アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ
2012年1月現在
約6,020平方キロメートル(西岸地区5,655平方キロメートル 三重県と同程度。ガザ地区365平方キロメートル 東京23区の約半分)
約1,100万人(2010年末 パレスチナ中央統計局資料)
(1)西岸・ガザ地区の人口:約410万人
西岸地区 約250万人
ガザ地区 約160万人
(2)イスラエルのパレスチナ人口:約150万人
(3)上記地域以外のパレスチナ人口:約513万人
*UNRWA資料によるパレスチナ難民数:約438万人
(西岸85万人、ガザ117万人、ヨルダン200万人、シリア49.5万人、レバノン45.5万人)
ラマッラ(西岸地区)
アラブ人
アラビア語
イスラム教(92%)、キリスト教(7%)、その他(1%)
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 1517年以降 | オスマン・トルコの統治下に入る |
| 1918年 | (第一次世界大戦後)以降、英国の委任統治下に入る |
| 1947年 | 国連総会でパレスチナ分割決議(決議181)採択 |
| 1950年 | トランス・ヨルダンは東エルサレムを含む西岸を併合、国名をヨルダンに変更 |
| 1964年 | パレスチナ解放機構(PLO)結成 |
| 1967年 | 第三次中東戦争によりイスラエルが西岸・ガザを占領 |
| 1969年 | PLO新議長にヤセール・アラファトを選出 |
| 1987年 | 西岸・ガザでパレスチナ住民による蜂起(インティファーダ)勃発 |
| 1988年 | パレスチナ国家樹立宣言発表。ジュネーブでの国連総会においてアラファト議長、イスラエルの生存権承認、テロ放棄を表明 |
| 1991年10月 | マドリード中東和平会議 |
| 1993年9月 | 暫定自治拡大に関する原則宣言(オスロ合意)署名 |
| 1994年5月 | 「カイロ協定」署名、ガザ・ジェリコ暫定自治開始 |
| 1994年7月 | アラファトPLO議長がガザへ帰還 |
| 1995年9月 | 暫定自治拡大合意(オスロII)に署名、パレスチナ暫定自治政府設立 |
| 1997年1月 | ヘブロン合意 |
| 1998年10月 | ワイ・リバー合意 |
| 1999年9月 | シャルム・エル・シェイク合意 |
| 2000年7月 | キャンプ・ディビット首脳会談 |
| 2000年9月 | イスラエル・パレスチナ間の衝突発生(第二次インティファーダ)、交渉中断 |
| 2003年4月 | カルテット(米、EU、国連、露)、「ロードマップ」発表 |
| 2004年11月 | アラファト議長逝去。アッバースPLO事務局長が議長に就任 |
| 2005年1月 | アッバース議長、自治政府長官(現在の呼称は大統領)選挙において大勝。長官に就任 |
| 2005年9月 | イスラエル、ガザ地区から撤退 |
| 2006年1月 | パレスチナ立法評議会選挙で、ハマスが過半数の議席を獲得 |
| 2006年3月 | ハマス主導の自治政府内閣成立 |
| 2007年3月 | 非ハマス関係者を多数含む挙国一致内閣の成立 |
| 2007年6月 | ハマスによるガザ地区制圧。アッバース大統領は自治区全域に緊急事態を宣言。緊急内閣が成立。 |
| 2007年11月 | アナポリス国際会議 |
| 2008年12月〜2009年1月 | イスラエルによるガザ空爆 |
| 2010年9月 | 米国の仲介により直接交渉再開するも中断。 |
| 2011年9月 | 国連加盟申請 |
| 2011年10月 | ユネスコ加盟申請。ユネスコ総会にて可決され、翌11月正式加盟。 |
大統領:マフムード・アッバース(PLO議長を兼任)
首相:サラーム・ファイヤード(財務庁長官を兼任)
パレスチナ立法評議会(PLC:Palestinian Legislative Council 132名。)
