(1) |
WTO協定との整合性
(イ) |
WTO協定における規定
日本がWTOにコミットし、EPA/FTAを補完的なものとする以上、ラウンド交渉の進捗状況との関連に十分留意することに加えて、WTO協定(GATT第24条及びGATS第5条)との整合性を十分確保する必要がある。モノの貿易について言えば、WTOとの整合性とは、具体的に言えば次の3点である。
(a) |
地域貿易協定(RTA)形成前よりも関税等が高度又は制限的なものであってはならない(GATT第24条5)。
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(b) |
実質上のすべての貿易について、関税その他の制限的通商規則を廃止する(GATT第24条8)。
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(c) |
中間協定については、原則として10年以内にRTAを完成させるものでなければならない(GATT第24条5及び解釈了解)。
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このうち、(b)に関しては、地域統合による域内自由化の対象は「実質上のすべての貿易」と規定している。この意味するところについては、明確な基準に関するコンセンサスがあるとは必ずしも言えないが、これまでのGATT時代からの議論においては、質的基準(主要分野を除外しているか否か及び関税品目数)及び量的基準(貿易額)が指摘されている。特に特定のセクターが自由化の対象とならない場合には問題となる。何れにせよ、これらの基準の明瞭化については新ラウンドの包括議題の1つであることにも留意する必要がある。
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(ロ) |
日本が目指すべき自由化水準
WTOルールの遵守・強化並びに日本のEPA/FTAを無原則なものとしないとの観点から、日本の目指すべき自由化水準につき一応の目安が必要である。
例えば、「実質上のすべての貿易」について言えば、原則的には、分野の除外は行わず、貿易額で出来る限り高いカバレッジを目標として交渉すべきである。因みに、貿易額(片道)でみると、各国のWTOへの通報によればNAFTAでは平均99%以上、EU・メキシコEPA/FTAの場合でも97%の関税撤廃を実現している。対象となる国により自由化水準は一定の範囲内で幅はあり得るが、日本としても、貿易額で国際的に見て遜色のない、WTO基準を引き下げたとの批判を受けない基準を実現する自由化を達成すべきであろう。
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(ハ) |
途上国とのFTAに当てはめる基準
途上国間のFTAについては、「授権条項」*8が適用され、上記(イ)の基準が適用されることはない。他方、先進国と途上国の間では、その適用は認められず、WTO上認められているウェーバー(適用除外)をとらない限りは、(イ)の義務は免除されない。お互いの市場開放を通じた経済活性化そのものがお互いの利益になるという日本の考えからすれば、日本が途上国とFTAを交渉する場合、相手国が日本と同様、(イ)の義務を果たす意思を持つことが必要である。
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(ニ) |
WTOラウンド交渉との関係
日本のEPA/FTA戦略との関係では、2003年9月のカンクンでのWTO第5回閣僚会議(農業交渉のオファーの提出)からラウンド交渉妥結(2005年1月1日まで)までの間は、特に農業の取扱いという観点で、多国間(WTO)での交渉の進展を視野に入れる必要がある。
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(2) |
国内産業への影響
日本がEPA/FTAを推進するにあたり、日本の市場開放から生ずる痛みを伴わずにEPA/FTAの利益は確保できない。輸入品の増加により市場からの撤退を余儀なくされる企業も出てくると思われるが、日本の産業構造高度化にとって必要なプロセスと考えるべきである*9。WTOであれ、EPA/FTAであれ、自由化のプロセスは国内の構造改革、競争力強化ビジョンと同時進行(シンクロナイズ)するよう、進めていく必要がある。国内の構造改革なくしては、意味あるEPA/FTAは期待し得ないと言ってもよい。ただし、日本がEPA/FTA締結のために実施しなければならない構造改革は、10年以内という中間協定の経過期間を使い国内経済への影響にも配慮するしつつ、実施する*10。
日本にとり、「人の移動」をはじめいくつかの規制分野、或いは農業分野における市場開放と構造改革のあり方は避けて通れない問題である*11。EPA/FTAは特定の相手との交渉であり、互恵的なものとして相手国から要求があれば、これらの分野で規制緩和や自由化の圧力が働くことは避けられない。政治的センシティヴィティに留意しつつ、EPA/FTAを日本自身の経済改革につなげていく姿勢ぬきには、日本全体としての国際競争力を強化する手段としようという目的は達成されない。またその交渉のために多大な労力を割くことも有意義とは言えなくなる。同時に農業交渉をはじめ、現在のWTO新ラウンド交渉の進展も考慮に入れた現実的なEPA/FTA交渉スケジュールを組む必要もある。
