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第3章 地域協力への支援


6. 南米

  • 南米地域10ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国調整官9名。
  • 地域活動参加国数10ヵ国。
  • 地域会議8回。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)参加国数10ヵ国。

 南米地域は、地理的に広大で、10ヵ国を有している。この地域では、共通な言語、共通な文化的背景、経済の類似性といった有利な面をもっていた。しかし、乏しい財源、1998年の経済危機、自然災害、政治問題などが、この地域の課題であった。南米諸国は問題を克服するためのすぐれた能力を発揮し、共通の目標に向かって協力し成功を修めた。

 この地域の国々の技術依存度、重要インフラの相互依存度はそれぞれ異なっていた。サンパウロ、ブエノスアイレス、サンチアゴ、リオデジャネイロ、コンセプシオンなど主要都市の主要インフラはざまざまなコンピュータ・システムに高度に依存していた。小都市や農村部においては、全国的な電気供給システムに技術依存をしていた。この地域にあっては、通関、発電と電力供給、航空が主たる相互依存の分野であった。地球規模のレベルでは、南米諸国は各国経済にとって輸出が重要であることから、貿易業務に高度に依存していた。国際通信や世界の銀行システムの停止は、この地域経済活動に大きな影響を与えうる。さらに、この地域の多数の国のみならず、地域外の国も石油をベネズエラに依存している。

 この地域のすべての国は1998年12月の国連の会議に出席しており、早い段階から各国が国家プログラムを持っていた。これが、「南米Y2Kフォーラム」と呼ばれる強力な作業チームが、早い段階で組織されることにつながった。チリのサンチアゴに本拠を置きロドリゴ・モラガに率いられたフォーラムは、全加盟国の調整官と分野調整官の間の連絡と調整を取り行い、地域内の団結を促進・維持する機能的な能力があった。フォーラムの目的は、この10ヵ国の間あるいは地域外各国との間でY2K対応努力に関する情報の交換を促進することであった。フォーラムの財政支援はUNDP、インフォデブ計画、及び米州開発銀行によって行われた。

 フォーラムの五項目戦略は、Y2Kの課題に対応するにあたって地域及び各国に貢献した。戦略の項目は次のとおり。

  • 世界の他地域の情報を着実に流すことにより、地域各国のY2K問題調整官同士の信頼関係及び各国の調整官と地域調整官の間の信頼関係を確立する。
  • Y2K対策の重要性をめぐる政治当局との話し合いにおける調整官の政治的合法性(political legitimacy)の確立。
  • コミュニケーション規準を確立し、運用に責任をもたせ、リーダーシップを自覚させることにつながる、実際の運用の確立。
  • IYCCやその他の世界グループ(たとえば、国際コンサルタントやグローバル2000)などに各国のY2K調整官を参加させる。
  • 問題状況に関する共通理解をはかるために専門家による各国調整官に対する研修。

 地域の依存度と主要インフラでのリスクに基づいて、フォーラムは、運輸、通信、エネルギー、銀行・金融、医療に焦点を当てた。各国の各分野の代表が技術作業部会を組織し、専門家会合を開いた。これらの会合の成果と最善策情報を保持し、適切に流すことを確保するために、会合は、フォーラムのスタッフにより調整、運営された。たとえば、地域南端部での電力網の相互接続のリスクに対応するため、フォーラムは電話、天然ガス、高速通信における国際接続地図を作成した。さらに、フォーラムは、国民の意識の啓蒙、危機管理計画の策定で指導的役割を果たし、各国の参加者により国民への広報とメディアに関する作業部会が組織された。フォーラムの成果としては、管理者会議4回、国際調整会議2回、エネルギー・電気小グループ会合4回、各国調整官研修会合5回、各国調整官と各分野指導者間の多数のインターネットによる連絡、各分野の国際会議への出席などがある。

 この地域は、現存の隣国間の二国間関係やメルコスール(注7)のような多国間機関からの恩恵も受けた。これらの既存の関係が、信頼感の基礎を作り、エネルギー、通信、医療、通関などの重要問題での共同作業の基礎を作った。この信頼感と共同作業からフォーラムはY2K問題に対処するためのネットワーク作りがより容易となった。

