外務本省

外交史料 Q&A
その他

パスポート関係

Question
 日本の政府が発行した最初の旅券にはどのようなことが記載されていたのですか。

Answer

(写真)印章写
印章写

 幕末から明治初期にかけて「旅券(パスポート)」に一定した呼び名はなく、印章、印鑑、旅切手、免状などの名称が使用されていました。「旅券」という正式な名称が決まるのは、1878年(明治11年)のことです。
 実際の旅券(印章)第1号は、慶應2年10月17日(1866年11月23日)付で江戸幕府の日本外国事務(外国奉行)が隅田川浪五郎(すみだがわ・なみごろう)に発給したものです。浪五郎は「日本帝国一座」という曲芸団を率いて、パリ万博を目指してまずは米国へと渡りました。外務省が編纂した幕末期の外交史料集『続通信全覧』には、浪五郎に発給された「印章写」が所収されています。そこには、年齢、身長(身丈)とともに「鼻高キ方」「面細長方」などの人相書が記載されているほか、「日本政府許航佗邦記」の角印が押されているのが見られます(写真参照)。
 なお、幕末期において、「日本国民」であることを証明し海外での保護を要請するのに必要な政府発行の証書を制定する過程については『続通信全覧 類輯之部 船艦門』に関係記録が含まれています。

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Question
 戦前、日本人が中国へ渡航する際に旅券は必要でしたか。

Answer

 1878年(明治11年)に定められた「海外旅券規則」には、旅券携帯免除の正式な決まりはありませんでした。しかし、明治時代後期になると、日本から中国へ渡航する者が非常に増加し、旅券発給事務が追いつかなかったことから、中国渡航に際しては旅券を携帯しない例が多くみられました。
 その後、1917年(大正6年)に中国政府が中国への渡航者に対して旅券の携帯を義務づける旨の通牒を発したことにより、この問題について日中間で交渉が行われました。その結果、日本人は中国への渡航に際して旅券を携帯しなくてよいことが正式に認められました。さらに、1918年(大正7年)1月15日付で駐中国芳沢謙吉臨時代理公使より陸徴祥外交総長に宛てて「外国人本邦入国規則ノ除外ニ関スル交換公文」が発せられたことにより、日中相互に旅券を免除することが確認されました。
 外務省記録「旅券査証出入国ニ関スル諸外国ノ法規並取扱関係雑件」にはこの間の経緯に関する記録が含まれています。

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Question
 戦前期に日本政府を表す国章は存在しましたか、また戦前の日本のパスポートには紋章がついていましたか。

Answer

 外務省記録「帝国皇室御紋章関係雑件」によると、戦前の日本には法制上正式に定められた国章はありません。ただし1920年(大正9年)開催の「国際交通制度改良会議」において、パスポートの表紙中央に国章を記すことが国際統一の様式として採択されたため、国章のない日本では菊のご紋章をデザイン化したものを1926年から採用しました。この経緯を示す関係文書は外務省記録「外国旅券関係雑件」にあります。

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Question
 パスポートが現在のような手帳型になったのはいつからですか。

Answer

 1926年(大正15年)1月1日です。
 それ以前は、一枚の紙からなる「賞状型」という形態でしたが、1920年(大正9年)にパリで開催されたパスポートに関する国際会議においてパスポートの形態を国際的に「手帳型」に統一する決議が採択されたことを受け、日本政府もこれに倣いました。
 新しいパスポートは、国際会議の決議に従い、濃緑色の布でコーティングした厚紙の表紙に「大日本帝國旅券」の文字や菊の紋章が金文字で刻字されているほか、各ページに「大日本帝國旅券」という細かな緑色の文字が地模様のように印刷されています。

(写真)外交史料館で所蔵する現存最古のパスポート(賞状型)
外交史料館で所蔵する現存最古のパスポート(賞状型)
1866年(慶應2年)
(写真)大正15年使用開始のパスポート
大正15年使用開始のパスポート
(手帳型)

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Question
 日本のパスポートに写真が貼られるようになったのはいつからですか。

Answer

 1917年(大正6年)からです。第一次世界大戦が契機となり、旅行者や滞在者の身分証明の必要が生じたため、世界各国でパスポートに写真が貼られるようになりました。1914年にイギリスが採用したのが最初です。同年12月にはアメリカもヨーロッパに渡航する自国民に発給するパスポートには写真を貼り付ける措置をとるようになりました。わが国でも1917年(大正6年)1月20日、旅券規則を改正し、パスポートに写真を貼付することを定めました。