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(3) |
適切な手段の選択
WTOでの交渉とEPA/FTAでの交渉の使い分けも検討課題である。日本への農林水産物輸出に関心を有する国・地域とのEPA/FTAについては、新たな譲許がなければメリットがないとしている相手国があることに留意する必要がある*12。個別のEPA/FTAにおいて、相手国の要望、当該品目の重要性、競争条件等を踏まえ、適切なバランスが追求されるべきであろう。WTO新ラウンド交渉では、世界全体に適用しなければ、実効性の上がらないようなルール(例えば農業補助金の廃止や貿易救済措置についての規律)や世界全体での自由化の底上げを図るような市場開放交渉を行い、EPA/FTAでは特定国・地域とのWTO協定の水準を超えるような高度なルール作りや自由化、あるいはWTO協定でカバーされていない分野でのルール作りや自由化を探求することになる。その際、例えば、当該国との間で農林水産品を含めた物品の貿易で高関税が主たる貿易障壁となっていないのであれば、モノのEPA/FTAにこだわる必要性は乏しいとも言えよう。また、農林水産品貿易が絶対的にも相対的にも大きな比重を占め、日本がこれを自由化することが当面現実的な交渉項目になり得ないような場合で、サービス貿易分野でWTOプラスが期待し得るような場合には、むしろサービス分野に特化したEPA/FTAを追求するような選択肢もあり得よう。
実際上、EPA/FTAは経済関係、更には政治的関係の強化の選択肢の1つであり、EPA/FTAでない他の手段が適切な場合もあろう。例えば、分野限定的に、投資協定、相互承認協定を対象とするアプローチもあり得よう。また、経済関係を強化する上で関税撤廃を含め日本と相手国の間で法的に約束するのではなく、規制改革を相互に推進するような対話を中心にすることがより優先度が高い場合も考えられよう。さらには、将来のEPA/FTAの可能性を含みながら、経済緊密化のためのフレームワーク作りによって政治的志向表明を行うことが適切な手段である場合もあり得よう。要するに、相手国や日本の状況、相互の関係を考えながら、EPA/FTAを含めた多様な手段(場合によりいくつかの組み合わせ)を選択していくべきなのである。
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(4) |
貿易と投資の関係
他国のEPA/FTA締結による貿易転換効果から日本企業を防御するとの観点でEPA/FTA締結の是非を論じる場合(上記2.(1)(ハ))、念頭には、「日本国内の日本企業」と「(日本が参加していない)EPA/FTA域内の企業」という対立構造にあるが、グローバルなビジネス時代においては、「海外に進出する日本企業」と「日本に残る日本企業」といった観点も考慮に入れる必要がある。
具体的には、例えば(日本とはEPA/FTAを締結していないが、B国とはEPA/FTAを締結している)A国における日本資本の部品製造企業が考えられる。A国及び(或いは)B国の高い輸入関税を前提に、既に現地に投資をしている日本資本の大製造企業の「現地下請け」となるべく、日本の中小部品メーカーがA国に投資を行っていたとする。他方で、日本とA国が締結するEPA/FTAによりA国の部品輸入関税が撤廃された場合、A国では日本から直接部品を輸入した方が(A国で生産する或いはB国で生産して輸入するより)コストが安くつくといった場合も想定されよう。そのような場合、対立の構図は、「現地に投資してしまった日本部品企業」と「日本に残った日本部品企業」といったことになる。
このように、今後、日本がEPA/FTAの対象国を検討するに当たっては、貿易の側面のみならず、投資の側面にも光を当てる必要があろう。
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(5) |
通商と通貨の整合性
EPA/FTAを通じて貿易や投資の自由化を推進していった場合、国際収支が不安定化する可能性もあるため、並行して通貨の安定を確保する措置も視野に入れることが望ましい。例えば、北米においては、NAFTAが94年1月に発効した後、4月には既存の通貨スワップ協定を拡張し、経済政策協議も実施するNAFA(North American Framework Agreement)がNAFTAの加盟国である米国・カナダ、メキシコの間で締結された。日本としても、EPA/FTAを推進するに当たっては、通商面と通貨面の整合性に注意を払っていく必要がある。
なお、日シンガポール経済連携協定においては、金融分野での協力という章を設け、金融市場のリンケージを通じ、金融市場の拡大と安定をもEPAの基本に据えようとの試みが行われた。今後、こうした分野は更に整備することが必要であろう。