(1)1993年9月の暫定自治原則宣言、1994年5月のガザ・ジェリコ合意(先行自治合意)及びその後の諸合意を受け、パレスチナ暫定自治政府(PA)がガザ及び西岸の約40%で自治を実施している。
(2)1996年1月には、我が国監視団を含む国際的選挙監視の下、国会に相当するパレスチナ立法評議会(PLC)選挙が行われ、88名の立法評議会議員が誕生した。
(3)2003年3月、PA内閣に首相職を新設、アッバース首相(現大統領)、クレイ首相(2期)、そして2006年3月29日からハマス幹部であるハニーヤPLC議員が第3代首相に就任した。
(4)2004年11月にアラファトPLO議長・PA長官が逝去したことを受けて、2005 年1月、アッバースPLO議長が我が国政府監視団を含む国際的選挙監視の下で実施されたPA長官(現在の呼称は大統領)選挙において大勝し、長官に就任した。
(5)2006年1月に、第2回PLC選挙が行われ、イスラム原理主義組織であるハマスが過半数の議席を獲得。3月29日、ハマス主導の内閣が発足した。
(6)2007年2月、ファタハとハマスがメッカにおいて挙国一致内閣の樹立で合意し、3月、同内閣が成立した。しかしながらパレスチナ内部の衝突が頻発。
(7)2007年6月、ハマス武装勢力によるガザ掌握を受け、アッバース大統領は自治区全域に緊急事態を宣言。同大統領の指名・承認により、緊急内閣として非ハマス系閣僚から成るファイヤード新内閣が発足。
農・漁業(5.5%)、 工業(12.4%)、建設業(9.7%)、小売業・貿易(10.7%)、金融・仲介(5.5%)、公共・防衛(14.2%)、サービス業(22.3%)、運輸・通信業(8.6%)、(2010年GDPに占める割合)
約51億ドル(2010年 PCBS)
約1,400ドル(2010年 PCBS)
4.2%(2010年 PCBS)
3%(2010/11年 IMF)
27.5%(西岸地区 17.2%、ガザ地区 37.8%)(2010年末 IMF)
21.9%(西岸地区 15.5%、ガザ地区 33.2%) (2010年10月 PCBS)
輸出 約8.6億ドル(2010年)
輸入 約34.5億ドル(2010年)
輸出品 非金属鉱物製品、野菜・果実、家具など
輸入品 石油・石油製品、穀物、非金属鉱物製品など
イスラエル(74.5%)
(他方、イスラエルにおける対パレスチナ貿易の占める割合は全体の3.7%程度)
新シェケル(同イスラエル)
1米ドル=3.7シェケル(2011年12月)
(1)1967年以降、イスラエルの占領下にあった西岸・ガザ地域へは、同地域境界をイスラエル側が管理していたことから他国との通商は困難で、イスラエル経済への依存が進み、パレスチナの経済関連団体や金融機関は未発達なまま経済的自立性が失われた。
(2)1993年以降の和平プロセスの進展に伴い、ドナー国・国際機関による対パレスチナ経済支援が進み、同時に欧米企業とパレスチナ企業との連携、エジプトやヨルダン等との交易の伸び等、パレスチナ経済は着実な成長を遂げていた。
(3)2000年9月末以来、イスラエル・パレスチナ間の衝突及びそれに伴うイスラエルによる自治区封鎖、移動の制限により、パレスチナ経済は大きな打撃を受けている。この経済後退後は、世銀によれば、世界大恐慌及びアルゼンチン経済危機を凌ぐ規模とされている。
(4)2006年1月、パレスチナ立法評議会でハマスが勝利したことに伴い、イスラエル政府はPAに代わって徴収している関税等の還付を3月以降凍結することを決定。それ以来PA公務員給与支払いが滞り、パレスチナ経済に甚大な影響が発生した。
(5)2006年6月、非ハマス系閣僚から成るファイヤード新内閣発足を受け、イスラエル政府は凍結していたパレスチナ自治政府に対する税還付金の支払いを開始。ファイヤード内閣は非ハマス系のPA公務員に対し、約1年3ヶ月ぶりに給与の支払いを再開した。
