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第3章 地域協力への支援


国際Y2K協力センターの全体像

  • 国際Y2K協力センター8地域、197ヵ国。
  • 国際Y2K協力センターにより任命された各国調整官180名。
  • 地域会議45回。
  • 地域活動参加国数163ヵ国。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW) 参加国数159ヵ国。

 各国のY2K調整官に、同じ地域に属する近隣諸国からの支援、協力、指導がなされた。1999年2月、IYCC執行委員会は、1998年12月の国連会議で検討された地域調整組織を正式発足させた。それぞれの地域には、地域調整官を置き、執行委員会に出席し、Y2K問題に関する協力と情報の共有化を地域内諸国間で促進する責任を担う。

 地域は、アジア、中米及びカリブ諸国、東欧及び中央アジア、北米、中東及び北アフリカ、南米、サハラ以南アフリカ、西欧の8地域。これらの地域は、その面積においても、人口においても、技術への依存度においても、歴史においても大きく異なっている。北米は緊密な関係にある三ヵ国からなるが、一方アジアやアフリカは多様性に富んでいる。これらの根底にある多様性がそれぞれの地域が自らを組織化する方法や地域協力の性質に影響を与えた。

 中米及びカリブ諸国、東欧及び中央アジア、南米の三地域は、地域調整官の出身国政府を構成員として地域調整センターを設立した。サハラ以南のアフリカ地域は、アフリカ作業部会が事実上の調整センターの役割を果たした。これら四地域は、地域のホームページを発足させ、それぞれの地域の進捗状況の詳細な報告書を定期的に掲載した。これら地域も、アジア地域同様に、インフォデブ計画と国連開発計画(UNDP)からの資金支援で、必要な業務を組織化して遂行することが可能であった。

 地域活動の支援のほか、UNDPの開発のための情報技術及びコミュニケーション計画は、UNDPの持続的開発ネットワーキング計画を使い、40ヵ国以上のY2K問題に取り組む現地組織に対して草の根支援を提供した。 UNDPはY2Kに取り組んでいる国連の各国事務所との調整をはかるため独自のY2K問題用のホームページを開き、ソフト修正のための資料類を140の事務所に配付し、各国政府の対策組織もこれを利用できるようにした。

 北米と西欧の二地域は、調整・情報共有化の取り組みにおいて既存の組織の恩恵を大きく受けた。世界的には、G8などの既存の外交、経済面での国家グループが、世界のY2K問題の取り組みにさまざまな役割を果たした。各地域のY2K問題への取り組みの歩み、課題、成功例は次のとおり。
 地域会議の詳細は付属文書Eを、「国別参加表」に記載されている各国の参加状況は付属文書Fを参照。

1.アジア

  • アジア地域39ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国の調整官35名。
  • 地域会議4回。
  • 地域活動参加国数34ヵ国。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW) 参加国数26ヵ国。

 国際Y2K協力センターが組織づくりをするにあたって、アジアはもっとも多様性に富んだ地域であった。地理的には、パキスタンからフィジーまで、韓国からニュージーランドまでに広がり、又、中国、インド、インドネシア、日本、オーストラリアを含み、アジアは、地理的に大きく広がり、多言語・多文化で、経済開発の状態の幅も広い。これらの要素が組み合わさり、地域共通の関心や相互依存関係は、比較的限定された。その中で、共通の接点は通商部門で、よって金融、電気通信、海運・航空といった「グローバル」な部門が、相互依存ではもっとも重要であった。この地域内では、国境をまたいだエネルギーや医療サービスの共有はほとんどなかった。

 アジアにおける主な仕事は、それぞれの国が、しっかりしたY2K対策計画を持つように支援することであった。幸い、フィリピン政府及び日本政府の強力な指導力とアジア太平洋経済協力(APEC)(注6)がこの業務を支えた。1999年3月、アジアの地域調整官であるアマブル・アギルス五世の指導のもと、フィリピン政府は、マニラで最初のアジア地域Y2K 調整官会議を開催し、14ヵ国(バングラデシュ、ブータン、中国、グアム、インド、インドネシア、日本、韓国、モンゴル、ネパール、パラオ、フィリピン、タイ、ベトナム)のアジア各国政府がこれに参加した。参加者はそれぞれの国のY2K問題に対する戦略を共有した。また、Y2K対応の進捗状況、最善の対応策、埋込チップ・システム、Y2K対応への失敗や成功事例についての情報を引き続き国境をまたいで共有していくことを合意した。

