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セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ
(Sebastián Piñera Echeñique)
1949年12月1日生
期間 | 学歴 |
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1971年 | チリ・カトリカ大学卒(経済学学士) |
1975年 | ハーバード大学卒(経済学修士) |
1976年 | ハーバード大学卒(経済学博士) |
期間 | 経歴 |
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1971~1988年 | 経済学客員教授 (ハーバード大学、チリ大学、チリ・カトリカ大学及びアドルフォ・イバニェス大学) |
1972~1973年 | チリ・カトリカ大学 経済・経営学部教授 |
1974~1976年 | 世界銀行(BM)、米州開発銀行(BID)相談役 |
1976~1978年 | 国連ラテンアメリカ経済委員会(CEPAL)、ラテンアメリカ貧困対策プロジェクト |
1978~1980年 | タルカ銀行頭取 |
1980~1987年 | シティーコープ・チリ 総支配人及び会長 |
1987年 | チリ証券業者協会会長 |
1990~1998年 | 上院議員(サンティアゴ東区)独立系で当選後、国民革新党(RN)へ |
1999年 | RNの大統領選候補者となるも、野党同盟(アリアンサ)内の事前選挙を辞退し、独立民主同盟党(UDI)ラビン候補の選挙スタッフとなる。 |
2001~2004年 | 国民革新党(RN)党首 |
2005年 | 大統領選挙に立候補。バチェレ候補(PS)に決選投票で敗北。 |
2009年 | 大統領選挙に再立候補。決選投票でフレイ候補(DC)を破り当選。 |
2010年3月 | チリ共和国大統領就任(任期4年) |
国民革新党(RN: Renovación Nacional)(但し、10年1月大統領当選により離党(党規))
スペイン語、英語
既婚(セシリア・モレル・モンテス夫人と4人の子供(息子2人、娘2人))、孫4人
1989年のピノチェト大統領(当時)の信任投票では不信任票を投じたこともあり、中道右派の野党同盟(アリアンサ)の中ではリベラルな政治志向を有する。チリに初めてクレジットカード(VISA及びMasterCard)を導入した会社を設立する等、事業家マインドに溢れている。約60社の株式を所有する投資家であり、チリ有数の資産家でもある(総資産は約20億ドルとも言われている)。主要な投資先は、Chilevisión(100%)及びLAN CHILE(26.7%)。株式資産は大統領就任までに売却等を通じて整理される予定。父親(ホセ・ピニェラ。DC)は元国連代表部大使等を務めた外交官であったため、米国、ベルギーでの滞在経験がある。兄(ホセ)は軍事政権下で労働大臣、弟(パブロ)は元中央銀行理事及びエスタド銀行取締役。この他姉、妹、弟が1人ずついる。自他共に認める「仕事の虫」であり、高い問題解決能力及び実行力を有する。よりよい成果を出すためプレッシャーの中で合理的な仕事のやり方を好む。趣味はサッカー観戦(チリのサッカークラブチーム「コロコロ」の株を所有するも、好きなチームは「カトリカ」)、オリンピック観戦(最近のオリンピックは殆ど現地で観戦)、ヘリの操縦等。