アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ

2012年5月現在
約9.3万平方キロメートル(日本の約4分の1)
約996万人(2012年1月現在、中央統計局)
ブダペスト
ハンガリー人(95%)、ロマ人(2%)、ドイツ人(1.2%)等(2001年国勢調査)
ハンガリー語
カトリック約52%、カルヴァン派約16%
3月15日(独立戦争記念日)、8月20日(建国記念日)、10月23日(革命記念日)
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 紀元前1世紀より | ローマ領パンノニア州州都 |
| 紀元4世紀 | フン族が侵入し、ローマ人を駆逐 |
| 896年 | ハンガリー民族定住 |
| 1000年 | ハンガリー王国建国 |
| 1241~1242年 | 蒙古軍襲来 |
| 1526~1699年 | トルコによる占領 |
| 1699~1918年 | ハプスブルグ家統治 |
| 1867年 | オーストリア・ハンガリー二重帝国 |
| 1920~1944年 | ホルティ摂政によるハンガリー王国 |
| 1920年 | トリアノン条約(領土の3分の2を割譲) |
| 1941~1945年 | 第2次世界大戦(枢軸国) |
| 1946年2月 | 共和国 |
| 1949年8月 | 人民共和国 |
| 1956年10月 | ハンガリー革命 |
| 1989年10月 | 共和国に体制転換 |
| 1999年3月 | NATO加盟 |
| 2004年5月 | EU加盟 |
| 2007年12月 | シェンゲン領域加入 |
| 2012年1月 | 新憲法施行 |
共和制
アーデル・ヤーノシュ大統領(2012年5月就任)
1院制(定数386名) 任期4年
国会議長 クヴェール・ラースロー(KÖVÉR Lászlo)(2010年8月就任)
2012年4月現在の各党国会会派別の議席数は次のとおり(全386議席)。
| 党名 | 議席数 |
|---|---|
| フィデス(与党) | 226 |
| キリスト教民主国民党(KDNP)(与党) | 37 |
| 社会党(野党) | 48 |
| ヨッビク(野党) | 46 |
| 政治の新しい形(LMP) (野党) | 15 |
| 無所属 | 14 |
| 計 | 386議席 |
(1)首相名 オルバーン・ヴィクトル(ORBÁN Viktor)(2010年5月就任)
(2)外相名 マルトニ・ヤーノシュ(MARTONYI János)(2010年5月就任)
(1)1990年、体制転換後初の総選挙で議会制民主主義国家への転換は平和裡に実現した。その後選挙(任期4年)の度毎に右派と左派との間で政権与党が交代してきたが、5回目となる2006年の選挙で、2002年から連立を組んでいる社会党(左派)と自由民主連盟(リベラル)により、体制転換後はじめて二期連続政権が誕生した。
(2)第二次ジュルチャーニ政権は財政赤字削減を最大の課題とし、行政改革や医療改革、教育改革等に精力的に取り組んだが、国民の痛みを伴う緊縮政策に国民の不満は高まった。折しも同年9月に首相の失言をきっかけに各地で首相辞任を要求するデモが発生、10月の地方選挙では与党が大敗した。また、2008年3月に行われた国民投票では改革の根幹であった「入院費」「受診料」「授業料」の導入が白紙に戻る等、改革は行き詰まりを見せた。
(3)国民投票後、与党内で改革の進め方を巡る対立が深まり、2008年4月、自由民主連盟は連立を離脱、同年5月からは社会党の単独少数与党政権となった。2008年秋、世界的金融経済危機の直撃を受け、IMF等から総額200億ユーロの融資を要請する事態となり、2009年3月にはジュルチャーニ首相が辞任、同年4月、ビジネスマン出身のバイナイ首相を中心とする危機管理内閣が発足した。
(4)2010年4月、総選挙でフィデス(右派)が圧勝し、8年間に亘った社会党政権に終止符が打たれた。また、深刻な経済危機と社会不安を背景に、貧困層や地方住民の支持を得た極右政党ヨッビクが躍進し、社会党に次ぐ勢力となった。国会総議席の3分の2以上を単独で有するフィデス政権によって、国会議員定数の削減、地方議員定数の削減、国境外ハンガリー系住民への二重国籍付与、憲法裁判所の権限縮小、新メディア法等の重要法案が可決された。
