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(2) 国際社会による取組の強化
90年代を通じ、日本は世界のODAを量的に支えてきましたが、先進諸国全体を見るとODAが停滞し、いわゆる「援助疲れ」と言われた時期が続きました。しかし、以上のような種々の要因が重なり、2002年に入り欧米において開発援助を大幅に増大させようとする顕著な動きがみられます。

(イ) 欧米主要援助国におけるODAの増額の動き
2002年になって開発援助増大に動き出したのは米国とEU諸国でした。米国は、2002年3月にメキシコのモンテレイで開催された開発資金国際会議に先立ち2004年から2006年にかけて現在のODA額(年間約100億ドル)を年々増額し、最終年度において50億ドルまで増額とすると表明しました。また、同時期にEU諸国もEU全体で2006年までにODAの対GNI比を現在の0.33%から0.39%に引き上げると発表しました。これは、現在のODA額より推計すれば、EU全体で年間70億ドルの増額となります。さらに、2002年には、カナダ、オーストラリア、ノルウェーなども相次いでODAを大幅に増額する方針を表明しました。こうした動きに対しては国際社会、特に途上国より、大きな歓迎と期待が表明され、以降の開発に対する国際社会の積極的な流れを形成することになりました。

図表I-3 DAC主要国のODA実績の推移

DAC主要国のODA実績の推移

図表I-4 ODA増大に関する主なコミットメント

ODA増大に関する主なコミットメント


(ロ) ミレニアム開発目標(MDGs)の設定
96年に経済協力機構の開発援助委員会(OECD-DAC)において「21世紀に向けて:開発協力を通じた貢献」(DAC新開発戦略)が採択され、その中で7つの国際開発目標(IDGs : International Development Goals)が定められました。わが国は、その過程において具体的な達成目標を提案するなど、文書のとりまとめに主要な役割を果たしました。その後、2000年9月に開催された国連ミレニアム・サミットにおいて「ミレニアム宣言」が採択され、のちに同宣言とIDGsを発展的に統合したミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals)という一つの共通の枠組みにまとめられました。このMDGsは、人類の将来の繁栄に向けた基礎的条件を整える重要な国際目標として国際社会全体に共通の開発目標になりました。MDGsは、具体的な開発の成果を重視する観点から、貧困削減、基礎教育、保健医療、ジェンダー、子ども、環境などについて明確な量的目標と達成期限を定めています。

図表I-5 国際開発目標(IDGs)からミレニアム開発目標(MDGs)へ

国際開発目標(IDGs)からミレニアム開発目標(MDGs)へ


(ハ) 開発戦略を巡る新たな潮流
開発目標の国際的な共有化が進む中で、開発戦略に関しても国際社会に顕著な進展が見られています。80年代は、IMF・世界銀行を中心として途上国のマクロ経済の安定化、および社会・構造改革への支援が多くの国で行なわれました。これは、途上国のマクロ経済政策を改善するとともに、なるべく政府の市場への介入を少なくし、民間セクターの活力によって所得の向上を促すことで開発問題に対処する考え方です。これらの支援の経験を通じて明らかになったことは、当該支援が真に実効性の高いものとなるためには、改革プロセスにおける途上国自身の主体性(オーナーシップ)を持った取組と、当該国の実情に即した支援内容となっていることが重要ということです。
一方で、世界の貧困問題が一部地域を除いて深刻化している現状に鑑み、90年代以降、「貧困削減」が開発援助を巡る議論の推進力となり、経済協力開発機構の開発援助委員会(OECD-DAC)の場でも、96年に貧困削減が開発援助の究極の目的であることが再確認されました。また、この一連の議論において、開発援助が貧困削減に対し有効となるためには、良好な経済政策・制度環境が不可欠であることが明らかになってきました。

包括的開発の枠組み
98年10月のIMF・世界銀行年次総会において、途上国のマクロ経済政策と構造的、社会的、人間的な側面のバランスのとれた発展を同時に達成する必要があるとの認識に基づくアプローチとして「包括的開発の枠組み」(CDF)注)がウォルフェンソン世界銀行総裁によって提唱されました。具体的には、貧困削減と持続可能な開発のためには、適切なマクロ経済政策とともに、構造的側面(しっかりと組織された政府、市場経済に不可欠な法律・司法制度、監督の行き届いた金融システム、社会的弱者の保護)、人的側面(教育制度の整備、保健・人口問題への対応)、物理的側面(上下水、エネルギー、交通・通信インフラの整備、地球環境・文化の保護)、特定分野における戦略(地方・農村開発、都市開発、民間セクター開発)についても同等に検討する包括的な枠組みが必要というものです。また、その実行にあたっては、DAC新開発戦略において基本理念に掲げられた途上国のオーナーシップを基本としています。すなわち、途上国政府の主導の下に、開発に携わるさまざまな援助主体(援助国、国際機関、NGO、市民社会等)の参加を得て、開発課題に取り組むということです。