 この会議に引き続き、1999年4月、カナダ、日本、シンガポールの主導による会議がシンガポールで、APEC主催の「APEC・Y2K週間」の一環として開催された。オーストラリア、ブルネイ、カナダ、台湾、香港、日本、マレーシア、メキシコ、パプア・ニューギニア、ニュージーランド、ペルー、シンガポールのY2K担当者が出席した。会議の全般的な焦点は、地域内の重要経済インフラ (電気通信、運輸、金融サービス、エネルギー、通関)へのY2K問題の国境をまたいだ影響及び、中小企業特有の問題に当てられた。分野別の検討項目は次の通り。電気通信分野での問題対応にインターネットのプロバイダーを加える必要性。電気部門のサプライチェーンの相互依存(例えば石油)に対応する重要性。金融部門におけるY2K対応に対する社会信用維持の重要性、通関システムに支障が生じた場合の貨物の流通を確実に維持させる危機管理計画の重要性。国際海事機関(IMO)のY2K対策への支援の必要性。中小企業への働きかけの重要性。さらに、参加者は分野毎の専門家ネットワークを作る必要性を確認した。

 UNDPもアジア太平洋開発情報計画を通じて、アジア地域でその役割を果たし、Y2K対応策を協議した地域会議で間接的な支援を行った。

 1999年6月の国連会議では、アジアの各国調整官は最新の対応進捗状況を共有し、残された6ヵ月間の優先事項を特定した。各国の対応状況についての正確な情報を提供することにより、透明性をさらに高めることの重要性が、主要な関心とされた。埋込チップ・システムの問題の範囲と影響の分析の必要性、危機管理計画の必要性、最善策及び連絡先情報の共有を継続することの重要性などが指摘された。この会議に引き続き、インドと韓国が埋込チップ問題の分析を行い、アジア地域の各国に配付された。これらの報告書では、機器の販売業者に問い合わせていくことが、埋込チップ問題への対処としては主たる方法であることが強調された。また、開発途上国では、業者から迅速かつコスト効率のいい解決法を得ることがきわめて困難であることが指摘された。特に、報告書は、埋込チップを使った機器におけるY2K対応確認リストの必要性を強調した。IYCCのこの必要性への対応は、電力と医療部門の項で述べられている。

 専門家のネットワークを作るというAPECの当初の提案は、1999年9月13日、オークランドで開催されたAPEC首脳会議で実現した。各国首脳は、日本と米国によって共同提案された「APEC100日協力イニシアティブ」を承認した。このイニシアティブは、IYCCを情報源として使用することで、越年時の情報の共有化を促進した。

 APECのイニシアティブのフォローアップの一つとして、日本は1999年9月下旬にエネルギー専門家を対象とした会議を主催した。この会合では、アジア太平洋地域における発電・送電組織(官民とも)の連絡網を確立した。地域内のエネルギー部門での相互依存は限られているものの、この部門ネットワークで最善の対応策が共有化され、重要な相互支援ネットーワークが提供された。オーストラリア、カンボジア、インドネシア、韓国、ラオス、マレーシア、メキシコ、ミャンマー、フィリピン、米国が参加した。このネットワークでは、残された期間及び1月1日への日付変更時に電子メール、電話による情報交換が定期的に行われた。こうしたネットワークはアジアではユニークなもので、エネルギーシステムの運用者間での直接的で密接なコミュニケーションを築き上げるためにホームページ、電子メールリスト、直接顔を合わせた会議が効果的に使われた。

