自動車産業
2.GDP
875億米ドル(2010年:IMF)
3.一人当たりGDP
16,187米ドル(2009年:IMF)
4.経済成長率
4.0%(2010年:IMF)
5.物価上昇率
0.7%(年平均値)(2010年:IMF)
6.失業率
12.5%(年末値)(2010年:スロバキア統計局)
7.総貿易額
(1)輸出 482.7億ユーロ
(2)輸入 474.9億ユーロ
8.主要貿易品目
(1)輸出 電気機器・部品、自動車・部品
(2)輸入 電気機器・部品、自動車・部品
9.主要貿易相手国
(1)輸出(%) ドイツ(19.3)、チェコ(13.7)、ポーランド(7.3)
(2)輸入(%) ドイツ(15.8)、チェコ(10.2)、ロシア(9.6)
10.通貨
ユーロ(EUR)(2009年1月より導入)
11.為替レート
1ユーロ=約107円(2012年4月現在)
12.経済概要
- 1993年の独立後のスロバキア経済は5~6%の高い経済成長を持続した。ただし、これはメチアル政権の市場メカニズムを無視した経済運営による表面的な経済成長であり、1998年の総選挙前には貿易赤字、財政赤字の拡大、深刻な国営銀行の不良債権問題等が顕在化していった。
- 1998年に発足した第一次ズリンダ政権は、公共投資の大幅削減、公共料金の値上げ等、財政立て直しに取り組んだ。メチアル政権時の国内資本保護的な政策を転換し、投資インセンティブ制度を整備するなどして積極的に外資導入を図り、銀行その他の国営基幹産業の民営化も推し進めた。これら経済改革の結果、1999年には1%台まで低下した経済成長は2002年には4.4%に回復した。
- 2002年9月に中道右派政党の連立により発足した第二次ズリンダ政権は、社会保障制度改革や法人税、所得税、付加価値税をすべて19%とするフラット・タックス制度導入等、一層の経済改革を推し進め、外国直接投資も増加した。2004年は5.5%、2005年は6.6%と高い経済成長は維持されたものの、一方で構造改革がもたらした格差に対する国民の不満を生む結果ともなり、2006年の総選挙における中道左派政党の「方向党-社会民主主義」(Smer-SD)の勝利と同党を中心とした連立であるフィツォ政権の成立を導いた。
- フィツォ政権は、ズリンダ前政権の経済自由改革路線と知識集約型経済を継続し、積極的な外国投資の誘致に取り組む一方、第一党のSmerが主導する形で、最低賃金の引き上げ、年金制度改革等、前政権の構造改革路線を一部軌道修正した。
- 2008年までは、高い経済成長率を維持してきたが(2008年GDP成長率5.8%:IMF)、EU市場を中心とした輸出に依存する体系のため、世界的経済危機の影響で、2009年のGDPはマイナス成長となった(2009年GDP成長率-4.8%:IMF)。
- ラディチョヴァー政権は、知識集約型経済の構築を継続すると共に、労働市場の流動性強化や国際競争力回復を目指した政策を導入した。また、2010年は、ドイツを中心としたヨーロッパ経済の回復と国外需要の増加に牽引され、スロバキア経済も予想以上に急速に回復し、通年で4.0%(IMF)のGDP成長を達成した。
- 2011年上半期も経済成長が続いたが、下半期には、欧州債務危機とユーロ圏の景気後退の影響が波及し、経済の失速傾向が現れている。失業率は、2011年を通じて、約13%台前半(スロバキア労働局)で高止まりしたままである。
経済協力
- 日本は、スロバキアのスムーズな民主化、市場経済への移行支援の観点から、技術協力を中心とする経済協力を実施。また、1998年12月には、「高速道路建設計画」に対する約 110.94億円の円借款を供与(2003年着工、2007年完成)した。
- スロバキアのEU加盟及びドナー国への移行をもって、日本のスロバキアに対する経済協力は事実上終了した。新たな取り組みとして2008年及び2010年にスロバキアを含む形で援助協力ワークショップを行った。
日本の援助実績(2007年度までの累計)
| 1. 対チェコスロバキアODA(1992年まで) |
| 形態 |
実績 |
内訳等 |
| (1)資金協力 |
| 無償資金協力 |
0.91億円 |
文化無償2件 |
| (2)技術協力 |
5.96億円 |
|
| 研修員受入 |
139人 |
|
| 専門家派遣 |
3人 |
|
| 調査団派遣 |
33人 |
|
| 機材供与 |
0.7百万円 |
1件 |
| 開発調査 |
1件 |
ムニェルニーク発電所排煙脱硫対策調査 |
| 2. 対スロバキアODA(1993年以降) |
| 形態 |
実績 |
内訳等 |
| (1)資金協力 |
| 円借款 |
110.94億円 |
高速道路建設計画に対する1件
1996年12月18日E/N署名 |
| 無償資金協力 |
4.61億円 |
文化無償10件 |
| (2)技術協力 |
14.86億円 |
|
| 研修員受入 |
349人 |
|
| 専門家派遣 |
23人 |
|
| 調査団派遣 |
110人 |
|
| 機材供与 |
35.68百万円 |
6件、医療機材供与等 |
| 開発調査 |
3件 |
フロン川流域地域環境管理計画等 |
| 3. 輸銀融資(チェコ・スロバキア時代のスロバキア分を含む) |
| 形態 |
実績 |
内訳等 |
| 承諾累計 |
334.79億円 |
民間セクター育成ツーステップローン
(第1次~第3次)等 |