 1999年11月の地域最終会合で、チリの地域調整官は「作業と準備は整った。今や恐れる必要はもうないことを人々は理解する時期だ」と明言した。IYCCに報告されたこの地域の対応状況調査の結果によれば、南米諸国は、Y2Kへの対応が完了していた。大半の国々はほとんどの対応作業を1999年10月かそれ以前に完了するとしていた。

 2000年への移行時のために、監視センター、地方・全国調整センターが設置された。全国的、地域的に準備された電話センターが各分野の作業部会も参加してテストされた。電話センター間の連絡の円滑化をはかるため、電話会社から提供されたスペースを使って、地域調整官は地域の指令通信センターを設立した。

 この地域も、小規模な問題が局地レベルであったものの、2000年への移行期を乗り切った。10ヵ国すべてがグローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)に参加した。地域内で、各国は情報を効果的に交換し、地域調整官は結果を定期的にIYCC執行委員会に報告した。

 南米諸国がスムーズに2000年への移行に成功した理由は、早い段階からの準備、優れた地域組織、各分野ごとの作業部会の努力があげられる。 これらの部会は、主要分野と相互依存度を早急に特定する機動性に富んでいた。第二に、作業部会が課題を一般的なものから特定なものへと狭めていったという点である。 第三に、インターネットと定期会議により、最新の情報が適切、確実に共有された。この地域から導き出された教訓として、早期に組織すること、頻繁かつ効果的に連絡を行うこと、国内、各国間で既存の共通のリンクを使うことなどである。これらの重要な成功要因のすべてにおいてフォーラムは卓越して役割を果たした。現在フォーラムは、南米各国政府間における他の関心分野での協力を継続する方途を模索している。

注7:メルコスール(Mercosur)は南米南部の国々の間の商業協定である。その基本理念は、経済統合、一つの市場を形成すること。メルコスールの加盟国はアルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ。準加盟国はボリビアとチリ。

7.サハラ以南アフリカ

  • サハラ以南アフリカ地域48ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国調整官42名。
  • 地域活動参加国数38ヵ国。
  • 地域会議4回。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)参加国数35ヵ国

 サハラ以南のアフリカ(以下、「アフリカ」)は技術依存の最も少ない地域であると報告したが、Y2Kバグとは無縁ではなかった。この地域のY2Kリスクは、国内の技術依存からのものだけではなく、地域外の世界への依存によるものもあった。これらの依存度は国によって、部門によって異なっていた。

 この地域は、文化的、政治的、経済的に大きく異なっている国の数がもっとも大きい地域の一つであることは特筆すべき点である。これらの相違にかかわらず、 Y2K対応は、電気、金融、石油化学、通信、医療、民間航空、国によっては海運などを重要部門と認識し、各国とも同じように政府機関内部から開始された。Y2K対応が国によって異なった部門は、水道、通関、鉄道、商業、鉱業、防衛であった。ほとんどの国において、中小企業はY2Kに対して関心が薄いこともあって中小企業の対応状況は大きな課題とはならなかった。

 工業国が、輸出あるいは援助によりアフリカに情報技術システムや機器を提供していた。供給されていた技術は、電力生産や通信の自動化というより、給与支払いや関税処理の自動化に適用されていることの方が多かった。システムが手作業から自動化された時期によっても、リスクの程度は異なっていた。医療部門で提供されている機器に対する懸念がもたれた。この部門では、医療機器のY2K対応状況は、適切な書類が欠如していたためしばしば把握困難であった。この地域はまた、対応済みかどうかを確認する技術専門家の不足に直面し、その機器の販売会社あるいは製造会社からの回答をも受けていないケースが多かった。

