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2009年5月現在
39万平方キロメートル(日本よりやや大きい)
1,340万人(2007年 世銀推定)
ハラレ(160万人:2006年推定)
ショナ族(75%)、ンデベレ族(20%)、白人(1%)
英語、ショナ語、ンデベレ語
部族宗教、キリスト教
4月18日(独立記念日)
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 1923年 | 英国の自治植民地としての南ローデシア成立 |
| 1953年 | ローデシア・ニアサランド連邦成立 |
| 1963年 | 連邦解体 |
| 1965年 | 白人スミス政権の一方的独立宣言 |
| 1968年 | 国連安保理対ローデシア経済制裁決議採択 |
| 1972年 | ローデシア解放団体、ゲリラ活動開始 |
| 1979年 | 独立に向けて平和的解決合意 |
| 1980年 | ジンバブエとして独立、ムガベ首相就任 |
| 1987年 | ムガベ大統領就任 |
| 1990年 | ムガベ大統領再選 |
| 1996年 | ムガベ大統領三選 |
| 2002年 | ムガベ大統領四選 |
| 2008年3月29日 | 総選挙(大統領選挙、上院・下院選挙、地方選挙)実施 |
| 2008年6月27日 | 大統領決選投票の末、ムガベ大統領が五選 |
| 2009年2月13日 | 与野党協働政府が成立(ムガベ大統領、チャンギライ首相) |
共和制(複数政党制)
ロバート・ガブリエル・ムガベ大統領(Robert Gabriel Mugabe)、
1987年12月31日就任、2008年6月27日再任(5期目)、任期5年(2007年9月の「第18次憲法改正案」にて大統領任期が6年から5年に短縮)
二院制
(下院:定員210人、任期5年、上院:定員93人、選出議員60人、任命議員等33人、任期5年)
(1)副大統領名 ジョイス・ムジュル(Joice Mujuru)、 ジョセフ・ムシカ(Joseph Msika)
(2)首相名 モーガン・チャンギライ(Morgan Tsvangirai)
(3)外相名 スンバラシェ・ムンベンゲグウィ(Simbarashe Mumbengegwi)
(1)ジンバブエとして独立以降、ムガベ政権は白人との融和による国家建設に努めた。1987年、ムガベ氏率いる与党ZANU-PF(ショナ族中心)とヌコモ氏率いる野党第一党のZAPU(ンデベレ族中心)とが統合し、ZANU-PFが誕生し、2度の総選挙を経て事実上の一党体制を築いた。しかし、2000年6月の議会選挙では、野党民主改革運動(MDC)が57議席を獲得(与党ZANU - PFは62議席)し、二大政党体制となった。
(2)2000年8月より、共同農場で働くアフリカ人農民等に農場を再配分することを目的とした政府による土地改革「ファスト・トラック」が開始された。政府は1,100万ヘクタールの白人大農場(約5,000農場)を強制収用し、大多数の白人農場主は、十分な補償もないまま土地を追われた。その後、政府による土地改革は一層強権的なものになった。
(3)2002年3月に行われた大統領選挙は、ムガベ大統領とチャンギライMDC党首により激しく争われたが、ムガベ大統領が四選を果たした。選挙後、与野党間の対立が激化。2003年6月にMDCが計画した大規模な反政府デモに対し、政府は治安部隊の出動、MDCの党首逮捕などの強硬措置を発動した。2004年末には、ジンバブエ議会はNGO規制法(現在まで未発効)、情報アクセス・プライバシー保護法、選挙委員会法等を相次いで改正または成立させて、野党やその支持者への締めつけが強化された。
(4)2005年5月になって、ジンバブエ政府は「ごみ片付け作戦」と称して不法居住区の住宅や露店の撤去に着手し、70万人(国連発表)が住居や生活の糧を失った。
(5)2005年8月の憲法改正により、2000年以降に収用された土地の原則国有化、これらの土地にかかる裁判権の否定、議会上院の再設置等が行われた。11月の上院選挙では、与党ZANU-PFが90%の議席を確保し、上院・下院でのZANU-PFの優位性が確保され、政府及び与党による反政府指導者に対する弾圧が顕在化した。