(5)2011年4月、国会は与党案に基づくハンガリー基本法(新憲法)を可決した(2012年1月1日施行)。新憲法では、キリスト教及び聖王冠に言及した前文、憲法裁判所違憲審査権の縮小、国境外ハンガリー人の保護等が明記されたこと、また、手続き面においても、新憲法の起草と最終的な採択を含む一連の憲法制定過程が透明性に欠け、与野党間の対話や国民的議論の機会が不十分であり、更に起草から採択までわずか11ヶ月であったとして、国内外から批判がなされた。その後、国会は新憲法によって制定が必要とされた重要法案(3分の2以上の賛成が必要とされる32の法案)の審議に入り、同年末までに新国会議員選挙制度法、新中銀法、新教会法等計29の重要法案を可決した。
(6)2012年1月、新憲法が施行され、国名が「ハンガリー共和国」から「ハンガリー」に変更されたが、政体はこれまで同様、共和制である。
(7)2012年4月2日、シュミット大統領が、自身の博士論文盗用疑惑を巡る責任(調査委員会を設置したセンメルヴァイス大学最高評議会は同大統領の博士号剥奪の決定を賛成多数で可決)をとり、辞職。同5月10日、欧州議会議員のアーデル・ヤ―ノシュ氏が大統領に就任した。
1990年:ハンガリー民主フォーラム・独立小農業者党・キリスト教民主国民党政権(中道・右派)
↓
1994年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)
↓
1998年:フィデス・独立小農業者党・ハンガリー民主フォーラム政権(中道・右派)
↓
2002年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)
↓
2006年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)
↓
2008年:社会党政権(左派)
↓
2010年:フィデス・キリスト教民主国民党政権(中道・右派)
(1)体制転換以後、ハンガリーは一貫して「欧州への回帰」を最大の外交目標として掲げ、1999年3月にNATOに加盟、また1998年3月からEU加盟交渉を開始し2003年4月に加盟条約に調印、2004年5月にはEU加盟を果たした。
(2)近隣諸国との関係では、ルーマニアに約150万人、スロバキアに約50万人、セルビアに約30万人等多くのハンガリー系少数民族が居住している。2010年5月、国境外ハンガリー系住民にハンガリー国籍を与えるための法改正を行い、主にスロバキアとの間で一時軋轢が高まった。他方、地域の安定のため、西バルカン諸国のEU・NATO加盟を積極的に支援、また、チェコ、ポーランド、スロバキアとはヴィシェグラード4か国(V4)協力の枠組みで共通の利益推進に努めている。
(3)NATO加盟後、イラク(撤退済み)やアフガニスタン、コソボなどへ部隊・要員の派遣を実施。
(4)2011年1月、EU議長国に就任(任期6月末まで)。EU議長国の重点課題として、経済ガバナンス、EU拡大(特にクロアチアの加盟交渉終了とルーマニア・ブルガリアのシェンゲン協定参加)、エネルギー問題、ドナウ地域戦略、ロマ問題等に取り組んだ。6月にはASEM外相会合をブダペストで開催した。
(1)予算 2,750億フォリント(2011年、ミリタリーバランス2011)
(2)兵力 29,626人(2010年、ミリタリーバランス2011)
機械工業、化学・製薬工業、農業、畜産業
1,286億ドル(2010年、IMF)
12,850ドル(2010年、IMF)
1.7%(2011年、ハンガリー中央統計局)
3.9%(2011年、ハンガリー中央統計局)
10.9%(2011年、ハンガリー中央統計局)
1,529億ユーロ
(1)輸出 799億ユーロ
(2)輸入 730億ユーロ
(2011年、ハンガリー中央統計局)
(1)輸出 通信機器、電気機械、自動車
(2)輸入 電気機械、通信機器、自動車
(2011年、ハンガリー中央統計局)
(1)輸出 ドイツ(25.2%)、ルーマニア(5.7%)、オーストリア(5.4%)
(2)輸入 ドイツ(24.6%)、ロシア(8.8%)、オーストリア(6.2%)
(2011年、ハンガリー中央統計局)
フォリント(HUF)
フォリント(1=0.37円、2012年3月末、ハンガリー国立銀行)
(1)体制転換以後、ハンガリーは積極的に市場経済及び外資を導入し、1990年代後半から2000年代半ばにかけて高い経済成長を遂げてきた。
