2.地域別援助の動向
我が国は、97年には世界の162ヶ国・地域に対して政府開発援助を行った。そのうち47ヶ国に対しては最大の二国間の援助供与国となっている(96年)。
(2)中近東
- (イ)東アジア
東アジア地域は、地理的、歴史的なつながり、経済面における密接な相互依存関係等から引き続き重点地域となっており、97年においても我が国ODAの上位供与5ヶ国は、中国、インドネシア、インド、タイ、フィリピンの順位となった。この地域は近年飛躍的な経済発展を遂げてきた東南アジア諸国、市場経済の導入に取り組んでいる「移行国」であるインドシナ諸国やモンゴル、更に中国など、経済の発展段階が大きく異なる様々な国が存在しており、開発援助ニーズも多様化している。我が国としては、各国の実情に応じたきめの細かい援助を実施するよう努めており、これまで良好な経済成長を達成してきた国については、特に民間資金の役割が益々増大する傾向にあって、公的資金による開発援助が民間部門の活性化への触媒となること、また経済開発によってもたらされた環境問題や地域間格差などの一部の歪みを是正すること等に力点を置いている。一方、後発開発途上国等においては、依然として貧困問題が大きな課題として残されている。
97年1月の橋本総理大臣(当時)のASEAN訪問の際には、21世紀に向けた日本とASEANの新たな協力の構想を示し、様々なレベルでの相互交流の拡大・深化、人材育成協力、経済構造改革に対する支援、環境保全・保健医療・福祉向上・麻薬対策等の国際的諸課題への共同の取り組み等が表明された。
しかし、97年7月のタイ・バーツの下落に始まるアシア通貨危機により、各国は民間債務問題、物価上昇、失業問題等未曾有の経済困難に直面した。これにエル・ニーニョ現象による干魃被害や森林火災等も加わり、これまで20年近くにわたり目覚ましい高成長を示してきた東アジア地域に深刻な状況をもたらしている。各国は厳しい構造調整努力を行うと共に、IMFを中心とする国際的支援、国際民間銀行団体の協力等により、経済困難の克服に取り組んでいる。
我が国はIMFを中心とする国際的支援に積極的に参加するとともに、二国間援助を通じて、国際支援の補完を図っている。98年2月閣議決定された「東南アジア経済安定化等のための緊急対策」や同年4月に発表された「総合経済対策」の下でのアジア支援策に基づき、合計で約420億ドルに上る支援を行うことを表明した。このうち、ODAでは社会的弱者等にも配慮した経済構造改革への支援、食料・医薬品等生活必需品確保のための支援を行っており、98年6月に成立した総合経済対策に関する補正予算においても、インドネシア向けコメ支援や、ASEAN基金への拠出等アジア経済支援のための予算措置が盛り込まれた。また、4月には東京において「アジア経済危機と健康-人間中心の対応」と題した国際シンポジウムを開催し、ASEAN諸国、世銀、世界保健機関(WHO)等の関係者の参加を得て、経済危機や構造調整策が、栄養、保健医療など、住民の基礎的生活に直接与える影響を中心に、貧困層その他の社会的弱者にもたらす影響の把握と国際社会の的確な対応に関する議論の深化を図った。更に、短期的な対応に加え、より長期的な観点からの対策として、これらに先立つ97年12月の日本・ASEAN非公式首脳会議(於:クアラルンプール)では向こう5年間で2万人の研修計画を含む「日・ASEAN総合人材育成プログラム」や留学生支援策など、東アジア諸国の経済発展や雇用確保等に資するための中長期的見地に立った人材育成支援を発表している。そのフォローアップとして98年5月には、ASEAN地域や各国に共通する開発関連の問題につき我が国とASEANの開発担当者が意見交換を行う「日・ASEAN開発ラウンドテーブル」が沖縄にて開催された。
特に現在最も厳しい状況に直面しているインドネシアについても、我が国はIMF金融支援への参加、輸銀・貿易保険の活用、構造調整支援のための円借款や60万トンの緊急コメ支援、医薬品等の無償支援等を行いつつある。しかし経済困難の深刻さや物価上昇等を背景として暴動が拡大、98年5月には30年余り続いたスハルト政権が終わり、ハビビ政権が誕生して困難の克服に向け取り組もうとしている。我が国は、新たな状況を見極めつつ、社会的弱者支援を重点としてインドネシア国民の生活の向上や社会の安定に資するような協力を中心に同国の改革努力を支援していくこととしている。
