第3章 > 1 > (2) 朝鮮半島
アジア及び大洋州

【総論】
2001年、韓国は、米国経済の停滞や9月の米国同時多発テロの影響等を受け、厳しい経済運営を迫られた。内政では、就任当時、非常に高い支持率を維持していた金大中(キム・デジュン)政権は、国内経済の悪化や対北朝鮮政策に対する批判等から支持率が急落し、2001年は厳しい国政運営を強いられた1年であった。対外関係では、北朝鮮との関係では大きな進展は見られなかったものの、中国やロシアといった近隣諸国との関係の強化に取り組んできた。
【韓国国内政治】
任期の折り返し地点を過ぎた金大中政権にとっては、2001年は困難に満ちた1年となった。大統領就任当時は70%前後の高い数字を示していた金大中政権への支持率は、国内経済の悪化に加え、地域偏重人事(注)、対北朝鮮政策が宥和的であるといった批判を受けて急落し、2001年4月には20%台にまで落ち込んだ。このような状況の中、金大中大統領は1月に金鍾泌(キム・ジョンピル)名誉総裁率いる自民連と、2000年2月より解消状態にあった連立政権を回復させるとともに、3月に行った内閣改造では、民国党より重要ポストである外交通商部長官に韓昇洙(ハン・スンス)議員を登用することにより、自民連及び民国党との協力体制を構築し、かろうじて過半数を確保してきた。しかし、9月に対北朝鮮政策をめぐる問題から野党ハンナラ党から提出された林東源(イム・ドンウォン)統一部長官の解任決議案をめぐり、自民連がこれに同調したため、民主党は自民連との連立を再び解消し、この結果、少数与党としての厳しい国政運営を強いられることになった。
さらに10月の補欠選挙では、野党第1党であるハンナラ党が3議席すべてを獲得し、過半数にあと1議席に迫る躍進振りを見せたのに対し、民主党は1議席も獲得できず惨敗に終わった。これを受け、若手改革派を中心に党刷新の声が高まり、金大中大統領側近を中心とする主流派との間で党内対立が顕在化し、金大中大統領は、11月ついに総裁職を辞任するに至った。
2002年12月には大統領選挙を控え、与野党内で大統領候補擁立をめぐる動きが活発化してきているが、これに加え、今後次期政権獲得を目指した与野党間の主導権争いが繰り広げられるものと見られている。
【韓国経済】
韓国経済は、2000年夏以降、原油価格の高騰、米国経済の停滞、情報通信技術(IT)産業の低迷、さらに2001年9月に発生した米国同時多発テロの影響もあり、減速感を強めた。2000年に9.3%を記録した国内総生産(GDP)成長率も、消費動向の悪化、設備投資の不振7~9月期は1.8%の伸びにとどまった。しかし民間消費は年後半3%台の成長で堅調であり、2001年の成長率は3%となった。インフレ率は、2002年1月末で2.6%であるが、2001年は4.3%であり、政府誘導目標の4.0%を上回った。失業率については、2001年1月に4%に達したものの、4月以降、改善の動きが見られ、低水準で推移しており、2002年1月は3.7%となった。
構造改革については、金大中政権は、1997年末の経済危機を克服するために、金融、企業(財閥)、公共部門、労働の4大改革などの経済構造改革を進め、1999年11月には大統領により通貨危機克服宣言が出された。しかし、企業改革は財閥の抵抗に遭い、所期の効果を上げておらず、また内外資への売却や清算といった不良企業の整理も進捗していない。こうした中、韓国政府は、金融機関への公的資金導入や合併の促進、再建の見込みのない企業に対する法的整理の加速等、引き続き、改革へ向けて積極的な姿勢を示している。
【韓国の対外関係】
韓国は、対北朝鮮政策の遂行にあたり、日本及び米国との3か国の連携を堅持している。また、経済面で大きな将来性を有すると見られる中国を始めとして、ロシア、ASEAN諸国等の主要関係国との関係強化にも努めている。また、2001年9月より韓国が第56回国連総会の議長国をつとめ、国連がノーベル平和賞を受賞したことから、国連総会議長であった韓昇洙外交通商部長官がアナン国連事務総長と共にノーベル賞授賞式に出席した。
崔成
(チェ・ソンホン)韓国外交通商部長官との会談に臨む川口外務大臣(2002年3月)