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*8 |
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1979年の締約国団決定(『異なるかつ一層有利な待遇並びに相互主義及び開発途上国のより十分な参加』)において、以下のような要件に適合することを条件に、発展途上国間の関税・非関税障壁の削減・撤廃を目指す地域貿易協定を、GATT第1条(最恵国待遇)の例外として認めている。この締約国団決定が一般的に「授権条項」と呼ばれている。なお、授権条項とGATT第24条との関係は明確にされていない。
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開発途上国の貿易を容易にし、かつ促進するように及び他の締約国の貿易に対し障害又は不当な困難をもたらさないように策定されなければならない。(パラ3(a))
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関税その他の貿易制限を、最恵国待遇の原則に基づいて軽減し又は撤廃することに対する障害となってはならない(パラ3(b))ほか |
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*9 |
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先述のスターン=遠藤(2002)の試算によれば、例えば、日シンガポール経済連携協定ではサービス、特に卸・小売・運輸の分野で、日韓EPA/FTAを締結する場合には農業、皮革製品・靴、卸・小売・運輸といった分野で大幅な雇用者数の低下が見られると予想されている。 |
*10 |
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ただし、WTOでの自由化はWTO加盟国全てに開放するが、EPA/FTAにおける自由化は対象が相手国に限定される点で改革を漸進的に進めることとなり、痛みが急激に起こるのを抑えることが出来る。
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*11 |
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ただし、日シンガポール経済連携協定の交渉に際しては、農林水産業以外にも、「資格の相互承認」や「政府調達」などの分野において、硬直的な国内の業界構造によって困難な交渉を強いられてた経緯があり、本稿は農業だけがFTA/EPA戦略を推進するに当たっての障害になっていると述べるものではない。
また、NAFTAやEUメキシコFTAにおいても、以下のような農産品は例外品目として扱われており、例えばEUメキシコFTAの場合には、一部の産品をウェイティング・リストとして実質的に例外扱いとしつつ、発効後3年以内に行われる再交渉の中で取扱いを検討することになっている。
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米・加間 |
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米側(乳製品、ピーナッツ、ピーナッツ.・バター、砂糖、砂糖含有品、綿)
加側(乳製品、家禽肉、卵、マーガリン) |
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加・メキシコ間 |
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乳製品、家禽肉、卵及び卵製品、砂糖、砂糖含有品 |
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EU・メキシコ間 |
: |
EU側(農産物についてはタリフラインの26%が例外(食肉、乳製品、穀物、糖類)、水産物(マグロ、カツオの加工品))
メキシコ側(農産物についてはタリフラインの50%が例外(同上)、水産物(同上))
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*12 |
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例えば、メキシコはあり得べき日メキシコEPA/FTAにおいて、農産品の何らかの自由化が不可欠であるとしている。なお、両国間の貿易において、我が国がメキシコから輸入する農林水産物の割合は全輸入額の21.9%を占めているが、逆に我が国がメキシコへ輸出する農林水産品の割合は全輸出額の0.04%に過ぎず、輸出入を合わせた日メキシコ間の貿易総額に占める農林水産品の割合は7.3%である(2001年度確定値:財務省貿易統計)。なお、我が国が輸入する農産品の中で大部分を占めるのは豚肉(冷凍、冷蔵)であり、他に生鮮アボガド、コーヒー豆、エビ、ブロッコリー等も輸入している。 |