 アジア地域での作業は、1999年9月下旬、日本とフィリピンが共同議長を務めた東京での地域最終会合で確定された。オーストラリア、カンボジア、フィジー、インド、インドネシア、韓国、キルギス、マレーシア、ミクロネシア、モンゴル、ミャンマー、ネパール、パキスタン、パラオ、パプアニューギニア、スリランカ、タイ、ベトナムが参加した。危機管理計画、部門別最新情報及び公開情報戦略を共有することのほか、IYCC、国際電気通信連合(ITU)、国際民間航空機関(ICAO)への調査結果の報告を含む各国の対応進捗状況についての透明性の向上の重要性に焦点が当てられた。また会議では、IYCCの2000年1月1日への移行時報告制度であるグローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)に参加することも合意された。

 日本は、残された期間、アジア地域での強力なリーダーシップの役割を引き続き果たした。エネルギー専門家ネットワークへの支援に加え、日本は、Y2K問題の状況把握及び修正作業を支援するため、国連開発計画(UNDP)への500万ドルの臨時拠出を約束した。2000年への移行時に先立って、日本は不測事態に備えるため、インドネシアで支援活動を実施した。

 1999年12月までに、アジア地域はほぼY2K問題に対応ができたように見えた。一国を除いて、IYCCに調査結果を報告したアジアのすべての国が、1999年10月末に重要部門の修正を完了する旨を定めていた。しかし、一部の航空会社の声明文から明らかになったインド亜大陸における航空管制システムの対応に関しての懸念が残っていた。一部の東南アジア諸国で金融、銀行部門の対応に関する憶測は、一部地域における若干の投資引き上げという結果となった。供給部門(特にエレクトロニクス産業)とインフラの対応についての当初の国際ビジネス界の懸念は、官民が対応の大幅な進展を発表したことで次第に解消した。パキスタンとフィリピンなどで分散的な小規模の不具合が発生したが、アジア地域は2000年1月1日への移行時及び2000年1月を、無事乗り切った。

 距離、言語、経済の多様性を考えれば、アジアネットワークの成功は得るところが多い。協力関係はフィリピンのリーダーシップのもと比較的早い段階で始まった。オーストラリアと日本も、アジアの開発途上国を支援する多国間のメカニズムを通して資金援助を行い、この地域のリーダーであった。日本は、外務省の石川薫氏のリーダーシップの下、年末に向かって、力強い、歓迎すべき協力を継続的に果たした。

 確立された公的フォーラムであるAPECの役割も興味深い。主に各国外務省から選ばれているAPECの代表は、しばしば自国の調整官との連携に困難を感じていた。しかし、1999年9月までに、APECは専門家の有益なネットワークの形成をはかり危機管理計画に関する会議を開催するなどの業績をあげた。

注6:アジア太平洋協力フォーラム(APEC)は、アジア太平洋地域の21ヵ国間での自由貿易と実際的な経済協力を促進するため1989年に設立された。

2.中米・カリブ海諸国

  • 中米・カリブ海地域27ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国の調整官27名。
  • 地域活動参加国数24ヵ国。
  • 地域会議10回。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW) 参加国数25ヵ国。

 中米・カリブ海地域は、二つの地域に別れ、Y2K問題に取り組んだ。それらは、スペイン語圏の中米にキューバとドミニカ共和国を加えた地域と、ベリーズ、ガイアナ、スリナムなどのカリブ海諸国の残りの地域である。加えて、ハイチはフランス語国であり、スリナムはオランダ語国である。

 この地域の多数の国は、石油とディーゼル燃料の流通に大きく依存している。石油のほとんどは、メキシコ、ベネズエラ、トリニダード・トバゴで生産され、大半のディーゼル燃料はメキシコとベネズエラで生産されている。最後に、これら諸国は航空においても、国際線の地域拠点空港を共有していることから、国境をまたいで相互依存している。

 この地域の調整は、メキシコ政府のリーダーシップにかなり支えられた。メキシコ政府は、予算と常勤職員を提供し、Y2K問題の地域調整チームを組織し、カルロス・ジャーク地域調整官と後にアントニオ・ピュー地域調整官に報告を行い、メキシコ政府の2000年問題対策委員会と同じ部署で運営を行った。このY2K問題対策の経験は、中米・カリブ海地域及び(北米地域に属する)メキシコにおける、地理的なばらつき、2つの主要言語、対応度の違いがあるにもかかわらず、Y2Kの経験は大きな調整能力を持っていることを示した。