中国についてはアジア通貨危機の直接の影響は生じていないものの、アジア地域の景気後退による輸出の伸びの減速、対中国直接投資の鈍化等の影響が見られている。我が国は、中国に対しては、中国の改革・開放路線を支援するとの方針の下、地域間格差の是正等に力点を置きつつ、その経済開発・民生向上に向けた努力や環境問題への取り組みを中心に協力した。南西アジア地域は、域内7ヶ国のうち4ヶ国が後発開発途上国(LLDC)となっている世界で最も貧しい地域の一つであり、各国は、貧困問題をはじめとする困難な経済社会問題に直面してきている。我が国はこれら7ヶ国全てに対し、最大の二国間援助供与国となっている。一方、南西アジア諸国は、経済自由化、規制緩和等経済改革を進めつつ積極的に経済・社会開発に取り組んでおり、我が国のODAもその側面支援の役割を担っている。また、97年5月の南アジア地域協力連合(SAARC)の首脳会合では、南アジア自由貿易地域(SAFTA)を2001年までに実現することが決定される等、同地域は域内協力の強化に取り組んでいる。
南西アジア地域においては、とりわけ貧困対策に資する保健・医療、教育等に関する援助需要は大きく、我が国としては、従来より経済社会インフラ整備から基礎生活分野に至る幅広い分野において援助を行ってきた。近年では、援助の実施にあたり、特に「途上国の女性支援(WID)」、子供の健康分野における協力、また、人口・エイズ、環境、食料等の地球的規模の問題への対応にも配慮してきた。
しかしながら、インド及びパキスタンは98年5月に地下核実験を行った。両国による核実験とその核政策は国際的な核不拡散体制から問題があるのみならず、厖大な貧困人口や開発上の問題を抱える中でこのような挙に出ることは容認しがたいことである。92年に閣議決定された政府開発援助大綱の原則を踏まえ、政府は両国に対し厳しい措置をとることとし、新規の無償資金協力の原則停止、新規の円借款の停止等の措置をとっている(「5.政府開発援助大綱の運用状況」(1)参照)。中央アジアの5ヶ国について93年度から、またコーカサス諸国の3ヶ国については94年度から、それぞれ我が国のODAによる支援を開始しているところ、現在無償資金協力は7ヶ国、円借款は6ヶ国に供与されている。これら地域のほとんどの諸国は、民主化、市場経済導入の努力を続けており、体制移行による国造りも一定の成果を上げつつあるが、ソ連崩壊に伴う経済的な混乱に加え、インフラの老朽化、環境破壊等共通の諸問題を抱えている。
我が国は、中央アジア及びコーカサス地域の諸国に対しては、人造りや開発計画策定等の技術協力、経済改革に伴う困難を緩和するための基礎生活分野、経済インフラ整備に対する資金協力を中心とした援助を実施している。97年度については、トルクメニスタン(鉄道案件)、グルジア(電力案件)及びアゼルバイジャン(電力案件)に対し初の円借款供与を行った。我が国と中近東地域は、石油の安定供給確保の観点を含め高い相互依存関係にあり、同地域の安定は、我が国にとって極めて重要である。我が国は、中近東地域の経済開発と民生の安定に寄与し、友好協力関係を増進させるのみならず、同地域の政治的安定に貢献する観点からも、経済協力を機動的に実施していく必要がある。また、中近東地域は経済発展状況が多様であり、経済発展段階に応じたきめの細かい援助を実施している。
中東和平プロセスは97年3月以降進展が停滞しているが、我が国としても、中東和平推進に対して粘り強い働きかけを行うとともに、和平プロセスの環境作りを促すべく援助を実施している。また、97年11月の日・サウディ・アラビア首脳会談において、政治分野、経済分野、及び「新分野」という3つの柱からなる「21世紀に向けた包括的パートナーシップ」の枠組みの下、多角的な協力関係を構築することが合意された。この内、「新分野」については「人造り」、「環境」、「医療・科学技術」、「文化・スポーツ」及び「投資」の5つの分野につき協力関係を推進していくこととなっている。更に、その他の湾岸協力理事会(GCC)諸国に対しても「日・GCC21世紀協力」として同様の枠組みによる協力を推進することとしている。アフリカ地域では、多くの国が複数政党制の下での議会選挙・大統領選挙といった民主化の推進、市場経済の導入等、政治・経済面で変革期にあるが、大半の国が後発開発途上国(LLDC)であり、貧困、感染症等様々な問題に苦しんでいる。こうした中で、近年、日本の援助に対する期待は増大しており、アフリカ諸国に対して、国力に相応しい協力を果たす必要がある。対アフリカ援助を行うに際し、二国間友好関係の強化、多国間外交の場における我が国への支持・協力の確保、アフリカが抱える課題(経済社会開発の推進、紛争の解決、緊急人道援助等)に対する国際貢献を念頭に置くことが重要である。
こうした状況を踏まえ、我が国は、基礎生活分野、インフラ整備等の分野で様々な援助を実施し、二国間援助を強化している。二国間援助においてアフリカ向けの支援の占める割合は97年には12.1%であった。この地域の大半の国がLLDCであることを反映し、97年の対アフリカ援助のうち約9割が贈与(無償資金協力及び技術協力)による援助となっている。なお、アフリカ地域における紛争後の支援や紛争解決に向けた協力については、例えば97年7月に行われたリベリアの大統領・国民議会選挙に関し、その選挙プロセス支援等のため総額約80万ドルを「国連リベリア信託基金」に拠出する等の援助を実施している。