 アフリカ諸国は、重要部門で需給関係の面で相互依存している。航空は、ケニア、セネガル、南アフリカの拠点となる国際空港で管理されている。石油の生産と流通、近隣諸国向けの発電などのエネルギー部門では、コンゴ民主共和国、ナイジェリア、南アフリカ、アンゴラが主要な役割を担っている。たとえば、南部アフリカ地域の送電線は、南アフリカによって管理運営され、この地域の各国に相互接続されている。最後に、インド洋の島国(コモロ、マダガスカル、モーリシャス、セイシェル)は、南アフリカから輸出される多くの産品に依存している。

 これらの依存に対処するための主要課題は、準備作業開始の出遅れ、財源の不足及び情報の共有化が進んでいないことであった。1998年12月の国連会議に代表を送ったのは、48ヵ国のうちわずか20ヵ国であった。これらの中には、この会議ではじめてY2K問題に国の関心を本格的にむけた国もあった。Y2K問題の複雑さへの理解、適切なリーダーシップのもとで政府あるいは官民委員会の設立、作業計画の立案が当初の課題で、必ずしも通常の政府や官僚的手順を踏まずに早急に取り組まなければならなかった。

 もう一つの課題はアフリカで話されている様々な言語であった。フランス語と英語がもっとも一般的な言語であるものの、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語もサハラ以南のアフリカの公用語であった。電話会議、会合、情報のすべては、多くのアフリカ各国の調整官の便宜をはかるために、少なくともフランス語に翻訳しなければならなかった。 書類の翻訳の遅れ、現地語によるツールの欠如が対応の進展のもう一つの障壁であったといえよう。

 アフリカ地域は1999年1月になっても地域調整官が任命されていなかったという点でも特異であった。1998年12月の国連会議で、南アフリカがこの役割を担うことを承諾したものの、南アの調整官はその後すぐに、その職責から辞任した。新しい調整官の任命を支援するため、IYCCは、関心をもつアフリカ諸国を対象に、電話会議を行い、その結果、ガンビアのババ・ムスタファ・マロンが調整官代理に指名され、1999年5月12日から14日までガーナのアクラで作業部会が開催されることになった。

 ガーナにおいて、最初の国連会議から6ヵ月とたたない内に、地域のY2K問題への対応は大きく前進したことが明らかとなった。ケニア、セネガル、南アフリカといった主要「供給国」を含む24ヵ国が代表団を送り、それぞれの国で実施されている作業を共有した。(ナイジェリアはオブザーバーとして大使館の代表を送った。)各国は国境をまたがる問題について議論し、それぞれのインフラの相互依存について詳細に調査した。また、各部門の専門家は懸命される分野に焦点をあて、Y2K専門家は、危機管理計画と情報共有化戦略を共有した。

 この会議の決議は、Y2K問題では、国民の認識の問題が実際の対応と同じぐらい重要であることを参加者が理解したことを示していた。さらに、Y2Kの最大の課題の一つは、それぞれの国の政府部内において、また地域の国際組織内においてY2K問題を確実に政治問題とすることであった。最後に、先進国におけるY2Kへの対応の成否が、経済的影響を考慮すると、彼ら自身の作業と同様にアフリカにとって重要であるという認識が高まった。

 もう一つ重要な成果は、アフリカ地域の調整官としてババ・ムスタファ・マロンが承認されたことと、強力なアフリカY2K作業部会が設立されたことである。マロンは、アイディアを募り、提案に対するフィードバックをとり、危機管理計画の策定、対応共有化戦略を促進するため作業部会とともに作業を進めた。作業部会の五名のメンバーのうちの二人である南アフリカのツイエチ・メレホとタンザニアのデイビッド・ソウは、作業部会の目的が、既存の地域内組織を通じて確実に達成できるよう支援をした。さらにギニアのモリケ・カマラは、西アフリカでの対応を強化するうえで、作業部会内で重要な役割を果たした。

