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外交の現場から
~省員エッセイ~
「必ず予兆はある」を教訓に 中南米第一課課長補佐 淵上隆
2002年4月、反政府運動の盛り上がりでベネズエラのチャベス大統領が失脚したかと思いきや、数日後に劇的に逆転復帰したことが大きな国際ニュースになったことは記憶に新しい。このニュースを聞いたとき、「10年たってもまだゴタゴタが続いているのか」という想いとともに、10年前、不安定な政治社会情勢の中で大使館員としてこの国に勤務していた頃のことが脳裏に蘇った。筆者が勤務していた1990年5月からの4年半の間には、流血のクーデター未遂事件も発生し、その後もクーデターや暴動発生の噂は絶えなかった。
暴動、クーデターなどの万一の場合に備えて、一般の在留邦人には1週間程度は自宅に籠城できるよう家族構成に応じた生活必需物資を備蓄するように普段から注意を呼びかけていた。また、ベネズエラのような産油国であっても混乱で流通経路が切れればガソリンは不足する。自家用車のガソリンが半分になれば、すぐに満タン状態にしておくことも普段から心がけねばならなかった。これがもし満タンで国境まで走れる程度の面積の小さな国であるならば、常に国境まで走れる量のガソリンを車に確保しておくことも重要であろう。在留邦人間の連絡網の整備とそれが機能するかどうかの予行演習も行った。また、当時の領事は大きな市街地図を購入して執務室の壁に貼り、そこに在留届けをもとに邦人の住居に該当する住所部分にピンを刺し、そこに名前と電話番号を付けていた。これは万が一の場合に連絡をその電話番号で取りやすくするためと、在留邦人の集中する地域が地図上で視覚的に分かるため、まずはその地域の情勢を重点的に把握すればよいという点で、クーデター事件当日は実際に大変役立った領事の名案であった。館員夫人の日々の買い物もある意味で貴重な情報である。1989年2月に、当時の政府発表でも300名以上、実際には1000名以上の死者が出たとされる「カラカス大暴動」が起きていた。筆者の赴任前年のことであったが、当時を知る邦人に尋ねたところ事件の数週間前に市内各地のスーパーの棚から一斉に商品が消えたそうである。ここにも、「後になって振り返れば」の「予兆」があったわけである。そのことを知ってから、家内にスーパーの商品陳列状況を尋ねるのも日課となった。 政情が不安定で何が起きるか分からない国に勤務し生活することは、普段からの備えが不可欠であるが、特に大使館員は目と耳を使って何らかの「予兆」を「予兆」として捉えられる感覚が必要であると痛感させられた。小さな現象を大事件の「予兆」として捉えようとする意識は、より広く、個々の政治社会現象の中から時代の潮流を読む能力、その国や地域全体の将来動向を把握する能力にもつながるものであると思う。 10年前のベネズエラ勤務は貴重な勉強であった。 |
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