政府開発援助(ODA)は、開発途上国の経済開発や福祉の向上に寄与することを主たる目的とします(注184)。また、国民の税金を原資としていることから、公的資金の適正な支出の観点からも、政府開発援助はこの目的に沿って使用されなければなりません。さらに、日本の政府開発援助の最終的な目的は、国際社会の平和と発展への貢献を通じた日本の安全と繁栄の確保です。したがって、援助を行うに当たっては、単に開発途上国の援助需要を考慮に入れるだけではなく、開発途上国の軍事支出などの動向、民主化の促進や市場経済導入の努力、基本的人権や自由の保障状況などの要素に加え、全般的な二国間関係の状況などを考慮する必要があります。日本は、政府開発援助大綱の援助理念(目的、基本方針、重点課題、重点地域)にのっとり、国際連合憲章の諸原則(特に、主権平等および内政不干渉)や以下に示した諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係などを総合的に判断した上で支援を行っています。
援助実施の原則の具体的な運用に際しては、一律の基準を設けて機械的に適用するのではなく、その背景や過去との比較なども含めて相手国の諸事情やそのほかの状況を総合的に考慮して、ケース・バイ・ケースで判断することが不可欠です。
また、開発途上国国民への人道的配慮も必要です。日本が援助実施の原則を踏まえ、援助の停止や削減を行う場合、最も深刻な影響を受けるのはこれらの開発途上国の一般国民、特に貧困層の人々です。したがって、援助を停止・削減する場合でも、緊急的・人道的援助の実施については、特別な配慮を行うなどの措置も併せて検討することが必要です。
経済開発を進める上では、環境への負荷や現地社会への影響を考慮に入れなければなりません。環境でいえば、日本は、自らの開発の歴史の中で、水俣病をはじめとする数々の公害を経験してきました。このような経験を踏まえ、政府開発援助の実施に当たっては、環境に与える悪影響が最小化されるよう、慎重に支援を実施しています。また、開発によって貧困層や少数民族など社会的弱者に対して望ましくない影響が出ないように特に配慮していくことも重要です。こうした観点から、政府開発援助の実施機関である旧JICAや旧JBICでは、これまでも環境や社会への影響に配慮したガイドライン(注185)を設け、事前の調査、環境レビュー、実施段階のモニタリングなどにおいて、環境社会配慮面の確認手続を行ってきました。2008年10月に発足した新JICAにおいても、これらの影響に細心の配慮を払って援助を実施しています。
援助が、軍事的用途や国際紛争助長に使用されることは、厳に回避されなければなりません。したがって、日本は、政府開発援助により、開発途上国の軍や軍人を直接の対象とする支援を行っていません。
近年、日本は「テロとの闘い」や平和の構築に積極的に貢献しています。しかし、日本の援助によって供与される物資が軍事目的に使用されるようなことがあってはならないことから、たとえテロ対策などのために政府開発援助を活用する場合であっても、援助実施の原則を踏まえることとしています。日本は、2007年度にテロ対策等治安無償資金協力として、フィリピンに対し、フィリピン沿岸警備隊が通信システムの構築などを行うための「海上保安通信システム強化計画」の実施を決定し、また、マレーシアに対しては、マレーシア海上保安法令執行庁および海上警察がマラッカ海峡を含むマレーシア海域の海上保安体制を強化することを目的に、海上警備機材を補強するための「海上警備強化機材整備計画」の実施を決定しました。これらの協力により提供される機材については、武器輸出三原則にのっとった支援の実施が確保されています。
開発途上国において政治的な動乱後成立した政権は、民主的な正統性に疑いがあることがあり、人権侵害に歯止めをかけるはずの憲法が停止される場合があります。また、民主的手続によらない政府による住民への基本的人権の侵害についても懸念されます。日本は、このような場合の政府開発援助の実施に関して、慎重な対応をとっています。このような対応をとることにより、政府開発援助が適正に使用されることを確保すると同時に、開発途上国の民主化状況や人権状況などに日本として強い関心を有しているとのメッセージを相手国に伝えています。