 ケニア、タンザニア、ウガンダなどが加盟する(ルワンダとブルンジが加盟候補)東アフリカ協力機構(EAC)(注8)は、英国の国際開発省(DFID)の財政支援の恩恵を受けた。EACの各国Y2Kチームはそれぞれの国の財源とスキルを共有化することで合意し、Y2K問題を常時、地域閣僚サミットの議題とさせることに成功した。これらのチームは、三ヵ国によるさまざまな作業部会を実施し、Y2K問題で重要な4分野の中心人物を一堂に集め、それぞれの部門の共同Y2K対応策の監視を円滑にした。EACのY2Kホームページ(http://www.Y2Keastafrica.org)を立ち上げ、優れた危機管理計画のテンプレートを開発した。

注8:東アフリカ協力機構(EAC)は、ケニア、ウガンダ、タンザニア間での地域統合と開発の促進を目的とした政府間組織である。各パートナー国の主要調整機構としてのEACの最重要目標は、各加盟国間の均衡、公平、相互利益を基本にした国民中心の経済、政治、社会、文化開発である。

 南部アフリカ開発共同体(SADC)(注9)は、1999年1月以来、国境をまたぐ問題と危機管理計画を扱ってきた。 同共同体は危機管理計画検証プログラムを実行したが、その内容は、近隣諸国が訪問し合い、お互いの計画をチェックし、確認するものであった。さらに、SADCは2000年への移行時にあたっての報告手順、コミュニケーション・ネットワーク、指令センターを確立した。

注9:南部アフリカ開発共同体(SADC)の使命は、共同体内での政治的安定、民主主義、よい統治、人権の尊重を確保するための14加盟国の努力を統合することである。SADCの加盟国には、アンゴラ、ボツワナ、コンゴ民主共和国、レソト、マラウイ、モーリシャス、モザンビーク、ナミビア、セイシェル、南アフリカ、スワジランド、タンザニア、ザンビア、ジンバブエである。

 財源不足と対応作業の出遅れのため、アフリカの多くのシステムが時間までに対応が完了しないであろうと考えられていたため、1999年9月及び10月に各国調整官、各分野指導者のための危機管理計画セミナーが開かれた。セネガルが最初の会議を開催し、西アフリカ、中央アフリカから16ヵ国が参加した。これに参加したナイジェリアは、各国の対応状況に関する情報を共有化し、エネルギー部門での話し合いで指導的役割を果たした。ケニアが二回目の会議を開催し、東アフリカ、南部アフリカから12ヵ国が参加した。南アフリカがこれに参加し、危機管理計画策定プロセス及び最善策を参加者に示した。この作業部会は大きな成果を収めた。作業部会では標準化された危機管理計画策定の方法が示され、さらに重要なことは、対策の優先順位が確立され、部門や国境をまたぐ情報の共有化が可能となった。また、これらの作業部会は、Y2K対応作業を完全なものとし、危機管理計画を実施するための追加的な財源の必要性を強調した。この危機管理計画に関する会議が終わってすぐに、アフリカ作業グループは、ウェブサイト(http://www.Y2Kafrica.org.)を立ち上げた。

 2000年への移行前にはアフリカの状況はかなり進捗しているように見えた。しかし、状況を正確に測定するのは困難であった。IYCCへの報告において、大半の国々が、対応作業は1999年の10月までに終了すると報告したものの、政府サービスや医療部門の対応率は低いものにとどまっていると通報した。各国は危機管理計画を適切に設定していたか、あるいは手作業による運用の経験を十分に持ち、熟練していたかのいずれかであった。1999年11月と12月、地域調整官は西アフリカ諸国経済委員会(ECOWAS)(注10)及びナイジェリアの調整官と接触するなど、その活動は2000年への移行期にタイムリーかつ適切、確実に情報が共有されることに大きく貢献したはずである。

注10:西アフリカ諸国経済委員会(ECOWAS)(フランス語ではECOWASあるいはCEDEAO)はナイジェリアのラゴスで1975年5月28日に創設された。その使命は、西アフリカ経済連合の創設を最終目標とした、経済活動の全分野での経済統合を促進することにある。ECOWASの目的は、国民の生活水準の向上、経済成長の確保、その加盟国16ヵ国間の関係の強化である。加盟国にはベナン、ブルキナ・ファソ、ケープ・ヴェルデ、コートジボアール、ガンビア、ガーナ、ギニア、ギニア・ビソー、リベリア、マリ、モーリタニア、ニジェール、ナイジェリア、セネガル、シエラ・レオネ、トーゴである。

