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2008年9月現在
3万3,840平方キロメートル(我が国の約11分の1)
379万人(2007年世銀)
キシナウ(キシニョフ)
モルドバ人(75.8%)、ウクライナ人(8.4%)、ロシア人(5.9%)、ガガウス人(4.4%)、ルーマニア人(2.2%)他(2006年)
公用語はロマンス語系のモルドバ語(ルーマニア語とほぼ同じ。)ロシア語も一般に通用。
キリスト教(正教)が優勢
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 1367年 | 現モルドバ共和国を含む地域にモルドバ公国(現ルーマニアの母体となった公国の1つ)が領有 15世紀オスマン帝国の宗主権下に置かれる |
| 1812年 | 露土戦争の結果、ブカレスト条約によりロシア領に編入 |
| 1917年 | ロシア革命、人民投票によりソヴィエトとの併合を決議 |
| 1918年 | ルーマニア、ベッサラビア(現モルドバ共和国)を占領 |
| 1920年 | パリ条約でルーマニアの領有を承認 |
| 1924年 | ソ連、ドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分として「モルダヴィア自治共和国」を創設 |
| 1940年 | ソ連、独ソ不可侵条約秘密議定書に基づくドイツとの合意に従い、ベッサラビアを占領 |
| 1940年 | ソ連、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を創設 |
| 1947年 | 連合国とルーマニアの平和条約でベッサラビアのソ連への委譲を確認 |
| 1989年 | モルダヴィア人民戦線の結成 |
| 1990年6月6日 | 共和国を「モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国」から「モルドバ・ソヴィエト社会主義共和国」に変更 |
| 1990年6月23日 | 共和国主催宣言 |
| 1991年5月23日 | 国名をモルドバ共和国に変更 |
| 1991年12月21日 | 独立国家共同体創設協定議定書に署名 |
共和制
ヴラジーミル・ヴォローニン大統領(2001年4月就任、2005年4月再任、任期4年)
一院制
(1)首相 ジナイダ・グレチャン
(2)副首相兼外務欧州統合相 アンドレイ・ストラタン
(1)政治情勢
1994年7月に新憲法が採択され、民主化・市場経済化路線を歩んでいる。1996年12月に行われた大統領選挙では、中道社民主義を標榜するルチンスキーがスネグル前大統領を僅差で破り当選。1998年3月の議会選挙の結果、中道右派による連立政権が誕生したが、議会では議席の4割を占める共産党との対立が強まっていた。
2000年7月、議会は、大統領選挙を国民による投票ではなく議会により選出するとの憲法改正法案を成立させ、同年12月には、独立後初の議会による大統領選挙が実施された。しかし、議会は大統領の選出に失敗し、ルチンスキー大統領は議会を解散した。2001年2月25日に行われた議会選挙では、共産党が101議席中71議席を獲得。4月4日、ヴォローニン共産党党首が大統領に選出され、7日に就任した。共産党は、ロシア語公用語化、ロシア・ベラルーシ連合国家への参加を公約として掲げていたが、現実主義路線をとり、沿ドニエストル問題を巡りロシアと対立姿勢を深めた。2005年3月の議会選挙でも共産党は過半数を維持し、ヴォローニン大統領が再任された。
(2)沿ドニエストル問題
1990年9月、ドニエストル川東岸に入植していたロシア語系住民がモルドバの民族主義的政策に反発して「沿ドニエストル共和国」の独立を宣言。1991年12月には武力紛争に発展し、駐留ロシア軍(第14軍)も介入、多数の犠牲者を出した。92年7月にロシアとモルドバの間で和平解決に関する協定が調印された。
沿ドニエストル地域は事実上「沿ドニエストル共和国」が統治しており、中央政府の支配は及んでいない。1994年10月には駐留ロシア第14軍の3年以内の撤退も合意されたが、右合意はロシア議会の承認を得られず未実施。1997年5月モルドバと「沿ドニエストル共和国」との間で関係正常化の基本に関する覚書が署名され、紛争の解決に向け大きな一歩を踏み出した。1999年には、OSCEイスタンブール首脳会合において、ロシア軍が2002年を期限として撤退することが決議されたが、2003年に延期された期限にも間に合わず、現在でも駐留中。現在は、モルドバ及び沿ドニエストル、仲介者であるロシア、ウクライナ、OSCEに加えEUと米国をオブザーバーとする和平交渉が続いている。