(2)近年まで経常赤字及び財政赤字という双子の赤字を抱えていたが、2009年に入り、国内経済の低迷により輸入の減少幅が輸出の減少幅を上回ることにより貿易黒字が拡大したことから、同年の経常収支は黒字に転じた。2010年以降、経常収支の黒字状態が継続している。
(3)2006年に誕生した第二次ジュルチャーニ政権は、財政改革を始め、体制転換以来の課題であった医療改革、税制改革等に取り組んだが、経済は、政府による緊縮政策の影響を受け大幅に失速した。2008年に入って経済回復の兆しが見られたものの、10月以降の金融危機の深刻化を受け、政府はIMF、EU、世界銀行に総額200億ユーロの融資を要請。2009年に誕生したバイナイ政権は、1年限りの危機管理内閣と宣言し、着実に財政改善策、国内経済対策に取り組んでいたものの、欧州経済停滞の影響も大きく、2009年のGDP成長率はマイナス6.3%となった。
(4)2010年に発足したオルバーン政権は、IMF、EU等に依存するのではなく、独自の行動計画を策定・実行することで、さらなる信頼増強を図る経済・財政運営を採択。金融機関及び通信・エネルギー・小売の各業界に対する特別税導入、私的年金の実質国有化等を次々に実行した。経済成長に関しては、2010年はドイツ等の主要市場が回復したことに伴う好調な輸出に支えられ、GDP成長率は1.2%のプラスとなった。
(5)2011年に入ってからも、第1四半期までは外需主導型の経済成長を持続していたが、第2四半期以降はスイスフラン高の進行等に伴う内需の低迷、ユーロ圏の債務危機深刻化を背景とした外需の低迷、ハンガリー政府による各種経済・財政措置による影響等により、経済成長が鈍化するとともに、フォリント安が急速に進行した。こうした事態を受け、ハンガリー政府は、同年11月、IMF及びEUと新たな形での協調を求めて協議を開始する方針との声明を発表した。なお、2011年通年のGDP成長率は1.7%のプラスとなった。
(6)2010年の財政赤字は地方自治体の財政赤字が予測を上回ったことなどから目標値を上回りGDP比4.2%となった。2011年4月に政府が欧州委員会に提出したコンバージェンス・プログラム(経済収斂計画)のアップデート版によれば、2015年までに財政赤字の対GDP比を1.5%まで削減することを目標にしている。
(7)現在、ユーロ導入の時期について政府の公式見解(コミットメント)はないが、2012年1月1日施行の新憲法には、ハンガリーの公式通貨を「フォリント」とする旨明文化されたため、将来ユーロを導入する際には、憲法改正が必要となる。
(1)有償資金協力 49.14億円
(2)無償資金協力 6.32億円
(3)技術協力実績 76.90億円
EU
(1)1869年、オーストリア=ハンガリー二重帝国として国交を樹立。第一次世界大戦後、ハンガリー王国として1921年に国交を樹立、1938年に相互に公使館を開設した。
(2)1959年8月国交回復、1960年に相互に公使館を開設。その後、1964年6月に相互に大使館に昇格。1989年の体制転換以降、両国の交流は活発化。1990年1月、日本の総理として初めて海部総理がハンガリーを訪問し、ハンガリーの民主化及び市場経済化への支持を表明。その後も政府要人の相互訪問は活発化し、日本からは、天皇皇后両陛下、秋篠宮同妃両殿下、高円宮同妃両殿下、河野副総理兼外務大臣、麻生外務大臣、斎藤参議院議長、河野衆議院議長、松本外務大臣他が、又、ハンガリーからも、大統領、首相、国会議長、外相等の訪問が相次いでいる。
(3)両国の国会には、友好議員連盟が設置され交流が行われている。
(1)日本の対ハンガリー貿易(2010年、財務省貿易統計)
(2)日本からの直接投資
(3)日本よりハンガリーに対しては、1991年度からほぼ毎年1件の文化無償供与が行われた(2004年度をもって供与対象国より卒業)。
日本は1965年度からハンガリーより研究留学生招待を開始、現在では学部留学生、日本語・日本文化研修留学生、教育研修留学生、研究留学生を合わせ毎年10名前後の国費留学生を受け入れている。一方、ハンガリー政府も1966年より日本人留学生受入れを開始。両国の留学生交流は活発。特にハンガリーにおいては2008年より元国費留学生(これまで累計400名以上が大使館推薦国費留学生として日本に滞在)を中心とするハンガリー元留学生会が発足し、これら元留学生による留学生支援を始めとし、日ハ交流の活性化への貢献を目指した各種活動の展開が期待される。
