第3章 > 1 > (4) 南アジア
アジア及び大洋州

【総論】
南アジア地域では、アジアの主要な民主主義国であるインドが、最近の堅調な経済成長もあって、国際社会での存在感を高めてきた。一方で、同地域では、最大の懸念であるインド・パキスタン間のカシミールの帰属に関する問題や、核の不拡散問題といった国際社会の不安定要素もいまだ存在している。また、スリランカやネパールは国内情勢に不安定な要素を抱えている。2001年には米国同時多発テロの発生を受け、インド及びパキスタンは、国際社会によるテロとの闘いを支持し、特に、パキスタンはこれまでの対アフガニスタン政策を変更し、従来孤立しがちであった自国の立場を好転させることに成功した。
日本は、自らの安全と平和を確保するために基礎となる国際社会の安定と繁栄を実現するため、南アジア地域の安定の実現に向け積極的に取り組んできている。2001年には、インドとパキスタンとの間で要人の往来が実現し、インドとの間で日印共同宣言を発出した。また、テロと闘うパキスタンへの経済支援を実施した。
【南アジア情勢】
インドは、政治・安全保障及び経済の分野において米国を始めとする主要国との関係緊密化を図るなど、国際社会における存在感を一層高めてきた。米国同時多発テロ後、インドは、米国を含む国際社会によるテロとの闘いに強い支持を表明するとともに、自国におけるテロ活動への国際社会の注目を喚起するなど活発な外交活動を展開した。
パキスタンは、国際社会のテロとの闘いに協力していくとの方針を明確にし、タリバン政権を支持してきたこれまでの対アフガニスタン政策を根本的に変更した。従来、パキスタンは、厳しい経済状況に直面し、また1999年10月の軍事クーデター以降は、国際社会から孤立しがちな立場にあった。しかし、このような政策の変更が、国際社会から歓迎され、日本を含む主要国から経済支援を含む種々の支持や支援を受けることになり、孤立から脱却することに成功した。パキスタン国内においては、米軍等によるアフガニスタン空爆等の過程で国内各地で一部の宗教政党による散発的なデモ等が発生したが、全体として国内の治安は維持され、タリバン政権崩壊後、そうしたデモはほとんど無くなった。内政面では、6月、ムシャラフ行政長官が大統領に就任し、8月に、2002年10月までに国政選挙を実施し、民政に復帰するためのロードマップ(道筋)を発表した(注1)(インド・パキスタン情勢については、第1章3(2)を参照)。
2001年、スリランカにおいては、スリランカ政府とスリランカの北部、東部州の分離独立を標榜する「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)との間の紛争が続いていたが、10月の国会解散、12月の総選挙(注2)を経て、12月、LTTEの一方的停戦の表明にスリランカ政府が応じ、非公式な停戦が実施されることになった(注3)。
ネパールでは、6月にビレンドラ国王夫妻他、多数の王族が死亡する事件が発生し、国内外に衝撃を与えた(注4)。その後、ビレンドラ国王の実弟であるギャネンドラ国王が即位した。この事件を契機に、マオイスト(注5)による活動が一時活発化したが、7月に発足したデゥバ新政権のもとで、マオイストの武力闘争は停止され、対話交渉が行われた。しかし、11月にマオイストが武力闘争を再開したため、ネパール政府は国家非常事態宣言を発出し、軍を動員した作戦を展開している。
バングラデシュでは、10月に第8回総選挙が実施され、バングラデシュ民族主義党(BNP)を含む4政党連合が前与党アワミ連盟に大差をつけて勝利した結果、5年半振りの政権交代が行われ、カレダ・ジアBNP総裁を首班とする新内閣が発足した。
インドの経済成長及びソフト産業規模の成長

【日本との関係】
インドとの関係では、2000年8月の森総理大臣によるインド訪問の成果を踏まえ、グローバル・パートナーに相応しい充実した協力関係を構築するため着実な外交努力が重ねられた。経済分野では、9月に日印ITサミット(注6)及び日印IT有識者協議が開催されるなど、IT分野を中心に交流・協力関係が拡大した。政治・安全保障分野における交流の拡大は2001年の注目すべき点であり、7月には初の安全保障対話及び防衛当局者協議が開催された。国民レベルの交流においても、11月に日印21世紀賢人委員会が両国首脳に対して提言を提出する等裾野が広がっている。こうした中、12月、バジパイ・インド首相は、インドの首相として約9年振りに日本を訪問した。小泉総理大臣とバジパイ首相は、首脳会談後、21世紀における日印関係の道標とも言うべき日印共同宣言を発出した。日印共同宣言では、経済分野に加え、政治・安全保障分野においても両国の交流を一層拡大し、包括的な対話・協力関係を構築していくこと、さらに、二国間での協力に加え、地域的な観点、さらには地球的な観点からテロ、軍縮・不拡散などの様々な問題に対して共に協力していくことが示されている。なお、1月にインド西部で大規模な地震が発生した際には、日本は官民を上げて被災者への支援及び被災地の復旧・復興に向けた協力を行い、インドから謝意が表明されている。
パキスタンは、9月11日の米国同時多発テロ以降、国際社会によるテロとの闘いに協力する姿勢を明確にしている。同国が穏健かつ近代的な国家として安定的な発展を遂げることが、アジア地域、ひいては国際社会の平和と安定にとって重要であるとの認識の下、日本は、同国を支持し、支援していくため、9月、主要国に先駆けて約4000万ドルの二国間支援等からなる緊急の経済支援を発表し、国際社会から高い評価を受けた。その後、9月に小泉総理大臣特使として杉浦外務副大臣がパキスタンを訪問し、10月には小泉総理大臣とムシャラフ・パキスタン大統領が電話会談を行った。また、10月に大統領特使としてアジズ・パキスタン蔵相が訪日し、11月には田中外務大臣がパキスタンを訪問した。さらに、11月には、日本は、前述の約4000万ドルの支援を含め今後約2年にわたって、3億ドルの無償資金協力を行うなどの追加的経済支援を発表し、その後、着実に実施してきている。12月には、日本は、主要債権国としてパリ・クラブにおける議論に積極的に貢献し、結局、パキスタンと債権国との間で、公的債務の寛大な繰延につき合意に至った。
なお、1998年のインド・パキスタン両国による核実験の実施に対応して、日本は両国に対する一連の措置(注7)を実施してきたが、インド・パキスタンの核軍縮・不拡散分野における取組の進展において、日本の措置が相応の成果を上げたと考えられること、パキスタンを中長期的に支援する必要性及びインドに対し積極的な関与を深めていく必要性等の要素を総合的に考慮し、10月、この措置を停止した。一方で、日本は、今後とも、両国に対し包括的核実験禁止条約(CTBT)署名を含む核不拡散上の一層の進展を引き続きねばり強く求めていく考えである。
2002年は、日本とインド、パキスタン及びスリランカとの国交樹立50周年に当たり、また、バングラデシュとの国交樹立30周年に当たる。国民レベルでの相互理解を深める機会として、現地及び日本国内の双方で様々な周年事業を開催することが予定されており、21世紀における友好協力関係を幅広く更に発展させる契機となることが期待されている。
バジパイ・インド首相を御引見する天皇陛下(12月)(提供:宮内庁)