 中米・カリブ海地域調整チームは、Y2K問題地域ホームページ(http://www.y2k.gob.mx/ingles/ingcoope/index.htm)を開設した。会議の全書類、各分野の専門家の論文、Y2Kツール、各国のY2K問題ホームページへのリンク、各国調整官との連絡情報はすべて、このページに掲載されている。

 この地域での活動は活発で、1998年8月以来、9回の地域会合が開かれた。1999年3月、航空と電力の二主要分野での相互依存に対処するための専門家作業部会が組織された。続いて金融、通信、保健医療に関する作業部会も組織された。観光、通関、社会保障の分野についても、少なくとも一度は会議で集中的に討議された。

 それぞれの地域会合では、特定の目的が定められ、重要な成果を生み出した。分野別会合では、2000年への移行時に各サービスが国境をまたいで継続的に実施されることを確保することに焦点が絞られた。例をあげれば、電力分野の専門家作業部会は、メキシコ・ベリーズとホンジュラス・ニカラグァ・コスタリカ・パナマ間の電力供給幹線維持のための共同歩調の必要性に関心を向けることに焦点を絞った。危機管理計画を共有し、電力レベルを維持し、2000年への日付変更時には通信回線を開いたままにしておいた。地域別会合、分野別会合とも、中米・カリブ海地域の国のいずれかが、リーダーシップを発揮し、会議を準備し、主催した。

 観光をはじめ他のビジネス部門において、地域内の国民の啓発が非常に重要であった。地域の調整チームが各国政府とともに、効果的に事前のメディア対策を実施した。多数の国が、地域の情報開示・コミュニーケーション戦略にもとづき、Y2K問題に関する広範な広報キャンペーンを実施した。地域調整チームは、各国の調整官の支援を得て、各部門の調整官名簿を作成、分配し、国境をまたいだ相互依存を訴え、テスト可能な部分はテストを実施し、国際部門や援助機関との間の主たる仲介者としての役割を果たすなど、2000年への移行時の調整の準備をした。

 2000年移行時に向け、この地域の各国調整官は、国内及び地域内のY2K問題にすべて対応ができ、地域として取り組む体勢を既に整えていた。IYCCに進捗状況を報告した23ヵ国すべてが、1999年10月までに、Y2K対応はほぼ完了すると連絡した。中米・カリブ海地域は十分に準備が整い、ほとんどの国が重要部門の大半において危機管理計画を策定済みであると報告した。

 この地域のほぼすべての国がグローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)に参加し、それぞれのシステムは2000年への変更時もそれ以降も通常通り作動した。グレナダとニカラグァのわずか2ヵ国で政府部門で小規模な問題が発生した。地域としては、調整作業と早くからの準備が功を奏し、うまく2000年への移行を乗り切った。加えて、ほとんどの国で技術への依存度は高くはなかったこと、言語が共通であったこと、地理的な近さ、類似の文化性、タイムリーな情報を共有するのをより容易にした。

 この地域から得られる教訓として、Y2K問題は情報の問題ではなく、政治的に最優先される必要がある管理上の課題であるという認識がY2K問題を成功に導いたという点である。第二に、意思決定能力があり、インターネットや電子メールで迅速に世界の他地域とコミュニケーションができる調整官を国が任命することが重要であるという点である。第三には、業務が短期間で遂行されなければならないという観点から、経験、ツール、データベース、手引き、製品を共有化することが重要だという点である。

3.東欧・中央アジア

  • 東欧・中央アジア地域28ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国の調整官28名。
  • 地域活動参加国数26ヵ国。
  • 地域会議8回。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW) 参加国数26ヵ国。

 地理的に大まかに定義すれば、東欧及び中央アジア地域は西欧から旧ソ連に至る28ヵ国を含む。この地域は、文化、言語、経済、地勢などの面での類似性と相違性で特徴付けられ、これがY2K問題の緊密な調整に対しプラスにもマイナスにも作用する。

 類似性は、それぞれの国が、程度の違いはあれ、旧ソ連のもとでの計画経済の国であったという点。国家部門には権限の強い機関が存在し、ほとんどの国の民間部門の権限は限られていた。また、多くの部門が、西欧諸国ほど技術に依存してはいなかった。地理的な距離と言語が、地域の協力と調整における制約要因であった。多くの会合がロシア語で運営された。