(6)2008年、「パレスチナの民間セクターは経済発展のエンジン」であるとのファイヤード首相の考えの下、パレスチナ投資会議がベツレヘム(2008年5月)及びナブルス(同年11月)に開催されたほか、2010年6月には中小企業への投資促進を主題とした投資会議がベツレヘムで行われ、外国政府や海外の企業家2,200人以上の参加を得た。
(7)2009年には、イスラエルによる移動制限の一部緩和が実施されたこともあり、実質約7%の経済成長を遂げ、2010年には約9%の経済成長を記録するなど、パレスチナ経済はイスラエル政府による封鎖・移動制限の中、回復の兆しを見せている。
米国、EU、アラブ諸国、日本、英、ノルウェー、スペイン、独、仏、スウェーデン(2008-09年、OECD-PAC)
(1)無償資金協力 約827.61億円(交換公文ベース)
(2)技術協力実績 約81.66億円(JICA経費ベース)
(1)無償資金協力
(イ)緊急無償:22.05億円(3件)
(ロ)食糧援助:8.7億円(UNRWA:6億円、WFP経由:2.7億円)
(ハ)ノンプロジェクト無償:25億円
(二)草の根・人間の安全保障無償資金協力(11件):1億円
(2)技協協力
調査団派遣、技術協力プロジェクト、専門家派遣、研修員受入、機材供与など
主な技プロ案件
(イ)「母子保健に焦点を当てたリプロダクティブヘルス向上プロジェクト フェーズ2」
(ロ)「官民連携による持続可能な観光振興プロジェクト」
(ハ)「ジェリコ農産加工団地のためのPIEFZA機能強化プロジェクト」
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 1977年2月 | PLO東京事務所開設 |
| 1979年6月 | 日本・パレスチナ友好議員連盟結成 |
| 1989年10月 | アラファト議長訪日。PLO東京事務所の名称が「パレスチナ総代表部」に格上げ。 |
| 1990年4月 | クレイ(アブ・アラ)PLO経済局長が訪日 |
| 1995年6月 | PLO東京事務所 資金難により閉鎖 |
| 1998年7月 | 在ガザ出張駐在官事務所(日本政府代表事務所)を開設 |
| 1999年1月 | 高村外相 パレスチナ評議会で「21世紀に向けた日本と中東との新しい架け橋」に関する政策スピーチを行う |
| 1999年4月 | アラファト議長訪日時、日本・パレスチナ政治協議の創設に合意 |
| 1999年10月 | アラファト議長訪日時、日本・パレスチナ合同委員会の創設に合意 また、在本邦パレスチナ事務所の再開にも合意 |
| 2000年5月 | 第一回 日・パレスチナ閣僚政治協議及び合同委員会の開催 日・パレスチナ共同声明の発出 |
| 2002年12月 | 第二回 日・パレスチナ閣僚級政治協議及び合同委員会の開催 |
| 2003年9月 | 在本邦パレスチナ常駐総代表部 再開 |
| 2004年2月 | 第三回 日・パレスチナ閣僚級政治協議及び合同委員会の開催 |
| 2006年7月 | 小泉総理大臣のパレスチナ自治区訪問 |
| 2007年4月 | 在ガザ日本政府代表事務所をラマッラに移転 |
| 2007年6月 | 第四回 日・パレスチナ閣僚級政治協議の開催 |
| 2009年11月 | 日・パレスチナ閣僚級政治協議 |
| 2010年7月 | 日・パレスチナ・ハイレベル協議 |
(1)1993年以降、総額約12億ドル以上を拠出。
(2)支援累計額の約6割をUNDP、UNRWA等の国際機関経由で実施。
(3)中東和平への確固たるコミットメントを確認し、和平プロセス進展を促進すると共に、パレスチナ人の民生を安定させ、将来のパレスチナ国家実現を支援するとの観点から、「人道支援」、「国づくり・改革支援」、「信頼醸成支援」、「経済自立化支援」を重点分野として積極的に支援を展開。
(4)2006年7月、小泉総理大臣がパレスチナ自治区を訪問。イスラエルと将来の独立したパレスチナの共存共栄に向けた我が国独自の中長期的取組みとして、我が国とパレスチナ、イスラエル及びヨルダンの4者による域内協力により、ジェリコ及びヨルダン渓谷の経済社会開発を行うという「平和と繁栄の回廊」構想を提唱。
