あなたは「鍋奉行」してますか?
経済局開発途上地域課長 井出敬二
外交官にとり、自宅で手作りの料理で客をもてなすことは重要な仕事である。わが家では、気取らない鍋料理を、お客と一緒に料理し、一緒に箸をつついて、盛り上げる。世界にも鍋料理は多数ある。中国の火鍋、韓国のチゲ、タイのタイスキ、スイスのチーズ・フォンデュ。鍋料理多しと言えども、「鍋奉行」という役割の必要性を指摘しているのは、日本の鍋料理だけかもしれない。「鍋奉行」とは、鍋料理をおいしく仕上げ、話題で皆を楽しませ、幸せにするためのとりまとめ役である。日本の外交官にとって、すばらしい「鍋奉行」になることは必要な素養と言える。
国際会議に出ても「鍋奉行」が必要なことが分かる。様々な嗜好を持って鍋を囲む人たち(=国際会議に出てくる人たち)をうまくさばく、とりまとめ役が必要である。意見の衝突を解きほぐし、コンセンサスに持っていく、この役割はとても大切である。会議が気持ち良く効率的に終わるか、そうでないかを左右する。日本の外務省でも「鍋奉行」を育てないといけないが、就職する前から教育を始めた方が良い。日本政府の職員にとって、若手の頃から、国際会議で存分に活躍するというのは、かなり難しい。ある程度年季を積めばできるが、国際会議が多い昨今では、若手でそのような人材が多く必要である。これは外務省の機能強化の観点からも緊急課題である。更に政府の職員のみならず、学者、経済人、政治家にとっても課題だ。学校でも職場でも、「鍋奉行」になるための教育が必要である。
まずコミュニケーション能力が要る。相手の主張を理解する能力、自分の意見を相手に伝える能力である。日本語でも難しいが、英語でできないといけない。米国での学校教育では、相当、コミュニケーション能力を磨く事に力を入れている。英語嫌いと言われていたフランスでも、EU統合の中で、英語教育には力を入れている。アジアでも、シンガポール、マレイシア、フィリピン、香港など、日本人より英語コミュニケーション能力がはるかに高い人々がいる。やがて韓国、中国もこのグループに加わるだろう。日本でも英語教育の抜本的強化、そのためにも論理的な日本語教育が必要である。
相手の主張と利害を理解するためには、相手の事情と心理を把握するための知的好奇心や一種の想像力が必要である。想像力を養うには、文学や文化全般に親しむことも役に立つ。自分の殻に閉じこもる「オタク」的人間には、この想像力は欠如しがちではないだろうか。
相手と自分の主張の違いを理解した後は、それを埋め、説得する作業が必要である。選択肢が何かをテーブルに並べてみて、皆にとってのメリット・デメリットを議論して、結論に導く開放的な手続きも確保すべきである。万人に通用する力強い論理を展開できる力を磨くことが必要である。密室で決めてしまおう、という誤った日本的風土は障害である。
鍋料理の味付けにユーモアも欲しいが、これはともかく、それ以外の諸点については、学校でも職場でも教育の強化を期待したい。
過去の日本は、自ら「鍋奉行」にならなくても、鍋を囲み、材料を提供したり、黙って食べたりしていれば良かった。誰か他の人が「鍋奉行」役を務めてくれていた。しかし、これからは日本も「鍋奉行」役を務めないといけない。なぜ日本が「鍋奉行」になる必要があるのだろうか?
第一に、日本は、世界第2の経済力を持つ国として、世界の様々な事象に関与している。戦後の広範な活動を通じて、世界全体に目配りできる能力を十分備えるに至っている。先進国と途上国の気持ち、G8諸国とアジア諸国の気持ちをともに理解できる日本の立場は貴重なものである。
第二に、これからの日本は、鍋に材料を提供し、食べるということだけではなく、「鍋奉行」役を務めるという知的な貢献をすることで、日本の国益を増進しないといけない。「鍋奉行」を務めることは、それなりに多大な知的エネルギーを必要とするが、日本はそれができる筈である。
OECD(経済協力開発機構)の会議で、名「鍋奉行」を出しているのは、オランダ、イギリスといった、かっての世界の列強であり、今は超大国ではないが、国際化を成し遂げ、世界への関心を維持している国である。両国は、上記の二つの事情を満たしている。今、私が担当しているAPEC(アジア太平洋協力)では、日本も「鍋奉行」として活躍している。
世界は、限られた資源を皆で食べている、いわば大きな鍋である。「鍋奉行」という考え方を持っている日本が、世界の鍋料理を今後も続けていく(国際会議用語で言えば「持続可能な鍋料理」!)ための知的貢献をできない筈は無い。
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