 東欧及び中央アジアのような広大な地域内での相互依存の典型的な形態としては、国境をまたぐ電力網、遠距離通信、共同航空管制システム及び交通輸送があげられる。勿論、地域内外において、とりわけ関心があったのは、この地域の電力発電、特に原子力発電所、及び遠距離通信の相互接続の問題であった。

 地域調整官であるブルガリアのマリオ・タガリンスキー国営機関大臣が、ブルガリアのソフィアにY2K地域協力センター(RCC)を設置し、地域のY2K問題の調整の拠点とした。RCCはインフォデブとUNDPの支援を受けた。RCCは、地域の必要性と相互依存を理解し、主な懸念であったエネルギー生産における問題に対処するため早い時期から対策をとった。1999年の初頭にスタートした東欧・中央アジア地域は計8回、地域会合を開催した。この内、三回の会合ではエネルギー部門と原子力に焦点があてられた。

 会議開催及び各国支援のため、東欧・中央アジア地域は地域機関、国際機関の技術援助を引きだし、これらの機関は参加各国に貴重な専門知識を提供した。これらの会議は技術的なもので、各国の対応の進捗状況に焦点を当てた。結集された強い分野別機関と民間部門を持つ西欧と異なり、東欧・中央アジア地域は、各国及び地域のY2K対策を進めるための援助を国際社会に積極的に求めた。

 この地域の一部の国がY2K問題解決に取り組むにあたって、この地域のきびしい社会・経済状態を考慮すれば、この地域においてY2K問題の効果的対応を準備するためには、国際社会の協力が不可欠であった。修正作業の履行は国ごとに異なっており、各国の計画が関連組織や各国間で充分に共有化されていないことに、東欧・中央アジア地域は早い段階で気づいた。

 この点を考慮に入れ、RCCは危機管理計画を共有化し、コミュニケーション・ネットワークを設立し、エネルギー部門の危機管理計画の実施の共同訓練に参加するための措置をとった。この地域では、電力供給者間で、送電網の相互接続状態についての協議や、また相互に接続、依存している電力供給者と大手石油、ガス会社間の話し合いが行われた。緊急時に原子力発電所を安全に閉鎖することについても議論がなされ、また、2000年1月1日になる前後に多数の消費者が同時にシステムのオン・オフを繰り返した場合に、電力の継続的供給を確保することについての議論もなされた。

 さらに、Y2K地域協力センターは定期的に内容が更新されるホームページ(http://www.govrn.bg/y2k/regy2kcenter/index.html)を開設した。このホームページでは、各国調整官の連絡先情報、各国政府のホームページへのリンク、質問の受付・閲覧が可能であった。その上、このページは、地域の各国調整官が、それぞれの状況を共有し、支援を要請するための報告の場となった。

 2000年への移行前、東欧・中央アジア地域が報告する平均的な対応完了日を見ると、他地域よりも対応が遅れているように見えた。調査結果によれば、東欧・中央アジアの大半は1999年10月以前には修正は終了しておらず、重要部門の大半で危機管理計画が策定されていたのは3分の1以下であった。各国は1999年12月までには、対応準備を完了し、新年前には適格な計画が策定できるとしていた。

 2000年への移行時をモニターするため、各国は指令情報センターを設置し、政府と業界の情報・緊急対応センターが協力し、移行日のシステム運用に関する情報を集めた。これらのセンターの大半は2000年への移行とは関係のない不測事態に対処するためにすでに設置されていた。27ヵ国の調整官は各国のセンターと協力し、RCCやIYCCへインターネットを通して、送る適格でタイムリーな情報を共有した。

 ブルガリアのRCC及びIYCCへ報告によると、2000年への移行時に各国国内及び地域内において、Y2Kによる重大な問題は発生しなかった。しかし、核エネルギー部門でふれたように、この地域では原子力発電所のY2K対策は継続されなければならなかった。