二国間関係
1.政治関係
- 日本は1993年1月1日のスロバキア独立と同時に同国を承認し、同年2月3日に外交関係を開設した。在スロバキア日本大使館は2002年1月に開館。
- チェコスロバキア時代からの良好な関係もあり、二国間関係は順調に発展している。2007年1月には麻生外務大臣が日本の外相としては初めてスロバキアを訪問し、クビシュ外相との外相会談、フィツォ首相表敬を行った。また、同年10月にはクビシュ外相が外務省賓客として訪日し、高村外務大臣と外相会談を行った。
- 2009年11月にはライチャーク外相が外務省賓客として訪日し、岡田外務大臣と外相会談を行った。
- 2011年12月には浜田外務大臣政務官がスロバキアを訪問し、イェジョヴィツァ外務副大臣と会談を行った。
2.経済関係
(1)日本の対スロバキア貿易(2010年、財務省貿易統計)
- (イ)貿易額
-
輸出 500億円
輸入 114億円
- (ロ)主要品目
-
輸出 ビデオカメラ等、送受信・受像機器部品
輸入 乗用車、自動車部品
(2)日本からの直接投資
- 2008年 33億円(フロー)
- 自動車関連、電機関連産業等の製造業17社を含む43社(2011年3月)が進出している。
3.文化関係
(1)概略
- 従来より文化面での交流は伝統文化に関するものが中心であったが、近年はアニメ等、日本のポップ・カルチャー分野における交流も盛んになってきている。
- 奈良県野迫川村がビソケー・タトリ市との間で姉妹都市関係を結んでいる。また、秋田県小坂町がバンスカー・シュティアフニツァ市と協力関係を結んでいる。
(2)文化無償協力
| <スロバキアに対する文化無償協力実績> |
| 年度 |
対象機関 |
供与機材 |
| 4(※) |
ブラチスラバ市 コメニウス大学 |
語学教育・視聴覚機材 |
| 5 |
スロバキア・フィルハーモニー |
楽器・音響機材 |
| 7 |
バンスカー・ビストリツァ市国立オペラ劇場 |
音響機材 |
| 9 |
スロバキア・テレビ |
テレビ番組ソフト |
| 10 |
ブラチスラバ市 国民劇場 |
音響機材 |
| 11 |
ブラチスラバ大学図書館 |
視聴覚機材 |
| 12 |
コシツェ国立劇場 |
楽器 |
| 13 |
レヴォチャ市 マチェイ・フレベンダ盲人用図書館 |
録音機材 |
| 14 |
ブラチスラバ美術アカデミー |
視聴覚機材・印刷機材 |
| 15 |
スロバキア歴史記念物委員会 |
文化財分析機材 |
| 17 |
ジリナ交響楽団 |
楽器・音響・照明機材 |
(※)平成4年度はチェコ・スロバキアとしての実績。
4.在留邦人数
190人(2011年10月現在)
5.在日スロバキア人数
228人(2007年12月現在)
6.要人往来(1993年以降)
| (1)日本より |
| 年月 |
要人名 |
| 1995年6月 |
水野 日・ス友好議連会長、楢崎 同副会長 |
| 1997年6月 |
高村外務政務次官 |
| 1997年9月 |
浅野 日・ス友好議連会長 |
| 2000年9月 |
浅野外務政務次官 |
| 2000年10月 |
清子内親王殿下 |
| 2001年8月 |
綿貫衆議院議長 |
| 2003年5月 |
矢野外務副大臣 |
| 2006年1月 |
愛知防衛庁長官政務官 |
| 2006年1月 |
石田国土交通大臣政務官 |
| 2006年8月 |
北側国土交通大臣 |
| 2007年1月 |
麻生外務大臣 |
| 2007年6月 |
浅野外務副大臣 |
| 2011年12月 |
浜田外務大臣政務官 |
| (2)スロバキアより |
| 年月 |
要人名 |
| 1993年11月 |
モラウチーク外相(外務省賓客) |
| 1994年6月 |
ガシュパロヴィチ国会議長 |
| 1997年3月 |
メチアル首相 |
| 1997年3月 |
ハムジーク外相 |
| 1997年3月 |
コズリーク副首相兼蔵相 |
| 1998年2月 |
コヴァーチ大統領、ガシュパロヴィチ国会議長 |
| 1998年3月 |
カルマン副首相 |
| 2000年3月 |
クカン外相(外務省賓客) |
| 2000年12月 |
ミガシ国会議長(衆議院招待) |
| 2002年1月 |
マツェイコ運輸相(国際会議出席) |
| 2003年8月 |
ベレーニ外務副大臣 |
| 2005年5月 |
クカン外務大臣(ASEM出席)
ズリンダ首相 |
| 2006年1月 |
ミクロシュ環境相 |
| 2007年10月 |
クビシュ外相(外務省賓客) |
| 2009年11月 |
ライチャーク外相(外務省賓客) |
7.二国間条約・取極
| 年月 |
|
| 1957年 |
チェコ・スロバキアとの国交回復に関する協定(同年発効) |
| 1976年 |
文化交流取極(同年発効) |
| 1977年 |
二重課税回避条約(1978年発効) |
| 1978年 |
科学技術協力取極(同年発効) |
| 1983年 |
外交官等に対する数次査証付与取極(1984年発効) |
| 1997年 |
外交・公用旅券所持者に対する相互査証免除取極(同年発効) |
| 2002年 |
一般旅券所持者に対する査証の相互免除に関する口上書の交換(同年発行) |
8.外交使節
(1)駐スロバキア日本国大使 高松 明 特命全権大使
(2)駐日スロバキア大使 ドゥラホミール・シュトス 特命全権大使