 2000年への日付変更時、最初のビジネス営業日、32ヵ国が、グローバル・ステイタス・ウォッチ(GSW)を経由して地域外の世界とその対応状況を共有した。小規模のトラブルが報告されたものの、アフリカにおいて広範なシステム障害はなかった。例えば、ルワンダでは通関システムでトラブルが発生し、ジンバブエでは、市の給与システムに問題が起こった。ナイジェリアでは製油所でコンピュータが不調を起こした。しかし、これらの問題は修正されたか、危機管理計画が予定通りうまく機能したかのいずれかであった。

 一般的にアフリカ諸国は、Y2K問題をうまく組織・運営し、成功裏に乗り切った。参加したアフリカ諸国は、ガンビアの地域調整官の献身的で熱心な仕事ぶりの恩恵を受けた。一方、早い段階でのナイジェリアの参加、ケニアと南アフリカによる地域重点の方針は、より大きな国際的信用を勝ち得てもよかったものであった。

 対応作業のスタートの遅れは確かに対策に響いていたが、多くの国で、その成果に関する公開情報がうまく発進されていないことがすぐに大きな課題となった。各国の対策や情報の発出はされていたが、Y2K問題のアナリストたちは、ほとんどのアフリカ諸国を対応のもっとも遅れた国と評価していた。時には、一年以上前の対応のものや、最も対応に不熱心な国を基準にして一般化した公式報告書を引用して彼らの主張の裏付けとした。これらの評価に基づいた財界人をはじめ経済におけるその他の主要な意思決定者の認識が開発途上国の一部に与えた悪影響は、Y2K問題そのもの以上であったかもしれない。

 さらに、IYCCとアフリカ地域調整官は、東アフリカ協力機構(EAC)及び南部アフリカ開発共同体(SADC)と情報を共有化することにより、さらに多くの恩恵を受け得たはずであった。さらに、西アフリカ諸国経済委員会(ECOWAS)は、SADCとEACの小規模ながらも成功した例から学ぶ機会はあったかもしれない。しかし、EACとSADCは財政支援を確保することができたが、ECOWASは加盟諸国で作業を実施する十分な財源を欠いていた。もし、より早い段階でアフリカのY2Kホームページ立ち上げへの資金供与がなされ、ホームページが早く立ち上がっていたならば、各国向けのページもでき、対応状況の情報共有化や国民の信頼を促進するために全アフリカ諸国にとっての基点となっていたであろう。

 これらの制約にもかかわらず、アフリカ諸国はY2K問題対処のための組織づくりに成功し、うまく対処できた。多くの国で官民が適切な計画を立案し、実行するために協力した。最も重要なことは、政治、言語、文化での相違があるにもかかわらず、アフリカ各国の調整官が関係を構築し、協力し、情報を共有化することの重要性を理解し、それを促進したことである。

8.西欧

  • 西欧地域23ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国の調整官19名。
  • 地域活動参加国数19ヵ国。
  • 地域会議7回。
  • グローバル・ステータス・ウオッチ(GSW)参加国数19ヵ国。

 西欧は、Y2K問題対応を欧州連合、地域機関、及び各国レベルの計画にそって取組んだ。1997年以来、EUレベルでY2K問題に関する地域会合が開催されていたため、IYCCの役割は西ヨーロッパでは限られていた。IYCC各地域のなかでは、国際機関、国内組織、分野別組織という点で、またIYCCの主導で各国のY2K対策が行われたという点で、西欧は、組織化がおそらくもっとも進んでいた地域であった。西欧の対応努力は、国連の国際機関が立地していることから恩恵を受け、Y2K対応に結集しうる強力で地域ごとに協力することに慣れている官民部門があることからも恩恵を受けた。