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Question
 パスポートのスタイルは国によって違いますが、外国政府発行による昔のパスポートは残っていますか。

Answer

 外交史料館所蔵記録「内外旅券見本及雛形関係雑件」の中に、戦前期のアメリカ、イギリス、ドイツ、ソ連、ベルギー、ブラジル、シャム(タイ)など15カ国のパスポート見本が収録されています。

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Question
 旅券の各ページの模様として「五七の桐」の紋章が使われるようになったのはいつからですか。

Answer

 1938年(昭和13年)の旅券の改正によって、旅券の各ページに「五七の桐」が使われるようになりました。当時の改正の内容を示す記録は、外務省記録「外国旅券関係雑件」に収められています。

 日本では、1920年(大正9年)10月にパリで開催された旅券に関する国際会議での決議に基づき、1924年(同13年)の改正時に現在のような手帳型の旅券が採用され、1926年(同15年)から使用されていました。

 しかし、この旅券には、表紙に印刷された菊の紋章が法令に定める形と異なっていることや、表紙と内ページとの国号表記の不統一、携帯時に表紙の色が衣服に移る、といった問題点があったため、改正が必要となりました。

 このうち、菊の紋章に関しては、表紙のほか、各ページの中央にも印刷されていたため、用紙の素地に入っている模様と一体化するおそれがあるとの問題点が指摘されました。そこで、ページ中央に印刷されていた菊は、皇室の御紋章として法律等で定められたものではない「五七の桐」に替えられることとなりました。

 この改正を施した旅券は1938年8月頃から使用が開始されました。それ以後、旅券の内ページには「五七の桐」の紋章が模様としてあしらわれています。

  • (写真)1940年発給の公用旅券(表紙)
    1940年発給の旅券(表紙)
  • (写真)「五七の桐」の紋章(図案)
    「五七の桐」の紋章(図案)

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各国との外交関係開設関係

Question
 アイスランドとの国交樹立に関する史料はありますか。

Answer

 アイスランド共和国との国交樹立については、情報公開法に基づき開示された行政文書のうち歴史資料としての価値が認められる文書(写しが外交史料館で閲覧可能)の中に、「アイスランド(日本国とアイスランド共和国との間の外交関係設定に関する交換公文)」があります。また、第9回および第17回外交記録公開でそれぞれ公開された外務省記録「在外本邦公館設置関係 欧州地域の部」および「日本・アイスランド間外交関係雑集」にも関連文書が含まれています。
 アイスランド共和国は、1944年(昭和19年)に同君連合関係にあったデンマークから独立しました。戦後、日本側からのアプローチにより両国の国交樹立が促進され、1956年(昭和31年)12月8日、日本がアイスランドに外交関係の開設と公使交換を申し入れ、同日付で外交関係を開設しました。
 この翌年(1957年)9月に、在スウェーデン公使館(同年11月に大使館に昇格)が在アイスランド公使館を兼館しましたが、2001年(平成13年)に日本とアイスランド両国が互いに大使館を開設し、現在は在ノルウェー大使が在アイスランド大使を兼任しています。
 なお、本年(2006年)は両国の外交関係開設50周年にあたります。

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Question
 2005年(平成17年)は日本とノルウェーとの間に国交が結ばれてから100周年にあたるそうですが、国交樹立の経緯について教えてください。

Answer

 ノルウェーは1905年(明治38年)9月にスウェーデンとの連合を解消し、独立しました。この独立交渉の最中から、ノルウェーより日本政府に対して、分離後には遅滞なく国交を結びたいとの申し出がなされていました。日本政府はこの申し出を受け入れ、ノルウェーから信任状が届く前の1905年11月7日に、同国人のアンケル(B. Anker)を臨時代理公使兼総領事として承認し、ここに日本とノルウェーとの間に国交が樹立されました。これらの関連文書は、外務省記録「在本邦各国公使任免雑件 諾威国之部」、「各国分離合併関係雑件」などに収められています。
 なお、日本とノルウェーとの間に結ばれた最初の条約書は、1911年(明治44年)の「日本、諾威間通商航海条約及び特別相互関税条約」です。

