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 アジア及び大洋州

アジア及び大洋州


(3) 東南アジア



【東南アジア諸国連合(ASEAN)】
 ASEANは、1999年にカンボジアが加盟したことによりASEAN10として、東南アジア全域を一つの傘の下に包摂する地域協力体に発展を遂げたが、それに伴って、域内の政治体制の相違によって生ずる問題や経済格差の問題が顕在化することになった。特に、グローバル化の急速な進展に伴い、域内の経済格差はますます深刻となっており、ASEANにとって、その結束をいかに維持、さらには強化し一体性を確保していくかが重要な課題となっている。
 このような中、2001年7月にハノイで開催された第34回ASEAN外相会議においては、ASEAN統合イニシアチブ(IAI)の進展を歓迎するとともに、インフラ、人材育成、情報通信技術(IT)、地域経済統合の各分野における「より緊密なASEAN統合に向けた開発格差是正に関するハノイ宣言」を採択した。
 11月にはブルネイにおいて第7回ASEAN首脳会議が開催された。ASEANは世界経済の減速と反テロに向けた国際的取組という設立以来最大の挑戦に直面しているとの認識の下、テロや地域統合等の課題について各国首脳間で率直な議論が行われた。テロについては、「テロリズムに対抗するための共同行動に関する2001ASEAN宣言」を採択し、国連憲章に沿って、特にすべての国連関連決議を踏まえ、あらゆるテロ行為に対抗するとの決意を表明した。また、この地域でも深刻となっている感染症問題についても、HIV/エイズに関する第7回ASEAN首脳会議宣言を採択し、この分野での地域協力の促進への決意を表明した。 

【ASEAN各国の情勢(注)
 2001年は、インドネシア、タイ及びフィリピンにおいて新たな政権が誕生した。日本と地理的な近接性、密接な経済関係を有するASEAN諸国との良好な関係を今後も維持し、発展させていくことは、自らの安全と繁栄を大きく国際社会の安定と繁栄に依拠している日本にとって重要であり、こうした認識に基づいて、日本はASEANとの協力関係を進展させるとともに、ASEAN各国との二国間の関係の推進にも積極的に取り組んできた。
 タイでは、2001年2月にタクシン政権が国民の圧倒的支持を受けて成立し、下院での圧倒的議席を背景に安定した政権運営をしている。タクシン政権は、国営資産管理会社の新設、農民債務モラトリアム、一村一品運動など一連の経済政策を打ち出し、実施してきている。タクシン首相は2001年11月に日本を公式訪問し、二国間関係及び地域における日・タイ協力について小泉総理大臣と率直な意見交換を行った。
 フィリピンでは、2001年1月にエストラーダ大統領に代わってアロヨ副大統領が大統領に就任した。アロヨ大統領は、治安回復のため、前政権下で中断していた国内の反政府組織(イスラム勢力と共産主義勢力)との和平交渉を再開したほか、米国同時多発テロ後は、南部ミンダナオ島のイスラム過激派組織アブ・サヤフ・グループの掃討作戦を強化した。経済面では、貧困対策を最重要課題に掲げ、中期国家開発計画(2001年~2004年)を策定し、農漁業部門の近代化、南部ミンダナオ開発、IT産業の振興、汚職対策等の具体的な施策を打ち出した。2001年9月のアロヨ大統領の訪日に続き、11月にはギンゴナ副大統領兼外務長官が訪日した。
 べトナムでは、2001年4月に5年に1度の共産党大会が開催され、社会主義体制の維持とドイモイ(刷新)路線継続の方針が打ち出されるとともに、党の最高指導者である書記長にマイン国会議長が選出された。
 ラオスにおいては、2001年3月、5年に1度の人民革命党大会が開催され、従来からの改革開放路線の継続が確認されるとともに、第4期第7回国民議会においてブンニャン新首相が選出された。
  ミャンマーでは、2000年秋より、政権側(国家平和開発評議会(SPDC))とアウン・サン・スー・チー女史との直接対話が始まっている。直接対話の開始を受け、政権側は2001年1月以降、計220余名の政治犯(そのうち国民民主連盟(NLD)国会議員約60名)を釈放しているが、対話の進展については予断できない状況である。日本としては、国際社会と連携しつつ、民主化の推進につき政権側への働きかけを引き続き行っている。11月には、ASEAN+3(日中韓)首脳会議の際に小泉総理大臣がタン・シュエSPDC議長と会談を行った。
 カンボジアでは、日本との間で要人往来が頻繁に行われ、2001年6月にはフン・セン首相が第5回カンボジア支援国会合に出席するため訪日したほか、秋篠宮同妃両殿下が日本皇族として初めてカンボジアを公式訪問した。また、12月には、日本の無償資金協力で建設されたカンボジアにおける初のメコン架橋となる「きずな橋」の竣工式が行われた。     

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