 西欧は、世界的な指導的役割も果たした。イギリスは世界銀行のインフォデブ計画に早い段階で1,700万ドルを拠出しY2K問題に対応し、オランダ、スウェーデン、スイス、フランス、イタリアがこれに続いた。さらにイギリスは、 IYCCの医療部門及び東アフリカ協力機構(EAC)へスタッフを派遣し、支援を行った。

 西ヨーロッパ内で大きく相互依存している重要分野には、金融、海運、航空貨物、エネルギー(電気、原子力、ガス)、航空、通信などがある。欧州連合の金融部門は、昨年のユーロへの切り替えで強力な官民協力体制ができており、広域チェックを実施し、国際的なテスト(注11)体制にも参加が可能であった。

注11:西欧のユーロ切り替えへの集中が、Y2Kへの対応を危険なまでに遅らしたという心配を外部の一部のアナリストはしていた。しかし、地域内では、この経験が大幅なソフトの変更もうまくやりとげることができるという自信を与えていた。さらに、各国政府は、ユーロ紙幣(2001年から発行)の印刷能力を確保するため、各国の通貨を余分に印刷していた。そのため、他の国々がY2Kのためだけにとらなければならない危機管理対応の一つを省略できた。

 運輸関係での相互依存では、経済界が潜在的なY2K問題を確実に特定、対応するために国別及び地域別の対策が取られた。航空部門では、地域全体の危機管理計画が策定された。通信部門では早い段階でY2K問題を特定し、潜在的な問題に対応した。2000年紀への移行時の通信の需要量が決定されず、これが、この部門での最大の問題だと考えられた。

 エネルギー分野は高度に発展しており、相互依存度も高い。西欧では完備した配電網があり、国境をまたぐリアルタイムでの電力の共有を可能にしていた。ただし、このような国境を超えた電力交流の程度は通常時は低いものにとどまっている。国境を超えて電力接続ができることは、Y2Kによるコンピュータがダウンしても継続的な電力確保に貢献でき、プラスの要素だと考えられていた。

 西欧諸国間、またその近隣諸国間においては、電力と天然ガスの国境をまたがる依存と原子力発電所の安全性の問題が、Y2Kに対する懸念の主要な分野であり、地域の調整と支援という形でこれに対応した。地域の調整努力としては、サービスの提供者、政策当局者、技術専門家などを対象とした作業部会が行われた。支援には、Y2Kの技術支援に対する財政援助、地域会合と作業部会への参加のための旅費と日当が含まれている。

 既存の強力で組織化された各国のY2K問題の対応努力に乗る形で、欧州委員会はこれらの相互依存とその対応に関する地域対話の開催と調整という二つの役割を果たした。1997年9月から3ヵ月ごとの作業部会が開催され、業界団体、政府代表者が、戦略や進捗状況に関する情報を交換した。1999年の初頭になると、これらの会合は2ヵ月ごとの開催となった。ウイーンの欧州理事会の要請で、1999年4月、ブリュッセルで地域別の進捗状況と重要インフラ部門の対応策、とりわけ国境をまたぐ問題を議論するため大規模な作業部会が開催された。1999年9月、同様のフォローアップ会合が開かれ、西欧、東欧の官民両部門から200名の代表が参加した。1999年7月に開かれた別の会合では、原子力発電所を含む電力部門のY2K問題に焦点が当てられ、中欧や東欧、旧ソ連の新独立国家の電力関係者もこれに参加した。

 千年紀への日付変更に関する欧州連合ハイレベル作業部会が1999年7月に設立され、これは欧州連合全加盟国のY2K調整官及び欧州自由貿易連合(ノルウエー、アイスランド、スイス)の調整官で構成された。1999年7月13日から2000年1月14日までの間に、欧州委員会企業局局長を議長にして、6度、会議が開催された。

