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東ティモール民主共和国国旗

国名:東ティモール民主共和国
The Democratic Republic of Timor-Leste

2011年10月現在

一般事情

1.面積

約1万4,900平方キロメートル(首都4都県(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積)とほぼ同じ大きさ)

2.人口

約107万人(2010年、出典:東ティモール国家統計局)

3.首都

ディリ

4.民族

テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等。

5.言語

国語は、テトゥン語及びポルトガル語。実用語に、インドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。

6.宗教

キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%

7.略史

略史
16世紀以前 リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。
16世紀前半 ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。
17世紀半ば オランダ、西ティモールを占領。
1701年 ポルトガル、ティモール全島を領有。
1859年 リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
1942年 日本軍、ティモール全島を占領。
1945年 第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。
1974年 ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。
1975年 独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。
1976年 インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。
1991年 11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1998年 5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。
1999年 6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定。8月30日、独立についての直接投票が実施されたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化。これを受けて、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定。10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定。
2002年 4月14日、大統領選挙実施、グスマン氏が当選。
5月17日、国連安保理は国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定。
5月20日、東ティモール民主共和国独立。
2005年 4月28日、国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定。
2006年 西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化。15万人に上る住民が国内避難。政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアが国際治安部隊を派遣。国連安保理は、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定。
2007年 4月9日、大統領選挙実施(5月9日、大統領選挙決選投票実施、ラモス=ホルタ前首相が当選)。
6月30日、国民議会選挙実施。
2008年 2月11日、ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。
2月12日、非常事態宣言発出(5月8日、非常事態宣言解除)。
2009年 5月、UNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲開始(2011年3月、全13県で移譲完了)。
2010年 4月7日、国造りの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要を発表(2011年7月15日、正式発表)。
2011年 8月20日、政府は東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典を実施。

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

ラモス=ホルタ大統領(任期5年:2007年5月20日〜)

3.議会

一院制(任期5年)(議席数65)

政党名 議席数
与党(39) ティモール再建国民評議会(CNRT) 18
民主党(PD) 8
ティモール社会民主協会(ASDT) 5
社民党(PSD) 6
ティモール民族抵抗民主国民連帯党(UNDERTIM) 2
野党(26) 東ティモール独立革命戦線(フレテリン) 21
国民連帯党(PUN) 3
ティモール闘志連合(KOTA) 1
ティモール大衆党(PPT) 1
65

なお、2011年7月18日、上訴裁判所(最高裁判所に当たる)が、新党フレンティ・ムダンサの政党としての妥当性に対し合憲判決。ただし、同党は、前回総選挙(2007年)の際には政党として認められていなかったため、国民議会での議席はない。

4.政府

シャナナ・グスマン首相兼国防・治安大臣(2007年8月〜)

ザカリアス・アルバノ・ダ・コスタ外務大臣(2007年8月〜)

5.内政(肩書は当時)

2002年4月14日に行われた大統領選により、シャナナ・グスマン氏が当選、5月20日に初代大統領に就任。同時に初代首相には与党フレテリン幹事長で、東ティモール行政府の首席閣僚のマリ・アルカティリ氏が就任したが、2006年4〜5月に発生した騒乱の責任を取る形で同年6月26日に辞任。7月10日、ジョゼ・ラモス=ホルタ外相が後任に就任。2007年4月9日に大統領選挙、5月9日に大統領選挙決選投票が行われた結果、5月20日、ラモス=ホルタ首相が大統領に就任。6月30日に国民議会選挙が実施され、7月6日、CNRT、ASDT、PSD、PDは連立を組むことを発表。8月8日、グスマン前大統領(CNRT党首)を首相とする新政権が発足した(その後、UNDERTIMも連立に参加)。フレテリンを中心とする野党は連立政権の違憲性を主張していたが、現在議会は正常に機能し、議論も活発である。

外交・国防

1.外交基本方針

ポルトガル語を公用語とする諸国との特別な友好関係を維持する(憲法第8条第3項。2002年7月、CPLP(ポルトガル語諸国共同体)加盟)。近隣諸国地域及び支援国との特別な友好・協力関係を維持する(憲法第8条第4項)。2012年までのASEAN加盟を目標としている。2005年7月、ASEAN地域フォーラム(ARF)に加盟。2007年1月東南アジア友好協力条約(TAC)に署名。

