日本の対南西アジア外交

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- SRI LANKA
スリランカ
日本を救った、スリランカ代表の演説。
NEPAL
ネパール
100年の時を越え、ネパールに根付いた日本とは?
かわ ぐち え かい
欧州航路の寄港地として、戦前から夏目漱石など多くの著名人
日本人として初めてネパールを訪問したのは、僧侶の河口慧海と
が訪れてきたスリランカ。1951年のサンフランシスコ講和会議
されています。1899年のことでした。1902年にはネパールから最
においては、対日賠償請求権の放棄を表明。故ジャヤワルダナ
初の留学生が来日しています。菊や藤の花、柿、栗などはネパー
元大統領が「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」
ルでもよく見かけますが、これらはその時の留学生がネパールに
と訴えた演説が参加国の心
持ち帰り根付いていったとされています。
を打ち、日本の国際社会復
帰へと繋がっていきました。
(J・R・J・C蔵)
サンフランシスコ講和会議で演説する
ジャヤワルダナ財務相(当時)。
仏教学者、探検家としても知
寄港地として栄えたコロンボ港の現在の様子。
BHUTAN
ブータン
ブータンで最も有名な日本人、ダショー西岡。
かわぐち え かい
られている河口慧海。
1902年に来日したネパール初の留学生。
MALDIVES
モルディブ
モルディブはカツオ節、発祥の地!?
ブータンと日本の協力関係は1964年に始まります。海外技術協力
水産業が盛んなモルディブ。14世紀前半にはカツオ節を製造
事業団から農業の専門家とし
しており、その製法が琉球王国に伝わり日本全土に広がった
て故西岡京治氏が派遣され、
という説があります。一方で、日本の技術提供により生まれた
農業の機械化や米の品種改良
特産品の「ツナ缶」は、現 在 海 外にも輸 出されています。
など、農業の発展に貢献しま
2011年の東日本大震災の際には、モルディブ国民から69万個
した。その活動はブータン国
ものツナ缶が日本に届けら
民から信頼を集め、外国人と
れました。
けい じ
して初めて「ダショー 」の称
※
号を国王から授与されました。
※ダショーは「最高に優れた人」を意味
する名誉称号。
故西岡氏の功績を顕彰するために
建てられた仏塔「西岡チョルテン」。
「モルディブ・フィッシュ」と呼ばれる
モルディブのカツオ節。
(写真提供:野町和嘉/JICA)
東日本大震災の際に支援物資として届けら
れた「ツナ缶」。
チャプリケバブ【パキスタン】
マチェル・トルカリ【バングラデシュ】
エマダツィ
【ブータン】
ガルディヤ【モルディブ】
たっぷりの油で焼き上げたスパイシーな
牛肉のハンバーグで、ナンと一緒に食べ
ます。冬場はカラダを温める料理として
男性たちに大人気。
マチェル・トルカリは魚を使ったバングラ
デシュで人気のカレー。川に囲まれている
ことから「ベンガル人は米と魚でできてい
る」と言われるほど川魚を食べるそう。
ブータンの人々は、辛い食べ物が大好き。
たくさんの唐辛子とチーズを使った「エ
マダツィ」は定番メニューのひとつで、赤
米と一緒に食べるのがブータン流です。
マグロやカツオを煮込んだ塩味のスープ
で、モルディブ人のソウルフード。カレー
料理で胃が疲れたときにもおすすめの優
しい味わいです。
Ministry of Foreign Affairs of Japan
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