1991年、国際交流基金事務所がブダペストに開設され両国の文化交流は拡充された。1996年のハンガリー定住1100年祭には日本より30の行事が参加、又、2000年にはハンガリー建国1000年を祝して日本で「ハンガリー・フェスティバル」が催され、また2005年の日・EU市民交流年に際しても約90の行事が開催される等、両国の文化交流は極めて良好。2009年には大型周年事業「日本・ドナウ交流年2009」として、両国の外交関係開設140周年及び外交関係再開50周年を記念する100以上の記念行事が開催された。
1,218名(2012年4月)
464名(2010年末、法務省入国管理局)
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1989年11月 | 中山外相 |
| 1990年1月 | 海部総理 |
| 1992年1月 | 近藤労相 |
| 1992年5月 | 宮下防衛庁長官 |
| 1992年7月 | 羽田蔵相 |
| 1992年8月 | 桜内衆議院議長 |
| 1993年1月 | 森通産相 |
| 1994年11月 | 高円宮同妃両殿下 |
| 1995年4月 | 河野副総理兼外相 |
| 1997年7月 | 堀之内郵政大臣 |
| 1999年5月 | 与謝野通産相 |
| 1999年5月 | 町村政務次官 |
| 2000年8月 | 斎藤参議院議長 |
| 2001年11月 | 有馬政府代表 |
| 2002年7月 | 天皇皇后両陛下 |
| 2004年9月 | 荒井外務大臣政務官 |
| 2005年11月 | 金田外務副大臣 |
| 2006年9月 | 河野衆議院議長 |
| 2007年1月 | 麻生外務大臣 |
| 2009年5月 | 秋篠宮同妃両殿下 |
| 2011年6月 | 松本外務大臣 |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1990年11月 | ゲンツ大統領(即位の礼に出席) |
| 1991年5月 | サバド国会議長 |
| 1991年9月 | アンタル首相 |
| 1992年12月 | イェセンスキ外相 |
| 1994年10月 | バヤ環境相 |
| 1994年10月 | パ-ル工業・商業相 |
| 1995年5月 | ボクロシュ蔵相 |
| 1995年12月 | ホルン首相 |
| 1997年4月 | コヴァーチ外相 |
| 1997年5月 | ガール国会議長 |
| 1997年9月 | メッジェシ蔵相 |
| 1998年1月 | ロッツ運輸・通信・水利相 |
| 1998年9月 | ペポー環境相 |
| 1999年3月 | アーデル国会議長 |
| 1999年10月 | マルトニ外相 |
| 2000年4月 | ゲンツ大統領夫妻(国賓) |
| 2000年12月 | ポコルニ教育相 |
| 2002年7月 | チッラグ経済・運輸相 |
| 2003年1月 | コヴァーチ情報通信相 |
| 2003年11月 | コヴァーチ外相 |
| 2004年8月 | ネーメト農業・地方開発相 |
| 2004年9月 | マードル大統領夫人 |
| 2004年10月 | ジュルチャーニ首相夫妻 |
| 2005年5月 | ショモジ外相 |
| 2005年10月 | コーカ経済・運輸相 |
| 2005年11月 | シリ国会議長 |
| 2008年3月 | ゲンツ外相 |
| 2008年10月 | モルナール科学政策・研究開発担当相 |
| 2009年3月 | グラーフ農業・地方開発相 |
| 2009年9月 | ヒッレル教育・文化相 |
| 2009年10月 | ヴァルガ国家開発・経済相 |
| 2009年12月 | ショーヨム大統領(公式実務訪問賓客) |
1961年 貿易支払協定
1973年 文化取極
1975年 通商航海条約
1979年 科学技術協力取極
1980年 二重課税防止条約
1991年 青年海外協力隊派遣取極
1992年 外交・公用旅券所持者に対する査証免除取極
1994年 航空協定
1997年4月 一般旅券所持者に対する査証免除取極
2008年 運転免許試験の相互免除に関する二国間取極
(1)ハンガリー国駐箚日本大使 伊藤 哲雄 特命全権大使
(2)本邦駐箚ハンガリー大使 セルダヘイ・イシュトヴァーン 特命全権大使