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2008年4月現在
2.78万平方キロメートル
780万人(2006年)
ブジュンブラ
仏語(公用語)、キルンジ語(公用語)
カトリック65%、プロテスタント10%、伝統的宗教23%
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 17世紀頃 | 王国成立 |
| 1889年 | ドイツ保護領 |
| 1922年 | ベルギー委任統治 |
| 1946年 | ベルギー信託統治 |
| 1962年7月 | ベルギーよりブルンジ王国として独立 |
| 1966年 | ミコロンベ首相によるクーデター、王政廃止 |
| 1976年 | バガサ大佐による無血クーデター |
| 1984年 | 大統領選挙(バガサ選出) |
| 1987年9月 | 無血クーデターによりバガザ大統領失脚、ブヨヤ大佐が国民救済軍事委員会樹立 |
| 1992年3月 | 複数政党制を含む新憲法採択 |
| 1993年6月 | 複数政党制下初の大統領選挙(ンダダイエ大統領選出) |
| 1993年10月 | ンダダイエ大統領暗殺 |
| 1994年1月 | 国民議会は新大統領としてヌタリャミラを選出 |
| 1994年4月 | ヌタリャミラ大統領事故死 |
| 1994年10月 | ヌティバントゥンガニャ大統領選出 |
| 1996年7月 | 軍部クーデターによりブヨヤ元大統領が大統領代行に就任 |
| 1998年 | ブヨヤ暫定大統領就任 |
| 2000年8月 | アルーシャ和平合意 |
| 2001年11月 | 暫定政府の成立(ブヨヤ前期大統領就任) |
| 2003年5月 | ヌダイゼイエ暫定政権後期大統領就任 |
| 2003年11月 | 暫定政府と反政府勢力FDD間の和平合意署名 |
| 2005年2月 | 新憲法を国民投票により採択 |
| 2005年7月 | 上下院選挙実施 |
| 2005年8月 | 大統領選挙実施、ンクルンジザ大統領就任 |
| 2006年9月 | FNLルワサ派との包括的停戦合意 |
<内戦からの移行プロセスを成功裡に完了。復興・開発へ>
共和制
ピエール・ンクルンジザ大統領
国民議会および上院の二院制
(1)首相 設置されていない
(2)外相 アントワネット・バトゥムブウィラ
<2005年8月、大統領選挙実施。内戦後の移行完了>
1962年のベルギーよりの独立後、多数派フツ族(全人口比9割)と少数派ツチ族(全人口比1割)の間で抗争が繰り返されてきた。独立後1993年まではツチ族が政権を維持していたが、1993年6月の大統領選挙でフツ族のンダダイェが勝利し、同国初のフツ族大統領が誕生すると、両部族間の対立が激化し、同年10月、ツチ族主導の軍部によりンダダイェ大統領が暗殺された。さらに、1994年4月、同年1月に国民議会により選出されたヌタリャミア大統領(フツ族)が搭乗していた航空機がルワンダで撃墜され、同乗していたハビヤリマナ・ルワンダ大統領とともに殺害される事件が発生し、情勢の混乱が続いた。
1996年7月、ブヨヤ元大統領(ツチ族)のクーデターによりブヨヤ政権が誕生し、1998年6月には一部の当事者の間で暫定的な停戦合意が成立し、和平プロセスが開始された。2000年8月には、マンデラ前南ア大統領等の仲介努力により、フツ族反政府武装勢力を除く交渉当事者の間でアルーシャ和平合意が成立し、2001年11月に3年間の暫定政権が発足した。暫定政権は、前期と後期に分かれ、前期の大統領にはブヨヤ大統領(ツチ族)、副大統領にはンダイゼイエFRODEBU事務局長が就任し、2003年4月末には、ンダイゼイエ暫定政権前期副大統領が、暫定政権後期大統領に就任した。
こうした和平プロセスが進むなか、フツ族反政府武装勢力はアルーシャ合意に署名せず、戦闘を継続していたが、2003年11月、暫定政府は、最大のフツ族系武装勢力であるCNDD-FDDとの停戦合意を締結し、同合意を受け、ンクルンジザCNDD-FDD代表が、良き統治大臣として入閣した。
2005年6-8月、暫定政権は一連の選挙プロセス(地方議会選挙、下院議会選挙、上院議会選挙、大統領選挙)を国際社会の支援を得つつ成功裡に実施し、政党となった旧反政府勢力のCNDD-FDDが勝利を収め、ンクルンジザ良き統治大臣が大統領に選出された。
非同盟を基調とする。従来は社会主義諸国寄りであったが、現在は近隣諸国との善隣友好、先進諸国との経済協力を重視した現実的全方位外交をとっている。