例えば、軍事政権が国土を掌握しているミャンマーにおいては、2003年のミャンマー政府によるスー・チー女史の拘束事件以降、緊急性が高く人道的な案件や民主化などのための人材育成案件、広域地域を対象にした案件については、政治情勢を注意深く見守りつつ、慎重に実施してきました。しかし、2007年9月の僧侶などによるデモに対する弾圧の発生後は、さらなる案件検討について絞り込みを行っており、例えば、無償資金協力案件「日本・ミャンマー人材開発センター」を取りやめることを発表しました。今後とも、日本としては、国民和解・民主化プロセスの早急な進展などをミャンマー政府に求めつつ、ミャンマーに対する経済協力を検討していく考えです。
ウズベキスタンでは、特に2005年5月に発生したアンディジャン事件(注186)以降、国内の人権状況について懸念が持たれてきましたが、その後、拘束されていた人権活動家の解放、児童の権利条約の批准などに見られる人権状況に関する肯定的な動きとともに、日本やEUと人権に関する対話を進めるなど、国際社会との協調の努力が見られてきました。その結果、アンディジャン事件以降、ウズベキスタンに対して制裁措置を課してきたEUは、2007年に制裁措置を一部緩和し、融資案件を停止していた各種国際機関も徐々に再開を始めています。日本としてもウズベキスタンと対話を行っており、引き続きウズベキスタンの人権改善努力を促しつつ、今後の協力の進め方を検討していくこととしています。
フィリピンのいわゆる「政治的殺害(注187)」の問題については、これまで、様々な機会を捉えて、日本の国内の関心や懸念をフィリピン政府に伝えています。アロヨ・フィリピン大統領も状況の改善に向けた取組を強化しており、日本としてもこうした取組を促進するよう働きかけています。日本は、今後とも、フィリピン政府による対応を注視するとともに、政府開発援助大綱にのっとり基本的人権および自由の保障状況などに十分注意を払いつつ、フィリピンの安定と発展のための支援を検討していく考えです。
フィジーでは、1999年に初のインド系首相が選出されましたが、2000年5月、フィジー系フィジー人の政治的優位を主張する武装勢力が議会を占拠する事件が発生しました。バイニマラマ国軍司令官(フィジー系)は戒厳令を布告し、法と秩序の回復のため行政権を一時掌握しました。同年7月、フィジー系であるガラセ氏を首班とする暫定文民政権が発足し、2001年9月、総選挙を経てガラセ氏が首相に就任、フィジー系に有利な施策を進めました。こうした状況のなか、バイニマラマ国軍司令官は、2006年12月、再び行政権を奪取、非常事態宣言を発出し、無血クーデターが実現しました。その後、国軍から大統領への行政権の返還を経て、同司令官が暫定首相に就任し、暫定内閣が樹立されています。
日本は、太平洋島嶼国地域の平和と安定のためには、民主的政治体制の定着と良い統治が重要であるという考えの下、こうした事態を踏まえ、今後の民主的な総選挙までの状況を注視しつつ、フィジーにおける速やかな民主的政治体制の回復を、種々の機会を捉え暫定政権に対して働きかけるとともに、政府開発援助に関しては、民主化プロセスの進捗を見極めつつ、当面、個別の案件ごとに実施の可否を慎重に検討する方針とし、①教育、保健、社会的弱者支援などの国民の生活向上に資するもの、②地球規模問題の解決、改善に資するもの、③他の島嶼国が裨益する広域案件に限り実施を検討する─こととしています。
カンボジアでの選挙監視の様子
さらに、2008年度の動きとして、同年7月、日本政府は、カンボジアに23名の選挙監視団を派遣し、2008年カンボジア国民議会選挙の選挙運動、投票および開票過程の監視を行いました。この選挙に際し、2007年度、日本は、同国の国家選挙管理委員会に対し、ノン・プロジェクト無償資金協力の見返り資金による約300万ドルの支援を行いました。さらに、草の根・人間の安全保障無償資金協力を通じて、有権者を対象とした啓発活動や選挙広報を支援しました。