(6)与党ZANU-PFと野党MDCの間の政治的対立が一層激化する中、2008年3月の大統領選挙では、いずれの候補者も過半数に及ばなかったため、決選投票が実施されることとなった。野党MDCに対する政治暴力が激化し、公正な選挙が行われる環境になく、国際社会が強く非難したにも拘わらず、ムガベ大統領(ZANU-PF)とチャンギライ党首(MDC)による決選投票が強行された。結局、チャンギライ党首が同決選選挙からの撤退を表明した結果、同年6月27日、ムガベ大統領が勝利を収めた。これに対し国際社会は、同選挙は公正・自由でなかったとして激しく非難し、G8北海道洞爺湖サミットでも、ジンバブエ情勢を懸念する声明が発出された。
(7)国際的な批判が高まり、アフリカ周辺国等の仲介努力が続けられた結果、2009年1月26-27日に南アにおいてSADC緊急首脳会議が開催され、(1)2月11日までに、大統領(ムガベ現職大統領)及び首相(チャンギライ党首)が就任すること、(2)2月13日までに他の閣僚等が就任し、与野党協働の政府樹立を完了させることが要請された。ジンバブエ与野党は最終的に同要請を受け入れ、2月11日、チャンギライ党首が首相に就任し、同13日に与野党協働政府が発足した。
(1)非同盟主義。
(2)2002年3月に実施された大統領選挙プロセスが公正ではなかったとの監視団の報告を受け、英連邦はジンバブエの英連邦評議会への1年間の出席停止を決定、2003年末にはジンバブエは英連邦を脱退した。
(3)土地改革や各種選挙プロセスの混乱から、EU、米、英、豪、加、北欧諸国は、ジンバブエ政府高官の渡航禁止、資産凍結等の制裁措置を取っている。
(4)欧米諸国との関係悪化を受け、ジンバブエは「ルック・イースト」政策と称して、特に中国やイランとの関係を強化している。
(1)予算 237百万米ドル(2004年、GDPの5.9%)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 総兵力 29,000(陸軍 25,000、空軍 4,000)(ミリタリーバランス)
(農)たばこ、砂糖、綿花
(鉱)プラチナ、クローム、アスベスト、ニッケル、金
(工)食品加工、金属製品、機械
32億米ドル(2006年:世銀)
340米ドル(2006年:世銀)
-4.8%(2006年:世銀)
不明
約80%(2007年:政府発表)(実体は不明)
(1)輸出 19.05億ドル
(2)輸入 20.50億ドル
(1)輸出 たばこ、金、プラチナ、フェロアロイ
(2)輸入 機械類、工業製品、化学品、化石燃料
(1)輸出 南アフリカ(40.6%)、中国(8.8%)、スイス(8.6%)、日本(6.8%)
(2)輸入 南アフリカ(43.6%)、中国(4.4%)、ボツワナ(3.3%)、ザンビア(2.8%)
ジンバブエドル(ZD)及び複数外貨併用制
参考貨幣(currency of reference) 南アフリカランド
主な流通貨幣 米ドル、南アランド等
(参考) 2009年1月、ジンバブエドルと並び複数の外貨が法定貨幣として認められ、ジンバブエドルの流通は事実上中止されている。
1990年代末頃から、脆弱なガバナンスと経済政策の失敗により、高インフレ、高失業、深刻な外貨不足等が顕著となり、2000年以降開始した強制土地収用を契機に、農業が大きな打撃を受け、経済の悪化は加速されていった。国際社会からの孤立も経済情勢悪化に拍車をかけ、2008年7月には公式インフレ率2億%(年率)を記録。厳しいマクロ経済環境の中、インフラの崩壊、欧米及び近隣諸国への頭脳流出も進み、2008年には産業規模は最小限にまで縮小(製造業稼動率政府推計値20%以下:中央銀行推計)し、2000年以降名目GDP成長率年平均はマイナス5.9%(政府推計)となった。土地改革に伴う混乱により農業生産は大きく低下し、08年には食料不足により人口の5割以上が国外からの食料援助を必要とした。保健・医療、教育サービスは機能不全となり、2008年後半、清潔な水へのアクセスの欠如から発生しその後全国に拡大したコレラは4000人以上の死者を出した。
2009年1月末、政府は価格統制、中央銀行による準財政活動等一部の経済・財政政策の失敗を認め、ジンバブエドルと併行して複数外貨を法定貨幣として導入することを決定し、それ以降、事実上自国通貨の流通が中止されている。