(1)予算 5,100万ドル(2006年)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 35,000名
<国内混乱による経済不振が尾をひく>
農業(コーヒー、茶等)
約8億ドル(2006年)
100ドル(2006年)
5.1%(2006年)
-8.4%(2006年)
(1)輸出 60.8百万ドル(2006年)
(2)輸入 286百万ドル(2006年)
(1)輸出 コーヒー、茶、製造品
(2)輸入 半加工品、資本材、消費材
(1)輸出 独、スイス、ベルギー、ルワンダ
(2)輸入 ケニア、イタリア、タンザニア、ベルギー
ブルンジ・フラン
1ドル=1,028ブルンジ・フラン(2006年)
(1)労働人口の90%以上、GDPの50%以上を第一次産業が占めており、1993年までは食糧の自給が行われていたが、内戦勃発以降は食糧援助に頼っている。資源の乏しい国土に高密度の人口(1平方キロメートル当たり230人、サブサハラ・アフリカの平均値は21.9人)を抱える内陸国という地理的制約もある。主要な輸出産品はコーヒー(殆どが高品質のアラビカ)及び茶であり、それぞれ輸出総額の76%及び17%を占めている(1999年)。なお、2005年のデータでは、第一次産業別GDPが40%を下回っているが、これは、同国の経済の規模が極めて小さいのに対し、ブルンジに駐留している国連PKOが多くのサービス産業を必要としたためであると考えられる。
(2)一次産品市況の低迷等により経済開発が進まず、経済成長は伸び悩んでいる。1980年代後半には構造調整計画を実施し、農業生産力の強化を中心に産業基盤及び運輸施設の整備を推進した結果、GDP実質成長率は向上したが、1990年代は政情不安による構造調整計画の放棄、1996年の近隣諸国による経済制裁のため、再びマイナス成長に陥り、その後も低迷している。
(3)政府は2000年の和平合意以後、先進諸国による本格的な援助再開を期待しつつ、2001-2003年の平均GDP成長率3.5%達成を目標と設定し、2002年2月、世銀・IMF主導の下、貧困削減戦略文書暫定版(PRSP-i)を完成させ、マクロ経済の安定、貧困削減と経済成長といった課題に取り組んでいる。現在、貧困削減戦略文書完全版(F-PRSP)を策定作業中。2006年11月には、東アフリカ共同体(EAC)への加盟が承認される等、東アフリカ諸国との関係強化を進めている。
<平和の定着に対する重点的な支援の実施>
(1)有償資金協力(2005年度まで、ENベース)33.00億円
(2)無償資金協力(2005年度まで、ENベース)149.72億円
(3)技術協力実績(2005年度まで、JICAベース)7.97億円
(1)米国 (2)フランス (3)ベルギー (4)オランダ (5)ノルウェー
〈平和の確立と国民融和の進展を期待〉
1989年8月在京ブルンジ大使館が開設されたが、1997年4月閉鎖された(現在は在中国ブルンジ大使館が兼轄)。我が方実館はなく、在ケニア大が兼轄。
(1)対日貿易
(2)我が国からの直接投資:なし
稀薄
1人(2007年1月現在)
14人(2006年12月現在)
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 2006年12月 | 浜田外務大臣政務官 |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1985年3月 | ニゼイマナ外相(非公式) |
| 1985年10月 | ンゲジ蔵相(非公式) |
| 1988年6月 | ニビジラ計画大臣(非公式) |
| 1988年11月 | フセイン農業・畜産大臣(非公式) |
| 1989年2月 | ブヨヤ大統領(大喪の礼) |
| 1989年12月 | ムボニンパ外務協力相(非公式) |
| 1990年11月 | ムボニンパ外務協力相(即位の礼) |
| 1992年3月 | ハツンギマナ協力相(非公式) |
| 1993年10月 | チザ副首相(アフリカ開発会議) |
| 1995年5月 | ンゲンダハヨ外務協力相(外賓) |
| 1995年10月 | ブヨヤ元大統領(紛争シンポジウム) |
| 2001年12月 | シヌングルザ外務・協力大臣(TICAD閣僚レベル会合) |
| 2001年12月 | ンドゥウィマナ女性の地位向上大臣(児童の商業的性的搾取反対世界会議) |
| 2003年9月 | シヌングルザ外務協力大臣(TICAD III) |
| 2006年11月 | バトゥムブウィラ外務協力大臣(外務省賓客) |
| 2008年1月 | ヤマナ内務・地方開発大臣(平和構築シンポジウム) |
1992年3月 青年海外協力隊派遣取極