貧困削減戦略文書
このCDFの考え方に基づき、現在、貧困削減戦略文書(PRSP)注)が最貧国を中心に策定されています。PRSPは、99年9月のIMF・世界銀行年次総会時の一連の会議(合同開発委員会、暫定委員会)において、債務削減・国際開発協会(IDA)融資供与のために、重債務貧困国及びIDA対象国に対して作成が要請されることが決定されたものです。その後、PRSPは途上国の開発問題全般に係わる援助協調のための手段として使われるようになっています。PRSPは、被援助国の国家開発戦略における優先順位付け及び実施過程を包括的に示した3年間の経済・社会開発計画であり、各援助国や国際機関、NGOなどの参加を得て作成されることにより、支援に際して全ての開発パートナーの指針として活用されています。
また、途上国政府はPRSPに基づき、中期的な財政・資金手当計画である中期支出枠組みを作成します。世界銀行もPRSPに基づき、世界銀行自身の融資計画である国別支援戦略(CAS)を作成します。また、ドナー国・国際機関もPRSPに沿って、いかなる貢献が可能かという観点のもと、ドナー間で協調して効果的・効率的な支援を行うことが期待されています。
2002年末時点において、21か国において完全版のPRSPが作成され、暫定版については46か国で策定されています。すでにこれだけの国でPRSPが策定されていることから、国際社会の関心は徐々にPRSPの策定から、PRSPに基づく実際の開発の実施に移ってきています。PRSPは、実施の過程において必要に応じて見直され、修正が加えられるものであり、そのためには、進捗を正確に計るためのモニタリング・評価が不可欠です。


写真 タンザニアにおけるPRSP策定途中における住民との話し合いの様子

囲みI-1.CDFとPRSPに共通する基本理念
コラムI-1.タンザニアにおけるPRSP貧困モニタリング


(ニ)わが国の考え方~経済成長を通じた貧困削減
以上のようにPRSPプロセスは、多くの途上国の開発政策と援助国の援助方法に大きな影響を与えるものです。わが国は、貧困削減を始めとする国際的に共有された開発目標の達成のために最大限の努力を行っています。しかし、わが国は、持続的な貧困削減を実現する方法としては、東アジアの経験に鑑みれば経済成長を通じた貧困削減を図っていくことも重要だと考えています。具体的には、貧困削減を進める上でも教育や保健医療といった社会セクターに対する支援のみならず、経済基盤整備、法制度整備、人材育成といった経済セクターに対する支援を通じた貿易・投資の促進、民間セクターの育成及び技術移転を促進し、その国の経済成長を積極的に支援する必要があると考えています。その際、途上国の状況は国毎に大きく異なるため、特定の国や地域に適用されているアプローチを画一的に他の国や地域に適用することは必ずしも適当ではなく、国、地域ごとの事情に対応する多様な手段による取組が必要だと考えています。また、こうしたわが国の考え方を途上国にも十分に理解してもらい、途上国の開発政策やわが国に対する正式要請等に反映してもらうように政策協議等の場を通じて働きかけています。
現在、PRSPプロセスにおいて、成長セクターをより重視する傾向が徐々に現れてきています。例えば、2002年7月に世界銀行の承認を受けたベトナムのPRSPは、ベトナム政府の経済成長を重視する考えから、「包括的貧困削減・成長戦略」(CPRGS)との名称となり、内容的にも貧困削減のみならず、持続的成長を促すセクターに関する戦略や数値目標が記載されているなど、これまで他国において作成されたPRSPと比べて経済成長が重視されたものとなっています。CPRGSが策定される過程において、わが国は、ベトナム政府のオーナーシップを尊重しつつ、世界銀行等と連携して、具体的指標の設定や戦略構築に関して経済成長を重視するよう働きかけてきました。しかし、現在のCPRGSでも依然として経済インフラに関する戦略が十分ではない部分があり、昨年12月の対ベトナム支援国会合において、わが国は、CPRGSに経済インフラの要素が導入されるべくイニシアティブをとりました。

囲みI-2.米国同時多発テロ前後から現在までのODAを巡る動き


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