2.軍事力

(1)予算 約2,842万ドル(2010年、出典:東ティモール財務省)

(2)兵役 志願制

(3)兵力

2000年9月、東ティモール暫定内閣は、5年以内に1500名の正規兵及び1500名の予備役からなる東ティモール国防軍の創設を決定。
2001年10月、第1大隊設立。
2004年までに、1200名が就役したが、国軍は、2006年2月、待遇に不満を持ち離脱した兵士約600名を除隊処分。現在、約600名の陸軍新兵雇用、海軍装備・兵員の増強、将来の空軍創設に向けた要員育成等を中心に、国軍の発展に努めている。2011年10月、ルアック国軍司令官(少将)が退役し、レレ副司令官(准将)が新司令官に就任(階級は少将に昇進)。

兵力陣容は、陸軍1,250人、海軍82人 (出典:"Military Balance 2011")

経済

1.主要産業

農業が主要な産業(多くは零細農業。コメ、とうもろこし、イモ類、ココナッツを栽培)。輸出用作物としては特にコーヒーの栽培に力を注いでいる。石油・天然ガス(ティモール・ギャップ)の開発が貴重な国家財源として進められている。

2.GDP(単位:百万米ドル)

  2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
GDP(単位:百万米ドル) 327 398 478 598 701

(出典:世銀)

3.一人当たりGDP(単位:米ドル)

  2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
一人当たりGDP(単位:米ドル) 315 375 461 544 623

(出典:世銀)

4.実質経済成長率

  2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
実質経済成長率(単位:%) −5.8 7.8 13.2 7.1 7.4

(出典:世銀)

5.物価上昇率

  2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
物価上昇率(単位:%) 4.5 12.9 10.7 12.1 9.1

(出典:世銀)

6.貿易品目

(1)輸入:電気機器、穀物、自動車及び部品、機械類、燃料

(2)輸出:コーヒー (輸出先:(1)米国、(2)ドイツ、(3)シンガポール、(4)ポルトガル、(5)日本)
天然ガスはパイプラインを通じオーストラリアから輸出されているため、統計上は計上されていない。

(2010年、出典:東ティモール国家統計局)

7.貿易相手国

輸入:(1)インドネシア、(2)シンガポール、(3)オーストラリア、(4)中国、(5)ベトナム (日本:6位)

輸出:(1)米国、(2)ドイツ、(3)シンガポール、(4)ポルトガル、(5)インドネシア (日本:7位)

(2010年、出典:東ティモール国家統計局)

8.通貨

米ドル、ただし、1米ドル未満についてはセント貨に加え、独自の「センタボ(centavo)」貨も使用(米セントと同貨)。

9.経済概況

2000年から2001年にかけて、経済成長率は18.9%。しかし、2002年5月の独立以降、一時期の在留外国人の急増に伴う一種のバブル景気が終焉したことにより、実質経済成長率は減少。さらに、騒擾事件を受け2006年にマイナスに落ち込んだが、2007年に急回復、2008年も高い水準を保った。世界金融危機の影響を直接に被らなかったため、2009年の経済成長も堅調であった。

日本の支援

1.経済協力

(1)1999年12月、第1回東ティモール支援国会合(東京開催)において表明したとおり、日本は3年間で約1億3千万ドルの支援を実施した。

(2)2002年5月、第6回支援国会合(ディリ開催)において表明したとおり、日本は3年間で約6,000万ドルを上限とする支援を実施した。

(3)その後二国間支援を本格化し、行政基幹部門の人材育成・制度づくり、インフラ整備・維持管理、農業・農村開発及び平和の定着を重点4分野として、今日まで支援を行ってきている(無償資金協力:2010年度までの累計は212.53億円、技術協力:2010年度までの累計は67.23億円)。

(4)2006年春の騒乱時には、国連緊急アピールに対し500万ドルの支援を実施。

(5)2007年2月、大統領選挙及び国民議会選挙実施を支援するため、国連開発計画(UNDP)を通じ、約72万ドルの緊急無償資金協力を実施。

(6)2011年8月、民政的な国政選挙による平和構築計画(UNDP連携)に約1.35億円を供与。

(参考)主要援助国(2009年、出典:東ティモール国家統計局)

