新聞・雑誌等への寄稿・投稿

藪中外務審議官インタビュー

「サンクトペテルブルク・サミットを振り返る」

(「外交フォーラム」9月号より転載)

【要旨】

 WTOのドーハラウンドが行き詰まりをみせ、北朝鮮のミサイル発射やイスラエルのレバノン侵攻など、国際情勢の緊迫する中で開かれた今回のサミットでは、議長国ロシアのリードのもと、エネルギー、教育、感染症、北朝鮮、中東、WTO情勢などについて非常に実質的で内容の濃い議論が行なわれた。日本もいくつかの重要な貢献をし、存在感を示した。

議長国ロシアのもとで

――7月15~17日、ロシアのサンクトペテルブルクでサミット(主要先進国首脳会議)が開催されました。32回目となる今回のサミットの特徴はどこにありますか。

薮中 まずサミット史上初めてロシアが議長国を務めたことです。また、エネルギー価格が高騰し、世界貿易機関(WTO)ドーハラウンドが行き詰まっている中で開催されました。しかし、結果的に、とりわけ今回の特色となったのは、国際情勢が緊迫化する中で開催されたということです。昨年のグレンイーグルズ・サミット直前にはロンドンで爆弾テロ事件が起きましたが、今年もサミット直前に北朝鮮がミサイルを発射し、さらにヒズボラによるイスラエル兵の殺害や拉致に端を発し、イスラエル軍がレバノンへ侵攻するなど国際情勢が緊迫化する中で開催されました。

 議長を務めたプーチン大統領は、サミットの主要議題としてエネルギー安全保障、教育、感染症の3つを提示していました。特に重視していたのはエネルギー安全保障です。ロシアは石油生産第2位、天然ガス生産世界第1位のエネルギー大国です。ソ連解体以降、ロシアの国際社会における地位は、それまでの2つの超大国時代から大きく低下していました。さらに1998年にはロシア経済は債務問題を抱え暗澹たる時代を迎えていました。しかし2000年に入って以降、ロシアはプーチン大統領のもとでエネルギー価格高騰を追い風に、急速な経済成長を続けています。債務を早期返済し「安定化基金」を持つまでに至りました。エネルギー資源は政治的な力をも持ちます。エネルギー安全保障の問題をサミットの主要課題としたことは、1バレル75ドル時代にあってタイムリーであったし、強大な国家ロシアを印象付ける狙いがあったと思います。

――エネルギー安全保障問題において、各国はそれぞれ何を目指していたのでしょうか。

薮中 ロシア自身は2つのことを目指していたと思います。1つはステイタスです。エネルギー問題を主要課題にすることによって、おのずとロシアは主要なプレイヤーになります。もう1つには、エネルギー開発の重要性を認識し合うことで、投資を誘致したいという思いがあったと思います。

 ロシアの天然資源供給に相当高く依存する欧州諸国にとっては、ロシアからの天然ガスをいかに安定的に確保するかということが主な関心事でした。

 本年2月に新たなエネルギー政策を発表したアメリカは、エネルギー価格の高騰にいかに有効に対処するか、中東への石油依存度をいかに低下させるか、さらにエネルギー効率をいかに高めるかということを課題としていたと思います。特にアメリカの市民にとってはガソリン価格の高騰は日々の生活に大きなインパクトを持ちますから大きな政治問題にもなっています。

 日本もエネルギー資源を輸入に頼っているわけですから同じ問題を共有しています。ただ、日本はエネルギーの効率性において先進国の中で相対的に優位性をもっており、世界に省エネをよびかけ、省エネ技術を世界に普及させることにも強い関心を有しています。エネルギー安全保障の問題において主に4つのことが確認されました。1つはエネルギー資源を政治目的に使わない。基本的にはマーケットメカニズムに基づくエネルギーの安定的な需要供給関係を築いていくということ。

 2つ目は、日本が主張したことですが、省エネルギー、エネルギー資源の効率を徹底化するということです。今回初めて、G8各国が経済発展におけるエネルギー集約度を低減するための国別目標につき検討することに合意しました。それとの関連で、2004年6月のシーアイランド・サミットで小泉総理が提案した3R(Reduce・Reuse・Recycle)について、今回のサミットで具体的な目標を設定することも合意され、3Rが世界で市民権を得たといえます。

 3つ目は、エネルギー源の多様化についてです。特に原子力エネルギーが1つの焦点となりました。G8の中でも、原子力エネルギーについては立場が異なります。例えばドイツでは「反原発」の声も強く、国全体としての合意がなされていません。安全の問題や不拡散の問題があるので慎重にならなければならないが、エネルギー資源の安定的確保を考えると、どうしても原子力についても考えざるを得ないという議論がありました。