 東欧・中央アジア地域各国が成功を収めた理由としては、各国が受け継いできている資源の中央集中管理・制御及び全国的な調整を容易にした重要部門における運用の独占形態があった。情報技術への依存度が低いことから、先進国と比べて数の少ない重要インフラの重要システム対策に各国の調整官が集中することが可能であった。この気候寒冷な地での原子力発電所とエネルギー生産の動向に世界が注目したことも、各国の調整官が適切な時期に措置をとることに貢献したかもしれない。最後に、東欧・中央アジアの各国は、ブルガリアの調整チームのリーダーシップのもと強力な調整、迅速な連絡、継続的な情報の共有化によって多大の恩恵を受けた。

 この地域の各国調整官にとって大きな不満は、他地域がこの地域のY2K対応に疑問視し続けていたという点であった。多数の評論家が、旧ソ連の新独立諸国の一部はY2Kによる深刻な影響を受けるであろうとの誤った考え方を持ち、そのリスクを限定的なものにするための措置をとった。たとえば、米国は、ベラルーシ、モルドバ、ロシア、ウクライナへの旅行に対し警告し、現地大使館の館員に対し、必要最低限の館員を除き、これらの国から離れることを認めた。結果的に、幸いにもこれらの予防措置は不必要であることが証明された。

 効果的なコミュニケーションを如何にはかっていくかとの問題を考えるにあたり、ロシアの天然ガス企業であるガズプロム(Gazprom)社のY2K対応進捗状況に関する認識が一つの好例と言える。ロシアだけではなく、数多くの欧州諸国がガズプロム社からのガス供給に依存していたため、国際的な懸念が寄せられていた。ガズプロム社はロシア語によるY2Kホームページをもっていたが、同社のY2K対応状況を直接に確認できる英語の情報はほとんどなかった。しかし、一部の懸念とは対照的に、天然ガス供給をロシアに全面的に依存していたフィンランドがガズプロム社の対応に確信をもっていた。1999年12月13日、IYCCの要請によりフィンランドのガス配給会社であるガスム(Gasum)社は天然ガスの状況について自社の調査を英語で自社のホームページ(www.gasum.fi)に掲載した。同じものがフィンランド語では1999年12月2日に掲載されていた。ガスム社によるガズプロム社の審査報告(テキストは、下記参照)によって、ガズプロム社のY2K 問題のリスクは低いことを多くの人々が確認できた。結論として、この地域がその対応を効果的に発信する能力に欠け、そしてこの地域以外の世界がこのコミュニケーションを受信する能力の欠けたことの理由については、さらなる研究が必要である。

<ロシアからフィンランドへの天然ガス輸送>

 1999年12月13日付け「2000年ガスムは対応完了」よりの抜粋。
 状況の調査は1999年初頭に開始された。

 1999年9月初旬、我々は、ウレンゴイ(Urengoi)のガス工生産施設を訪問した。我々が直接見聞したところによると、天然ガス・パイプラインのシステムにはオートメーション化された部分はほとんどなかった。ロシア方式に準じて、圧縮装置施設には人員が配置されており、自動制御システムは使用されていない。圧縮装置施設への電力供給は、施設内の自家発電装置でまかなわれている。

 8月、我々の圧縮装置専門家は、セヴェルガズプロム(Severgazprom)地域の状況を把握するためウタ(Uhta)への調査出張を実施した。ロシアの天然ガス業界で、最大のオートメーション採用企業の地位を同社は確立しているが、少なくとも西欧の基準では、オートメーション化はガスの供給に大きな役割を果たしていないと調査団は報告した。1990年代、同社はジーメンスの制御システムを導入した。しかし、これは情報の収集だけに使われ、パイプラインの制御には使用されていない。すべての圧縮装置施設には人員が配置されている。

 また、調査団は圧縮装置施設CS10を訪問した。他の類似施設同様、ここでも、かなりの台数の圧縮装置器があるが、そのうちの3分の1は使用されず、予備として置かれていた。千年紀への変更時、ロシアの自国のガス消費量は通常より大幅に減少し、予備能力が増加することになるであろう。セバガズプロム地域には他にも天然ガス産出地があり、北ルートで配送されているガスの約5%が生産されている。