(1)豪州、(2)米国、(3)ポルトガル、(4)日本、(5)スペイン

2.その他の支援(独立した2002年以降)

(1)2002年3月から2004年6月まで、自衛隊施設部隊延べ2,287名を国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)及び国連東ティモール支援国(UNMISET)に派遣。。

(2)2007年1月から2008年2月まで、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し、文民警察要員延べ4名を派遣。

(3)2007年4月の大統領選挙、5月の同選挙決選投票、及び6月の国民議会選挙に選挙監視団(延べ36名)を派遣。

(4)2010年9月から国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し、軍事連絡要員として自衛官(延べ6名)を派遣中。

二国間関係

1.外交関係

これまでの国づくりに対する支援や活発な要人往来を基に友好関係を維持。独立した2002年5月20日、日本は東ティモールを国家承認し、外交関係を樹立。また、同日、首都ディリに大使館(在インドネシア大使館の兼館)を開設。2004年1月、在東ティモール大使館は実館となった。

2012年に周年事業「日本・東ティモール外交関係樹立10周年記念平和年(友情と平和の年)」を実施予定。

2.在留邦人数

120名(2011年10月現在)

3.要人往来

独立についての直接投票以降(1999年9月以降)

(1)往
年月 要人名
2000年1月 東総括外務政務次官
2000年4月 河野外相
2001年4月 望月外務大臣政務官
2001年8月 杉浦外務副大臣
2002年4月 水野外務大臣政務官
2002年4月 小泉総理大臣
2002年5月 杉浦外務副大臣(独立記念式典に出席)
2002年8月 中谷防衛庁長官、山崎参議院議院運営委員長
2002年12月 矢野外務副大臣
2003年3月 小島防衛庁政務官
2003年8月 渡部衆議院副議長
2004年2月 逢沢外務副大臣
2004年5月 浜田防衛庁副長官
2005年4月 福島外務大臣政務官
2006年6月 遠山外務大臣政務官
2008年5月 宇野外務大臣政務官
2008年6月 江田参議院議長
2008年11月 御法川外務大臣政務官
2010年5月 榛葉防衛副大臣
2011年8月 菊田外務大臣政務官
(2)来
年月 要人名
1999年12月 シャナナ・グスマン・ティモール抵抗民族評議会
(CNRT)議長(東ティモール支援国会合出席)
2000年4月 デ・メロ事務総長特別代表
2000年9月 ベロ司教
2001年12月 マリ・アルカティリ首席閣僚兼経済・開発担当閣僚、ラモス・ホルタ外務・協力担当上級閣僚及びフェルナンダ・ボージェス財務担当閣僚
2002年1月 シャナナ・グスマン前CNRT議長
2002年8月 シャナナ・グスマン大統領
2003年3月 ブランコ外務・協力副大臣
2003年4月 ラモス=ホルタ外務・協力上級大臣(外務省賓客)
2004年2月 シャナナ・グスマン大統領
2004年12月 シャナナ・グスマン大統領
2005年2月 ラモス=ホルタ外務・協力上級大臣
2005年9月 ラモス=ホルタ外務・協力上級大臣
2006年3月 アルカティリ首相兼天然資源・鉱物・エネルギー政策大臣(実務訪問賓客)
2008年5月 ダ・コスタ外務大臣
2009年2月 ラサマ・デ・アラウジョ国民議会議長
ジュリオ・トーマス・ピント国防担当国務長官
フランシスコ・グテーレス治安担当国務長官
2009年3月 シャナナ・グスマン首相兼国防・治安大臣(公式実務訪問賓客)
2009年12月 ライ・ダ・シルヴァ・インフラ整備大臣
2010年1月 ルイ・ハンジャム財務副大臣
2010年3月 ラモス=ホルタ大統領(実務訪問賓客)
2011年2月 エミリア・ピレス財務大臣
2011年8月 ライ・ダ・シルヴァ・インフラ整備大臣
2011年10月 ジョゼ・ルイス・グテレス副首相

4.二国間条約・取極

2005年 技術協力協定

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