 「諾威」=ノルウェー

(写真)「日本、諾威間通商航海条約及び特別相互関税条約」調印書
「日本、諾威間通商航海条約及び特別相互関税条約」調印書
1911年(明治44年)

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Question
 2004年(平成16年)は、日本・ボリビア間に通商条約が結ばれてから90周年にあたるので、外交関係樹立90周年と言えると思いますが、関係記録はありますか。

Answer

 関連記録として外務省記録「暮利比亜共和国ト通商条約締結一件」(暮利比亜=ボリビア)があります。

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Question
 2003年(平成15年)は日本とカナダ間の外交関係樹立75周年にあたりますが、両国の親善に寄与した人物の写真、ないしは両国の友好関係を象徴するような写真はありませんか。

Answer

 人物写真としては、初代駐カナダ日本公使であった徳川家正の肖像写真があります。また友好関係を象徴する写真としては、1954年(昭和29年)3月にカナダのサン・ローラン首相が来日した際の写真などがあります。

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Question
 日本とニカラグアとの国交樹立の経緯について教えてください。

Answer

 日本とニカラグアとの間に国交が樹立されたのは、1935年(昭和10年)です。この年、堀義貴駐メキシコ公使がニカラグアを含む中米5か国(ニカラグア、コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス)の公使を兼任することになりました。ちなみに、この前年の1934年(昭和9年)には、ニカラグア副大統領のロドルフォ・エスピノサ(Rodolfo Espinosa)が赤十字国際会議に出席するため来日しています。

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Question
 戦後、イタリアと国交関係が再開したのはいつですか。

Answer

 イタリアとの国交関係再開については、外務省編『日本外交文書』「平和条約の締結に関する調書」第4冊に掲載されているほか、第6回外交記録公開で公開された外務省記録「本邦在外事務所設置関係」に関連文書が含まれています。 1943年(昭和18年)7月、イタリアのムッソリーニ(Benito Mussolini)首相が逮捕・解任され、バドリオ(Pietro Badoglio)政権が成立しましたが、日本はこれを承認せず、以来両国は国交断絶の状態にありました。
 1951年(昭和26年)9月27日、東京にて、吉田茂首相とダイエタ(Marquis Blasco Lanza d' Ajeta)駐日イタリア外交代表との間で「日本国とイタリアとの間の外交関係の回復に関する交換公文」が交わされ、対日平和条約の発効日(1952年4月28日)を期して戦争状態を終結させ、外交関係を再開することが合意されました。これにもとづき、11月15日、在ローマ在外事務所が開設しました(初代所長は井上孝治郎)。

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Question
 日本とサウジアラビアの外交関係に関する記録を教えてください。

Answer

 わが国とサウジアラビア王国との間には、戦前には正式な外交関係、条約関係はありませんでした。1945年(昭和20年)3月、サウジアラビアは連合国共同宣言に加入して対日宣戦し、1951年9月、対日平和条約に署名しました。その後、1954年3月、サウジアラビアの批准書寄託により両国間に同条約が発効し、1955年6月7日、エジプトに駐在する両国大使間の交渉によって外交関係樹立の合意が成立しました。両国間の外交関係に関する記録としては、外務省記録「日本・サウディアラビア間外交関係雑集」などがあります。

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Question
 2003年(平成15年)は日本とベトナムとの国交30周年に当たりますが、両国の国交樹立に関する記録はありますか。

Answer

 情報公開法による開示文書(写し)の中に「ベトナム民主共和国との外交関係設定について」などの関係文書があります。

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Question
 スリナム共和国との国交樹立に関する記録はありますか。

Answer

 南米のスリナム共和国との国交樹立については、情報公開法に基づき開示された行政文書のうち歴史資料としての価値が認められる文書(写しが外交史料館で閲覧可能)の中に、「スリナム(スリナム共和国独立承認に関する1975年(昭和50年)11月25日付外務大臣よりスリナム共和国総理大臣兼外務大臣宛書簡)」があります。また、第13回外交記録公開で公開された外務省記録「スリナム内政並びに国情関係」にも関連文書が含まれています。
 南米のスリナム共和国は1975年(昭和50年)11月25日にオランダから独立し、日本は同日付で同国を承認、同年12月6日、外交関係を開設しました。翌1976年11月からは、在ベネズエラ大使が在スリナム大使を兼轄しています。

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