 これらの会合は、民間部門組織、各国政府、公営部門組織をまとめ、各国の対応状況を共有化し、Y2K問題への対応を調整し、西欧に影響を与える既存あるいは新規の相互依存関係を特定する機会として使われた。欧州連合の会合に加え、それぞれの主要部門ごとに小地域会合がサービス提供者、国際機関あるいは、各国政府の支援を得て、開催された。地理的な近さ、各国の強力なY2K対策は、部門を超えて、数多くの臨時会議、非公式対話、インターネット等による様々なコミュニケーション手段がなされるという結果を生んだ。

 1998年12月の国連の会議において、西欧諸国や政府組織代表が、Y2K問題を特定し、世界的に広げていくにあたっての中心的役割を持つことができたと会議主催者は感じていた。西欧地域外の国に対して進行中の二国間援助を提供した国があったが、当初は、地域の代表をIYCCに派遣する必要性を感じてはいなかった。アイスランド、オランダ、英国がIYCCの趣旨を支持し、当初から強力メンバーとして参加した。しかし、欧州委員会がEU加盟国の承認の下、EUの代表としてIYCCへ参加したのは、かなり遅い段階であった。このことが、エネルギー問題や世界的な調整問題、そしてとりわけ欧州の専門知識を特定し、これを近隣諸国に提供する分野においてIYCCのヨーロッパへの関与を遅らすこととなった。

 地域としては、西欧は、地域的にも、国別にも2000年への移行に十分な準備ができていた。各国政府、民間企業や各部門の団体は広範囲な対応策を完了した。一ヵ国を除いて、西欧諸国のすべてが、1999年10月までに対応作業は完了したと報告した。加えて、ほとんどの国が、大方の重要部門での危機管理計画を策定していた。

 2000年への移行期にあって、西欧の19ヵ国がグローバル・ステータス・ウオッチ国際状況監視(GSW)に参加し、新年へのスムーズな移行を報告した。小規模な一部地域でのコンピュータの不調が小売り取引、病院機器、金融機関、小売店で起こった。大きく見て、西欧内の公共、民間部門におけるY2Kによる不調が起こらなかったのは、地域全体にわたってとられたY2K 問題への関心と計画が功を奏したためである。

9.G8 と G7の役割

 1998年5月英国のバーミンガムにおいてG8(カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ロシア、英国、米国)の首脳は、各国のY2Kの対応状況についての情報を相互間で、またその他の国々とも共有化することに合意した。また、開発途上国の支援については世界銀行を通じて行うことも合意した。1999年6月のドイツのケルンでは、各国首脳は、主要インフラ部門で協力することを合意、2000年への移行時に情報を共有することも合意した。また、Y2K対応準備に関する透明性の拡大を各国に求めた。G8のY2K専門家部会はこれらの公約を支援するために定期的に会合を開いた。各国の代表は外務省と調整官の所属官庁から参加していた。前述の地域対応努力のように、この部会の初期作業はおもに、各国の考え方の共有化に焦点が当てられた。ベルリンでの1999年9月の会合では、エネルギー、通信、運輸、政府サービス各部門での危機管理計画が共有化された。その際、先進国は、技術協力を提供することにより、途上国のY2Kによる混乱に対応することが求められている場合があることが認識された。1999年11月下旬の会議では、復興枠組みに参加し、それにおけるIYCCの役割を確認した。(復興枠組みについては九章参照)

 1999年4月のG7蔵相会議において、メンバー国(カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、英国、米国)は1999年6月のボンでのG7サミットで、対応状況に関する声明を表明することを合意した。この声明は、第五章で述べているIYCCの調査の形態をほぼ踏襲したものであった。五ヵ国(カナダ、イタリア、日本、英国、米国)はこの公約に従い、情報はG7各国政府間で共有された。しかし、それ以上の措置はとられなかった。

 潜在的に広範な影響があるため、 Y2K問題は、広範な組織の議題に組み込まれた。公的な外交組織は、それぞれの憲章のもと、Y2Kが直接影響のある範囲内で対応した。しかし、Y2K問題の期限までの時間的な制約、その横断的性格によって、既存の組織に、タイムリーかつ一致協力した方法で対処しなければならないという難問を与えることとなった。

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