我が国は、93年10月東京において、国連、アフリカのためのグローバル連合(GCA)と共催してアフリカ開発会議(TICAD)を開催した。TICADにおいては、参加国・機関がアフリカ開発を最優先課題とする政治的意見を表明した「東京宣言」が採択され、アフリカ諸国の開発に向けた自助努力を促し、国際社会によるアフリカ開発問題への取り組みを強化する上で大きな成果を上げた。98年の10月には、再び我が国は国連、GCAと共催して、第二回アフリカ開発会議(TICAD2)を東京において開催することとしており、我が国は多国間外交の場においても積極的に対アフリカ援助の重要性を強調している。TICAD2においては、アフリカが自助努力(オーナーシップ)によって、また世界の一員として(パートナーシップ)、国造りに取り組むことを支援するため、21世紀のアフリカ開発のための行動計画を策定しようとしており、その中ではアジア・アフリカ協力の推進も一つのテーマとなっている。(注)本報告では、サブ・サハラ・アフリカをアフリカと表記する。
90年代に入ってからの中南米地域は、「失われた80年代」と呼ばれた経済の停滞期を克服し、また、同時期に実現した政治的民主化を背景にその民主的政治体制の定着に加え、民営化の推進による小さな政府への指向、市場経済原理の導入などの構造調整を通じ回復を達成している。近年は東アジアに次ぐ世界の成長センターとしての地位を確立しつつあり、97年のアジア通貨危機の影響も限定的なものにとどめ、貿易・投資を通じた堅調な経済成長(97年GDP成長率は5%程度)を達成している。また、経済統合の動きも活発で、メキシコの参加する北米自由貿易協定(NAFTA)や、ブラジル、アルゼンティン等が進めている南米共同市場(メルコスール)等の既存の地域統合に加え、94年12月の第1回米州サミットで、米州大陸を統一市場とする米州自由貿易圏(FTAA)創設に合意し、98年4月の第2回米州サミットではFTAAについての交渉を開始すること等を内容とするサンティアゴ宣言・行動計画が採択されている。
中南米諸国に対する援助は、多数の日系人・在留邦人がおり伝統的に親日的な国が多いこと、社会資本への投資不足、民主体制の定着、市場指向型経済の導入の推進等を踏まえ実施してきている。96年8月の橋本総理大臣の中南米諸国訪問に際しては、日本と中南米との新時代のパートナーシップを構築すること、人口、食料、環境等の地球規模問題の解決に向けた協力の拡大等について合意しており、近年では、環境など地球的規模の問題、国内の所得格差等に起因する貧困問題等への取り組みを重視している。なお、96年12月に発生した在ぺルー日本大使公邸占拠事件は97年4月に解決しており、98年2月にはぺルーに対し経済協力総合調査団を派遣する等、治安情勢に留意しつつ協力を継続している。大洋州地域諸国は、その大半が国土も人口も極めて小さな小規模国家であり、開発においても国内市場の狭隘性等の困難を抱えているほか、いずれも若い独立国として、特に人材育成が大きな課題となっている。また、公的部門に過度に依存した経済構造から脱却するため民間部門の育成が急務であることに加え、基礎生活分野の整備や漁業開発が求められていること等の共通点も有している。我が国としては、各国の主体性を重視し、その実状、開発需要に即したきめの細かい援助の実施を心がけるとともに、当該地域において実績を有する豪州、ニュージーランド及び、国連開発計画(UNDP)、アジア開発銀行(ADB)等の国際機関との協調も重視している。97年度については、フィジー(上水道案件)に対し初の円借款供与を行った。
中・東欧諸国においては、89年以来民主化及び自由化の動きが劇的に進展し、民主的政権の下で経済改革が進められている。中・東欧諸国の多くにおいては、市場指向型経済の導入、環境問題、経済インフラの再建等が主な課題となっており、我が国は他の先進国、欧州復興開発銀行(EBRD)等国際金融機関と協力を図りつつ支援を実施している。旧ユーゴー問題に対しては、紛争当初から人道・難民支援を実施してきており、98年5月のボスニア復興支援に関する第4回支援国会合においても引き続き応分の支援を行っていく旨表明した。また、96年度のバルト三国とモルドヴァに引き続き、97年度は新たにウクライナを我が国ODAの対象国としている。なお、ルーマニア(道路案件)に対しては初の円借款供与を行った。
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