(1)有償資金協力 380.65億円(2007年度なし)
(2)無償資金協力 506.11億円(2007年度7.26億円)
(3)技術協力実績 159.43億円(2007年度3.53億円)
(1)英(69.87) (2)米(36.39) (3)スウェーデン(17.81) (4)ノルウェー(11.21) (5)アイルランド(10.71)
1968年 国連の南ローデシア制裁決議履行の一環として在ソールズベリー総領事館(1960年開設)を閉館
1980年 独立と同時に国家承認
1981年 在ジンバブエ日本大使館開設(5月2日)
1982年 在京ジンバブエ大使館開設(3月8日)
(1)日本の対ジンバブエ貿易(2008年:貿易動向データベース)
(2)日本からの直接投資
文化無償協力 ジンバブエ大学に対するLL及び視聴覚機材(1999年)
70人(2008年7月現在)
81人(2008年12月末現在)
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1980年 | 山中貞則特派大使(独立式典) |
| 1981年 | 愛知和男外務政務次官 |
| 1984年 | 北川石松外務政務次官 |
| 1991年 | 鈴木宗男外務政務次官 |
| 1994年 | 東祥三外務政務次官 |
| 1995年 | 柳澤伯夫外務政務次官 |
| 1997年7月 | 小泉純一郎厚生大臣 |
| 2000年1月 | 矢野哲朗参議院外交防衛委員長 |
| 2006年7月 | 日・AU友好議連南部アフリカ訪問団(大野功統衆議院議員(団長)) |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1980年 | ムゼンダ副首相兼外務大臣 |
| 1981年 | ムガベ首相夫妻 |
| 1983年 | マサンゴ運輸大臣 |
| 1986年 | マングウェンデ外務大臣 |
| 1986年 | ンドロヴ工業技術務大臣 |
| 1987年 | チゼロ財務大臣 |
| 1987年 | カンガイ・エネルギー大臣 |
| 1989年 | ムゼンダ副大統領(大喪の礼参列) |
| 1989年 | ムガベ大統領夫妻(国賓) |
| 1990年 | ムレルワ環境観光大臣(花博) ムゼンダ副大統領(即位の礼) |
| 1991年 | チゼロ大蔵経企開発大臣(LLDC東京フォーラム) |
| 1993年 | フングエ・マシンゴ州知事(オピニオン・リーダー招聘) |
| 1993年10月 | シャムヤリラ外務大臣(TICAD出席) マサヤ大蔵・経企・開発担当国務大臣(同上) |
| 1994年1月 | マコンベ国会議長(土井衆議院議長招待) |
| 1994年5月 | カリマンジラ情報・郵政・通信大臣 |
| 1995年8月 | ンコモ副大統領 |
| 1995年10月 | ゴーチェ外務副大臣(オピニオン・リーダー招聘) |
| 1996年5月 | ムデンゲ外務大臣(中国訪問途次立寄り) |
| 1996年10月 | チナマサ財務副大臣(オピニオン・リーダー招聘) |
| 1997年5月 | モンベショラ鉱業大臣(投資促進ミッション)、モヨ環境大臣(第3回気候変動枠組条約会議) |
| 1998年10月 | ホベ国家開発計画委員長(TICAD II出席) |
| 2000年6月 | マングウェンデ国務大臣(故小渕前総理葬儀参列) |
| 2001年12月 | マコニ財務・経済開発大臣(TICAD閣僚レベル会合) |
| 2003年9月 | ムデンゲ外務大臣、ムレルワ財務経済開発大臣(TICAD III出席) |
| 2005年4月 | ビーマ外務次官、ダマサネ女性・ジェンダー・コミュニティー開発副大臣(愛知万博) |
| 2007年10月 | ムチェナ科学技術大臣 |
| 2008年5月 | ムンベンゲグウィ外相、カセケ観光庁長官(TICAD IV出席) |
青年海外協力隊派遣取極(1988年7月)
(1)ジンバブエ共和国駐箚日本国大使
森田幸一(2008年9月16日着任)
(2)本邦駐箚ジンバブエ共和国大使
スチュアート・ハロルド・コンバーバッハ(2003年1月22日着任)