 フィンランドに最も近いガス輸送会社はレントランスガス(Lentransgaz)社で、われわれは同社の代表と毎月、フィンランドとロシアで会合を開いた。われわれは、フィンランドに近いCSセヴェルナジャ(Severnaja)の圧縮装置施設を数回訪問し、状況を調査した。

 レントランスガス社のパイプラインの制御システムはコンピュータを基盤としたものとはなっていない。サンクトペテルブルグの中央制御施設は、2時間ごとに電話で指示を出しながら、地区の22の圧縮装置施設の運転状況を監視している。電話により収集された情報は、大きなボードに書き込まれる。これらの情報はパイプラインの状態を確認し、必要な制御情報を提供するために使われる。この新鋭の「CSセヴェルナジャ」圧縮装置施設は、1998年1月より商業サービスを開始した。この施設は太陽熱を利用した圧縮装置をもっており、エンロン(Enron)が施設の運営を担当している。レントランスガス社はY2K問題に対応済みの信頼できるガス供給会社であり、テストでも問題はなかった。

 ロシアの天然ガス産業全体をリードする企業であるガスプロム社は、昨年(1998年)末にY2K対応計画に着手した。1999年11月16日に我々が受け取った連絡では、ガスプロム社の対応進捗率は98%だった。

 本年の残された期間、ガスム社は、ロシアの天然ガス産業の状況を調査することを継続していく。

(以上、抜粋終わり)

4.中東・北アフリカ

  • 中東・北アフリカ地域19ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国の調整官19名。
  • 地域活動参加国数12ヵ国。
  • 地域会議1回。
  • グローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)参加国数14ヵ国。

 19ヵ国の中東・北アフリカは地域としては比較的小さいが、世界の相互依存に関しては中心的存在のひとつである。この地域は世界の石油と天然ガス供給において大きな割合を占め、スエズ運河の所在地でもある。この地域内各国の技術依存度は大きく異なっている。一部の国は重要なインフラで技術依存度が大きく、他の一部は情報技術を使い始めたばかりである。

 この地域での大きな課題は、地域内はもちろん地域外の世界とも、対応進捗状況、危機管理計画についての情報を共有化することにあった。この地域は、会議への出席率もIYCCの調査やグローバル・ステータス・ウォッチ(GSW)への報告も最低レベルの地域の一つであった。

 参加や情報共有化の障害となったものは、本質的に地政学的なもので、中東と北アフリカをリンクさせる類似性はほとんどない。第二に、モロッコは要請された地域調整の仕事に精力的に取り組んだものの、他国、とりわけ産油国の参加をとりつけるのに苦労した。

 国連西アジア経済社会委員会(ESCWA)は1999年2月初旬にY2Kに関する会合を開催した。参加国は会議後すぐに、この会合の結果についてオンラインでアクセスできたが、IYCCは、1999年の11月まで、この会合の開催についても、主要産油国におけるY2K対応が進捗している状況について知ることがなかった。中東のY2K対応状況に関する情報は、ESCWAから世界の他の地域に広範には発信されなかった。

 障害はあったものの、地域調整官であるモロッコのヤヒア・ブアブデラウイは、1999年11月1日から3日までラバトにおいて地域会議を成功裏に開催した。アルジェリア、エジプト、レバノン、ヨルダン、サウジアラビア、チュニジアが代表を送り、会議の結果は重要なものとなった。この後すぐに、地域のリーダーが現われ、情報の共有化が高まった。

 天然ガスの生産と流通、南欧への供給依存がY2K問題による悪影響を受けないようにするための関連地域内のリーダーシップをチュニジアがとった。チュニジアは1999年11月下旬、会議を主催し、アルジェリア、フランス、イタリア、モロッコ、スペインの部門別のリーダーがこれに参加した。この会議では、エジプト、サウジアラビア、ヨルダンがエネルギー、石油、水道各部門のコミュニケーション・ネットワークを作り上げるためのリーダーとなることが了承された。加えて、レバノンが医療部門で積極的な役割を果たし、他のアラブ諸国と様々な成果を共有した。

