通訳の愉しみ
北米局北米第二課課長補佐 片山芳宏
総領事館広報センター勤務のため2001年5月末まで滞在したニューヨークには、日本から多数の方々が様々の分野の勉強のためにおいでになっていました。その中で、私自身が外国語を仕事の一部としていることもあり、やはり英語を始めとする外国語を学んでおられる方々の活躍を耳にすると嬉しい思いがしたものです。
私は、外務省入省後の2年間の語学研修期間に、世界の主要言語を学ぶべく赴任する多くの同僚とは異なり、「特殊語」とも呼ばれる、通常その国一国でしか話されていない言語の研修をすることになりました。特殊語の場合は研修する省員も少なく、大使館や総領事館内でその言語を解する館員も僅かですので、必然的に、日本からの要人来訪時などに通訳として働かなくてはならない機会も多くなります。
私の場合は、ルーマニア語の研修開始後9ヶ月目の1982年3月、国会議員団の通訳でブカレスト市内の重機械工場を訪れたのが最初の経験でした。上司からは「15分程度の懇談だから気楽なもの」と聞いていたのが、現地に着いてみると特別貴賓室内の特大の長机の一辺に共産党中央委員の工場長以下先方約20名がずらりと並び、こちらも議員の方々と随行者等約10名が反対側に座るという、国際会議さながらの雰囲気となりました。この時は仰々しい挨拶の交換から始まって工場見学を含めたっぷり1時間余り、何とか務め終えたものの、満足に訳すこともできなかった当時24歳の私は、通訳とは何と残酷な仕事かと驚き、落胆しました。
その後、研修終了後の2年半と97年9月のニューヨークへの転勤前の3年余りの2度、合計6年弱のルーマニア勤務中に色んな方々の通訳を担当させて頂きましたが、厳しい職務であるとの印象は今も変わらない一方、学んだことも多いと感じています。まず、当たり前のことですが、論理の展開、相手に相対する際の表情、統計数字や挿話の使い方、そして各人の人柄などが、異文化に育った外国人との会話の中で、意志疎通の成否を大きく左右します。通訳という仕事を通じて、これらの諸点に秀でた数々の日本人の方々のお手伝いをさせて頂けたことを有り難く感じています。
また、通訳を務めることによって、各界の著名な方々と直に接することができます。例えば、ルーマニアの過去3人の大統領の発言振りも三者三様です。チャウシェスク氏は内政不干渉や核軍縮といった原則論を議論し始めると雄弁になりました。党内で一度は下位に降格されながらも「革命」騒ぎを経て元首に上り詰めたイリエスク氏からは政治家としての粘り強さが感じられます。また、元ブカレスト大学長のコンスタンティネスク氏の発言は理詰めで誠意も感じられ、外国文化に対する関心も人一倍大きいようです。それから、体操のコマネチさんは、静かな感じの女性でした。
そして何と言っても、緊張感を持続して仕事を終えたあとの充実感と開放感がたまりません。ハプニングなどを回想しながら、あるいは、上手く訳せなかった語句を恨めしく思い出しながらも、自宅のソファーにゆったり座って飲むビールの味は格別です。
語学を学ばれている皆さんの中には通訳を目指されている方も多いと思います。私のような特殊語ですと対象地域も限定されてきますが、英語の場合は国の数も多いと同時に事実上の国際語としての性格を持っており、また、各種の国際交流が益々活発化する中で、あらゆる分野で常に優れた通訳が望まれていると思います。
私のところには、お陰様でいまでも時おり通訳の仕事が入ってきますが、本番一週間前頃からはルーマニア語のテープを聞き、音読に励みます。語学の勉強には近道もなく大変ですが、お互い頑張りましょう。
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