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1995年9月 | 村山総理 |
| 1996年8月 | 池田外務大臣 |
| 1998年1月 | 鈴木北海道開発庁長官 |
| 1998年12月 | 鈴木官房副長官 |
| 1999年1月 | 高村外務大臣 |
| 1999年3月 | 町村外務政務次官 |
| 2000年3月 | 東統括外務政務次官 |
| 2001年8月 | 杉浦外務副大臣 |
| 2002年1月 | 与党三幹事長 |
| 2002年5月 | 山崎自民党幹事長 |
| 2002年6月 | 川口外務大臣 |
| 2003年4月 | 川口外務大臣 |
| 2003年6月 | 茂木外務副大臣 |
| 2004年11月 | 川口特派大使(アラファト議長葬儀のための政府代表) |
| 2004年12月 | 福島外務大臣政務官 |
| 2005年1月 | 河井外務大臣政務官(パレスチナ自治政府大統領選挙政府監視団長) 町村外務大臣 |
| 2006年1月 | 伊藤外務大臣政務官(パレスチナ立法評議会選挙政府監視団長) |
| 2006年7月 | 小泉総理大臣 |
| 2006年8月 | 伊藤外務大臣政務官 |
| 2007年5月 | 小池総理大臣補佐官 |
| 2007年8月 | 麻生外務大臣 |
| 2008年2月 | 中山外務大臣政務官 |
| 2010年8月 | 武正外務副大臣 |
| 2011年6月 | 伴野外務副大臣 |
| 2012年1月 | 山根外務副大臣 |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1976年4月 | カドゥーミPLO政治局長(自民党招待) |
| 1981年10月 | アラファト議長(日・パ議連招待) |
| 1989年10月 | アラファト議長(日本政府招待) |
| 1996年9月 | アラファト議長(日本政府招待) |
| 1997年11月 | シャアスPA計画・国際協力庁長官 |
| 1999年4月 | アラファトPLO議長兼PA長官(日本政府招待) |
| 1999年10月 | アラファトPLO議長兼PA長官(パレスチナ支援調整会議出席) |
| 2000年5月 | シャアスPA国際協力庁長官 (第一回日・パレスチナ政治協議・合同委員会) |
| 2000年8月 | アラファトPLO議長兼PA長官 |
| 2002年3月 | クレイ立法評議会議長 |
| 2002年12月 | シャアスPA国際協力庁長官、マスリPA経済・産業・貿易庁長官 (第二回日・パレスチナ政治協議・合同委員会) |
| 2004年2月 | シャアスPA国際協力庁長官、ファイヤードPA財務庁長官 (第三回日・パレスチナ政治協議・合同委員会) |
| 2004年7月 | エラカートPA交渉担当長官、アブドルラージクPA拘禁者担当長官、シュタイエPECDAR長官 (第二回イスラエル・パレスチナ和平信頼醸成会議) |
| 2005年5月 | アッバースPA大統領(日本政府招待) |
| 2007年3月 | エラカートPLO交渉局長(第三回イスラエル・パレスチナ和平信頼醸成会議、「平和と繁栄の回廊」構想4者協議立ち上げ会合) |
| 2007年6月 | アブ・アムロPA外務庁長官(第四回 日・パレスチナ政治協議) |
| 2008年10月 | エラカートPLO交渉局長、シュタイエ・パレスチナ経済開発・復興委員会(PECDAR)総裁(第4回信頼醸成会議) |
| 2009年11月 | アブ・リブデ国民経済庁長官(日・パレスチナ政治協議) |
| 2010年2月 | アッバース大統領、マーリキ外務庁長官 |
| 2010年12月 | ファイヤード首相、マーリキ外務庁長官、ジャルバーウィ計画・行政開発庁長官 |
| 2011年7月 | シュタイエ・ファタハ中央委員 |
| 2011年7月 | ラジューブ・パレスチナ・オリンピック委員会委員長 |