 4つ目をあえて挙げるとすれば、途上国との関係です。エネルギーの需給関係でも、気候変動との関係でも、二酸化炭素を相対的に多く排出する国にどういった働きかけをするのか。途上国をできるだけ巻き込んで対応していくこと、途上国への技術移転もポイントだったと思います。

 2番目に挙げた省エネに関しては、日本の主張がそのまま入りました。その背景には、アメリカの方針転換もあります。アメリカは京都議定書にはいまでも加入しておらず、数値目標の設定に反対する立場をとっています。しかし、エネルギー高騰時代を迎えて、省エネ努力の必要性を重視せざるを得なかったということだと思います。

 気候変動については、昨年のサミットの継続として議論がなされました。エネルギーと環境、気候変動の問題についての「対話」が昨年から始まっています。昨年はG8サミットのあったイギリスで行なわれて、今年はメキシコで行ないますが、その結果を2008年の日本におけるサミットで報告してもらおうとしています。2008年は、ポスト京都議定書(13年以降)の体制を見据えた重要な年になります。特に重要なのは、いま京都議定書のメカニズムに入っていないアメリカや、入っていても削減義務を課されていない中国など途上国を巻き込んでいく体制をいかに構築していくかということです。

――教育、感染症の問題についてはどのような議論がなされたのですか。

薮中 教育の問題については、「変革を遂げる社会(innovative society)」において、どのような新たな技能、知識が必要とされるのか、それに見合った教育をいかに施すかが課題です。プーチン大統領は日ごろから教育問題に強い関心を寄せています。ニート問題も先進国に共通する問題です。若者が就労意欲を高められる教育が大事だということで議論しました。

 もう1つはアフリカの問題をはじめとする途上国の教育の問題です。昨年から行なっている「万人のための教育(education for all)」がどの程度達成されているのかについても議論しました。

 感染症の問題については、日本が2000年の沖縄サミットでイニシアティブをとって以降、G8は力を入れて取り組んできています。日本のイニシアティブは、2002年1月に、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM/グローバル・ファンド)の設置として結実しました。ただ、ファンド設立当初から日本はトップドナーの1つですが、他の主要ドナーは大幅に拠出を伸ばしており、現在では4~5番手に落ち込んでいます。エイズ、マラリア、結核の問題は依然として深刻ですから、日本も引き続き力を入れる必要があります。

 エイズの問題とともに、今年は鳥インフルエンザの問題も懸念されました。アジアでは問題の重要性が認識され、対応策がとられていますが、アフリカでは対応する準備が整っていません。今後とも各国において早期警戒システムを強化し、予防、危機になったときの対応策を備える必要があります。

「早急な解決を北朝鮮に求める」

――安全保障の問題、特に北朝鮮の問題についてはどのような議論が行なわれたのでしょうか。

薮中 北朝鮮の問題については、小泉総理からこの問題を提起することをロシア側も期待していました。1つは直近にあったミサイルの問題です。小泉総理は全会一致で国連決議が出来上がったことについて、国際社会の協力への謝意を表明し、そのうえで北朝鮮へ厳しい呼びかけをすることを提起しました。具体的には、核開発をやめ、そのうえでミサイルもモラトリアムにコミットする。そういう中で六者協議に無条件で戻ってくるということです。改めてG8としても一致して強いメッセージを出すべきであるということを訴えたわけです。

 もう1つは拉致問題です。被害を受けている可能性のある国は12カ国にも上る。日本と北朝鮮にとどまらない問題であるということを明言したうえで、北朝鮮が責任ある国際社会の一員となるためにも、核開発をやめることと、拉致問題を早期に解決することが不可欠であるということを強く主張しました。

 サミットの前に行なわれた日ロ首脳会談で、プーチン大統領は「日本の立場を十分に理解している」と言っておられました。首脳会議の場でも、何人かの首脳から、きわめて大事な問題であるという強いサポートがありました。そして、議長総括にも小泉総理の主張がそのまま入れられました。各国の賛同を得て、「われわれは」を主語とし、ミサイル、核問題の解決に加え、拉致問題について「早急な解決を北朝鮮に求める」と表現されています。従来のサミットよりも一歩踏み込んだストレートなかたちでの表現が初めて盛り込まれたということです。議長国ロシアが起案した草案を7月17日の早朝に見て、日本の主張が取り入れられたことを確認した時にはほっとしました。