憲法に中立路線が明記されている。将来的にはEU統合を目標としつつ、近隣諸国との関係を重視した現実的外交を進める。同国は、歴史的・文化的にルーマニアとの繋がりが強く、独立直後は親ルーマニア路線をとっていたが、近年はルーマニアとの関係は緊張したものとなっている。沿ドニエストル問題を巡るロシアとの対立から再び欧州との関係活発化に向かうが、ルーマニアのEU加盟、ロシアによるモルドバの主要輸出品であるワインの禁輸措置等を受け、欧州統合を長期的目標としつつもロシアに配慮した外交を展開。
地上軍及び空軍からなり、兵員数約4,200人。その他内務省部隊、国境整備隊等がある。駐留ロシア軍については現在約1,400名が沿ドニエストル地域に駐留している。
農業、食品加工、軽工業
44億ドル(2007年:世銀)
1,260ドル(2007年:世銀)
3%(2007年:世銀)
16%(2007年:世銀)
5.4%(2006年:モルドバ統計局)
(1)輸出 13.4億ドル
(2)輪入 36.9億ドル
(1)輸出 農産品、繊維、野菜加工品
(2)輸入 鉱物資源、機械、化学製品
(1)輸出 ロシア、ルーマニア、ウクライナ
(2)輪入 ウクライナ、ロシア、ルーマニア
レイ
1ドル=9.6841レイ(2008年9月現在:モルドバ中央銀行)
典型的な農業国。ソ連崩壊によって経済は混乱。度重なる自然災害や沿ドニエストル紛争の影響もあって経済状態は悪化している。1998年のロシア金融危機の影響もモルドバ経済に大きく打撃を与えた。失業、インフレ賃金遅配は恒常化しており、輸出低迷、エネルギー債務の増加等による財政赤字の問題も深刻化している。IMF等の国際金融機関と協調して市場経済化に向けての改革を積極的に推進している。1993年11月には独自通貨「レイ」を導入。
(1)人道支援 372万ドル
(2)技術支援 専門家の招聘等 約11.67億円(2006年度までの累計)
(3)金融支援 0.4億ドル(輸銀融資)
(4)無償資金協力 40.25億円(2006年度までの累計)
(5)緊急無償援助 10万ドル及び1,200万円相当の援助物資
米、オランダ、スウェーデン、ドイツ、日本
(1)国家承認日 1991年12月28日
(2)外交関係開設日 1992年3月26日
両国とも大使館は未開設。我が国は在ウクライナ日本大使館がモルドバを兼轄。
(1)我が国の対モルドバ貿易(2007年:ロシア東欧貿易会)
(イ)輸出 368.7万ドル
(ロ)輸入 359.1万ドル
(2)主要品目(2007年:ロシア東欧貿易会)
(イ)輸出 電気機器、ゴム製品、一般機械
(ロ)輸入 繊維製品、食料品
4名(2007年10月現在)
145名(2006年末現在)
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1996年6月 | 枝村外務省参与 |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1992年10月 | ツユ外相(旧ソ連支援東京会議出席のため) |
| 1997年10月 | マグデイ保健相、ブラギシ経済改革次官(民間招待) |
| 1997年12月 | グツ副首相兼経済改革相 |
| 1999年1月 | タバカル外相(公式訪問) |
| 2001年1月 | ブマコフ農業次官 |
| 2001年6月 | ゲルマン保健相(無償資金協力条件の入札参加のため) |
| 2002年3月 | ミロネスク農業食品産業省第一次官 |
| 2003年2月 | イアシンスチ農業食品産業省次官 |
| 2004年5月 | スピヴァチェンコ農業第一次官 |
| 2006年3月 | キストゥルーガ外務欧州統合省次官 |
| 2006年12月 | ドドン経済貿易相 |
| 2008年1月 | ストラタン副首相兼外務欧州統合相 |
1998年6月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認
2008年5月 技術協力協定