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平成23年10月
(1)16世紀以降、東ティモールはポルトガル領(当時のインドネシアはオランダ領)であったが、1974年にポルトガルが主権を放棄した後、1976年にインドネシアが東ティモールに武力侵攻した。占領後もフレテリン(東ティモール独立革命戦線)等による独立運動は継続された。
(2)1999年8月、ハビビ政権下で、インドネシア政府による拡大自治案の受入れか独立かを問う直接投票が実施され、約8割が分離・独立を選択。その直後から投票結果に不満を持つ勢力による破壊活動が激化し、治安は極度に悪化した。9月、国連安保理決議により、豪州を中心とする多国籍軍が展開し、治安は急速に回復した。
(3)1999年10月に設立された国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の下、独立に向けた国づくりが進められ、2001年8月の憲法制定議会選挙をはじめ、2002年3月の憲法制定、同年4月の大統領選挙など順調に推移した。2002年5月に国連より統治権限が移譲され、東ティモールは独立した。なお、UNTAETに引き続いて同国の国づくりを支援するために、国連東ティモール支援団(UNMISET)が独立と共に設立された。
(1)1999年及び2006年の騒乱時に破壊されたインフラ等広範な復興開発、治安維持、雇用対策、行政・司法制度の構築、自立的な国家運営に必要な人材育成等が課題となっている。近年は治安も安定しており、東ティモール政府は紛争後の復興段階を脱して本格的な経済社会開発を指向している。
(2)統治機構
国家元首。大統領(任期5年)は直接投票で選ばれる。大統領としての権限は、国家と独立の象徴にして軍最高司令官。大統領の実権は軍事(宣戦布告・非常事態宣言の発出等)及び外交の一部(安全保障に関するもの)に限られる。2002年4月14日に行われた大統領選により、シャナナ・グスマン氏が当選、同年5月20日に初代大統領に就任。2007年4月の大統領選挙及び5月の同選挙決選投票の結果、5月20日、ラモス=ホルタ前首相が第2代大統領に就任。
首相は、国会における過半数を占める政党又は連立政党により指名され、大統領が国会に代表議員を持つ各政党と協議し、任命する。政治の実権は、国会で選出される首相に委ねられている。2007年6月30日の国民議会選挙の結果を受け、8月8日、シャナナ・グスマン前大統領が首相に就任。
独立前の憲法制定議会より移行されたもの。一院制(任期5年)で議席数は65。2007年6月30日に国民議会選挙が実施され、7月6日、CNRT、ASDT、PSD、PDは連立を組むことを発表(注)。8月8日、グスマン首相率いる連立政権が発足した。フレテリンを中心とする野党は連立政権の違憲性を主張したものの、現在議論も活発で議会は正常に機能している。
(注)後にUNDERTIMも連立に加わったので現在は5党による連立政権となっている。
<参考:議会の構成>
| 政党名 | 議席数 | |
|---|---|---|
| 与党(39) | ティモール再建国民評議会(CNRT) | 18 |
| 民主党(PD) | 8 | |
| ティモール社会民主協会(ASDT) | 5 | |
| 社民党(PSD) | 6 | |
| ティモール民族抵抗民主国民連帯党(UNDERTIM) | 2 | |
| 野党(26) | 東ティモール独立革命戦線(フレテリン) | 21 |
| 国民連帯党(PUN) | 3 | |
| ティモール闘志連合(KOTA) | 1 | |
| ティモール大衆党(PPT) | 1 | |
| 計 | 65 | |
なお、2011年7月18日、上訴裁判所(最高裁判所に当たる)が、新党フレンティ・ムダンサの政党としての妥当性に対し合憲判決。ただし、同党は、前回総選挙(2007年)の際には政党として認められていなかったため、国民議会での議席はない。
(3)UNMIT(United Nations Integrated Mission in Timor-Leste, 国連東ティモール統合ミッション)
(1)2001年には、政府支出拡大、ディリを中心とした高いサービス需要及び農業の復興が見られ、経済成長率は18.9%。しかし、2002年中盤以降、一時期の在留外国人の急増に伴う一種のバブル景気の終焉により、実質経済成長率は減少。さらに、騒擾事件を受け2006年にマイナスに落ち込んだが、2007年に急回復、2008年も高い水準を保った。世界金融危機の影響を直接に被らなかったため、2009年の経済成長も堅調であった。
(2)農業が主要な産業(多くは零細農業。コメ、とうもろこし、イモ類、ココナッツを栽培)。輸出用作物として特にコーヒーの栽培に力を注いでいる。ティモール・ギャップ(豪州との海側に所在)の石油・天然ガスの開発が貴重な国家財源として進められている。
東ティモールは、外交基本方針としては、憲法第8条第3項にて、ポルトガル語を公用語とする諸国との特別な友好関係を維持すると規定しており、2002年7月、ポルトガル語諸国共同体(CPLP)に加盟した。また、憲法第8条4項にて、近隣諸国及び地域との特別な友好協力関係を維持すると規定しており、2012年までのASEAN加盟を目標としている。2005年7月にはASEAN地域フォーラム(ARF)に加盟。2007年1月、東南アジア友好協力条約(TAC)に署名。2011年3月、ASEAN加盟を正式に申請。
独立日の2002年5月20日、日本は東ティモールを承認し、外交関係を樹立。また、同日、首都ディリに大使館(在インドネシア大使館の兼館)を開設した。2004年1月、在東ティモール大使館は実館となった。
2012年に周年事業「日本・東ティモール外交関係樹立10周年記念平和年(友情と平和の年)」を実施予定。
日本は、1999年以来東ティモールの自立に向けた国づくりへの努力に対して積極的に支援を行ってきている。1999年12月、第1回東ティモール支援国会合(東京開催)において表明したとおり、日本は3年間で1億3千万ドルの支援(復興開発支援1億ドル、人道支援3千万ドル)を実施した。また、2002年5月、第6回支援国会合(ディリ)において表明したとおり、3年間で約6千万ドルを上限とする支援を、2005年3月までに実施した。その後二国間支援を本格化し、行政基幹部門の人材育成・制度づくり、インフラ整備・維持管理、農業・農村開発及び平和の定着を重点4分野として支援を行ってきた。2006年春の騒乱時には、国連緊急アピールに対し500万ドルの支援を実施。2007年2月、大統領選挙及び国民議会選挙実施を支援するため、国連開発計画(UNDP)を通じ、約72万ドルの緊急無償資金協力を実施。これまでの無償資金協力・技術協力の累計額は約280億円。
日本は、2002年3月から、国連の要請を受け、国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)及び国連東ティモール支援国(UNMISET)に対し自衛隊施設部隊等総計約2300名を派遣し、道路・橋梁の維持補修等の後方支援業務や各種民生支援業務を行った(2004年6月をもって終了)。
また、2007年1月から2008年2月まで、UNMITに対し文民警察要員延べ4名を派遣した。2010年9月から、UNMITに対し軍事連絡要員として自衛官(延べ6名)を派遣している。
2007年4月の大統領選挙、5月の同選挙決選投票、6月の国民議会選挙に選挙監視団(延べ36名)を派遣した。