 ちなみに議長総括は、事前に用意した文書ではありません。事前に用意して、最終的に会議での承認を得たうえで発出する文書とは別で、首脳会議における議論をふまえて整理するのが議長総括です。今回のサミットは15日に始まり、G8だけの会議は16日の夜終わりました。議長総括は17日午前5時に私たちに示されました。会議の場で総理が発言をしていても、文書に反映するかどうかはその瞬間まではわからないのです。

――サミット直前に小泉総理は中東を訪問されました。小泉総理ならではの発言はあったのでしょうか。

薮中 小泉総理の中東訪問はタイムリーなものでした。最初の訪問地イスラエルでオルメルト首相と首脳会談を行ないました。その会談に出かける直前にヒズボラがイスラエル兵士2名を拉致したという一報が伝わってきました。イスラエルにとっては、ガザでハマスによるイスラエル兵の拉致、という事件が起きて緊迫しているときに、北のほうでもう1つの事件が起きたわけです。会談中、首相のもとにメモが届けられたり、立ち上がって連絡をとりにいく閣僚もおられるなど緊迫した雰囲気でした。小泉総理も気を遣われて、「非常事態ですからワーキングランチは必ずしも必要ではないですよ」とおっしゃった。しかしオルメルト首相は「日本の総理を迎えて議論をする以上に重要なことはないのだ」とおっしゃいました。小泉総理も指摘されたように、イスラエルは危機管理がしっかりしている国だという印象を持ちました。

 その後、総理はアッバース・パレスチナ大統領、アブドッラー・ヨルダン国王にお会いになりました。特にガザ、パレスチナの問題の中で、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、日本の4カ国で協力してプロジェクトを立ち上げようということを日本から提案しており、それについて各国からの賛同を得ました。サミットでは中東の生の声を伝え、かつ日本の考え方を伝えました。

 中東情勢の深刻化を受けて、サミットでも長時間かけて深い議論が行なわれ、関係者双方に対する呼びかけを行なう中身のある宣言が出されました。

 それから、WTOについてですが、閣僚会議が6月末に進展をみないうちに終わってしまいましたから、それをどうするかも議論になりました。結論としては、今後1カ月以内で基本的合意を目指すべく、徹底した作業をさせるということが申し合わされました。首脳の間では率直な意見の交換がなされ、対立もありました。その後、今日まで2度、重要な政策決定の1つのメカニズムであるG6(アメリカ、EU、ブラジル、インド、日本、豪州)の閣僚会合がもたれ、日本からは二階経産大臣と中川農水大臣が急遽参加されました。

 結果としては、各国の立場、思惑が異なり、残念ながら、交渉が中断される事態となりました。貿易自由化は大きな推進勢力がないとなかなか進みません。従来はアメリカの中の農業や多国籍企業が推進勢力でしたが、今回は状況が違いました。強い推進勢力がない中、ドーハ・ラウンドは頓挫してしまいました。

 さらに今回のラウンドは、低開発国の経済発展に資する目的で「開発」という言葉を入れています。低開発国にとっては期待が高かっただけに、余計に残念な結果となりました。

実質的な議論が行なわれた

――改めて今回のサミットをふりかえられて、どう総括されますか。

薮中 「お祭り」のサミットではなく、実質的な議論が行なわれたサミットだったといえます。発出された文書を見ても、エネルギー安全保障について出された行動計画は重みを持っていると思います。また今回は特に非政府組織(NGO)と共にあるサミットであったと感じています。NGOはG8サミットを継続して採点しています。サミットでコミットされたことが実施されているかどうかチェックされており、今後ともサミットのフォローアップが大事だと思います。

――北朝鮮に対する非難決議が国連で全会一致で採択されたことを受け、サミットでも日本の存在感が大きかったのではないでしょうか。

薮中 小泉総理はサミットに参加するのは6回目です。各国首脳とも顔なじみですし、北朝鮮の問題となると、まず小泉総理から、というような雰囲気が出来上がっています。サミットの直前に国連決議が全会一致で出されて、各首脳の口から「日本のリーダーシップのおかげだ」という発言が実際にありました。決議の持つ意味は大きくて、サミットにおける日本の立場からいっても、大きなプラス材料だったと思います。

――ありがとうございました。

(7月24日収録)


(写真)藪中外務審議官

【略歴】

薮中三十二
やぶなか みとじ
1969年大阪大学法学部中退、外務省入省。米国コーネル大学留学。在ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使、アジア局審議官、在シカゴ日本国総領事、アジア大洋州局長などを経て、2005年より現職。この間大阪大学客員教授、早稲田大学講師を務めた。

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