 新年の約1ヵ月前、エジプトとサウジアラビアが、この地域の他の9ヵ国にならいIYCCの調査を完了させて、その対応状況を他の世界に公開した。これらの調査で、1999年10月以前にはほぼすべての国が主要な対応作業を終えていると報告し、中東・北アフリカは対応が十分できているように見えた。修正対応指数が世界平均より高かったのに比べ、危機管理計画を策定したと報告した国の数は世界平均より少なかったのは興味深い点である。

 2000年への移行時の問題発生では、この地域はもっとも少なかった地域の一つであった。14ヵ国による共同報告書で、2000年への移行はスムーズになされたと報告された。一般的に、中東・北アフリカ地域は、各国それぞれがY2K問題の準備を整え、成功裏に乗り切った。産油国や技術依存度の高い国は早い時期から対応策をほどこしていた。国境をまたいだ情報の共有化を図っていれば、準備に取り組むのが遅れた国々への支援がさらに強化されていたであろう。

5.北米

  • 北米地域3ヵ国。
  • IYCCにより任命された各国の調整官3名。
  • 地域活動参加国数3ヵ国。
  • 地域会議3回。
  • グローバル・スタータス・ウォッチ(GSW)参加国数3ヵ国。

 エネルギー部門、通信部門、水道部門において北米三ヵ国は相互に大きく依存をしている。カナダと米国は、これら部門で相互依存が強い。カナダは米国から医薬品の50パーセント以上、食料品の多くを輸入しいる。 水道部門ではメキシコと米国が相互依存している。

 IYCCが関わる以前に、これら三ヵ国においては、十分に組織されたY2K対策プログラムがすでに整っていたため、その意味でIYCCの影響は北米地域においては限られていた。また、この地域は、北米自由貿易協定(NAFTA)のため、この三ヵ国間で適切に機能しうる調整メカニズムがあり、対応がとれていた。

 鍵となる課題は、資金と経験をもった技術先進地域として、北米のY2K対策の経験を世界の他地域とどう共有するかであった。カナダと米国の代表はそれぞれ、ガイ・マッケンジーとジョン・コスキネンで、両国は世界銀行と開発途上国に対し重要な資金を提供した。米国政府の世界銀行への拠出金によってIYCCが設立された。米国政府は常勤スタッフ二名を提供し、IYCC所長とプログラム・ディレクターを出した。最善の対処策や有益なY2K問題の助言は米国によって提供された。北米の調整活動に参加するのに加え、メキシコはカルロス・ジャクとアントニオ・ピューグのリーダーシップのもと、中米・カリブ海地域に不可欠な指導力を発揮した。

 通関、入国管理手続へのY2K問題の影響を討議するため、メキシコと米国は二国間国境会合を開催した。主要目的は、新千年紀にあたって経験を共有化し、シウダー・ファレス危機管理委員会を組織することにあった。シウダー・ファレス市の2000年情報技術対策委員会及びテキサス大学エルパソ校がこの会合を主催した。

 1999年10月4、5日にオタワで開催された北米Y2K三国間会合で、全主要分野、通関分野を含む連邦政府システムのY2K対応は年末までに完了予定であることが確認された。カナダ及び米国はともに、中小企業の対応状況についての懸念を示し、これが最後の三ヵ月間の焦点となった。またカナダは、保健医療分野への懸念及び、Y2K関連情報の国民への適切な広報にも懸念を示した。この三ヵ国は、2000年への移行時には緊密な連絡をとることで合意した。カナダ、米国は相互の調整センターにそれぞれのオブザーバーを派遣し、メキシコと米国の調整官は2000年への移行時には定期的に電話連絡をとった。

 北米地域では、広範なテストが実施され、Y2K対応はかなり進んだものとなっていた。これらの三ヵ国はすべて、IYCCに対応状況調査を提出し、1999年10月あるいはそれ以前に修正が完了したと報告していた。それぞれの危機管理計画が策定され、承認されていることも三ヵ国は報告した。

 この地域は、深刻な問題もなく2000年への移行時を乗り切った。成功した理由としては、もっとも重要な部門で早期に対応がなされたこと、この三ヵ国間で緊密な関係があったこと、それぞれの国のプログラムが強力であったことがあげられる。

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